第6話 精霊祭~もうすぐ九ノ刻~
人々の浮き立ったような笑い声や、子供のはしゃぐ声、その合間を潜るように流れてくるひと連なりの音楽。
どうやら目的の音は水路の向こう側のようだ。
「領主様」
「ん?」
現在なりゆきでライカの引率者となっているこの領の主であるラケルドは、やはり目立つせいであちこちから挨拶を投げられ、それを軽く返している。
ライカはそんな人々の目から巧みに自身の姿を隠して少し先を進んでいた。
「この篝火は何をするものなのですか?」
目前の水路の両脇に等間隔で並べられている篝火の土台は普段は無いものである。
という事はその存在にはこの祭りでの意味があるに違いない。
そう考えたライカは、まず間違いなく詳細を知っているであろう相手にそう尋ねた。
「まぁ火を灯すものだな」
「領主さま……」
確かに答えとしては間違いではない。
だが、ライカの求めている答えはそれではないし、ラケルドもそれは分かっているはずであった。
領主はにやりと笑って言葉を続ける。
「精霊祭は夜に行われるものだという事は知っているだろう?」
「はい」
「その祭りのメインとなる場所がこの水路だ。篝火に照らし出された水路で、びっしりと張った氷を穂先のない槍のような棒で砕くのだ。その割れ方でその年の豊かさを精霊が告げてくれるという事だ」
「この氷が棒で割れるんですか?」
「割れないと凶兆という話なんで、是非とも割れて欲しい所だな。それに話では良く分からないだろうが、こう、水路中の氷が割れて篝火の光を映して、実際に見るとそれは綺麗な光景だぞ。見ておいて損はない」
「はい、楽しみにしておきますね。始まる時には合図みたいなものがあるんでしょうか?」
「丸太の中をくり貫いた木鼓というものを連打し始めるから分かるだろう。独特の道具だが、どうやら元々は森の民のものらしい」
「丸太をくり貫いた道具ですか」
ライカは先に市場の広場で見た光景をまた思い出して、もしかするとあれがそうなのかと考え付いた。
連打というなら警鐘もそうだがあれを音楽とは誰も言わない。
それならばあの丸太を連打する音も音楽ではないのかもしれないとライカは思った。
単なる祭りの合図というものなのかもしれない。
水路を渡る小さな橋を過ぎると、今度はテント広場の喧騒とは逆に穏やかなざわめきが満ちていた。
彼等の追ってきた音が、はっきりとした一連の柔らかなうねりとなって響き、それに合わせて語る誰かの声がその場に満ちている。
沢山の人々がそこにいたが、その一人以外は誰もが声を発する事をせずにひたすらに一箇所に留まっていた。
「あれは何をしているのですか?」
「ああ、なるほど、今日は語りも来ていたのだな。暫く留まってくれるとみんな喜ぶのだが、今日だけの予定かな」
領主は一人呟くと、じっと自分の言葉を待っている真剣な眼差しに気付いて苦笑した。
「すまん、ついな。あれは語りだ。色々な場所で起った、人の興味を引きそうな出来事をああやって語って代価を貰う仕事だ。最近はあんな風に楽器を演じる者と組んで演るのが流行りらしい」
「出来事を話してるんですか?不思議な話し方ですね。大声を張り上げてる風でもないのにここまで声が届くなんて。何を言ってるのかまではまだ分かりませんけど」
「そりゃあなるべく沢山の人に聞いて貰わなきゃ儲からないからな」
「あ、それはそうですよね」
「しかも代価は客の気持ち次第だ。なるべく相手の気持ちを動かして多くの代価を払って貰わねばならん。楽器の演者と組むようになってきたのもそこいらが理由だろう」
「いろんな仕事があるんですね」
「驚く程な」
笑って、領主は少し大回りに人々の背後を移動した。
「あっちへ行かないんですか?」
「お前にはすまないが、俺が堂々と行ってはせっかくの楽しみを台無しにしかねない。こそこそと聴こうと思うのだが、かまわないか?」
「願っても無い事です」
「晴れ姿を沢山の人に見てもらえなくて勿体ないのではないか?さっき挨拶をしてきた中には俺が養女を取ったのかと思って紹介してくれと言った者もいたぞ、『可愛らしい姫君ですね』と言っていたな」
