第5話 精霊祭~八ノ刻の鐘が鳴る前~

 領主ラケルドに連れられて到着した城門前の広場の変貌ぶりにライカは呆気にとられた。

 そもそもこの広場は元々は城の前庭で、水路を中心とした吹き抜けの回廊と、いくつかの休憩用の造り付けのテーブルと椅子のある壁の無い小屋のような場所があったらしいが、その貴族的な美しい様式美を備えた一連の建造物は、城の建物の増築の際にその建材として使われ、消え失せている。

 しかし、水路周りに考え抜かれて配置されていた植物はそのまま残り、季節ごとにそのいろどりを変え、更にその中心たる水路は、どんな工事をしたのか今はもはや知る者もないが、地下の川から引かれた水が常に流れていて、居るだけで心が安らぐような場所だった。

 現在の領主であるラケルドがその水路を街の住人に開放して以来、住人に愛され、洗濯や水浴びなどの実用的な利用や、単にのんびりする為の憩いの場所として使われている。

 だが、今は、普段のその日常的な様相を一変させていた。


「別の場所に来たみたいですね」

「いつもと違うのが祭りというものらしいぞ」


 水路の両側に等間隔で篝火の準備がされている。

 それも広場の端から端まで延々と続いていた。

 そして水路の手前側、つまり街側には片面が大きく開いた色とりどりのテントが組まれ、様々な物が売られている。

 そのテントも整然と並んでいる訳ではなく、ちょっと余裕があったのでそこに押し込みました。という具合に建てられた事がありありと分かる並び方で、まるで布で出来た花園のような有様になっていた。

 水路の向こう側、いわゆる城側には大きく場所を空けて一段高い舞台が用意され、その周りを白い布地が取り巻いている。

 そしてそこにも篝火の準備がしてあった。


 そして、もしかして街中の人がここにいるのでは?と思えるぐらい、城門前広場は、普段からは想像も出来ないぐらいの人で溢れていたのである。

 中央地区の入り組んだ路地を通ってここまで来たライカ達だったが、さすがに今のライカにはそこに出て行く勇気はなかった。


「なに、これだけ普段と様子が違えば普段と違う見た目の者の一人ぐらいは、ごく当たり前の存在にしか見えないものだ」


 ライカの躊躇いを読み取ってか、ラケルドはそう言って、手を引いて一歩を踏ませる。


「え、領主様?ちょっと」

「ほう、いい匂いがするな」


 ラケルドに引っ張られて近付いたテントからは、なるほど甘い香りが漂っていた。

 ライカよりさらに頭二つぐらい小さな子供達がそのテントの主な客らしく、その小さな客達の熱い視線を店の主が一人占めしている。

 焼けた炭の詰まった鉄の籠の上で、細い木の棒を持った両手が器用に交差され、離れ、くるりと円を描く。

 棒の間には金色のとろりとしたものが掛け渡されており、男の両手が素早く動く度に、奇跡のように形を変え、それは一つの姿へと変貌した。

 今、それは空を飛ぶ鳥の姿を模し、ハサミのような金具によって美しく広げられた羽根の一枚一枚が描き出されていく。

 売り手と買い手を仕切る手前のカウンターには、見本なのか売り物なのか、以前目にした王様が乗っていたような、繊細な形の、しかし手の上に乗るような馬車が金色に輝いて鎮座していた。


「凄いですね、俺も飴は作った事ありますけど、あんな風に何かの形を作るなんて考えもしませんでしたよ」

「たかが菓子というものではないな、何事も極めれば余人の想像を超える境地に至るという事だ」

「極めるというのは修行するという事ですか?」

「そういう事だ」


 完全にその鳥の形が出来上がった所で、はっと気付いたライカは、子供達の関心が飴から自分に移る前にテントとテントの隙間に突っ込んで行く。


「あまりこそこそしていると却って目立つぞ」

「領主様」


 にこやかに、しかし確信を持って諭す彼に、さすがに覚悟を決め、ライカはほぼ自棄気味に背筋を伸ばしてテントの陰から離れた。

 テントの並びに自然発生的に出来た通路には人が多すぎて誰もがとても他人に気を配るような余裕がない。

 それは良いが、その大勢が形作る波に乗るようにしてしか移動出来ないのは辛かった。

 その上、ライカには、まるでワンワンと小さな羽虫の大群がうなりを発するように、周り中から雪崩込んで来る人々の混ざり合った意識が感じられ、自身の感覚がそれに影響されて、ふらふらとなってしまい、もはや恥も外聞もなく、領主の腕にすがるように歩いた。


