第53話 井戸端会議

 広々と、殆ど空中庭園と呼べる程に広々と作られたテラスから北西の山腹に続く鮮やかな花々の共演を見渡せる。

 それは周囲の森の緑とも相まって現実とは思えない程に美しい眺めだった。


「この城を作った父親は、死に逝く娘の為にこの部屋を整えたという事だが、なるほど、この世ならざる場所を先に目にさせる事で恐怖を憧憬にすり替えたという訳か」


 手にした、毎朝の日課として用意される薬杯を掲げて、夏とは言え、高地ならではの冴え冴えとした空気をその手に纏わせながら、この部屋の現在の賓客である国王は、何かに誓いを捧げるかのごとく杯を干す。


「喜びの野がこのように美しい場所ならば、死もまた決して悲しむべき事ではあるまい。そう、いつか語り手が詠ったように、罪無き者に恩寵を、罪は剣持ちし我が手に。と、な」


 彼はどこか皮肉げに、一人口元を歪めて笑ってみせた。



 ― ◇ ◇ ◇ ―



 ライカは井戸端で順番待ちをする子供や女性達の噂話に耳を傾けた。

 おそらく街で一番情報が集まるのが早いのがこの場所だろう。


「それでね、王様はお城で一番良いお部屋をお使いになっていらっしゃるんだって」

「そりゃそうだろ?当然過ぎて話題にする気にもならないね」

「でも、そのお部屋ってのが今まで封印されてたお部屋で、そりゃ見事で溜息が出るようなお部屋なんだって。お城の買出しの連中が、その部屋の掃除が出来て夢のようだったとか浮かれてたっていうからさ、どれだけ凄いんだろうって気になってね」

