第37話 昔彼等は怪我をした

 それは本来起こり得ない事だった。

 竜というものは視覚で捉えている事象以外に皮膚感覚に近いもので自身の周辺のかなりの範囲の様子を捉える事が出来る。

 睡眠時に輪と呼ばれる意識の共有で自他の境を無くす時のみは周囲への感覚を無くすが、覚醒している時には不覚を取るという事がそもそも有り得ないのだ。

 この場合、問題だったのはライカが竜にすら通じる非認識の術を会得していた事であり、サッズがまだそういった認識阻害を異常と捉える程の経験が無かった事だろう。

 そして結局の所、現実にその有り得ない事故は起こってしまった。


 その時、ライカは子供らしい無邪気さで遊び仲間を脅かそうとたくらんでいて、のんびりとひなたで寛ぐサッズの背後からセルヌイから習ったばかりの認識阻害の術を使って近付いた。

 それに気付かないサッズは、何の考えもなしに単純に身じろぎをするために尾を軽く振った。

 そう、たったそれだけの事だった。

 力などほとんど込められていない動作だったが、その尾に直撃されたライカは、まるで風に吹き飛ばされた木の葉のように高々と吹き飛び、大きな木の幹にぶつかって墜落した。

 この一連の出来事はあまりにも一瞬だった為、悲鳴の一つも、感情の動きも無いままに、ただ単に事が起きて終わったのだ。

 だが、直後の凍りついたような間の後に、響き渡った苦鳴の声は世界を引き裂くようであり、この声を生で聞く事となった全てのか弱き生き物はその場で意識を飛ばしたのである。


 サッズは自分の引き起こした事態に気付くと、本来竜が感じるはずもない、痛みに似た恐怖による悲鳴を上げたが、それと共に、何を考えるもなくひと飛びで小さな末っ子の元へと舞い降りた。

 ライカの状態は一目で判別出来る程酷いものだった。

 胸から下は赤い塊となって潰れ、原型を留めてすらいない。

 普通の人間なら即死の状況であったが、ライカは竜の血をわずかながら体内に取り込んでいたがため、その血がギリギリで命を繋いでいたのだ。

 しかし、それはある意味即死より本人にとっては惨い状況だっただろう。

 それに、それもわずかな時間稼ぎ、いや、最期の時を苦しませる呪いのようなものでしかない。

 ほんの半瞬、今この時にも失われる命であることは、いかに経験の少ないサッズにもはっきりと分かった。

 この時、サッズの脳裏に竜血のことが浮かんだのは、赤子の時の瀕死のライカの命を救ったのが竜の血を混ぜた乳であったという事実を知っていたからだったに違いない。


 竜の血というものは強大な力に満ちてはいるものの、体内から出ると結晶化し、力の放出はそこに内在するものの余波のみになる。

 なんらかの触媒によって液体化すればともかく、外気に触れた竜の血は、即効には力を発揮出来ない状態となってしまうのだ。

 しかし、一つだけ結晶化させずに竜の力を取り出す方法がある。

 それは竜珠と呼ばれる、いわゆる人間で言えば心臓に当たる部分、竜の力の根源を直接破壊することだ。

 サッズは全くなんの躊躇いもなく己が胸をその爪で貫くと、体内深く、熱い力に満ちた一つの塊を、遠ざかる意識をなんとか保ちながら力の限り引き裂いた。


 空間と時間を超越する者であるエイムですら、その全ての出来事に間に合わなかった。

 彼は倒れ伏す二つの小さな体を前に、ただオロオロとその鼻先を近付け揺すろうとしては躊躇い、匂いを嗅いでビクビクと体を揺らし、その周りを大きく一周し、またそれを繰り返す。

