第11話 精霊祭の夜 其の三
ライカには一つ懸念があった。
いや、それは確信に近い。
『ねぇ、サッズ。ここの言葉は勉強したの?』
それに対する答えは簡潔な物だった。
『いや』
何一つ曇りのない返事。
ライカは無言で懐かしい家族の耳の後ろを思いっきり殴った。
『お前、ここは気持ちが悪くなるから殴るなよ!』
『どこ殴っても痛みを感じないんだから、気分が悪くなる所殴るしかないだろ?』
『なんで怒ってるんだよ』
『サッズさっき言っただろ、しばらくここに居るって』
『ああ』
『それで言葉習って来ないってどういう事だよ?』
『どうって無理だろ?俺がそんな事覚えるの』
ライカはにこりと笑うと、もう一度拳を固めた。
『ちょ、だからさ、こんだけ人間がいるんだから抜けばいいだろ?』
『抜くって?』
『知識だよ』
『え?』
二人は、祭りの振る舞いの焼いた肉片を片手に、城の外壁に背を預けて座っている。
城門近くにいると人がチラチラ見るので、城壁を北側に回り込んで、真っ暗な人のいない場所に陣取ったのだ。
『ちょっと、待って。それってもしかして相手の意識の一部を食べて取り込むってやつ?話に聞いた事しかないけど』
『そうだぜ、その方が楽でいいじゃないか』
気楽にそう言ってのける相手に、ライカは少しめまいを覚える。
『待った、サッズまさかと思うけど、地上種族の特性を知らない?』
『へ?特性?』
『そう、まあ普通に意識を食べられても困るけど、地上種族の意識は肉体と融合してるんだよ。つまりやるなら肉体ごと取り込まなきゃならないんだ。言っておくけどここの人達を食べるのは絶対駄目だからね』
『あー、そうなんだ。うへぇ』
『セルヌイとかに何か言われなかったの?』
『あんな煩い奴に俺が何かを聞くと思うか?』
いっそ偉そうにそう断言する相手に、ライカは冷ややかな視線を投げる。
『服は貰って来たんだろ?』
『ああ、あとライカの生活に迷惑を掛けたらいけないからってなんか石を繋いだやつをくれたけど、これで色んな物と交換出来るからって』
『セルヌイの集めてた装飾品の何かかな?さすがに気が利くよねセルヌイは』
『そういや言葉がどうとか言ってた気もするけど、うるさいからそのまま出てきた』
『聞けよ』
『やだよ、あいつ煩いし』
ライカは小さく息を吐き出すと、サッズに手を差し出した。
『仕方ないからあれをやるよ、嫌だけどさ。輪を巡らせて知識を共有しよう』
『駄目だろ、外で出来るかよ』
サッズはライカの手を取って立ち上がりながら憮然として応える。
『俺の家があるよ。正確には俺とじぃちゃんの家だけど』
『おいおい、あれは完全に無防備な状態が長いこと続くんだぞ?分かってんのか?何かに襲われたら俺はいいけどお前が危ないだろ!』
『大丈夫、普通は襲われないから。そもそも夜は家で寝るんだから同じ事だよ』
『来る時に見たけど、そんな頑丈そうな岩屋は見なかったぞ』
『木とかで人間が自分で作るんだよ最初っから』
『鳥の巣みてぇなの?』
『さっき歩いてた時に周りにあっただろ、あれが家』
『は、俺が物を知らないからって馬鹿にするなよ、あれは箱だろ、それぐらい知ってるぜ』
『いいから来て、説明するより見た方が絶対早いから』
サッズはぶつぶつ不満の意識を撒き散らしていたが、ライカに手を引かれておとなしく従った。
ライカはそのまま北側の水路の渡り板を渡ると、自分達の家がある一角へと進む。
しかしふと、何かを思い出したように立ち止まって、ライカは連れの顔をじっと見上げた。
『よく考えたら、サッズ、寝てる間はそれ解けるよね?』
『いや、解けねぇよ』
『嘘。他のみんなだって寝てる時は人化を意識してるのが難しいって言ってたよ。ましてサッズが出来る訳ないだろ』
『ふ、お前考えてみろよ。俺を教えたのはあのタルカスだぞ。そこらに抜かりがあると思うか?』
『あ、そうか。補助の何かをしてもらったの?』
『まさしく。ほら、これ見ろよ。これを嵌めている限り人化は解けねぇんだ、俺自身にもな』
サッズの示したのは己の左手の親指だった。
さすがに夜目が利くライカといえど、それの材質は良く分からなかったが、それが指輪らしい事は分かる。
『指輪?え?サッズ自身にもって?』
『とある組み合わせで意識言語と音声言語を使用するとこれが砕けて元の姿に戻れるって仕掛け』
ライカは眉を上げると、なんともいえない表情でサッズを見た。
『ちょっと感心したのに損したな』
しばしの沈黙の後にぼそりと呟く。
『へ?』
『サッズ、凄い勉強したんだなって感動してたのに、そんな仕掛けがあったなんて』
