第38話 竜舎からの伝言
「お、坊主!」
ライカがいつものように城の表門を通ろうとすると、門番の一人が声を掛けて来た。
治療所の手伝い等に何度も城を訪れるので、ライカはすっかり守備隊の面々にはなじみになったが、それはその中でも気軽に声を掛けてくれる内の一人である。
守備隊は基本的に貴族の子弟だが、その中でも身分の差があり、こういうざっくばらんな態度を取る人間は領地を持たない下位貴族出身者が多い。
なんでも下位貴族は上位貴族の下働きのような仕事をしている者が多く、住居も平民と同じ場所にあって、あまり貴族貴族していない者がほとんどなのだそうだ。
「こんにちは」
ミリアムの食堂の開いている時間が昼と夕方なので、治療所には早朝以外ではその間に来る事が多い。
今日もそのような日だった。
「竜舎から伝言があるぞ。『領主様からお話は伺った。やる気があるのなら見習いの仕事をやらせてやる』ということだ」
「えっ?」
「ん?どうした。竜舎の連中は気難しいのが多いからな、気をつけるんだぞ?」
「あ、はい。ありがとうございました」
礼を返して、とりあえず治療所に向かいながら、ライカは頭をひねる。
「なんで見習いがどうこうって話になってるんだろう?」
ライカが以前申し込んだのは竜舎の見学だったはずだ。しかもライカの記憶が確かなら、頼んだのは領主様相手ではなかった気がしたのだ。
いや、もしかしたら話の流れでアルファルスに会いたいようなことをライカは領主様相手に言ったかもしれないが、どちらにしろ予想外な展開だ。
「あの時頼んだ相手は班長さんだったっけ?」
悩んでいても仕方がない。
ライカは治療所に顔を出して事情を話し、竜舎に行ってみることを伝えようとした。
「えっ!竜舎?」
すっかり親しくなった治療所の助手の一人、ニクスが驚いたように聞き返す。
彼は力仕事を担当することが多く、今も裏手のかまどで治療用の布を煮ている所を捕まえたのだ。
「はい。なぜか竜を見たいっていう話が見習いにってことになってるようなんです」
「お前無茶するな。竜なんて遠くから見てるだけでも体が震えるんだぜ?近付くなんて餌になりに行くようなもんだぞ。伝説の赤の暴竜の話は知ってるか?」
「英雄譚に出てくる人食い竜の話ですよね」
「そうそう、あの話を聞けば分かるだろ?やつらが本気になったら人間なんてそこらに転がってる肉の塊にすぎないのさ。まぁ領主様の竜が賢くて大人しい竜なのは知ってるけどね」
「領主様は真の竜騎士なんでしょう?竜と意思疎通が出来るんだから心配はいらないんじゃないですか?」
「あんなトカゲのでっかいのと意思疎通なんて!……あ!いや、別に俺は領主様を悪く言ってる訳じゃないんだぜ?俺はああいうのは苦手なんだよ、蛇とか」
「ニクスは大怪我した人の傷を見ても顔色一つ変えないくせに苦手なものはあるんですね」
「そりゃあ、な。誰だってこれだけは駄目ってのがあるだろ?ああ、それと竜舎の連中って偏屈者が多いから注意しろよ?気に食わなかったら竜の餌にされるかもしれんぞ」
「ニクス、そういうことばっかり言っているといつか本気にした人に怒られますよ」
相手は年上だが、ライカは流石に心配になって注意した。
しかし、ニクスは自分の言葉を訂正しない。
「いやいや、あいつらホント、苦手でさぁ。まあみんなには言っておいてやるからさっさと行って誤解を解いて来いよ。うちの女共やら入り浸ってる御年寄りの患者さんやらがお前が来ると楽しそうにしてるからきっと残念がるぞ」
まるでセヌの所と同じような遊び相手扱いだが、実際ライカの出来る手伝いなど大したことではない。
ライカは急に恥ずかしくなってしゅんとした。
ここの主であり、療法師であるユーゼイックに色々親切に貴重な本を読ませてもらったりしているので、そのお礼代わりに手伝いに来ているライカだが、どうも結局は自分の勉強にはなっているが、先生への代価にはなっていない気がしてならないのだ。
「あんまり役に立ってなくて申し訳ないです。いつも良くしてもらってるし、もっとちゃんとお手伝いしたいんですけど」
「気にするなって、俺たち助手だって最初はそんなもんさ。それに人手はいくらあっても足りないぐらいなんで俺も来てくれると助かってるんだぜ。最近は随分薬やら患者の急変の時の対処やらわかってきてるみたいだしな」
ニクスは相手に遠慮せずに物を言う人間なので、彼の言葉はお世辞ではない。
ライカは少しだけ安心してにこりと笑った。
竜舎は治療所からは本城を挟んで反対側にある。
なので本来は城の中庭、あの壁の中の森を突っ切るのが近道なのだが、さすがにライカは躊躇った。