「へぇ、そりゃ凄いね。封印されてたって事は領主様はお使いになられてないのかい」

「まあうちの領主様だからね」

「落ち着かんとか言って嫌がりそうだね」


 言い合って、彼女達は声を合わせて笑った。


「領主様は無駄遣いしないもんな。おいら、先の年にさ、領主様とお話した事があるんだけど、領主様のマントって壁布の残り生地で作ったんだって」


 傍らの男の子が、ここぞと自分だけが知っていると自負している情報をひけらかして見せる。


「しかしそりゃまたいくらなんでも体裁が悪い話じゃないか、他所の人の前でその話は出来ないねぇ」


 薄く笑って言う体格の良い女性の口ぶりに、何かを感じたかのように男の子は口を押さえた。


「あ、そういえば、これって内緒だって領主様に言われてたんだ」


 またも女達がクスクスとさざめくように笑う。


「領主様との約束を破ったなんて警備隊のお人に知れたら牢屋に入れられるかもしれんね」

「ほんとにねぇ」

「ええ~!うっかりしてたんだよ、頼むよ、内緒にしてくれよ」

「さぁどうしたものかね」

「ねぇ」


 からかう女達に、男の子は顔を赤くしたり青くしたりしながら唸ってみせた。


「大丈夫だよ、警備隊の人は優しいから、謝ったら牢屋に入れないでいてくれるよ」


 見かねたライカは笑って助け手を入れる。


「本当かよ!そん時はライカが口利いてくれるんだろうな」

「自分で謝らないと許してくれないかも」


 ライカは笑顔のままでそう懸念を呈した。


「もう、信じらんねぇよ、みんな」


 がっくりと肩を落とす男の子に、周囲は微笑みを零す。


「ほらほら、順番だよ、はよ水汲んで帰らないと帰りの行列を見逃すよ」

「わかってるよ、全くもう」


 男の子が爪先立ちで井戸から桶を巻き上げるのを微笑ましく皆で見守る。

 彼は最近母親の代わりに水を汲みに来るようになった子で、先輩達に助けられたりからかわれたりと何かと話題を提供していた。

 ライカも最初の頃は自分がそうだったので、少し先輩気分を味わえて、それを楽しんでいるのである。


「後で一緒に見に行く?」


 水を桶に汲み終わった男の子にライカが声を掛けると、彼は今までのちょっとした成り行きを忘れたように顔を輝かせたが、直ぐに思い直して首を振った。


「う~ん、いいや。俺は父さんと母さんと行くから。うちの二人、のんびりしてるから俺が付いてないと見物に間に合わないかもしれないしな」

「そっか、ベニンは親孝行だな」

「よせやい、親がぼやぼやしてると俺が恥ずかしいから世話を焼いてやってるだけさ」


 褒められると照れる年頃なのか、ベニンと呼ばれた少年は肩を竦める。

 ライカとしてはそういう微妙な心理が分からないので、その言葉を真に受けて「しっかりしてるなぁ」と更に呟いた。

 女達はその子供等のやり取りをにこやかに眺めていたが、男の子が上がり口を降りると、次の順番の女性が水を汲み上げ始める。


「ライカちゃん、振られちゃったね」

「あ、そうですね。やっぱりご両親にはかなわないから」


 真面目にそう返事するライカをひとしきり笑うと、そのライカの前で番を待っていた女性が片目を瞑ってみせた。


「なんなら私とどうだい?」

「また、抜け駆けをして、当然この頼りがいのあるリエラおばさんが良いだろ?ライカちゃん」


 逞しい女性達に囲まれて、ライカは困ったように首を傾げた。


「でもみなさんご家族と行かれるんでしょう?」

「なに、みんなで行った方が楽しいから構わないよ、お弁当をライカちゃんとこの分も作ってあげるよ。おじいさんはいるのかい?」

「じぃちゃんは俺が出て来る時はまだ寝てましたから、でも見物には行かないって言ってました」

「まぁまぁ、二日酔いじゃないのかい?」

「いえ、じぃちゃんは酒で具合が悪くなる事はないって言ってました。なんかあんまり寝ずに頑張ったから疲れたとか」


 ライカの最後の言葉を聞いて、女達はひとしきり大きな声で笑った。


「ったく元気なじいさんだね、ライカちゃんは真似しちゃ駄目だよ」

「あたしはちょっと羨ましいけどねぇ」

「あんたん所の旦那はもう搾り取られてカスカスだもんね」

「言ったね、そういうあんたの旦那はどうなのさ?こないだ若い女に色目使ってたじゃない?」

「なんだって?どこでだい?ちょっと詳しく聞かせとくれよ」


 女達の話題の大半はライカにはさっぱり分からない内容で、ライカは自分の勉強不足に溜息を付いた。


(やっぱり女性には女性しか分からない隠語というのがあるんだろうな)


 先日守備隊の隊長から聞いた身内だけで通じる言葉というのが思い起こされる。

 集団が形成されると自然にそういう差別化が生まれるのだろうと、ライカは思っていた。


「おじいさんが行けないなら尚更、人が多い方が良いよ。うちの子もライカちゃんに懐いてる事だしね」

「あ、はい。リエラさんのお裾分けしてくれる料理、凄く美味しいですから楽しみです」

「じいさんと違って食い気が先立つのは子供らしくて良い事だよ」


 揉めてたはずの方向から合いの手が入る。


「じぃちゃんもリエラさんの料理を美味しいって言ってましたよ」

「まぁ優しいねぇ」

「ほんとほんと、あの不良じいさんにはもったいない孫だよね」


 ベニン少年が抜けた後、さすがにライカも女性の集団と相対しているのが居心地悪くなって来ていたが、会話に加わった以上は中々抜け出せないのが井戸待ちの性質だ。

 しかもリエラは隣の家の住人で、何かと交流があるのでライカに気さくに声を掛けてくれるのである。


(でもお弁当は本当に楽しみだな)


 緊張と恥ずかしさと戸惑いを飲み込みながら順番待ちの間の会話を続けるライカだったが、そこだけは嬉しかった。


 彼女等がずっと話題にしているのは、今日の朝方に出発する王様の一行の行列の見物の事である。

 行列なら来た時に見たのだから帰りは良いようなものだが、やはり珍しい物は何度も見たいというのが娯楽の少ない僻地の住民の正直な所で、しかも城からはなるべくお見送りをするようにとのお触れもあり、住人達は数日前と似たような盛り上がりを見せていた。

 いつもほとんど自由に出入りしていた城門が閉ざされているのがやや不便だが、彼等には警護の人間が危惧する程には王に対する不満は無い。

 諸々な理由で貴族嫌いが多いので有名なこの街だが、王となればそこは単なる貴族とは違う意味での畏怖があり、一方で国の要である相手に対する期待もある。

 王が街に軍勢を滞在させなかった事も好感を得た一因でもあっただろう。

 もし、権力を持った王の家臣が大勢で市井の民の生活空間を占拠すれば、たちまちに人は反感を抱く。

 それを見越したかどうかは庶民の側からは分からないが、そこに彼等は配慮を感じ取っていたのだ。

 今回の巡幸で、王その人が知らずとも、それは一つの見えない成果ではあった。


 やっと回って来た自分の順番に話の輪を抜け出して、ライカは家の分の水を汲みながら、月夜の白い女性竜との記憶を想った。

 色々とからかわれたものの、あの女性が去ってしまうのは寂しい。

 それに一度くらい彼女の憧れだという、城のアルファルスに会わせてあげたかった。

 しかし、今はそういう巡り合わせの時期ではない事はライカにも分かる。

 何事にも時があり、そこに至らなければ巡って来ない機会があるのだ。


「でも、いつかまたそんな時が巡って来るのかな?」


 ライカの、自分でも理解出来ない意識の奥の部分では、彼等の巡り会いの時は互いに一瞥を交わしただけの過去の一瞬に過ぎてしまったのだという事を察していた。

 なにより、どちらもその再会を実の所望んでいないのかもしれない。

 思い出は決して変わらないが、生きている限りそれぞれの在り方は変わっていくものなのだ。


「ライカちゃん、後で迎えに行くからね」

「あ、はい」


 リエラの言葉を横顔で受けて、一方で巨大で近しい者達を想う。


「アルファルス。また会って話がしたいな」


 ライカはそう心の中で呟くと、女性達に挨拶をして、普段手伝うミリアムの店のものに比べれば格段に軽い自宅用の桶を両手に持ち、一人家路を急いだのだった。

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