『おいおい、待て!確かに維持してるのはこれのおかげだけど、最初に人化したのは紛れも無く俺自身だぞ?そもそも自分自身でやらなきゃ出来ないから嫌々勉強したんだから』
ふう、と、わざとらしく溜息を吐いて、ライカはスタスタと先へと進んだ。
サッズは慌ててその後を追う。
そんな彼等の進む道なりに、少しずつ人の姿が増えてきていた。
人家の多い地区に出たので祭り帰りの人が合流し始めたのだろう。
よくみると男性は少なく、女の人や子供の姿が多かった。
まだ広場の方からなにやら騒がしい感じがするので、男性の殆どはそちらに残っているのかもしれない。
お隣のリエラやレンガ地区のセヌ、それにミリアムという女性陣が口を揃えてライカに言う事を考え合わせると、大人の男はなんらかの口実を見つけては酒を呑むとの事なのだから。
ライカの祖父の事を考えても、それはきっと正しいのだろうと思える。
正直ライカには酒の何が良いやらさっぱり分からないままだったが、だからといってそれを楽しみにしている人を否定するつもりはなかった。
翌日に大げさに騒ぐくらいに気分を悪くしなければの話だが。
やがて民家が密集している区画に入ると、通り沿いの家のいくつかの戸口にランプが吊るされているのを見掛けるようになった。
お祭りだからなのか、それは普段は火の気を残すのを嫌がるこの街ではあまり見る事の無い風景である。
連れがいなければライカはきっと顔見知りを探して理由を聞いていたはずだが、今はただその風景を純粋に楽しんだ。
ランプの不安定な灯りの揺れは、先ほどの氷に踊る炎のゆらめきを思わせる。
通常と違うというそれだけの事が、その風景を不思議なものに変えてしまっていた。
祭りは銀月の夜なので元々そこまで暗くはないが、本来普通の人にとって夜歩きは灯りなしには足元も覚束無いものである。
しかし、この家々の灯りを楽しんでいるのか、自身は灯りを持たずに道を歩く人も中にはいるようだった。
『ライカー、機嫌直してお話しようぜ』
『別に機嫌悪くないよ』
沈黙に耐えかねたのか情けない声を出して来る相手に、ライカはその幻想的な風景のおかげもあって機嫌良く応える。
『そっか。なぁ、お前のじいちゃんって俺にとってどんな関係になるか分かるか?』
『母さんと同じ感じでいいんじゃないか?』
『んー、お前の母さんほとんど寝てたじゃねぇか。まぁでもなんとなく分かった。意識するようにしとく』
『挨拶をして欲しいな』
『え?あの長ったらしいの?俺覚えてねぇよ』
『いや、竜のじゃなくって人間の。とにかく先に言葉覚えないとしょうがないけど。あと、目を合わせて笑うようにしてくれると嬉しい』
『え?顔見て笑うとか、なんか変な顔なの?おまえのじいさん』
『んー、じゃなくって。母さんが言ってたけど、人間同士が初対面の時は、まず目を見て、敵じゃない事を示す為に相手を受け入れる印に笑ってみせるんだって』
『へー、まぁ俺らの挨拶よりは楽でいいや』
『それはそうだね。俺もあの挨拶面倒だと思う。なんであんなにややこしいんだろう』
『俺が思うに、あれは自分の頭を冷やす為のものなんじゃないかな?』
『頭を冷やす?』
『ああ、俺達は知らん男と出会うと、なんていうか急激に頭に熱が昇って来るんだよな。相手がナーガとかお前の友達とかいう毒野郎にしてもさ』
『ポルパスは男でも女でもないよ』
『わかってるよ!とにかく、それで理由もなくいきなり同族同士で喰らい合いをやらかさないように、自分の身内と立場を思い出して頭を冷やすんだと思う』
『竜は増えにくいから喰い合いをしないように誰かが考えたのかな?』
『まぁそうなんだろう。俺らはあんまり共通意識を持たないけどさ、狂乱や喰い合いとか種族が滅びかねない事に関しては色々取り決めがあるもんな』
『求婚の時には下手すると殺し合うし、奥さんに食べられる事もあるっていう話だし、それ以上殺しあってたら大変だもんね』
『今更だけどな。もう争う程残ってすらいないんだから』
『サッズ……』
ライカは、同族がもういないだろうと言われているサッズの寂しさを思う。
心声が必ず伴う竜の言葉のせいで、そのライカの気持ちはそのままサッズに伝わっていて、それを受けてサッズは笑った。
『同族とか関係ねぇよ。大事なのは家族だけだし、うちは大所帯だから全然寂しくないだろ』
『そうだね』
そう言って微笑んだライカの頭を額で押して、サッズは柔らかく笑って見せたのだった。
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