見張りはいないのだが、あそこは城の中になるのではないか?と思えるし、勝手に通って良いのかどうかがわからないのだ。
「う~ん、でも正面から周り込んだらもの凄い遠回りになるし、みんなここ使ってるみたいだしなあ。……いいよね」
迷ったが、結局ライカは通ることに決めた。
それにあの森には例の肉桂がある。
本来はもっと暑い土地に育つらしいのだが、この壁に囲まれた森は壁の外より暖かく保たれているので、南方の木々が何種類も育っているのだということだった。
以前通った時は全く気付かなかったが、出来れば実際に木を見てみたいとライカは思っていたのだ。
「失礼します」
別に扉の中に人がいるかどうかわからないし、中庭に入るのにその行為が適当かどうかもわからなかったが、ライカは扉を軽く叩いてお伺いをしてから、その扉を潜った。
扉の中は外よりもかなり温かい。
風が吹かないので、ムッとするような濃密な臭気にやや驚かされるが、それは別に嫌な匂いではなかった。
花と木々と土。
少し湿った森の独特な香りだ。
森と呼ばれているように、その中庭の木々には庭師の手が入っているような人工的な配置が伺えない。
木々は適当に生えているように見えるし、地面は苔があちこちに貼り付き、何個か大きな岩も見える。
ほとんどの木が広い葉っぱを持っていて、街の周りの森とは明らかに様子が違っていた。
木々の幹には緑の濃い苔が生え、そこからも何かの葉が伸びている。
木から伸びる枝にある葉とは全く違うシダ類に近い葉なので、おそらく全然違う植物が木に寄生するように生えているのだ。
ライカが前に住んでいた場所は温暖な土地だったのだが、この森の木々はあの場所に近いように思える。
かといって全く同じ種類の植物はなかったのだが。
「肉桂どこだろ?」
少し探してみたが、匂いが入り混じって何がなにやらわからない。
ライカは今の段階で見付けることは諦めて、道なりに進むのに専念することにした。
森というだけあって道から外れると鬱蒼としていて方向がわかりづらい。
いくらなんでもまさか城の中の庭で迷う訳にはいかないだろう。
さすがにそれは恥ずかしすぎるとライカは思う。
だいたい、今肉桂を見つけた所で、ライカが勝手に採る訳にはいかないのだから、探しても仕方がないのだ。
結構広いその森は天井から入る日の光で明るく温かい。
影に僅かに色が付いているのは、この天井のガラスの多くに色が付いているからだろう。
ふと、あの秘密の部屋へと続く螺旋階段の天井にある美しい模様がライカの記憶の中から蘇る。
どうやったらあんな物が作れるのか、ライカには想像だに出来なかった。
「あら?」
声と共に、向かい側からやってくる人影に気付いて、ライカは首を傾げて挨拶をする。
それは城の中で働いている下働きの女性のようだった。
「こんにちは。えっと、勝手に近道させてもらってますけど、大丈夫でしょうか?」
「こんにちは。ここはみんな使ってるから気にしなくていいわよ。新しく入った子?」
「あ、いえ、治療所に手伝いに来ているんですけど、竜舎のほうに行かなきゃならなくて」
「あら?誰か怪我でもした?」
女性が眉を寄せたのでライカは慌てて否定する。
「違います。何かその、お手伝いをする話になってるみたいで」
「まぁ!あなたみたいな子供が竜舎で何をするの?将来竜騎士になりたいとか……ですか?」
その自分の言葉で、もしかすると相手の身分が高いかもしれないと思い至ったのか、女性の言葉使いは急に用心深くなった。
「いえ、そんなんじゃないんです。あの、前に風の隊の班長さんに竜を見たいって頼んでたのですけど、それがなぜかお手伝いって話になっていて」
風の隊という言葉に女性はピクリと反応すると、ふ、と溜息を零す。
「ああ、ごめんなさいね。ザイラック様のなさることは少々色々大雑把なのよ。領主様がまたそれに便乗したりして、……あ、いえ、なんでもないのよ。竜舎の人達はちょっととっつき難いけど酷いことはしないと思うからちゃんと事情を話してごらんなさい」
「あ、はい。ありがとうございます」
「それでは失礼しますね」
女性は言って、大きな籠を抱えて通り過ぎた。
話を聞く人全てに難しい相手と評されている竜舎の人達に対する不安もあるが、話をすれば誤解は解けるだろうとライカは難しく考えないことにする。
こんな空間にもどこからか入り込んでいるらしい鳥の声を聞きながら、ライカは中庭の森の出口の扉を開けたのだった。
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