第15話 一夜明けて

 闇にあって、更に黒々とした艶やかな髪と、ほのかに白く浮かび上がる滑らかな肌が彼女の動きに連れて揺れる。

 その動きに伴うように微かな甘い香も漂った。


「わしのような爺を相手にするのに、そんなに手を入れずとも良さそうなもんだがの」

「ふふ、昔、男には男の女には女の戦いがあるとおっしゃったのはロウス様ですよ。私は武器の手入れを怠るような真似はいたしませんわ」

「それではわしの完敗じゃな。こっちの剣はどこへ行ったのかもわからんわい」

「まぁ、ご冗談を、そうやって油断を誘うのが手なのですね」


 密やかで柔らかな笑い声に、


「そういえば」


 と、戯れを返す。


「うちの孫も男の癖になにやら香のようなものをいつも付けておるぞ。色気付きもせんくせにの」

「しゃれっ気があるのは良い事ですわ。自分の体臭にも気付かない男はそれこそ戦う前に負けてるようなものですもの」

「ふむ、そういえば昨夜の祭りにどうやら幼馴染が遊びに来たらしい」

「あら、それは評判の聖なる方々の姫君なのかしら?」

「残念ながら、というかお前達おなごには嬉しい事に、と言おうか、男じゃよ。びっくりするぐらいべっぴんだったぞ」

「あらあら」


 クスクスという笑い声と共に白い繊手がシワの寄った首に絡みつき、柔らかな感触がまだ意外とがっしりとした胸板に押し付けられた。


「そりゃあ綺麗な子には興味がありますけど、女の愛はそんな簡単なものではなくってよ」

「わしの事なぞ気にせずに好きなように楽しんでいいんじゃぞ?」


 きゅっと腕を抓まれてロウスは低く呻く。


「酷いひと」

「すまんな」


 闇の中に二人の笑い声が響いた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ロウスが家に戻ったのは、まだ日が昇らず、最初の点鐘である四刻の鐘が鳴らされる少し前だった。

 家の中には、外とはまた違う、シンとした眠りの中にある家独特の冷えて動きを止めた空気がそこにあり、ロウスは上がり板間にある炉に木片を入れて火を起こす。


「さて、子供達はどうしておるかな?」


 ランプと上掛けを手に、屋根裏への昇り口へと一本梯子を軽々と昇り、部屋の端の方にある寝台へと向かう。

 本来は兄弟のいた家族用に作られた少し広めのその寝台の上で、手元のランプに照らし出された二人は、まるでひそひそ話でもするかのように顔を寄せたまま、客人は体を妙な具合に捻って手足を投げ出すように眠り、ロウスの孫はというと自分の体を抱え込むように膝を曲げ、そのまま客人にぴったりと寄り添って眠っていた。


「やれやれ、まるで子犬の兄弟のようじゃな」


 そう呟いて含み笑い、案の定投げ出されていた上掛けを掛け直し、本来一人用で少し幅の狭いその上掛けを補うように、手に持ったもう一枚を掛けてやる。


「どうせ夜中まで話し込んだんじゃろうて、少々寝坊も構わんさ。祭りの翌朝に早起きを促す野暮な人間などおりゃあせんからの」


 肩を竦めると、ロウスは二人を起こさないように静かに階下へと降りた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 竜族の言う輪というのは、本当にそのまま、彼等が家族で寝る時に丸く輪になるようにして寝る事からそう呼ばれているもので、その内容を砕いて言えば無意識下での交流の事だ。

 それは何も寝る時に限った話ではなく、竜族の家族というものは、意識の底部を常に繋いだ状態にしているのである。

 と言っても、互いの考えている事が常に通じているような、言葉がなくてもなんでも分かり合えるなどという程密接なものではなく、通常は大きな感情の動きや、互いの危険、不調等が分かるぐらいだ。

