第14話 子供達の夜

 梯子を使って上に引き上げる必要がないのは良かった。と、ライカは思った。

 サッズはぼうっとしたまま浮いたので、屋根裏部屋の入り口からズレて天井に頭をぶつけていたが、痛みなど感じないのだから気にするような事ではない。

 ライカはサッズの髪の毛をむんずとばかりに掴んで上り口に誘導した。


『ライカ、お前適当に引っ張るのは止めろ。いくら丈夫だからってそんな扱いされると情けない気分になってくる』

『丈夫とかいう段階じゃないんだからいいだろ?いいからしゃんとして上がって』

『しかしなんだ、狭い家の更に狭い場所に入り込んで暮らしてるなんて、お前、妙な性癖があったんだな。そういや小さい生き物連中は狭い所に頭を突っ込みたがるよな』

『狭い狭いと煩いよ。ちゃんと立って歩けるんだから狭くないだろ』

『まぁ、いいけどな』


 だが、ライカが自分の部屋として使っている屋根裏に無事入ったとたん、サッズの抗議が収まった。

 いぶかしんだライカが振り返って見てみると、サッズはしきりに匂いを嗅いでいる。

 ライカの部屋は、自分の為に育てているハーブやそれを乾燥させた物、ハーブ屋のホルトーから作り方を教えて貰ったハーブオイル等が変に匂いが混ざらないように配置して置いてあり、全体的にバランス良く柔らかい香りに満ちていた。

 竜族がやたらと匂いに敏感な種族である事を考えれば、サッズは今まで人間世界の雑多な、ややきついぐらいの匂いのせいで落ち着かなかったのだろう。


『そうだ、さっき渡した匂い袋戻して、また匂い付けしておかないと匂いが消えてしまうからね』

『ん』


 サッズはずっと握っていたらしいそれをライカに突き出すと、やたらキョロキョロと部屋を見回した。


『なんか物がいっぱいあってセルヌイの寝場所みてぇ』

『あそこまで凄くないから』


 ライカの部屋は、祖父の手による作り棚や、壁に嵌め込みタイプの造り付けの物入れが多く、そこにこの街で手に入れた色々な物が置いてある。

 たかだか一年にも満たない生活だが、集まった物は意外に多く、ひいてはそれはライカの交流の多さを物語っていた。

 懐かしい相手が訪れたせいか、ふとそれらの物に感傷じみた気持ちになったライカだったが、サッズが今にも眠り込みそうなのを見て、慌てて小さなつまみを引っ張って引き出しを探る。

 そこには綺麗に磨かれた木製の小さな小物入れが入っていて、そのはめ込みの蓋を持ち上げると、乾いた木の皮に包まれて小さくて光沢のある塊が数個入っていた。

 持ち込まれた唯一の灯りであるランプの光を受けて、それはライカの瞳に良く似た透き通った色合いを浮かべる。


『ほら、サッズ。ほら!寝ないで、これ食べて』

『ああ?なんだこれ?紅トカゲの毒袋?』

『寝ぼけるのは早いだろ!ここには紅トカゲなんかいないよ!ほら、ぱっくり口開けて!』

『ん~?』


 なにやら意識が怪しい状態で、それでも言われた通り口を開いた相手の口の中に、ライカは手にした小さな塊を放り込んだ。


『ん?これ、』


 口をもごもごさせて、急に正気に返った顔になったサッズが少し考える風に言葉を繋ぐ。


『竜桂樹?』


 ライカはにこりと笑った。


『似てるだろ?でも違う木なんだよ、肉桂っていうんだってさ。それの皮を蜂蜜と一緒に煮出して飴を作ってみたんだ』


 ぴりっとした軽い刺激と辛味。

 それでいて体に染み入るような豊かな香り。

 それは、彼等を育てた竜王達が作った竜のミルクの味であった。

 実際の母竜のミルクにそんな味はないのだが、外気に触れると固形化する竜血を溶かす作用を持つ竜桂樹の皮を使って子供達のミルクを作っていたせいで、その香りが溶け込んでそういう味になったのである。

