第52話 旅程・一日目
(鳥の声が変わったな)
大多数が徒歩であるのだからそうそうに距離を稼げる訳でも無かったが、それでも進むうちに周囲の景色に変化が現れた。
木立の多くが冬に葉を落とす広くて丸い葉を持つ木々に変わり、その背の高さもまちまちで、真っ直ぐにひたすら伸びる街の周囲の森の木々に見慣れた目には新鮮に見える。
鳥の鳴き声が変わったという事は、すなわち生き物の層が変わったという事だ。
生き物というのは自身に丁度良い環境に住み分ける。
少々無理をしてもどこにでも住んでしまう人間が特殊なだけで、生き物には生活圏という無意識の選択があるのだ。
「坊主達、もうへばってんじゃねぇだろうな?」
以前もからかいの声を掛けて来た大男が、自分自身よりも重いのではないかと思われる荷を背に、並んで歩くライカとサッズの元へと近づいて来た。
声の調子からして、心配して声を掛けたのではなく、からかって自分の楽しみにしたいのだろう。
元々竜であるサッズは問題外として、ライカも実は裏技を使えば大して疲れることもないのだが、今は自分の限界を計るため、あえて己の力のみで荷を負っていた。
なので確かにある程度の疲れは感じてはいたが、「へばる」程ではない。
「ありがとうございます。まだ平気です。足元に殆ど不安が無いのは助かりますね。これが領主様達が作っている街道なんですよね?」
反抗するとか、強がるとか、そういったリアクションを期待していたらしい男は、少し拍子抜けしたような顔をしたが、別にどうしても少年たちをからかいたかった訳ではなかったらしく、ライカの問い掛けに気軽に応じる。
「ああそうだ。大型の馬車が二台すれ違えるぐらいの幅を平らに均して地面を固めてあるだけなんだが、これがどうして中々助かるんだよな。ほんの数年前には街道なんか誰も考えもしなかったもんだが、あの頃の荷運びときたら、途中に岩はゴロゴロしてるし、草が生い茂って見通しは悪いし、あちこちにモグラ穴があったりしてな、時には馬が潰れるようなこともあったんだ。とにかく俺らは通り道をある程度切り開いて道を作っちゃいるんだが、人や荷の流れが多い王都周りは良いとして、こんな今まで人も住んで無かったような場所だろ?もう殆ど未開の地だぜ、単独で少しでも他人より先に儲けようとニデシスを目指した商人なんかには迷った挙句に狼にでも食われたか盗賊にやられたか。帰らない連中もかなりいる。ほんと、街道様様だぜ」
どうやらかなりの話好きらしい男の説明は、ライカにとっては新鮮なものだった。
なるほど、彼の話からすれば単独で旅をするというのは本当にかなり危険なことなのだ。
ライカの祖父や知人達が反対するはずである。
「商組合の隊商は詳しい地図を持っているって聞きましたけど」
「地図だって」
男は鼻を鳴らして見せた。
「あんな絵の出来損ないのようなやつが何の役に立つってんだ?旅の基本は地形を覚えることだぜ」
「道筋の景色を全部覚えているんですか?」
「おおよ、それと、旅をするんなら絶対に覚えておかなきゃならんことがあるのさ。それは太陽の位置と星の位置だ」
「太陽と星、方角ですね」
「そうだ、たとえ道に迷ってもそれで大概の方角はわかる。ただし太陽は直接見ちゃならんぞ、影を見るんだ」
「影ですか」
「そうだ、影を見れば太陽の位置と高さが分かる。そこから日が暮れるまでどのくらいあるかも読み取れるんだ」
「それは凄いですね」
その体格もあって、粗暴に見えた男だったが、案外と豊富な知識の持ち主のようだった。
それにかなりの話好きだ。
どんな相手でも理解し合うには話すのが一番である。
ほとんど部外者に近い立場ゆえの居心地の悪さと、集団の中に常にいるという不本意さに、サッズの機嫌が急降下していることに気づいてハラハラしていたライカだったが、彼をきっかけにせめて意識的な平穏を得られないかと考え、ライカはこの相手と色々と話してみようと思った。
「俺達はこんな風に旅をするのは初めてなんですよ。是非色々教えてください。あ、俺はライカ、こっちはサックです」
「ん?ああ」
男はふと眉根を寄せて、当初の思惑から大きくずれた成り行きを訝っている様子を見せたが、ふっきるように肩を竦めると挨拶を返す。
「そうだな、わからないことがあれば俺を頼ればいい。ゾイバックだ、よろしくな」
ゾイバックはまんざらでも無い様子で、胸を張った。
「ちょっと聞きたいんだが」
その様子を見ていたらしいサッズが口を挟む。
口調があまりにもぞんざいだったので、男も少しムッとした風だったが、怒るまでには行かなかったらしい。もっさりした髭に覆われた顎を引いて話を促した。
「あの、前の方で馬に乗ってる二人の男はなんだ?」
どうやらずっと気になっていたらしく、サッズが最初からその二人を意識して視線を離さなかったことをライカは思い出した。
個々の人間に興味を向けない彼にしては珍しいことである。
示された男達は全体の進みを確認しながら馬を進めている隊商長とは違い、先へ行ったり、横へ逸れたりと、なんとなく気まぐれに進んでいるように見えた。
ただ、全身の関節と急所に、厚い皮合わせの防具を付けているのがこのいかにも商家の人間の多い集団の中で異彩を放っている。
「ああ、ちっ!」
ゾイバックはそちらへ目をやると、災い避けの印を切って直ぐに視線を外した。
「やつらは殺し屋だ。目を合わせるな、いや、そこにいると思うのもやめとけ。あいつらもこっちのことなんか気にしやしねぇんだ。やつらは盗賊という名の、殺しても誰からも文句を言われない獲物を探しているけだものよ」
