第65話 骨を繋ぐ

 平たい石を敷き詰めて茶色い水で絞った布で拭いた後、その上にライカの持たされていた敷き布を敷き、処置の為の場所を作る。

 横たえられたノウスンは、びっしょりと自分の汗で濡れていた。


「折れた骨を繋ぐのなら下手な治療師より私の方が経験が上だ、安心しろ」


 朦朧とし始めたらしいノウスンに、なぜか領主が請け合う。


「てめ、治療師じゃねぇだろうが」

「大丈夫、心配はいらないぞ」

「心配に決まってるだろ!」


 微笑む領主に、ノウスンは噛み付くように怒鳴った。

 本当は手も出したかった様子だったが、体が動く状態ではないのだろう。

 もっとも、兵士の前でそんな事をしでかしたら大変な事になっていたはずなのだから動けない事に感謝すべきかもしれなかったが。


「領主様」


 療法師の助手のイージィが、そんな領主に声を掛けた。


「治療にお手を貸していただけるのでしょうか?」

「ああ、言った通り、折れた骨の繋ぎ方は慣れている。まぁ自己流だがな」

「力のいる作業ですから、お手伝いいただけると助かります。よろしくお願いします」


 本職である療法師のユーゼイックが真摯な表情で膝を折り、頭を下げた。


「空いている手は全て使えというのが傭兵流でな、こちらこそよろしく頼む」

「領主様!」


 少し離れて、事後処理を指揮していた守備隊の小隊長が咎めるように声を出す。

 それへ領主は手を払うように振って見せた。


「兵士ならば分かるだろう、仲間を助ける為に力を尽くすのは己が誉れであると」

「彼は、兵士ではありません」

「そうだな、守るべき領民であり、今は我が雇用人でもある」


 領主、ラケルドはそう笑ってみせる。


「君達が力を尽くして救ったのもまた然りであろう?」


 兵士は言葉を呑むと、改めて礼をとった。


「分かってはおりますが、我らは貴方様のお手を煩わせないようにこそ在るものです。貴方様が動けば我らが至らぬゆえであると思ってしまう気持ちもお分かりいただきたく」

「君達と私の立場は同じだよ、私を憚る必要はない。共に王の臣下である事に違いはないのだからね」

「王の下での立場は違います。が、民を救う立場は同じと言われるお気持ちは理解出来ます。埒も無き我の言上をお聞きいただきありがとうございます」


 彼は、もう一度礼を取ると、現場の指揮に戻る。


「すまない、待たせたね」

「待ってなんかいねぇ、よ。つっ、先生!こんな奴は放っておいてやるならさっさとやってくれ」


 ノウスンが痛みに耐えかねてか、早急に治療を促してわめく。


「まぁ待ちなさい。とりあえず足の処置から行います。かなりの痛みに耐える事になりますから歯を保護するのと舌を噛んでしまうのを防ぐ為に、はみ板を噛んでいてもらいますよ」

「俺は家畜じゃねぇぞ、そんなもんいらん!」


 ノウスンは顔を反らし、拒絶の意思を示した。

 しかし、にこにこと笑ってはいてもユーゼイックは決して引かない。


「歯がボロボロになったら固形物を食べられなくなりますし、話す言葉も不明瞭になってしまいます。なにより格好悪いですよ」

「てめぇ」


 かなり弱っているはずなのにどこまでも喧嘩腰のノウスンと、それを受け流すでもなくまともに受け答える大人二人。

 普段から飄々としている領主はともかくとして、いつものユーゼイックを知っていると違和感のある光景だ。


「出血と痛みで気を失うと体の力が弱くなってしまうの。だからああやって意識を保たせているのよ」


 困惑して彼等を見ていたライカに、スアンが微笑んで教えてくれる。

 どうやらよほど驚いたような顔をしていたのだろう。


「そうだったんですか。それは?」


 ライカはスアンの手にしている布で包まれた小さな物を不思議そうに見つめた。

 それから何か懐かしい匂いがするのだ。


「患者さんが痛みを堪える時に噛んでもらう物よ。肉桂の木片を布で包んだ物なの。この微かな香りが気持ちを落ち着けるんだけど、これの樹皮は血の流れを良くしてしまうから、内皮より内側の物を使うのよ」


「肉桂……」

「酷い骨折だから治療はどちらにしてもとても痛むわ。体を押さえつける人手を兵士の方から頂けないか領主様に相談してみないといけないわね」


 彼女の言葉に、ライカはしばし考えると、ユーゼイックに話し掛けた。


「先生、治療の事なんですけど、痛みを抑えるのに薬を使っては駄目なんでしょうか?」

「痛み止めが足りないんですよ。それに普通の痛み止めでは役に立たないですし。今、血脈を抑えて血の流れを遅らせているのと同時に少し痛みを伝える部分を抑えましたが、あまり効果は期待出来ないでしょう」

「先生のくださった本にうさぎ殺しの実の事が載っていて」

「ああ、囚人の鎖ですか?確かにあれは麻痺ですから痛みすら感じなくなるでしょうね。しかし、今即興で使えるような安全な薬ではありません。そういえば、丁度その時季ですか」

「はい、そう思ったので。でも危ないなら駄目ですね」

「ぶっそうな話だな。うさぎ殺しといえばうさぎが食ってころりと死んでしまう草だろうに」


 ラケルドが二人の会話に肩を竦めた。

 その手にイージィが茶色の水が入った桶を差し出す。


「松皮を煮出した疫毒避けの薬です。患部を触られるのならこれで手を洗ってください」


 了承の意に軽く顎を傾けて、領主はそれに両手を突っ込んだ。


「葉や花、根、ことごとく猛毒ですが、その実だけは毒が弱いのです。これを食すると全身が痺れて倒れますが、翌日には痕も残らずに回復するので南の方の国で囚人を大人しくさせるのに使っているとか。なので別名が囚人の鎖なのです」