「……領主様。俺をからかって楽しいですか?」
「いや、割と本気で褒めているのだが」
その声の調子と、未だ繋がっている意識の一部とで、彼が嘘を言っている訳ではない事が分かる。
ライカは、世の中には分からない方が良いものもあるという事を、この時身に染みて知った。
「ここの城壁は後から動かしたした部分なんだが、実はここの石が外せるようになっている」
そこは語りが人々を集めている場所からかなり離れ、城の正門ももう見えない場所で、丁度高い物見の楼閣からも死角となっていた。
ライカは、やや困惑したように沈黙してその領主の説明と、ごとりという石の外される音を聞いていたが、ラケルドがそれを地面に置くと、堪えきれずにその腕を引く。
「領主様、それって俺が知ってて良い話なんですか?」
流石に世間知らずのライカとて、城というものが特別な場所である事は知っている。
だからこそ出入り口に常に歩哨がいるのだし、普段出入りに厳しくはないまでも、誰も知らない内に勝手に出入り出来て良いという事はないはずだ。
「悪さをしないと約束してもらうとありがたいな」
もう一個石を外し、大人がやっと通れるぐらいの穴が出来る。
「悪さというのがどういうものを指すのかが良く分かりません」
「ふむ。そうだな、他人を傷付けたり、困らせたりするのが悪い事だな。そういう事に利用しないなら大丈夫」
「分かりました」
もはや今更見なかった事にも出来ないのは明らかだ。
嫌も応も無い。
「うん、いい返事だ。ロウス殿はさぞや自慢だろうな」
「そういえばじぃちゃんの事を領主さまは知ってるんでしたよね」
「恩人だと言っただろう?あの人が居なければ今、俺はおそらくここには居なかったんじゃないかな」
「じいちゃんが」
「そうだ。ロウス殿にとっては大した事ではなかっただろうし、もうお忘れかもしれんが、俺は俺の最期の最期までその恩を忘れる事はないだろう。しかし、話すと長い事になるんで、せっかくの語りを聞き逃す。引き伸ばしてばかりですまないが、これは後の話にしよう」
「あ、はい」
領主は器用に狭い隙間をするりと潜った。
「行くぞ」
ライカも慌てて後に続くが、頭を入れた後に着慣れないスカートが引っ掛かってバランスを取り損なってしまい、危うく頭から地面に突っ込みそうになる。
「せっかくの晴れ着を破くなよ」
領主が軽くその背中を支えると、ふわりと体が反転し、上手くいかなかった体の引き上げが驚く程楽に出来た。
「魔法みたいですね」
その手際に驚いたライカが思わず言うと、領主は笑う。
「そんな大げさなものではないぞ。この世のあらゆるものには釣り合いというか、力の向きというか、そういうものがあるのだが、俺はこの体で過ごす内にそういうものに敏感になってな。なんとなくどこに力を掛ければものがどう動くかが分かるようになっただけだ」
「それって魔法より凄い気がします」
「まぁ便利だがな。おかげでこんな体でも不自由なく動かせている訳だし」
ラケルドは、軽く左右を見渡すと、声を潜めた。
「さて、ここからは静かに行くぞ。見回り連中に見付かったら怒られるからな」
「あ、はい」
先ほど城壁の抜け穴を知った時と同じような気持ちに襲われて、ライカはなんとなく気分が重くなるのを感じる。
どうしても何か間違った事をしているような感じが抜けないのだ。
(だって、悪い事だから見付かったら怒られるんだよね)
心の中ではもやもやするものの、口に出してもラケルドには軽く流されてしまうのは分かり切っている。
自らが行った訳ではない事への罪悪感という複雑な心境は、人の世界で過ごすのがまだ一年にも満たないライカにとって、その気持ちをちゃんと理解して上手く処理しようにも、まだまだ振り回されるばかりの持て余す感情であった。
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