第16話 使命というもの

 ライカが下に降りて見れば、上がり板間の炉の灰に文字があった。


『飯を作っておいたぞ、ねぼすけめ』

「ジィジィありがとう」


 仕事か遊びか、とにかく一度帰ってまた出かけたらしい祖父に聞こえるはずもない礼を言う。

 灰を被せて置き火にしてある炉の火を起こし、細い薪をくべると、ゆっくりと赤い火がそれを這った。

 炉に掛けてある鍋の蓋を取って見ると、干し芋を戻したものと豆に僅かな雑穀を混ぜた雑飯と呼ばれる物だ。

 この街では雑穀は金銭で購入するしかないので滅多に炊かないご馳走でもある。

 恐らくはお客であるサッズに気を使ってくれたのだと気付いて、ライカは再び今度は心の中で礼を言った。


「なんだ?それ、砂?」

「食べ物だよ、人間の。あ~でもサッズにはあんまり足しにならないよね?ここらには大きな野牛とかトカゲとかいないし、今狩猟禁止の時期だから肉がないんだけど、大丈夫?」

「人間の姿の時には、食事の量も人間並みで良いって言ってたから大丈夫じゃないか?」

「でもサッズって竜としても大食漢だって言われてたよね」

「食わなくて平気な連中の基準だぞ?当てになる訳ないだろ。で、どうやって食うんだ?これ」


 そのまま顔を突っ込みかねないサッズの首根っこを押さえると、ライカはにっこりと笑う。


「サッズ、とりあえず分からない事は行動してから聞くんじゃなく聞いてから行動してくれると助かるんだけど」

「なんでだ?」

「人間の世界には共通の決まりごとが一杯あるんだよ」

「めんどくせぇ」

「じゃ、帰れ」

「お前、ちょっと会わない内に随分冷たくなったんじゃね?心配してやってきた家族に向かってなんだよ」

「俺を居辛くする為に来たんじゃなければ、ちょっとは譲ろうよ」

「なら使命を出せよ」

「えっ?」

「お前が一番位階が高いんだから使命を出しておけば俺もいちいち考えずに済むだろ」


 うっ、と、ライカは言葉に詰まってサッズの顔を見た。

 竜の一族は末子が一番位階が高い。

 なので、彼等の間で一番上の立場にあるのはライカであり、長には使命を出す資格があった。

 使命というのは簡単に言えば決め事であるのだが、正式に出された使命は無意識に及び、それに反する行動が取れなくなる。

 本来気侭な行動を取る竜にとって、唯一といっていい縛りなのだ。

 といっても、彼等自身はそれを窮屈とは思っていない節がある。

 人間的に言えば、好きな相手に頼まれ事をする事を逆に喜ぶような感じなのかもしれない。

 実際、今、ライカの目の前でサッズはその深い藍の瞳を見開いて何かを期待するかのようにライカを見ていた。

 しかし、ライカにはこの感覚が今一つ理解出来ない。

 何か無理やり相手を縛っているような気分がして、使命というものがあまり好きではなかったのだ。


「使命がないと無理そう?」

「絶対無理」

「仕方ないな」


 ライカは一つ息を吐くと、頭の中で決まりごとの方向性を考える。

 強制ではいけないし、曖昧でもいけない、無意識に行動の全てに影響して、良い方向へ向かうような約束事でなければ意味がない。


『相手が何を望んでいるかを常に考えるの、それが大切な事なのよ』


 それは少ない会話の中で、母が教えてくれた事。

 ライカはサッズの額に指を乗せた。


「使命は、相手を理解しようとする事」


 二人を繋ぐ輪の中に言葉が強制力を伴って流れ込む。

 この使命はライカをも当然のように縛る。

 だが、ライカの意識の底にあるものをそのまま言葉にしたものなので、それによって彼自身に変化は訪れないはずだ。


「了解」


 ニヤリと笑って、サッズが眉根を上げて見せる。


「嬉しいんだ?」

「使命は生涯残るからな」

「それって生涯縛られるって事だろ?竜族って律儀に力が増える度に感情を封印するし、なんか制限されるのが好きなの?」

