第13話 夜を過ごす

「しかし、ライカよ。別に女の子の格好をしたからといって、何も男を引っ掛けて来る必要はないんじゃぞ?確かに中々に見た目に麗しいし、ボロボロの様子がはしゃぎまわったお子様な恋人同士のようで微笑ましくもあるが」

「え?」


 ライカは祖父の言葉をすぐには理解出来ず、しばし考えて、ぎょっとしたように猛抗議した。


「違うよ!俺は男だろ!この格好は祭りだからってミリアムが!なんで男と恋人なんかにならなきゃなんないんだよ!」

「なんじゃ違うのか?それじゃ宿無しの旅人でも拾ったのかの?」


 にこやかにライカの否定を受け流し、ロウスは目線をやたら目立つ少年に向ける。


「ううん。あの、ジィジィ、実はこいつは俺がずっと居た所で一緒に兄弟みたいに育った相手なんだ。サ、あーと、サックっていうんだけど」


 言語が違おうがどうだろうが、輪によってライカの言葉の殆どを理解出来るサッズは、自分の名前の所で顔を微妙に歪めると、何かを言おうとした。

 ライカは、ぎゅっとサッズの意識が固まって発言しようとする兆候を感じ、その寸前に逆に自分の心声こえを飛ばす。


『ほら、さっき言っただろ?じぃちゃんに微笑んで!にっこりと!』

「サック?見掛けに似合わん謙虚な名前じゃの」


 再び、今度は見知らぬ者に対するのではなく、少しの温もりのこもったまなざしを、ロウスは初めての場所にもかかわらず落ち着いた風情で座る少年に戻す。

 ロウスもライカの育った場所について街の者達が推し量った噂を知ってはいたが、その真偽に全く触れない孫を訝しみつつも、聖王家の隠れ里で育ったなどというそれを丸ごと信じていた訳ではなかった。

 しかし、目前の少年は、なるほど王族ゆかりの者と言われてもおかしくない容姿と雰囲気を持っている。

 ロウスはその人生の途上で何度か王族とか貴族とかいう連中を見て来たが、この少年に比べれば彼等はそこらのならず者にしか見えないぐらいだ。

 むしろこの少年を平民だと思う方が難しいだろう。

 一方のサッズは、その半ば歓迎、半ば探るような視線を真っ直ぐ受け止めると、頭の中で煩く喚くライカの言葉に閉口しながら、言われた通り、にこりと綺麗に微笑んで見せた。

 邪気の無い笑顔というものは、少女達の教え通り、人を動かすある種の力を持っているのであろう。

 しかもそれが年若かったり、見目が良かったりするのなら尚更だ。

 たちまちロウスの顔から警戒がほぼ抜け落ちた。


「ふむ、孫が世話になった礼をせねばならんじゃろうが、二人共疲れておるようじゃし、わしもまだ用事があるんでな、詳しくは明日でよろしいかな?」

「ジィジィどっか行くの?」


 祖父の分のカップを出そうとしていたライカは驚いたように聞いた。


「言うたじゃろう?祭りの夜に彼女を一人にして家に帰るような男は甲斐性なしじゃと。まともな男なら恋人と夜を過ごすもんじゃよ」

「そうなんだ。様子を見に帰ってくれたんだね」

「一人でうだうだしておったら尻を叩いて追い出そうと思っておったんじゃが、まぁ客なら仕方ないの。しかし、その服は大丈夫か?今も十分に可愛らしいが、その有様でミリアム嬢ちゃんに怒られやせんかの?」

「う、」


 ライカは改めて自身の姿を見回して溜息を吐く。


「出来る限り綺麗にして、後は謝り倒すしかないかな?ミリアム怒るだろうな」

「わしはそうでもないと思うが、それより、その姿をちゃんと嬢ちゃん達に見せに行ったんじゃろうな?」

「あ!」


 ライカはハッとしたように固まって、段々顔色を悪くする。


「ミリアムの友達に見せに来るように言われてたんだった!」

「やれやれ、まぁ頑張るんじゃな。女は根に持つ生き物じゃぞ?わしから忠告出来るのは絶対に誤魔化そうとしちゃならんという事だけじゃな」

「うわあ、どうしよう」


 頭を抱えたライカをニヤリと笑って見やり、ロウスは、二人の話に静かに耳を傾けている少年を一瞥すると、


「良い事を教えてやろう。女は綺麗なものに目が無いんじゃ。その幼馴染殿を連れて行って謝れば効果があるかもしれんぞ」


 そう告げて、小さく手を振るとそのまま扉を閉めて立ち去った。


「綺麗なもの?」


 ライカは祖父に小さく手を振り返し、その残した言葉を考える。

 なにやら憮然とした顔で座っている人間の姿のサッズは、柔らかに光を弾く透き通った色合いの髪と、影に沈んで更に濃く見える濃紺の目を宿し、その鮮やかさで周囲から浮かび上がっているかのようにすら見えた。