 いわば、それは彼等家族の味だ。

 その飴を舐めて、すっかり目が覚めた風のサッズと、彼が飲んで育った物よりは香りが薄いものとはいえ、同じものを飲んで育ったライカも同じ懐かしさを共有した。

 同じ記憶を持っているという事は、それだけで一つの絆であり、そこには暖かい感情が伴う。


『俺はピイピイ鳴いてるだけの殻付きの雛じゃないぞ』


 ミルクの味だという事で、それがプライドのどこかに引っ掛かったらしいサッズが、さして力のない不満を吐く。


『でも、落ち着くだろ?その木の事知ったのが冬前ぐらいだったからそんなに取り置き出来なくて貴重なんだよ。そもそも俺が自分で少しずつ食べるのを楽しむ為のものだし』


 そう言いながら、ライカ自身も一つを口に含んだ。

 独特の、柔らかく辛い香りが小さな空間に漂い、それはライカの体からも一日の疲れを解してくれるようだった。

 大人しくはしているものの、どうやら先ほどまでの眠気は晴れたらしいサッズに、ライカは真面目な顔で向き合った。


『輪を回しながら寝て、その間に知識の受け渡しをしよう』


 サッズが小さく笑う。


『お前、昔、よく駄々をこねてたよな。自分も一緒に寝るって』

『だって、寝てる間に輪を回すのが家族だって思ってたから、一人だけ仲間外れみたいで嫌だったんだよ。セルヌイもタルカスもエイムも危ないからって絶対一緒に寝てくれないし』

『そりゃ、人化ってのは要するに常時自分が人間である時の姿を意識してないと解けちまうから、寝てる間に保持出来る保障はないもんな。竜の姿のままだと下手すると気付かないままお前を押し潰しそうだし』

『うん、だからさ、こっちへ来た時に、最初の夜にじぃちゃんが一緒に寝てくれて、それで、凄く自然に、この人と家族なんだって思えたんだ。嬉しかったな』

『ふーん、そっか』


 サッズは少しだけ憂うような、喜ぶような複雑な心声を発する。


『人間にとってさ、お前が離れていたのは割と長い年月だって事で、ちゃんと元の家族に迎えて貰えるかみんな心配していたみたいだったから、良かったよ。ほら、鳥の雛なんか巣から落ちたやつは育ててもらえない事があるだろ』

『俺も不安だったよ。みんなと一緒にいたいってずっと心のどこかで思ってたし』


 こつんと少し強く額がぶつけられ、互いの、まだ言葉という色付けのされていない生のままの暖かい意識が流れ込んだ。

 長い間、常に傍らにあった意識。

 竜王達はライカの意識と輪を繋ぐ事がとても難しいと言っていたが、サッズとはほとんど抵抗無く繋がる事が出来る。

 それだけ近い場所にいた相手だった。


『良かったな』


 意識に遅れて、言葉が届く。

 ぐっと、目の後ろに熱を感じたものの、ライカはそれを意識して追いやった。

 一度既に泣いてるのでそれ以上は嫌だったのである。


『ほら、肉桂飴食べたら本当に寝てしまう前に輪を回して知識を取り込むようにしておいてよ。俺はそういう細かい部分はさっぱり分からないし出来ないから、サッズがやるしかないんだからね』

『うう、お前分かんないから簡単に言うけど、お前の記憶やら知識やらの領域って独特で堅いんだぜ?あれ動かすのって雲を掻き回して目当ての場所に雷を落とすぐらい難しくて嫌なんだよ』

『俺、分かんないから仕方ないよ。そもそも言葉を覚える努力もして来ないサッズが悪いんだし、なんだっけ、こういうのをセルヌイがなんとか言ってたよね。因は果に結局は辿り着くとかなんとか』

『しらねぇよ!あいつの寝言なんか覚えてられっか』

『で?まだ食べ終わらないの?実はかなり気に入ってずっと舐めてるんだろ?そうだよね、まだサッズだって子供なんだからミルクの味が懐かしくても仕方ないよね』

『もうとっくに食い終わってるわ!大体元々これを作って舐めてんのはお前だろ、羽根の柔い雛はお前だ、お前!』

『はいはい分かったから、準備が終わったら寝るよ。そこのベッドに横になって寝るんだよ、床じゃないからね』


 ランプに蓋を被せて火を消すと、明るさが障害にならないサッズがブツブツ言いながら大人しく移動する気配を感じてライカはまた笑った。

 なんだかんだ言って、サッズが今まで一度たりともライカの望みを無視した事はない。

 目が暗さに慣れると、ライカも久しぶりに輪と呼ばれる意識の海に深く潜り、そこに意思を持たせないでそのまま自分を委ねるように、個である我を一つ一つ解き解しながらベットに向かった。


『全部任せるからよろしく』

『いいよ、なんとかするさ』


 サッズの憮然とした、しかしどこか誇らし気な言葉が曖昧に世界に溶ける。

 額に触れるひやりとした硬質な感触を最後に感じて、ライカは自分を手放した。

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