「他の竜の事なんぞ知らん。とりあえず自分の中に自分しか無いより色んな色がある方が楽しい気がするじゃないか」

「そういうもの?」

「言葉で説明するのはめんどいんだよ。いいだろ、そういう事で納得しておけよ。それより食い物くれるんじゃなかったのか?」

「はいはい。椀が足りないからじぃちゃんの借りようっと。サッズには人間らしい食べ方を覚えてもらわなきゃいけないな」

「お前の食い方なら知ってるぞ」

「セルヌイに教わってた方だよ。勉強となるとサッズは絶対近寄って来なかったから知らないだろ」

「ああ」


 なぜかこういう時に威張ってみせるのがサッズなのである。

 

 ライカが危惧したような大変な事態にはならず、彼等の食事はすぐに終わった。

 意外な事にサッズは匙の使い方をきわめて短期間で覚えたし、その所作はそこまで教えてないのにも関わらず綺麗で上品にさえ思えるものだった。


「足りないだろうけど、我慢してね。サッズの食事も何か調達方法を考えなきゃね」


 前々からライカは思っていたのだが、竜王達の動きは、やたら洗練されていて綺麗だ。

 実は全ての動きに無駄がないのでそう見えるのだと、今回のサッズの所作を見ていて確信出来たライカだった。


「俺を大食らい扱いするな」

「いや、ほら無理しなくていいから。今は成長前の大事な時期だろ?人間の姿の時はその体格に見合った食事で良いとしても、植物じゃ命が薄いもんね」


 竜族の(というより天上種族の)食事は物質よりもそこに含まれる命の濃さが重要だ。

 簡単に言うと、そのものの世界への影響力の強さが、強ければ強い程命が濃い。

 世界の根本たることわりの力、エールと呼ばれるそれをその内にどれだけ秘めているかが大事なのだ。

 その昔、地上種族が誕生し出してはいたが、天上種族がまだまだ地上に溢れていた時代、彼等に獲物として最も狙われたのが人間だったのは、人間の命が濃かったからである。


「確かに足りないけどな」

「あはは」

「笑うか?そこで」

「ごめん、うん、一緒に考えよう。とりあえずは俺に付き合ってくれる?ミリアムになんとか許して貰わないと大事な友人を無くす事になりそうだし」

「ああ、まあ女に折れてやるのは男として当然の事だしな。うん、人間の女がどんな感じか楽しみだし」


 ライカは呆れたようにサッズを見る。


「食欲と色恋が世界の中心だよね、サッズって」

「当たり前だろ、いざ伴侶を探す時に経験が無いと色々マズイだろうが」

「成体になってから考えなよ」

「成体になってからだと下手すると殺されるだろ!女は雛に弱いんだよ、今の内なら優しくしてくれるんだ」

「今、すっごい情けない言葉を聞いた気がするけど、気のせいだろうな」

「いやいや、真理だぞ。お前も今の内に色々経験しとけって、一回失敗したからって諦めるのはつまらないぞ」

「サッズ」


 ライカが冷ややかな声で名を呼ぶと、サッズはハッとして口を塞いだ。


「その話はしない約束じゃなかったっけ?」

「あ、いやまて、お前引き摺りすぎだって、いや本当に」

「俺、サッズ用に香り袋作ったんだけど、そんな風に言うんならいいよ、中身を腐った野菜に替えておくから」

「ちょ、お前なんか凄い地味に嫌なんだけど、それ。俺が悪かったから、もうあの話はしません」

「せっかく昨夜の内に仕込んでたのにな。無駄になっちゃった」

「ライカ?おーい?」


 祭りの翌日は人々の動きは鈍るものだが、六点鐘が鳴る時分には流石に人々の生活も普段の賑わいを取り戻す。

 彼等が憩うの家の外では、既にその刻も過ぎ、日は低いながらも、そろそろその一日の頂点を極めようとしていたのだった。

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