「キュ……ン」という、竜族がおよそ発しないような悲しげな声を洩らすと、さらにもう一度同じことを繰り返した。

 そこへ白銀と黒耀の二体の竜が舞い降りる。

 彼等はその様子を見て取ると、やはり激しく動揺したが、素早く状況を探り出した。


「ライカは一種の中毒症状のようなものだ、すぐに命の危機はない」

「サッズの方が今は深刻ですね、存在を支える力が枯渇している。だが、幸いにもこの子はまだ雛だ。やりようはある」


 タルカスとセルヌイがそれぞれの判断を下すと、共有した意識の中で手順を決める。

 何をして良いか分からずにオロオロするばかりだったエイムも、彼等と意識を繋げることで落ち着いて自分の役割を待った。

 先に手当てをするのはサッズの方。

 タルカスが彼等と世界を隔てる膜を張った。

 が、やはり動揺があったのか、あまりにも完全に世界を拒絶する膜を作ってしまい、セルヌイに蹴飛ばされる羽目になる。


「何やってるんですか!この子を殺す気ですか!年を取りすぎて加減もできなくなったんですか!」


 セルヌイもやはり動揺しているのだろう、言葉にいつもの思いやりがなく、年長者への敬意もなにも消え去っていた。


「す、すまない。張り直す」


 タルカスは蹴られてふらふらしながら事前のものを解除すると、今度は世界を分けるだけの膜を作る。

 内と外が隙間無く明確に分断されていることを確認すると、セルヌイは自身の中の母方の力である黎明の力、生命を育む力を逆転させた。


 この出来事で幸いだったことがいくつかあるが、その一つはサッズがまだ雛であったということだ。

 成体となった竜の竜珠は硬く固まり成長を止める。

 そうなると破壊も難しいが、一度破壊されるともはや再生は効かない。

 しかし雛の竜珠は成長の途中であり、上手く治癒出来れば再生できるのだ。

 そしてもう一つは、セルヌイが母方の黎明一族の能力を継いでいるということだ。

 本来、彼等混沌の一族は、力こそ大きいものの繊細な生命を扱う術は苦手というか出来ない一族である。

 今は滅んだ黎明一族のみが持つ成育の力をセルヌイが受け継いでいなければ、今やろうとしている方法は無理であっただろう。

 また、それと共にセルヌイ程、術式を使って繊細な事象を操れる竜も他にはいない。

 それはやはり幸運と呼ぶべきことだった。


 だが一方で、そもそもセルヌイの術をライカが知らなければこの事故は起こらなかったのだから、単純に評価は出来ない部分ではある。


 彼等の張った膜の外側で急激に全ての存在から生命が失われ始めた。

 緑が枯れ、土地が固くひび割れ、小さな鳥や動物がバタバタと倒れて行く。

 この円形の膜を中心に放射状に死が広がって行った。

 逆に内部には濃密に生命の力、根源の力エールが満ちてくる。

 セルヌイは二言何かを呟くと、ぎゅっと手を握りこむ動作をした。

 そしてそのままその手を倒れたサッズの上に下ろし、ずぶりとそのまま突き入れる。

 その途端、サッズの体の中心に光が灯り、それが激しさを増した。

 濃密な力がそこに満ちて渦を巻く。

 すっとセルヌイの手が抜かれ、そこで全ての現象が収まった。


「タルカス、この子の竜珠に歪みやひびが無いか確認お願いします。僅かな傷でも将来の危険になりますからね」

「ああ」


 呟くように言って、真剣にサッズの体に額を押し付けるタルカスを置いて、セルヌイはライカに向かう。

 ライカは二種の血が入り混じった朱に全身が染まっていたが、その体自体は既に修復が終わっていた。

 だが、その意識が戻らない原因を探って、セルヌイは唸り声を上げる。

 人間にとって竜の血は強すぎるのだ。

 いわば日の光を糧とする植物に直接太陽を突っ込むようなものである。

 ライカの体は強すぎる竜の血と脆い人間の体の狭間にあって、崩壊と再生を繰り返していた。

 この現象が頭に及んでいなかったのは不幸中の幸いだっただろう。

 もし頭が同じ状態になっていたらライカは全ての記憶を無くして赤子の状態からやり直すしかなかった。


「どうしたら良いんだ?」


 再びおろおろとし出したエイムがすがるような目でセルヌイを見る。


ことわりを変えるしかない」

ことわりを変える?」

「そうだ、人間の体だから竜の血はなじまない。ならば人間でも竜でもない別の一つの存在に生まれ変わるしかない。全ての存在がそうあるのは、世界の理がそう認識しているからだ。だから一度認識を外して再び新たな認識をさせる」

