第67話 花のような人

 遥かに見える天牙の山々が白い衣を纏い、吹き降ろしてくる寒風が人々の体を硬直させるようになると、街でも城内でも冬支度が急がれるようになる。

 冬の最も恐ろしい時期、神呼びの季になれば井戸や水路は枯れ果て、夏前の嵐の時期に劣らぬ強風が吹きすさぶ事になるのだ。

 瓶に水を一杯に溜め、その水を腐らせない澄み石を入れ、家の隙間という隙間に乾いた水苔や練った粘土を詰める。

 保存食を作る為に塩を求め、軒先に果物や葉物の干し物をして、僅かな肉や魚を城に持っていって燻製にしてもらう。

 当然、日々の仕事も当たり前にこなしながらの作業になるので、日頃家の事なぞに構わない男衆も、奥さんに尻を叩かれながらお使いをさせられていた。


「ここだって暇じゃないし、むしろ冬場は体調を崩す人が多くなるからそれに備えなきゃならないんだそうですよ、そういう事でみんな忙しいんだから、いい加減我侭を喚くのを止めたらいいんじゃないですか?」

「忙しいなら尚更俺を家に帰せって言ってんだろ?頭が腐ってんのか?てめぇは」

「頭がまともに働いてないって意味なら間違いなくあなたの方が疑わしいと思いますね」

「なんだと、てめぇ!そもそもなんでミリーのアマがここに来んだよ?ああ?てめぇがしゃべったんだろうが!」

「ミリーって誰ですか?」

「ミリアムのこったよ!あいつ時々顔を出しちゃ俺を笑って行くんだぞ!」

「ミリアムは心配して来てくれているんでしょう?ここだと他の病気の人に合わせて味の薄くて量の少ない食べ物しか出ないからって、美味しいご飯まで持ってきてくれてるのに、それを悪く言うなんて」

「てめぇ、分かって言ってるだろ!あいつは俺を笑いに来てるんだよ!食い物だって縛られてて自分で食べられないのが分かってるからわざわざ運ぶのに手間がいるスープなんぞ持ってきやがって、『いい子だから口を開けて?』とかぬかしやがるんだぞ!」

「他人の好意をそんな風に曲解するなんて、あなたの悪い所は足だけじゃないと思いますね」

「ぐだぐだうるせぇよ!とにかくこれを解け!」


 あまりに騒ぐのですっかり離れの部屋に隔離されてしまったノウスンは、吊り下げ人形のように布のロープで固定されてしまっている四肢を顎で指して、あくまでも要求する。

 あれから初霜を見て季も変わったというのに、その諦めの悪さはある意味尊敬するべきかもしれなかった。

 なにしろもう指折り数えるのも無理なぐらいに脱走騒ぎを起こしているのである。


「とりあえず叫び疲れたでしょうから水を飲みましょうか?」

「てめぇ、覚えてろよ」


 ライカは肩を竦めてみせると、患者の水呑み用に葦の茎を指し口に加工してある水差しを手にした。


「良かったら私が代わりましょうか?」


 突然、仕切り布の向こうから笑い含みの声が響く。

 途端にノウスンの顔が強張ってさぁっと紅潮した。

 冬場用の分厚い仕切り布を避けて、顔を出した女性は、挨拶に少し首を傾け、微笑んだ顔を室内の二人に見せる。


「無作法をしてしまってごめんなさい。失礼して入らせてもらっていいですか?」


 既婚女性である事を示す、片側にひと房流した仄かに赤み掛かった金色の髪が艶やかにその胸元を飾り、やや濃い菫色の瞳が穏やかさを浮かべていた。


「フォス」

「セヌのお母さん」


 その女性は、人間の美醜に疎いライカでさえ、高原に咲く花のようだと思うような人だった。

 それは、その容姿が美しいというだけではなく、常に真っ直ぐな姿勢と優雅な動作を自然に行っているせいもあるだろう。

 ただ、過去に大怪我を負った人の常として、動きの中に時折一点の染みのようなぎこちなさが見えるのが、却ってその非道な行いの残酷さを際立たせていた。

 領主のラケルドのように派手な不自由さではないので、普段は注意していないと気付かないようなものではあるが、余りにも全てが整っているが為に、その時折見える傷にハッとさせられるものがある。