「無理、もう無理です、領主様」

「人に酔ったか?ならばいいか、この左胸の奥に意識を集中してみろ」

「え?」


 己の胸を指し示す彼に、ライカは僅かな疑問を抱いたが、なにしろ余裕を無くしていたので、深くそれを追求する前に言われるままにその部分に意識を向ける。

 そこには、『印』があった。

 脈打つ熱の源、人の命の証の隣に、それは在る。

 最強の獣の証。

 竜族のカケラ。

 それを感じ取った途端、ライカの中でまるで音を立てるように意識が切り替わる。

 一瞬で、波が引くように人々の混濁した意識の共鳴が遠ざかった。


「お、繋がったな。やはりな」

「え?あ、」


 何が起ったのか気付いて、ライカはさあっと顔色を変える。

 その様子に、今度は慌てたのはラケルドの方だった。


「あ、いや、お前を試した訳じゃないんだぞ。気分が悪そうだったから竜の輪に触れれば治るかと思っただけで」


 何かばつの悪い失敗をやらかしてしまったかのように焦って言い募るラケルドの姿に、ライカの気持ちも落ち着いて来る。


「そうですよね、あの事故の時の事を考えれば、領主様が気付いてないはずがないですし」

「まあ、あそこまではっきりと繋がればな」


 礫場での事故の際、ライカは竜騎士として己の竜と同化していた領主に意識を繋げてその指示を仰いだのである。

 その後今に至るまで、ラケルドは何も言って来はしなかったが、あれで分からないはずがなかった。


「事情は話したければ聞くが、今は先ほどのお前の疑問の方を優先したいと思うのだが、それでいいかな?」


 ラケルドのあっさりとした提案に、ライカも混乱を起こす手前で踏みとどまる。


「あ、はい。その、よろしくお願いします」

「よしよし、任せろ」


 とりあえず色々な混乱を脇に置いて、鮮明になった意識で周囲を見渡すと、ひとかたまりのうねりのように感じていた人の群れに、狭いが一筋の空いた道筋があるのが見えた。


「領主様、こっちに抜けて大丈夫ですか?」

「もう少し角度をずらした方が楽に抜けられるぞ、そうそう」


 ライカの見通した道を少し修正してみせて、ラケルドは頷く。


「何か音が聞こえますね」

「これは音楽というものだ。そっちへ行ってみるか?」

「音楽ですか?」

「ああ、お前の言った存在するかどうか分からないモノを見出す為に人が生み出した一つの方法だな」

「音楽」


 ライカはその音に意識を集中した。

 途切れ途切れに連なり、僅かに空間を震わすその音は、少し前にライカが市場の広場で聞いた人々の立てていた音とはその印象は違う。

 だが、それでも、何かそこに共通するものをライカは感じた。


「人間の歌に似てますね」

「そうだな、歌も音楽の一部だと言われている。どちらもそもそもは神を呼ぶものだったらしいからな」

「歌は人が人に届けるものじゃないんですか?」


 ライカは不思議そうに聞いた。


「俺はそう博識でもないからはっきり答えられる訳ではないが、歌というのは言葉では足りないものを伝える為にあるのだと思う」

「それなら他の生き物と同じです。でも、違う。人の歌は違います」


 ライカの直感から導かれる言葉に、ラケルドはそうかと頷く。


「ふむ、残念ながら竜騎士とは言え人たる俺にはその違いが分からんが。お前が違うというなら違うのかもしれん。焦らずに答えが出るまで考えていれば、いつかその違いをはっきり掴み取る時も来るだろう。その時は俺にも感じた事を教えてくれると嬉しいが」

「そうですね、今はやっぱり漠然としか分かりません」


 少し気落ちした風のライカに微笑み掛けながら、ラケルドは先を示した。


「とりあえずはあの音楽を追ってみるか」

「はい」


 自ら方向を定める事も出来ないような人ごみの中、僅かな隙間をするりと潜り抜け、二人はまだ完全に捉えきれずに途切れ途切れの切れ端だけの音を追って歩く。

 人々の上げる様々な声があちこちに跳ねて混ざり合い、全てを掻き消すように響く中、その細い音は今にも失われそうでありながら、柔らかく、しかし強く、自らを保ちながら漂い続けた。

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