「なるほど、しかしお前達は博識だな」

「先生に本を頂いたので、それを読んでいるだけなんです」

「ほう、本か、凄いな」

「ライカ、彼が暴れると危ないから少し離れていてください。ニクス、クアン、彼の体を押さえていてくださいね、右肩は脱臼しています。触らないようにお願いします」

「先生、添え木をこっちに、私が合図と共に骨を合わせるからその時に固定を頼みます。傷の方はどうですか?」

「しばしお待ちを、イージィ、松脂と蜂巣薬は?」

「あります、どうぞ!」


 ユーゼイックは茶褐色のペーストを受け取ると、既にはみ板を口に銜えさせられて物言いたそうに見ているノウスンの腕の内側に僅かに塗った。

 その部分をじっと見つめ、しばらくして変化がない事を見て取ると、ふっと詰めていた息を吐き、


「それでは始めましょう」


 そう宣言したのである。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ライカは苦しくなるぐらいに詰めていた息を吐き出した。

 ただ見ていただけだったが、全身にぐっしょりと汗を噴出している。

 助手のスアンがなぜかライカにも湿った布を渡してくれた。


「お疲れさま」

「え、俺は見てただけだよ」

「見ているだけでもとても疲れるものよ。私達はよく知ってるわ」


 彼女の柔らかい笑顔が心を落ち着かせてくれる。


「先生はもう別の人の治療に行ってるんだ。凄いや」

「先生は物静かな印象なんだけど、実は情熱家なのよ。自分の力の及ぶ所は全部治療しないと気がすまないの」


 ライカもつられて笑った。


「領主様もタフだよね、もう何事も無かったように竜に乗ってるし、まだ大きな岩をどけるって言って」

「ここいらは火打ち石拾いに子供が来たりするし、危なくないぐらいにしておくんですって」

「ノウスンは寝てるのか気絶してるのか分からないな」

「あの子も大したものよ、結局最後まで意識を保っていたし、でもまだ経過を見てみないと油断は出来ないわ、出来る限りの悪疫避けをしたけど、傷に毒が入ってたら結局足を切るしかないもの」

「そうなんだ。……そういえば、何か傷を塞ぐ時に塗ってたね。松脂はわかったけど、もう一つはなに?あと、先生が怪我をしてない腕にそれを塗ってたのはどうして?」

「あれは蜂巣薬といって、疫魔避けに絶大な効果があるの。元々は蜂が自分の巣を守る為に作ったものなのよ。古い人は蜂の砦って言うわね。昔はとても高価で王様付きの薬師じゃないと扱えないような物だったんだけど、ここは蜂を養ってるから、とても安くで一定量が手に入るの。先生が腕に塗っていたのは薬に過剰反応しないか確かめるためよ。たまに体が薬に過剰反応して、そっちが原因で症状が悪化する人もいるから」

「そうなんだ。薬って言っても良い事ばっかりじゃないんだね。うさぎ殺しも危なくて簡単には使えないって言ってたし」

「そうよ。だから人を治療するにはとても沢山勉強が必要なの。先生なんかまだまだ勉強が必要だって言っているぐらいなのよ」

「勉強か……」


 ライカはふと憧れるように呟いた。


「それにしても蜂の巣にそんな効果もあるなんて知らなかった。蜂を飼っている人の話は聞いた事あるけど、すごく大切な仕事なんだね。ええっと、養い蜂だっけ?」

「言葉を分けずに養蜂って言うんですって。ここで作られた新しい言葉ね」

「へぇ、蜂を飼っているのはクマみたいで面白い人だって聞いたけど、どんな人なんだろう?」

「さぁ?私も会った事ないのよ。森に住んでるんですって」

「森に?そういえばじぃちゃんも俺が来るまで森に住んでたなぁ」

「そうなんだ。おじいさんってロウスさんでしょう?ライカが来てくれているおかげでロウスさんが相手をしてくれるお礼だって色々助けてくださってすごく助かってるの。この間は棚をとっても便利に作り変えてくれて」

「本当に?知らなかったや、今度見せてもらっていいかな?」

「ふふ、先生に聞いてごらんなさい」


 周囲はほとんどの怪我人が治療を終わり、搬送を待つ状態となっていた。

 無事だった街の人達は先に街へと戻され、駈け付けた警備隊が(どうやら今回の狩りに出ていたのは守備隊だけだったらしく警備隊は誰もいなかった)道を開いて、馬車を通す手はずらしい。

 見ているだけで血の気が引くような、ノウスンの大掛かりな治療も終わり。

 領主ラケルドの、


「この位置でこの折れ方なら繋がる、大丈夫、心配するな」


 という、根拠は分からないのに何故か人を安心させる言葉でやっと落ち着いたノウスンの仲間達も、眠っている彼の邪魔にならないようにか、やや離れた辺りで固まって様子を見ながら話をしていた。

 だが、続けて、


「肩の方は今後時々抜けるかもしれんぞ」


 と、ぼそりと呟いたのを聞いたのは、おそらくライカだけだったろう。


「あ、無断で休んだからミリアムに怒られるかも」


 安心した途端、色々あって忘れていた仕事の事を思い出して、ライカは一人頭を抱えたのだった。

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