 その色合いはいつかガラス細工作りのホルスが鉱石を混ぜて作ったというキラキラとしたガラスの飾りにも似ている。


「そういえば確かに見た目は綺麗なのかも?」


『ライカ!お前何のつもりだ!』


 しかし、ライカがその結論に納得する前に、サッズは爆発した。


『何が何?』

『俺の名前、違っただろう?』

『ああ。だって、人間は他人同士でも名前を呼び合うんだよ?身内以外に名前を呼ばれても怒らないって言うんなら本当の名前の方で紹介するけど?』

『う、ぐぐ』


 反論出来ずに詰まったサッズであったが、それでも唸るように確認した。


『それで、サックとやらはどんな意味なんだ?俺らの言葉には無いよな』

『うん、だから説明出来ないから気にしないで』

『いやまて、なんだそれは?説明出来ないってどういう事だ?』

『気にしなくて良いよ。仮の名前なんだし、元の音に近い方が良いだろ?』


 ライカはちらりと二人分並べたカップを見てにこりと笑う。

 実はサックというのは欠けた食器の事で、捨てるには惜しい物という意味合いを持つ言葉だ。

 三人目の男子とかに多い名前らしい。

 あからさまでちょっと酷い話ではあった。

 ライカは以前井戸端の主婦達とのおしゃべりでそんな話を聞いて、サッズの名前に音が似てると思って密かに笑った事があったのだ。

 それで覚えていたのである。

 ライカは、その記憶からあえて意識を逸らして、何か探るような意識を向けて来る相手の感覚から遠ざけた。


『そんな事より今はこの服だな。今から洗って明日の朝に乾くかな?っと、そうか』

『お前、今頭の中で俺を便利な道具扱いしなかったか?』


 ライカの考えを文字通り読んで、サッズは脱力する。


『室内だと危ないから上でやろうか?』

『別に危なくない!大気を扱うのは自分の体を扱うのと同じ程度の事だぞ。……おい、全然信用してないな?』

『昔同じ事を言って、木の上の木の実をバラバラに吹き飛ばした誰かさんがいたよね』

『あの時は、木の実を採ってくれとしか言わなかったからだろう?傷つけずに採れとは言わなかった』

『それが分からないって事が俺には分からないよ』

  