 このぐらいならばどんな生き物の家族同士でもある程度は分かる事であり、そこまで特別なものではないだろう。

 竜族の輪が特徴的なのは、眠っている時に記憶の交流が行われるところにある。

 つまり夜寝ている間に、家族内ならば記憶をある程度共有出来るのだ。

 この交流は普段は寝ている時に見る夢の断片のように、互いの経験をぼんやりと見るだけだが、それに意図的に方向性を与えれば、狙った情報を相手に伝える事が可能でもある。

 竜族の親(主に母親)は、この輪を使って先祖代々の記憶や経験に基く指針を子供に伝えるのだ。

 家族の輪の繋がりは強固なもので、他家族の者とはそこまで強く繋げる事が出来ない。

 違う家族との交流の場合、輪の浅い部分を接触させる事で、ある程度、互いの事を知らせあう事は出来るが、意識の深部に至るのは家族の輪に連なる者のみなのだ。


 ちなみに、竜族における家族の定義は、血を持って成るのではなく、絆を持って成るものである。


 前夜眠りに就き、ベッドの中で意識を手放したライカは、ふんわりとどこかを漂っているような感覚の中に包まれつつ、ぼうっと自分の存在をただ感じていた。

 目を開けても何も見えず、何一つ触れている感覚はない。

 自分の体が確かにそこにあるかどうかすら分からない不思議な感じをなんとなくライカは認識していた。

 しかし、どこか妙な感じはあった。

 自分の傍らで何かの音が聞こえている。

 よくよく聞いてみると、それは自分の声のようだ。

 何かをもの凄い早口でしゃべっているようなのだが、あまりにも早すぎて何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 その逆側、いや、方向は分からないのだが、なんとなくそう感じた場所で、何かの自分と違う気配が蠢いてるのをも感じる。

 まるで狭い場所に閉じ込められた獣のように、酷く窮屈そうに体を壁(?)に擦りつけながら落ち着かない存在が認識出来た。

 その両側の、遠くて近い事象に挟まれているのがなんだか気持ち悪く、ライカは思わず問うような声を出そうとして、


『こんがらがるからやめろ』


 という考えがふと浮かんだ。


(これ、俺?じゃないような)


 そう認識した途端、ふわふわとしていた周囲が、急にざらりとした不快な感触に変わり、ライカは慌てて自意識を手放す。

 そうするとざらざらとした違和感は急速に引いていき、元のふわふわとした頼りない、しかし柔らかい感覚の中に戻った。

 僅かな眩暈のような、吐き気のような気分の悪さは相変わらずあるが、ライカは今度こそひたすら静かに、そこにただ在ったのだった。


「う~、おはよう」


 ライカは重い頭を抱えるように目を覚ますと、横に転がっているもう一人に声を掛けた。

 返事がない。


「起きろ!」


 相手が苦手とする耳の後ろを容赦なく殴った。


「やぁめぇろ」

「起きろ!外がやたら明るいんだけど、絶対寝すぎた。まずい」

「いいだろ別に、腹が減ったら起きるさ」

「駄目だって、今日はミリアムんとこ早めに行かないと、仕事前に謝るんだから。うちだってじぃちゃんのご飯の準備やらその前に水汲みやらあるんだよ。起きろ!」


 しかし、もう相手は全く動いていない。


「こうなったら口の中に塩でも突っ込んでやろうか?あーでも勿体無いか」


 呟いて、そして先のやりとりにふと思い至ってライカは口元を綻ばせた。


「言葉、覚えたんだ」


 彼等は今、この土地の人間の言葉で会話していたのである。

 頭が少し重いのは、人間と竜という意識の仕組みが異なる同士で無理やり知識を移動したか翻訳したかした弊害だろう。

 だとすると、受動的だったライカより、自身の意思でそれを行っていたサッズの方がダメージが大きいのは当然だ。

 ここは寝せて置いてやるのが当然かもしれない。


「お・き・ろ!!」


 だがライカは非情にも、もう一度サッズの耳の後ろに拳を捻じ込んだのだった。

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