第12話 帰宅

 扉を潜った時のひやりとした空気が、長い時間その家に人がいなかった事を物語っていた。


「じぃちゃん帰ってないみたいだな」


 一人呟くと振り返り、ライカは入り口の戸を大きく開けてサッズを招く。


『……』


 招かれた方はといえば、入り口から中を覗き見て絶句していた。


『木を積み重ねた箱の中に住んでいるのか?』

『箱じゃなくて家だって言っただろう?人間は何でも自分に合うように作るのが得意なんだよ。こう見えて案外丈夫なんだよ、大風や嵐でも壊れなかったし』

『俺が一回扇いだだけで崩れるだろ』

『サッズ程度じゃ崩れないよ』

『程度とはなんだ!程度とは!言っておくがうちで一番強い風を起こせるのは俺だからな!』

『扇いでとか言ってた癖に力の話なんだ。なんでもありなら最初からそう言えばいいのに、負けず嫌いなんだから』

『お前はちょっとデカくなったら口が悪くなりやがって、ちょっと前まではサッズにいちゃんがいちばんとか言って後を付いて回ってたのにな』

『煩いから付いて来るなとか言って、すぐにどっかに飛んでって遊んでくれなかったくせに』

『む、お前が泣きべそかいてた時には駆け付けてやっただろうが』

『怒られるからね』

『お、俺はあいつらを怖がったりした事なんぞないぞ』

『大丈夫だよ、セルヌイに叱られて洞窟の奥でいじけてた事は内緒にしてあげたから』


 口をつぐんでむっとしたように睨むサッズを、『いいから早く入って、寒いから』と引き摺り込むと、ライカは油の具合を確かめて燈芯に火を点ける為に石を打つ。


『なんだ?それ』

『火を点けるのに使う、こっちの石に固い組織が含まれてて、こっちの金属屑を表面に埋めたので打つと火花が出るんでそれをこのほくちに取って、こっちの油を含んだ芯に移すんだ』

『なんで火がいるんだ?』

『暗いとよく見えないからだよ。俺だってみんなより見えなかっただろ?普通の人は俺より見えないみたい』

『見えないなら見えないで良いと思うんだが、人間ってのは変な生き物だな』

『そのままで良いと思わないのが人間なんだってセルヌイが言ってたよ、貪欲なんだって』

『ふ~ん、まあ欲が深いのは良い事だよな』

『人間自身はそう思ってないみたいだけどね』

『本当に変な生き物だ』


 会話の間に火が灯り、部屋はほんのり明るくなった。


『明暗差が大きくてかえって物が見にくいぞ』

『物にぶつからなきゃいいんだから、文句言わない』

『はいはい』


 ライカはそのまま奥の一段高い上がり板間にある炉辺ろばたに上がり、灰を分けて木片を入れると小さく息を吹きかけ、暫くそのまま置いて、裏口から洗い場に回り、外の瓶から桶に水を汲んで家の中に運び込む。


「最近は氷が薄くなって助かるな」


 朝に割った氷がまだほとんど戻ってないので水汲みも楽になった。

 精霊祭の祭事もそうだが、こういう日常的な小さい事で季節の変化を感じるのだとライカは思う。

 桶の水の一部を炉の上の鍋に注ぎ、残りと端布を持って家の中で所在無げに佇むサッズを呼んだ。


『そこの丸太で作った椅子の所に座って、これで顔や体を拭って』


 そう言って水に濡らして絞った端布を渡す。


『汚れなんか吹き飛ばせば良いんじゃないか?』

『家まで吹き飛ぶ気がするからやめて、大人しく人間流にやって』

『分かった分かった、他所の巣穴で威張るなって事だろ?お言葉に従いますよ、お気の召すまま御申しつけください』

『ねぇサッズ、ほんとになんで来たの?そんなに無茶してさ』


 ふと、真剣な顔でライカは聞いた。


『さっきも言っただろ?様子を見に来たって』

『様子を見に来るだけでそんな封印までして来たの?』

『だって、お前乗用竜のふりとかは絶対駄目だって言うし、なら人化するしかないだろ?』

『あの時は俺が馴染むかどうか心配だったからだろ?もう随分経って何も問題が無いって分かってるはずだよね?おかしくない?』

『おかしかないだろ?お前がナーガの巣穴に迷い込んだ時だって、海でろくでもない女に引っ掛かった時だって俺が問題を解決出来るまで付き合ったじゃないか』

『彼女はろくでもない女じゃないよ!大体、それとこれとは話が違うだろ?』

『馬鹿か、海妖メロウの女にろくでもなくないのなんかいるもんか!悪意がないから問題ないって事じゃないだろ?あいつらは泳ぐのと同じように色んな男を引っ掛けるんだぞ?浮気するのが当たり前の種族なんだよ』

『だから彼女の話は関係ないだろ!そもそも引っ掛けるとかなんとかいう段階にすらなってないからあんな事になったんだし』


 言い募って、ライカはぐっと声を詰まらせる。

 それ程意識したつもりもなかったのに、突然目の奥が熱くなって視界が滲んだのだ。


『あー、悪かった。もうあの女の話はしない約束だった』

『俺もつい興奮した。ごめん』


 ライカは、熱くなった目を持っていた自分の体拭き用の布で拭うと、ほうっと息を吐く。


『サッズさ、何か』


 ライカが静かにもう一度話を仕切り直そうとしたその時、入り口の戸が突然開かれた。

 ライカはともかくサッズが気配に気付かなかったのは驚くべき事だったが、それだけ会話に意識が向けられていたのだろう。


「なんじゃ、ライカ帰ってるんか?男の子が祭りの夜に家におるとはどういう事じゃ?」

「あ、ジィジィお帰りなさい」


 ガタンと音を立てて戸を閉めたライカの祖父は、そこで家の中の見知らぬ相手に目を向けた。

 それぞれが互いに生きた歳月は実はライカとよりは近いのだが、その種族としての年齢も容貌も思いっきり掛け離れた二人は、相手を推し量るかのように暫しじっと見詰め合う。


「ふむ、いかに美人でも男だとつまらんもんじゃな」


 ロウスの相手に対する第一声はそんな言葉だった。

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