 冬の夜に洗濯するのは恐ろしく冷たく、手の感覚などすぐに無くなってしまうという苦行にも似た作業だ。

 しかも暗いので汚れの場所を見るのに一々ランプの灯りを近付けて確認しなければならなかった。


『その女に気があるのか?』

『ミリアムの事?違うよ、友達だからなるだけ怒らせたり悲しませたりしたくないだけだよ』

『また友達か、家族以外で大事な相手という感覚が俺には分からん』

『身内だけにしか興味が無いっていう感覚が俺にはよく分からないんだけどね、だってさ、身内の輪の中でだけで全てが終わってたら何も新しい事が無いだろ?』

『新しい事は自分で見つければいいんだ。他の存在に頼る必要はない』

『色んな相手に助けてもらえればその方が沢山の事が出来るよ』

『他の者のやった事は他の者のやった事で自分のやった事じゃないだろ?』

『そうだけど、知る事は出来るよ』

『不完全な形でな』

『それでもそれはとても広い世界だよ』

『自分が生きて死ぬまでに必要なものだけあればいいじゃないか』


 ライカはふと、手元の洗い物から傍らの家族に目を移す。

 その言葉の違和感に思わず意識が取られたのだ。


『サッズ、いつか死ぬつもりなの?』


 おかしな会話だが、竜はその生涯に力を一定以上溜め込むと、竜王に転化する事が出来る。

 実際他の家族は全員既に竜王化しているのだ。

 サッズはまだ幼体なので無理な話だが、成体になって数百年力を溜め続ければ竜王に転化出来るだろう。

 転化せずに寿命を迎える竜は子供を得てその力を子供に注いだ為に力が届かなかった者が大半で、竜の社会ではどちらかというと子供を育てた竜の方が尊ばれる風潮はある。

 しかし、現代では竜はまず伴侶を得る事が困難なのだ。


『本来今の世界で転化は無理なんだよ。もう呼吸するだけでエールを補給出来ていた時代じゃないんだ。それに俺はあいつらみたいに退屈に長く生きる事に興味はない』

『あそこなら竜王に転化だって出来るんじゃないの?だってあそこはいわばサッズの為に作った世界じゃないか』


 竜王達の暮らす世界は黒の竜王タルカスの創った世界だ。

 タルカスはちゃんと子供を得て多くの子孫がいたのだが、彼は創世の五竜の一柱で、争いも好まなかった為、多くの力を保持したまま竜王となった。

 そして今はその有り余る力を自らの創った世界の維持に使っている。


『俺はいつまでも巣穴に篭ってる気はないぞ。成体になって巣立ちをしたらこっちで生きるつもりだ』


 ライカは今度こそ洗濯物から手を離して、相手に向き直る。


『食べる物だって足りなくなるかもしれないのに?』

『そんな事はその時考えればいいだろ?お前、色々考えすぎ』


 その言葉に、ライカは領主の言っていた事を思い出した。


(人間は己の力で絶望を生む生き物。そうか、サッズは、ううん、竜は行動の結果を考えたり恐れたりしないんだ。寿命があろうが無かろうがそれは結果でしかないから興味がないんだ)

『でも、俺はサッズの家族だろ?心配するのは仕方ないだろ』


 怒ったようにそう言って、手元の洗濯物を柔らかい木の槌で叩いて汚れを落としていく。


『心配してくれるのは嬉しい』


 急に柔らかい調子で言われ、それで少しだけイライラしていたライカも全身から急激にそのイライラが抜けて、その代わりのように心が暖かくなるのを感じた。


『サッズのくせに』


 舌打ちして、洗濯物を広げて皺を伸ばすように打ち振るう。


『サッズ、上行くよ』


 裏庭からそのまま飛翔術で上昇しながら、不自由に浮かぶだけの自分と違って、自在に飛ぶ相手をライカは睨んだ。

 お互いに違いがある事をライカも竜達ももちろんずっと知っていて、その上で一緒に過ごして来たのである。

 しかし、分かっているからといって悔しくない訳ではないのだ。

 特に同じ子供であったサッズが見事に飛翔するのをずっと目にして来て、ライカはその度にひどく悔しい思いをして来たのである。

 更に今は同じ人間の体だ。

 どうにもならないと分かっていても悔しいものは悔しいのである。


『水気だけ抜いて。余計な力を掛けたら許さないからね』

『へいへい』


 急激に乾いていく手の中の衣装の感触を確かめつつ、ライカは完全に水気が抜ける寸前程度でそれを止めさせた。


『完全に抜かなくていいのか?』

『完全に抜くとごわごわになっちゃうだろ、後は自然に朝まで吊るして乾かすよ』

『そか、なんか良く分からんが終わったなら良かった。もう眠い。寝ようぜ』

『知識の移動をしながら寝ないと駄目だからね。忘れてただろ?』

『うわ、めんどくさい』


 ふわりと降り立ちながら大あくびをしてみせたサッズが寝てしまわないように注意しながら、ライカは手早く桶やランプを片付け、衣装を吊るし、サッズの様子を窺った。

 結果、明らかにもう寝る事しか考えていないこの相手を、上の自分の部屋にどうやって連れて行って、どうやってやるべき事をさせるのかを思い描く。


『起きたら良い物あげるから起きて、サッズ』


 物で釣るしか無い。

 それがライカの結論だった。


『良い、物?』


 こうやって普通に接しながらも、ライカとて明らかに今後大変さが予想される家族の訪問に戸惑いが無い訳ではなかった。

 文句も本音だし、サッズは自分の手に負えないという気が強く激しくする。

 しかし、それが不幸かと言われれば、それは違うとライカは思うのだ。


(家族だし)


 もう二度と会えない覚悟を持って別れた竜の家族ではあったが、二度と会えなくても良いと思った事は一度もなかった。

 ライカは強がりを言ってみせたが、やはりちょっとだけ共に育った家族が恋しくはあったのだ。

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