「ノウスン、あまり我侭を言っては駄目よ」


 彼女は、気楽な調子で寝台に縛り付けられている少年に語りかけた。

 まだ入り口に立ち尽くしている姿を見て、ライカは慌てて彼女に入るように促す。


「椅子をどうぞ」

「ありがとう。ライカ、いつもうちの子のお守りをしてもらっているのに、ノウスンまで面倒を掛けてごめんなさい」

「なんで城になんか!」


 ライカの勧めに、礼儀正しい彼女は中に入る事に少し躊躇を見せたが、ノウスンが入室の許可を出せる程に落ち着いてない事を見て取ると、ライカに礼をして中へと入った。


「ノウスンが寂しいかな?と思って、それとみんな心配してる事を伝えにね」


 膝を曲げるのが辛いのか、横から倒れ込むように椅子に座ると、手に持った蔓草を編んだ籠を開く。


「ほら、あなたの大好きなお芋と甘草の煮込んだのを持ってきたのよ。とにかくまずは水を飲む?」


 白い、しかしいかにも畑仕事や家事で酷使されている荒れた手がライカから水差しを受け取ると、ノウスンの枕元に近付き口元にほぼ強引に寄せられた。


「ちょ、待て、ライカ!これ、手を解け!逃げねぇから、親と名に誓って!」


 ライカは、二人の様子をニコニコと眺めていたが、ノウスンの言葉に頷いてみせる。


「誓いを破るような人間はリーダーにはなれないからね」


 そう言って、暴れれば暴れる程きつくなる縛り方のロープを、ライカは頭を捻りながら解き始めたが、すぐに分からなくなったのか唸り始めた。

 その様子に、今にも噛み付きそうなノウスンを置いて、セヌの母である女性は笑いながらそれを手伝って器用に解いてみせる。


「凄いですね」

「最初から辿っていけば自ずと解き方は見えるものよ」


 二人掛かりでやっと解かれた両手をさすりながら(といっても先生が注意しているので痕が付いたり血行が悪くなったりはしていなかった)ノウスンはほのぼのと自分を見ている憧れの女性を注視した。


「大丈夫なんですか?その、城の中なんかに来て」


 気まずそうな彼が何を言わんとしているかに気付いて、彼女は目元を緩める。


「怪我はいつか癒えるものだわ、あなたの傷と同じよ。私は目の前の物から顔を背けるようにはなりたくないの。だって、怖い物を見ないようにすればする程もっと怖くなるものでしょう?」


 さらりと、柔らかなうなじの後れ毛が肩を流れ、影のない微笑みを見せた。

 穏やかだが、決して淀む事のない言葉が、聞く者の胸に強く響く。


「はい、お水。カップに入れたわよ、自分で飲みたいんでしょう?意地っ張りなんだから」

「あ、すみません」


 そのノウスンの幼子のような様子に別人のようだとライカは思い、口元にその思いが表れていたらしい。

 ノウスンはちらりと目を向けると、セヌの母に気付かれないように瞬間的にライカを睨んだ。


「ノウスン、他の子は怪我を治して帰って来たのに、あなたが大人しく治療を受けないで怪我が治るのが遅くなっているって聞いて、みんなすごく心配しているの。あなたはずっと強くて、他人を助ける立場でいたから他人の手が必要な状態が受け入れられないんじゃなくって?」

「そんな事は、ただ、こんな城の連中の世話になんか」

「あなたが怒っているのは誰の為?あなた自身の為ではないでしょう?私達の為?」


 ぐっ、と、言葉に詰まって、それをごまかすようにノウスンは一息に水を飲んだ。


「私達は、おじいさまと私はあの時、戦いに勝ったと思っているの。自分の国を守りきれずに見捨てて逃げてきてしまった私達だけれども、ここで私達は居場所を守り抜いたわ。それで負傷したからといってそれを悔やむつもりはないの。私はあの時の事を誇りに思ってはいても誰も憎んではいない。だから貴方も私を哀れまないで欲しいの」

「哀れんだりとか、していません!」

「それなら、この城の人たちをむやみに憎む理由はないはずよ。ちゃんと治療して、頼れるお兄さんとして私達の子供達の所へ帰ってきて頂戴。それとも」


 彼女はふと、悪戯っぽく笑う。


「治療費の事を心配しているの?そうね、私達はお金をあんまり持ってないし、いっぺんに払えないかもしれないけど、時間を掛ければちゃんと払えるわよ」

「治療費は、労働で返せと言われているから大丈夫です」


 ノウスンは顔を真っ赤にして答えた。

 彼が最初に先生に投げた言葉が正に「金なんかないぞ!」というものだったからである。

 そもそも本来は領主が払うという話で、ノウスンも納得していたはずなのに、仕事分以上の施しは受けないとか言い出して、ごね始めたのだ。


「俺と一緒に働けるか!ってそれでまた暴れたくせに」


 ぼそりと、ライカが付け足した言葉に、ノウスンがジロリと再び睨みを入れる。


「ふふ、いいわね、男の子ってそうやって張り合える相手がいて」

「い、いや、フォス、こいつとはそんなんじゃない。こいつとしゃべってると一々イライラするんだ。大体こいつなんかと大事な子供達を付き合わせるのはもうやめた方が良いんじゃないか?絶対変な影響を受けるぞ」

「あら、ライカは礼儀正しいし、約束をきちんと守ってくれる良い子よ。あなたと一緒」

「冗談でもやめてくれ」


 がっくりと、ノウスンは肩を落として寝台に縋った。


「ノウスンは照れ屋なんじゃないでしょうか?他人と仲良くするのが恥ずかしいんだと思いますよ」

「てめぇは黙っとけ」


 地を這うような声でノウスンはライカを遮った。


「まあ、ノウスン。そんな言葉使いをして。はい、ちょっと冷えてしまったけどいつもの味のはずよ。あなたのお母さんと一緒に作ったの」

「……いただきます」


 実りへの感謝を口にして、煮込みを黙々と食べる姿を見ながら、セヌの母は半ば自分に言い聞かせるように言葉を綴る。


「私達は深く傷付いた時に一人であればそのまま身動きも出来ずに死んでしまうしかないわ。でも私達は一人ではないの。だから私は今生きているのよ。誰かを信じる事はとても怖い事でもあるかもしれないけれど、それはとても大切な事だと思うわ」


 ノウスンは何も答えず、ただ器から彼等の親達が貧しい食事をなるべく美味しくしようと工夫して作った、馴染んだ味を口に運び続けた。

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