「なんでそんな奴等がこの集団にいるんだ?明らかに連中だけ異質だろ」
「狼から身を守る為に、もっと危険な獣を連れてるのさ。人間の姿はしていてもやつらは竜みたいなもんだ。血に飢えてやがるんだ」
竜という言葉にサッズの眦がやや上がったが、怒るどころか、ただにやりと笑って見せる。
「面白いことを言うじゃないか」
「でも、同じ人間ですよね?」
ライカがすかさず割り込み、話を預かった。
「人間じゃねぇよ。やつらの目を見ればわかる。あんな連中が人間だったらおりゃあ人間とは名乗りたくないな」
それきり彼は口を噤むと、黙々と定位置に戻り歩き出す。
恐る恐るサッズを窺ったライカは、なにやら楽しげに口元を歪めるサッズを見て、顔を覆った。
意識の表面が激しい興味で覆われている。
(えっと、サッズ。分かっていると思うけど、この人達とずっと旅をするんだからね。修復できない揉め事は起こさないでね)
(なんだ?俺が人間ごときに本気になるとでも思ったのか?お前も変な心配するんだな)
(サッズ、今の顔、エイムが獲物を見つけた時の顔に似てたよ)
(大丈夫だって)
「それよりも」
と、サッズは口に出す。
「あっちがこっちを気にしてるっぽいぞ」
「え?」
目を向けるが、話題の二人は別々に視線を前方に送っていて、こちらを窺っているようにはとても見えなかった。
だが、意識を切り替えてそっと全体の意識の流れを大まかに感じてみると、確かに彼等の意識の一部がこっちに、正確にはサッズに向いているのがわかる。
「なんで?」
「肉を食む獣ってのはいつも自分の強さを他者と比べているもんだ。やつらの勘は人間にしちゃそういった方面に特出してる。なんとなく程度だろうが、無視出来ない感覚があるんじゃないか?」
「それでサッズは彼等にずっと意識を向けてたんだ」
「前に唸っている獣がいれば気になるもんだろ?」
「気配を消してたよね?」
「消してるのは匂いだ。馬は匂いに反応するからな。気配まで消す必要はない」
「まだ最初の陽も落ちてないのに面倒の種を蒔くのは止めようよ。ちまちま歩くのが退屈なのはわかるけど」
「退屈だから喧嘩を売るみたいなバカはしない」
「本当に?信用するからね」
ライカの明らかに信用していない声に、サッズは手を延ばしてその頬を引っ張った。
「あぅ、はにすうんだ」
「ふん、油断してたろう」
ぎゅうぎゅうに頬の皮膚を引っ張り延ばして満足したのか、ライカの猛抗議に従って手を引っ込めた頃にはサッズから剣呑な雰囲気は消えていた。
「う~、もう」
ライカはサッズを振り解こうとしてずれた背負子の位置を直し、自身も周りを見習って黙々と歩き出す。
どうやら前方の意識も逸れたようだ。
「よし、そこの広場で一時休憩だ。すぐにまた出立だから遠くに行くなよ!」
隊商長から指示が飛ぶ。
「休憩多いな」
「人間の為というより馬の為だな。汗を掻いて体を冷やすと体調が悪くなるんだ。水も大量に必要だし、結構手間が掛かる生き物なんだぜ。竜でも使えりゃ持久力があるし、そんな面倒は無いんだが、一番安価な草原竜でも馬が十頭も買える値段だ。竜車なんか使えるのはお貴族様ぐらいのものだから仕方ねぇさな」
ライカのなんとはなしの呟きに、どうやら先の会話で彼等の面倒を見る気になったらしいゾイバックが、期待してなかった返事を返してくれた。
見れば確かに一頭に二人掛かりでその世話を始めている。
「馬がいなけりゃ荷物の大半は運べないからな、あいつらの体調管理は重要なんだ」
「あ、そうか。だから馬車に御者の人以外乗らないんですね」
「そうそう、出来るだけ無理はさせないようにしなきゃならんし、その方が荷物も多く運べるだろ。歩きの人間にも荷物を担がせて歩かせられるからな」
「色々考えられているんですね」
「商人の考える事なんざ主に商品のためだ。だから、これが急ぎの荷になるとまた話は違ってくる。人数を極力削って全員が馬と馬車に乗って出来うる限り早く進む。こっちもキツイが、あっちはもっとキツイぞ。何しろつっ走らせた馬車の乗り心地なんか、思い出したくもない代物だからな」
「そういうのもあるんですね」
「昔どっかのバカ貴族の依頼で夏に万年氷を運んだ時がヤバかった。あんな恐ろしい荷運びはもう二度とごめんだな」
「本当に色々あるんですね」
ゾイバックは本当に様子を見に来ただけだったのか、水入れに水を足しておけよとだけ言い残して、彼も少年達に構うのを止めて他の男達の輪に混ざりに行った。
ライカも気を緩めて周囲へ目をやると、街道から少し外れた木陰に、小さな花が揺れているのを見付けた。
「あ、踏まれ草か、少し集めとこ」
「食うのか?」
「食べられる事は食べられるけど、歩きすぎた時とか足の裏に貼ると良いんだよ」
「薬草ってやつか」
「そうそう、どこにでも生えてる草だけど、とても助かるんだ。ということで、水入れ貸して。俺が薬草集めついでに水貰ってくるからサッズはここで少し休んでると良いよ」
「疲れてないぞ?」
「ううん」
ライカは振り向くと、仄かに笑ってみせる。
「周りに常に他の人間がいるんだもん、疲れてるはずだよ」
憮然としたサッズに、ライカはもう一度笑うと、水入れを預かって後方馬車の方へと歩いて行ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます