第35話 早春

 その場には軽い緊張感に似たものが漂っていた。

 この街の門を守る仕事というのは、ある意味有名無実化しているのだが、その職場において久々の実のある仕事と言って良いのかもしれない。


「という訳で外に行って来る」

「脈絡がないな、お前も。なにがという訳なんだ?」


 大通りをゆったりと歩いて来た見覚えのある少年は、門前にいる警備隊の面々を見ると、いきなり謎の言葉を発したのである。


「いや、街を出る時は門にいる奴に挨拶をしろと言われたから」

「前後がないと会話としておかしいだろ」

「趣旨が分かれば良いだろ?それじゃあ行くぞ」


 まるで彼等の主ででもあるかのような振る舞いに、門で検問の任に当たっていた警備隊の兵士も怒るより呆れて少年の相手をしていたが、焦れた少年が外へ出ようとするのを慌てて引き止める。

 少年らしい、太くも細くもない腕を捕まえたのだが、兵士の予想より彼の進もうとする力が強く、やや引き摺られ気味になった。


「待て待て」

「なんだ?」

「どこへ行くんだ?目的は?」

「それがお前に何の関係があるんだ?」

「いや、それが仕事だからさ」


 少年、サッズは相手をちらっと見ると、仕方ないといった風に息を吐く。


「森をぶらついてくる」

「あー、それは駄目だ」

「なんでだ!」

「昨日狼が南の森でも確認されたとの報告があった。危険な獣が飢えて行動範囲を広げていると思われる。よって、暫くは森は立ち入り禁止だ」

「そうか」


 話を聞いて、サッズは頷いてそのまま門を出ようとした。


「あ~、こら、どこへ行くんだ」

「だから森へ」

「話を聞いてたのか!」


「という訳で街の外に出られないんだが、意味が分からん」

「なんかその、意味がわからんって言い回しが気に入ったみたいだね。なんでも良いから話を短く纏めようとしてるんだろ?」

「お前にはわざわざ説明する必要ないだろ?」

「いや、詳細の説明は必要だよ。今俺にわかったのは、サックが街の外に出られなかったということだけだから」


 冬の間にもちょくちょくは顔を出していたレンガ地区のセヌの家で、ライカは久々

に子供達に本を読んで聞かせていたのだが、何かムカムカしているらしいサッズがいきなりそこへ乗り込んできたのである。


「森は危ないから行くなと言われたんだ」

「それはきっと、昨日の狼騒ぎのせいだよ」

「追い払っただろうが」

『サッズ、ここでその話はやめて。丸々説明する羽目になるよ』

『なんでだ?こんな幼体を気にするのか?』

『もう自意識あるから、幼体って言ってもちゃんと話は理解出来るよ』


 そう、彼等の周りにはついさっきまでライカに本を読んでもらっていた小さい子供達が、揃ってポカンと口を開けて彼等を、いや、サッズを見ていたのだ。

 ただ、ライカの言うようには二人の会話を理解しているとは言い難いかもしれない。

 子供達は、突然入ってきていきなりライカに文句を言い始めた少年にびっくりすると共に目を奪われていたのだ。

 人見知りをする数人はライカやセヌに齧り付くように張り付いてはいるが、他の子供達のサッズを見る目は、何か言いようのない憧れと畏れの色を宿している。


「せいれいさま?」


 セヌと同じぐらいの年頃で、いわゆるおしゃまさんな少女が一重の服の裾を弄りながらそう問い掛ける。


「え?」


 理解が追いつかずにライカは少女を見て首を傾げた。


「せいれいのおうじさまなの?」


 セヌと比べると格段に子供っぽい物言いだったが、これは比べる相手が余りにも悪い。

 むしろこの少女はこの年頃の子供達の中では語彙が豊富なぐらいだ。

 その証拠に、喧嘩になるとずっと大きい少年相手ですら、言葉でやり込めている時がある。

 セヌと仲が良いようなので、それはそれで似た者同士ということなのかもしれなかったが。

