第66話 心配を掛けるという事
「心配したのよ!」
だいぶ遅くなったが、まだ食堂自体は開いている時間だったのでちゃんと謝っておこうと仕事場に顔を出したライカを待っていたのは、怒りの感情を全身から滲ませているミリアムだった。
しかも、なぜか店に祖父がいる。
ロウスがこの店に食事をしに来る事自体は珍しい事ではないし、むしろ毎度の事だったが、もう店じまい間近のこの時間までいる事は今まで無かった。
「あ、ごめん。その、治療所の手伝いに行ってて、事故があったって言われてそのまま手伝いに」
ミリアムの視線の圧力に気押されながら、ライカはとりあえず何をしていたかを説明する。
「崖崩れの事は聞いてるわよ、でもライカは先生の助手でもなんでもないでしょう?のこのこ大変な所について行って何か出来るつもりだったの?」
「に、荷物運びぐらいは」
「そんなの立派な大人がいくらでもいるんだし、あなた一人ぐらい大した助けにはならないわ、違う?」
「うん」
実際、現場でライカの出来た事など居ても居なくても良いような事ばかりだった。
治療の時などは周りでただ見ているだけで、殆ど邪魔をしていたようなものだ。
「私達がどう思うかとか考えなかったの?事故があったって話があって、あなたが約束の時間に来ない。今まで時間に遅れるような事もなかったのにおかしいでしょう?」
「うん」
「あなたが猟の手伝いに行ってるはずがないと思ってはいても、何か届け物とかそんなので巻き込まれたのかもしれない。そんな風に思うじゃない」
ミリアムの指摘に、ライカは意表を突かれた。
まさかそんな風に考えるとは思ってもいなかったのである。
そのライカの顔を見て、ミリアムは溜息を吐いた。
「私達が心配するとは思ってなかったんだ?」
「ごめんなさい」
自分の理解の浅さにライカの気持ちは沈む。
「まあなんじゃ、知り合いがいたんじゃないのか?事故があった場所に」
見かねたのか、単に言葉を挟みたかったのか、ライカの祖父ロウスが、ライカにそう聞いた。
「うん、レンガ地区のノウスン達が怪我して」
「え!」
ライカの言葉にミリアムが声を上げる。
調理場から彼女の両親も顔を出した。
「あの暴れん坊が怪我をしたのか?」
ミリアムの父、大柄で赤ら顔のボイズが問いかける。
「あ、うん。足の骨が折れて、肩を脱臼して、他にもあちこち打ってて。怪我したのみんなレンガ地区のノウスンの仲間達なんだ」
「ライカ、あいつらとは仲悪かったんじゃないの?ううん、まあそれはいいわ。それでどうだったの?生きてる?」
「みんななんとか先生と領主様が治療してくれて、治療所の宿所に入れられた。そこでひと揉めあったけど、とりあえず、死ぬような事はないって」
「領主様が治療?」
「うん、凄い慣れてて手際が良いって先生が感心してた」
「へえ、領主様ってなんでもお出来になるのね」
ミリアムはすっかり感心した風だった。
「そうか、無事なら良かった。足を折ったんじゃさすがの暴れん坊ももう少しおとなしくなるかもしれんしな。あいつの親父さんと来たら心配したり自慢したり、息子のやる事に一喜一憂してるから、あのままじゃ体を壊すと思ってた所だから丁度良いかもしれん」
豪快に不幸な出来事を笑い飛ばして、ミリアムの父は大きな体を揺する。
彼のそういう言動には全く嫌味がないので、こんな時でも周りの人間の気分を明るくする効果があった。
「おやじさんはノウスンのお父さんと知り合いなんですか?」
「おう、幼馴染みたいなもんよ、今は飲み仲間だな」
「それにしても、あの貴族嫌いが貴族だらけの城の中にいると思うと愉快だわ」
「ミリアム、それで一度意識を取り戻した時に揉めたんだから、愉快どころじゃなかったよ」
「やっぱり。帰るとか言って暴れたんでしょう?」
「暴れる前に縛り付けられてた。動いたら足が使えなくなるとかで」
「本当に?それは是非、見に行かなくっちゃ!」
「ミリアム」
ライカは少しノウスンが気の毒になったが、ここへ来る前の騒ぎを思い出して、同情を止めた。
彼がわめき散らした暴言は聞くに堪えないものだったし、自分を治療してくれた相手に対してあまりにも酷かったからである。
「そうだね、一度美味しいものでも持って行ってあげたらいいかもしれないよ」
「ふふ、そうね、腕によりを掛けて美味しいものを作りましょう」
娘の様子を苦笑いして見ていたミリアムの母は、ライカの頭に手をやって、その大きな手で撫でながら微笑む。
「ライカちゃん、ロウスじいさんがそりゃあもう脂汗を垂らして心配してたんだから、今度からはなんかする時にはあたしらはともかくじいさんにはちゃんと言っておくようにするんだよ」
「わしは脂汗なんぞ垂らしとらんわ!」
ぶすっと口をひん曲げて椅子に深深と腰掛ながら、ロウスはちらりとライカを見た。
「わしはお前の気が済んだんならそれでいいんじゃぞ」
「ジィジィごめん、その、俺がやる事で誰かが心配するとか考えた事無かったんだ」
「なんじゃ、お前の育ての親はお前の事をほっぽらかしだったんか?」
ライカは意表を突かれて目を瞬かせた。
「ううん、いつも見ていたから心配しなかったのかな?」
「そりゃまた過保護じゃの」
「そうなのかな?それが当たり前だったから考えた事なかったよ」
ふう、と、ロウスは息をつく。
「やれやれ、すっかり約束に遅れてしもうたな。今夜は帰れんかもしれんぞ」
「ジィジィも約束に遅れたんなら、その人に心配かけてるんじゃない?」
ロウスはライカをまじまじと見ると、ワハハと笑い出した。
「確かにそうじゃな、やれやれわし等は似た者ジジ孫じゃ」
そのまま、ミリアムの母がそうしたように、ライカの頭に手をやると、彼女より強い力で、しかし、痛みを感じるよりも優しくその頭を掴む。
「男の子じゃから仕方はないじゃろうが、あんまり危ない事はするんじゃないぞ?」
「うん、ジィジィ、ごめん、約束してた人にも俺のせいで心配掛けてごめんって言っておいて」
「はっは!彼女は怒った顔も魅力的なんでな、堪能してから謝る事にするとしよう」
笑って立ち上がり、ロウスは店を立ち去った。
「おじいちゃん、つくづく凄いわよね」
「じぃちゃん、かっこいいよね」
ミリアムは眉を潜めてライカを見る。
「どうしたの?」
「ライカ、自分のおじいちゃんだから仕方ないかもしれないけど、見習って良い大人と見習ったらダメな大人がいるんですからね」
「じぃちゃんかっこいいよね?」
ミリアムの言葉に、ライカは確認するように聞いた。
「微妙よ」
「微妙って?」
「あなたが大人になったら分かるわ」
ライカはしばし考えたが、結論は変わらない。
「じぃちゃんはかっこいいよ」
「ライカったら、本当におじいちゃんっ子なんだから。分かりました。ロウスさんはカッコいいわ」
ミリアムは微笑んで肩を竦めた。
「さて、昼間サボったんだから店仕舞いの片付けはちゃんと手伝ってね」
「はい」
ライカは明瞭な返事を返すと、エプロンを取りに店の奥へと向かったのだった。
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