「……意味が分からん」


 エイムは唸った。


「理の流れを掴むのは私が得意だ。そしてお前の空間がある」


 セルヌイはエイムの疑問を放置して続ける。


「いいか、私がこの子の状態を固定するからお前の空間にこの子を入れるんだ。そしてその間に世界の理の認識をずらす」

「ちょ、人間の身には俺の空間は耐えられないからライカを絶対に連れ込むなって言ってただろ?」


 セルヌイは無言でエイムの耳に噛み付いた。


「うぎゃあああ!」

「良いから私の言う通りにしろ!分かったか!」


 どうやらセルヌイはこの事態に精神状態が少々限界に近いようである。

 エイムは何も考えずにコクコク頷いた。

 セルヌイはライカの体にそっと触れると、全ての力の流れを凍結させる。

 あまり長い時間この状態を続けるのは危険だが、そもそもエイムの空間に時間の流れなどないので、問題は無かった。

 エイムは子供時代の特殊な環境ゆえか、他に聞いた事もない能力を持っている。

 それは時間も距離も存在しない空間を作り出し、そこを利用して移動出来るというものだ。

 しかもその空間に自分以外の存在も連れ込める。

 その能力のせいか、エイムは独特の成長の仕方をしていて、成体となって数年の内に竜王に転身してしまった規格外だ。

 どうも子供時代にその空間にいた時間がそうとう長かったのではないかと推測されるが、エイム自身に子供時代の記憶がないのではっきりした事は分からない。

 理屈はとにかく、エイムの作り出すその空間にある物は、全て世界から認識されなくなるのだ。

 それこそが今は重要なのである。

 壊れ易い宝物のように(正に彼らにとってそうなのだが)そのライカの体を受け取ったエイムはふっとその場から消えうせた。

 セルヌイはタルカスに膜を解除させると、人間の世界で学んだ言霊でそこに一つの揺らぎを作り出す。

 ぼんやりとした状態の世界という空間をその場に生み出したのである。

 そしてエイムを呼び戻し、共に現れたライカの状態を解除した。

 世界はぼんやりしたままそれを受け入れ、ライカの存在をそういうものだと認識する。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「いいか、サッズ。ライカは人間であると同時に竜でもある。しかしその身に竜珠はない」


 後に、タルカスの作り出した固定化の指輪を旅立つサッズに嵌めてやりながらセルヌイは語った。


「あの子は人間として暮らせば、ただ長生きな人間として平穏に生を終えるだろう。だがもし竜になりたいと真剣に思ったなら、あの子はその望み通り竜にもなれる。だが、竜珠を持たないあの子は、全ての命の力を僅かなひと時に燃やし尽くしてその生涯を終えるだろう。だから私達は、あの子が人間の世界に戻る事を望んだのだ。そしてこの事実をライカ本人に告げてもいない。もしあの子がそれを知ってここに留まれば、いずれ私達と同じになりたいと望む日が来るかもしれない。その危険が大きかったからね」

「ちゃんと見届けて来るだけだ。人間の世界で不幸にならないか見てくるだけ、俺はもうライカの痛みの元にはなるつもりはない」


 その時、サッズはそう告げて飛び立った。



「なぁライカ」

「ん?」

「その魂の半身だかなんだかだけどさ」

「魂の伴侶、カーム・ラグァだよ」

「それなら俺達もそうなるんじゃないか?」

「え?」

「俺の血がお前の体に入ってる訳だし」

「あ、そうか!じゃ俺も竜騎士なんだ」


 あははとライカは笑って見せた。


「怪我した時、痛かったろう?」

「そりゃ、骨が全部折れたっていうか砕けたらしいからね。意識がちょっとあったし、痛かったよ!でもまああれは俺が悪かったんだし、あの時は心配させたよね。ほんとごめんね」


 ライカはなんでもないことのようにそう言うと、竜騎士かぁと呟く。


「それにしてはあの後も全然俺を怖がらないで背中に乗ったり尻尾を引っ張ったりしたよな」

「だって家族だし、サッズだってエイムに踏まれたことあったけど気にしてないだろ?」

「エイムのあの間抜けっぷりはどうなってるんだ?あの力の大きさであのいい加減さは迷惑だろ?」

「迷惑だよね、でも優しいよね」

「身内にはな」


 ぶすっとしたサッズの顔をライカが突付いた。


「やめんか」

「いつも俺にはしてるくせに」


 互いの顔を突付こうと、彼等はドスンバタンと音を立てて暴れる。と、


「こりゃ、子供等!いい加減に寝らんか!わしが眠れんじゃろうが!」


 階下からライカの祖父、ロウムの声が響いた。

 本日は珍しく家で寝ているのだ。

 二人は顔を見合わせて笑うと、ベッドに丸まった。

 意識が深く繋がる間際にサッズは一つの想いを噛み締める。


(すまないライカ。俺の科したその枷を俺は壊してやることが出来ない。だから、俺はお前が人で在れる場所を守りたい。だけど……、本当は俺はここにいない方が良いんだろうな)


 眠りと共に輪が二人の意識を深く繋いだ。

 サッズは秘密をそっと意識の閉じた場所に仕舞い込むと、その心地よい輪の中に自分という存在を委ねて安らぎを迎えたのだった。

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