 ともあれ、少し痩せ気味だが、それはここいらではそれは当たり前のことなので、彼女はいたって健康的で元気な少女であった。


「すげぇ!ほんものの精霊?」


 彼女の言葉を合図にしたかのように、子供達が賑やかに一斉に騒ぎ出した。

 見たこともないようなキラキラとした外見のサッズを、彼等は自分達と同じ存在と思えなかったらしい。

 興奮したように口にする言葉のおおよそは、彼が精霊であろうと信じたものだった。


「え?違うよ、精霊じゃないから」


 ライカはなんとなく状況を理解して、一つ一つに答えようとするが、何せみんな興奮している。

 彼の説明なぞ耳に入る状況では無かった。

 サッズはサッズで、おずおずと触れようとする子供らしい積極的な行動に辟易したのか、寄って来た子供を払い退けると、睨みを利かせてその後の行動を封じる。


「あんたたちったら、全く馬鹿じゃないの?」


 セヌはと言えば、その一連の出来事を呆れたようにそう評した。

 彼女のこういう発言のタイミングにはどこか天才的なものがあり、他者の意識を自分の言葉に向けさせるちょうど良い時に口を挟むのである。

 今も、他の子供達の言葉の途切れた僅かな空白の瞬間に自身の発言を滑り込ませ、はっきりと響いたその言葉は、何かのお告げのように重々しくそれぞれの耳に届いた。


「精霊があんな子供の駄々のようなことを言ってライカを困らせる訳ないじゃない」


 しかも辛らつである。


「子供の駄々ってなんだよ、お前の方こそちびっこいガキのくせして偉そうだな」


 サッズが踏ん反り返って彼女を睨むので、ライカは嗜めた。


「サック、ここは彼女の家なんだ。ここでの立場は彼女が一番上だよ」

「え?ここって家だったのか!」

「こんな失礼極まりない奴が精霊だったら世界に絶望しなきゃらないわ」


 セヌとサッズのやり取りに、他の子達は圧倒されたのか、熱が冷めたのか、すっかり大人しくなって成り行きを見守っている。


「でも、凄く綺麗」


 最初に発言した少女が、それでもおずおずと言葉を零した。

 彼女はもはや真っ赤になってもじもじしている。


「うちの母さんの方がずっと綺麗よ」


 どうやらその言葉に対抗心を刺激されたのか、セヌはムッとしたように言ってのけた。

 その子供じみた感情的な言いようは彼女にしては珍しいものである。


「セヌのかぁちゃんって女神様みたいだよなぁ」

「うんうん」


 子供達もセヌの母とは身近に接しているだけに、その飛び抜けた容姿に我が事のような誇らしさがあるのだろう。

 口々に同意が上がった。


「ええっと、何の話だったっけ?」


 ライカが毒気を抜かれたようにサッズを見ると、サッズはサッズで顔を顰めて唸っている。


「ちびっこの思考はどこが弾けるか分からないパチパチ草のようだ。訳が分からん」

「ああ、あの草の小さいのはここらにもあったよ。触ると種がはじけ飛ぶんだよね」


 ライカとサッズの間でずれた会話が交わされていると、そこへ当のセヌの母本人が顔を出した。


「お勉強はひと段落しましたか?お茶を入れますね?」


 この時期は畑の仕事が無いので、彼女は家で織物や編み物をして、出来た物を店に納めて日銭を稼ぎ、父親は薪を集めて来るついでに畑の柵の手直しをしたり、普段着の服を作る元となる繊維を取る植物を刈って来て干したりしていた。

 なので時たま手を休めた頃合いに、こうやって子供達の様子を見ては、声を掛けたりお茶を出したりしてくれるのである。

 子供達が言うように、彼女は、人間の美醜に疎いライカですら美しいと思える女性だった。

 赤味掛かった金の髪は、ライカと同じように編まれて背中に流されているが、編み方がやや緩やかで、さらりとしたしなやかさと艶やかさは自ら光を放っているようだったし、春を告げる花のような薄紫の瞳は常に柔らかい温かさに満ちている。

 日に焼けても黒くならない肌は滑らかで、とても二児の母には見えなかった。

 何よりも、その言動がどこか芯のある強さを透かし見せていて、他者の心に強い印象を与えるのだ。


「美人だな」


 サッズがあまりにも率直にそう言った。


「まあ、ありがとうございます。どなたでしょうか?」


 彼女は少女のように微笑んでみせると、サッズの顔を見て首を傾げる。

 挨拶もせずに庭から上がりこんだのだから彼女がその来訪に気付くはずも無かった。


「あ、すみません、いきなりやってきて騒いでしまって。俺と一緒に育った兄弟みたいな相手で、サックというんです」

「そうですか、よろしくお願いしますね、サックさん。私はこの子達の母親でフォスと言います」


 セヌとその膝に乗っている男の子を指してそう自分を称すると、彼女は軽く礼をする。

 その頬をさらりと髪が滑り、顔の周りに掛かると、その顔は更に若く、少女のようにも見えた。


「お茶を淹れさせていただきますね。ご一緒されるのでしょう?」

「ああ」


 一礼をして奥へと行く彼女を目で追って、サッズは何か神妙な顔になる。

 その心情を察して、ライカは心声でそっと話し掛けた。


『母親って良いよね』

『俺にあるのはほんの僅かな卵の頃の記憶だけなんだ。懐かしむほどのものはないさ』

『歌は覚えてるんだろ?』

『むしろそれだけだな』

「ちょっと!」


 何かしみじみとしていた二人に、というよりサッズに、セヌが声を掛けた。


「母さんには父さんがいるんだからね!手を出したら大事な所を使い物にならなくしてやるよ!」

「もしかして俺を脅してるのか?いい度胸だな?」

「セヌ、なんか今凄いこと言わなかった?」


 なぜあの母親に育てられたはずのセヌの言葉使いがこんな風なのかライカには途方も無い謎に思える。


(そっか、母親か)


 ライカが母を想う時に浮かぶのは、眠っている姿と、小さな自分の手を握って繰り返す言葉だった。


『あなたは人間なのだから、人として生きるのよ』


 強いその瞳をライカは忘れることなどないだろう。

 彼女は決して負けることに甘んじない強い女性だった。それが例え避け得ない死という別れであったとしても、最期までそれに抗い続けたのだ。


「あんたなんか顔だけのひょろじゃない、母さんは歯牙にも掛けないわよ」

「俺は母親にアタックする程見境なくないぞ」

「じゃあ、あたしと付き合いませんか?」


 どさくさに紛れて最初に声を掛けた少女がサッズに告白した。


「ガキに興味はない」


 しかし、サッズに取り付く島もなかった。

 まあ当然ではあるが。


「そ、うですか」

「ちょっと、なにハタを泣かせてるのよ」

「言いがかりだ、俺は何もしてないぞ」

「女心が分からない男って最低」

「ああん?なんだこのガキ、喧嘩を売って良い相手と悪い相手がいるって知らないのか?教訓に一度痛い目を見てみるか?」


 いきなり切迫してきた雰囲気に、ライカはゆっくり感慨に耽っている場合ではないことを悟る。


「二人とも止め、女の子泣かせたまま喧嘩しない!ほら、飴あるよ。お茶飲んだらみんなで食べよう?」


 後半は泣いている少女に向けて言ったのだが、激しく反応したのは他の子供達だった。


「わーい!」「飴だ!」

「ライカ!あんたまたそんな物を!」

「セヌ、ちょ、痛いから髪引っ張らないで」


 喧騒の中で泣いていた少女が顔を上げる。


「ライカにいちゃんありがとう。でも、兄ちゃんはあたしのタイプじゃないの。ごめんなさい」


 どうやらドサクサに紛れて、ライカは告白もしてない相手に振られたらしかった。

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