第54話 金香花

 ノッカーの軽やかな音が響き、室内から少年らしい元気な声が応える。

 彼女がドアを開けて中へと入ろうとした時、ふわりと独特の香りが、まるで形ある何かのように自分を押し包むのを感じた。


「あら、これって金香花よね?」


 その声に、恐らく直前まで枝から花を取り分けていたのであろう少年がにこりと笑顔を向ける。


「ああ、そういう名前なんですね。凄く香りが強かったんで今朝方採って来てしまったんです。今日の行列に撒こうかと思って」

「まぁ」


 女性はクスクスと笑い出した。


「駄目だよ、ライカちゃん。迎えに花は歓迎ってことだけど、送りに花は、まるで追い出してるようじゃないか」

「あ、そういう事になるんですか」


 ライカは全く思いもよらなかったようで、小さく唸ってしまう。


「竜が喜ぶかと思って」


 その残念そうな顔を見て、彼女、リエラは同情したようだった。


「竜ねぇ、男の子って竜とか大きい動物が好きだよね。うちの子なんかも馬!とか竜!とか大騒ぎでね。そうだ、ライカちゃん、それは竜の世話をしてる人に渡せばいいよ。きっと喜ぶからさ」

「あ、そうですね。そしたら早く行った方がいいのかな?」

「そうね、私等は子供連れだからゆっくり行くから、ライカちゃんは先に行って、出発前に渡しておいでよ」

「はい、すみません。ありがとうございます!」


 ライカが慌てて花片を編み籠に詰め込むのを見守りながら、ライカの隣に住む若い母親であるリエラは、感慨深い思いを表して呟いた。


「そうか、もう金香花が咲いてるんだね。夏も終わりか、あっという間だったね」

「夏の終わりに咲く花なんですか?」

「ああ、雨が降り始めてその雨の向こうからその花の香りが漂ってくるんだよ。だから香りはすれどその花がちゃんと咲いてる所は中々見れないんで香りの花って呼ばれてるのさ。雨に打たれたら散ってしまうからね」

「じゃあ俺は運が良かったんだ」

「まだ蕾が多いし、よっぽど鼻が良いんだね」


 リエラの言葉にライカは少し照れたように笑う。


「よし、と。ジィジィ!行ってくるね!」


 準備を終えて、ライカは奥に寝ている祖父に声を掛ける。「ああ」とも「うう」ともつかない声がそれに返事を返した。


「全く、良い年のくせに」


 リエラは呆れたようにそう言うと、ライカに向かって手招きをする。


「ライカちゃん、これ。途中で食べておいき」


 その手には、幅の広い緑の葉に包まれた物が三個程あった。


「あ、ありがとうございます」

「簡単なおやつだから大してお腹は膨れないけどね、後で行列を見終わったら泉の所でみんなでちゃんとお弁当を食べるから」

「リエラさんの料理美味しいから楽しみです」

「期待してて良いよ、腕によりをかけたからね」


 ドアを閉めて、手を上げて挨拶を交わすと、ライカは彼女と別れ、急いで街の門へと向かう。

 王の一行の出発は六刻の予定なので、五刻になったばかりの今ならまだ十分間に合うはずだが、彼等にも準備があり、あまり直前に行っては迷惑になるはずだ、ともライカは思った。

 とは言え、そういう気遣いはあるのだが、ライカの中に一般人が行っても追い返されるかも?という心配はあまりない。

 そもそもが身分差というものをライカがまだよく呑み込めてないという事情があった。

 なによりこの街の一番偉いはずのが人間が気安すぎるのも、ライカが身分について理解を深められない一因だろう。


 ライカは走りながら先ほどリエラから貰ったおかしを開いてみる。中に淡い黄色の柔らかな物が入っていた。


「あ、ねったくりだ」


 時々隣からお裾分けを貰っているライカにはその正体がすぐに分かった。

 それは簡単に作れるとかで、お隣のおやつによく登場する物で、芋をふかしてひたすら粘りが出るまで練って作るお菓子である。

 それゆえに、これは「ねったくり」という身も蓋もない名前で呼ばれていた。


 ライカはこの素朴な味わいの単純なお菓子が好きだったので、嬉しくなる。


「じぃちゃんに一個取っておこう」


 ライカは呟いて、服の隠しに一個を入れた。

 ライカの祖父ロウスは、歯にくっつくと文句を言いながらも、これを舐め取るぐらいに綺麗に食べる。

 それを知るライカは、せっかくだから祖父にも喜んで貰いたいと思ったのだ。

 一個を少しずつ口に入れながら進むと、やがて街の門に辿り着く。まだ少し早いので外へ出る人はそう多くはないようだった。


「坊主、見送りか?まだ一刻ぐらいあるぞ」


 警備隊の検問の兵が慌てて走って来た少年をからかうように声を掛ける。

 ライカはその相手になんとなく見覚えがあった。

 しかし、風の隊か水の隊の誰かだろうか?と思いはしたが、はっきりと覚えてはいない。


「あ、はい。ちょっと届け物があるので」

「届け物?おいおい、今時分来て、許可貰ってるのか?」

「あ、いいえ」


 そういえば前に注文品を届けた時は事前の連絡があって、入れて貰えたのだ。

 王様が滞在していた時の城の警備を考えれば、入れて貰えない可能性も大きい。というか入れて貰えないだろうと、さすがのライカも思い至った。


「全く子供ってのは無茶だな。なんだ?食い物の差し入れ?」

「いえ、あの、竜に金香花をあげようと思って」

「なんだ、王様じゃなくて竜にか」


 兵士はゲラゲラ笑い出す。

 もう一人一緒にいた兵士も声は出さなかったが、後ろを向いて肩を震わせている所を見ると、笑っていたのだろう。


「駄目でしょうか?」


 実は先日、白い女性竜フィゼを訪問した折に何も贈り物を届けられなかったので、せめてもと思って早朝、暗い内に山から採って来たものだった。

 張り切っていただけにライカはがっくりと意気消沈する。


「ああっと、そうだな」


 その様子に、笑った事を悪かったと思ったのか、兵士は笑いを引っ込めて考え込んだ。


「う~ん、とりあえずあちらさんの衛兵に言ってみてはどうかな?明らかに無害な物なら引き受けてくれるかもしれんぞ、中に入るのは無理だろうが」


 その言葉に、ライカは勇気付けられたようにうなずく。


「そうですね、分かりました。教えてくれてありがとうございます」


 ライカは一礼すると、門から出て、先を急いだ。


「おお、でも無理だったら諦めろよ、あちらさんも忙しいからイライラしてるかもしれんからな」

「はい」


 長く編んだ髪をなびかせて去って行くその後ろ姿を見送りながら、相手をしていた兵士は関心したように呟いた。


「しかしまぁ、上品な子だな。言葉使いとかこの街の子供に思えないぜ」

「ほら、あの子だろ。聖王家の隠れ里で育ったっていう」

「ああ、あの大工のじいさんの孫っていう子か、確か市場の食堂で働いてるんだよな」


 いつの間にか本人の知らない内におかしな噂が確定事項になっていたが、それなりにライカも有名になっているようである。

 元々彼の祖父がなにやら色々と有名であるし、他に話題のない小さい街の事だから当然といえば当然な成り行きだったのかもしれない。


 警備兵に見送られてからしばらく歩いて王様の一行の滞在場所へと辿り着いたライカは目を丸くした。

 あれだけあったテントがすっかりなくなり、代わりにどこから出てきたかというぐらいの人と馬が行き交っている。

 あまりにも雑然としていて検問も何もあったものではないが、それでも歩哨は立っていた。

 彼等は小さな籠を抱えて突っ立っている少年をジロジロと訝しげな問うような顔で見ている。

 ライカはそのまま歩哨の一人に近付いた。


「何か用か?言っておくが出立はまだ先だぞ」

「あの、実はこれを」


 そう言ってライカは籠の中に溢れんばかりの小さな金色の花を示した。

 少し動かしただけで強い香りがふわりと巻き起こる。


「花?頼まれか?もう届け物の予定はないはずだぞ」

「いえ、この先荒地を越えて戻るのに竜が苛立たないようにと思って、香りの強い花を持って来たんです」

「竜に?か?」


 歩哨は何か変な味の物でも呑んだような顔をしたが、だからと言ってすぐさま跳ね除けるような事もしなかった。

 実は竜の制御は常々この一行の頭の痛い所で、特に雌竜の扱いには手を焼いているのだ。

 そして、竜が香り高い花を好むのは良く知られた事なので、この少年の言葉に一考の価値はあると思ったのである。


「隊長に伺いを立てて来る、待っておれ」


 彼は同僚に合図をすると、喧騒漂う陣中に入って行った。

 残った方の歩哨は、物珍しそうに籠の中の花と少年を見ている。


「お揃いだな」


 一人でいるせいで気を抜いたのか、彼はライカにそう話し掛けた。


「え?」

「花とお前の目と髪の色が似てる」


 ニヤリと口の端を上げて、彼は指摘する。

 そう言われてみれば、確かにその色合いは似ていた。

 しかも、本人は気付いていないが、ライカの髪にはいくつかその花が付いてしまっている。

 言われた方のライカは、さすがにどう返していいか戸惑った。

 褒められた訳でも注意された訳でもない。

 困惑の内に、ライカは花と兵士の顔を交互に見て、ええっと、とか呟く。

 歩哨の男にしても別に何かの会話を期待していた訳でもなく、単に指摘したかっただけらしく、その後は口をつぐんでしまった。

 おかげでライカはもう一人の歩哨が戻るまで、ひたすら困惑する羽目に陥ったのだった。


 幸運な事に困惑が気詰まりに格上げされる前にもう一人の歩哨の兵は戻ってきてくれた。


「よろしい、預かろう。貴殿の名前は?」


 (きでん?)という疑問が頭をよぎったものの、自分の名前を問われているのだという事は理解したライカは、名前を告げる。


「ライカと言います」


 歩哨の男はうなずくと、籠を受け取った。

 巻き上がった香りに鼻をひくつかせ、彼は丁寧な手つきで籠の中を探り、どうやら戻る時に連れて来たらしい、武装していない男にそれを手渡す。


「確かに預かった」


 簡潔な言葉で終わったが、その先があるようでも無かったので、ライカは彼等に礼をしてその場を後にした。

 ライカとしては自分で直接花を渡せなかったのは心残りだが、決まり事だと思えば仕方がない。

 親切な人達に助けられてとにかく渡す事は出来たのだから幸運だったのだ。そう思って、二つ目のねったくりを口に入れて感じる甘みに元気を貰った。


 気を取り直したライカは、まだ十分時間がある事から、街に帰りがてら食用や薬用に使える生命力の強い夏の草花を検分しながら、待ち合わせの門前にゆっくりと引き返したのだった。

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