第52話 傭兵上がりの男

「王様なぁ、明日には帰るらしいぜ」


 テーブルに足を上げ、椅子を斜めにしてバランスを取りながら思いっきりくつろいでいる男が、なんでもない事のように告げた。


「慌しいですね。たった三日、しかも一日全部ゆっくり出来るのって今日ぐらいでしょう?景色眺めたりとか狩りを楽しんだりとか出来るのかしら?」


 ミリアムはそんな男のごわごわの木の皮のブーツをばしっと叩きながら小首を傾げてお城の中の人々の事に思いを馳せるように言う。


「んな事やんねぇだろ?あんなお偉いさんが一歩外に出ればそれだけで軍隊みたいな兵が大げさに動かなきゃならねぇんだぜ?その王様ってのがまともならそんな馬鹿げた事なんざやらねぇさ」


 叩かれた事を抗議するようにちろりと睨んだ目をまともに強く見返されて、男は渋々テーブルから足を下ろした。


「王様も大変なんですね」


 人間の、とは頭に付けずに、ライカは感心したようにそう応える。


「けっ、少なくとも食い物や寝る場所の心配なんざした事もねぇような奴らの苦労なんざ知ったこっちゃねぇさ」


 足が下ろされたテーブルをライカが素早く拭き上げ布で拭き、そこへミリアムが料理を下ろした。

 別に打ち合わせた訳ではないが、見事な連携で流れるように給仕が行われる。もはや長年培われたものかのように二人の息はぴったりだった。


「あ~飲み屋じゃなくて食い物屋には初めて来たが、やっぱお上品な雰囲気だな、俺には向いてねぇぜ」

「ただで飲み食いするのに文句を付けるような人に向いていても困るわ」


 男は喉の奥で愉快そうな笑い声を響かせると、ミリアムの腰から太股までをさっと撫でる。


「ちょっと、なにするの!」


 ミリアムはそれでも料理をこぼさずに並べると、そのままの手で男の顔を払った。

 男は軽くその手を右手で止め、彼女の細い手のひらをぎゅっと握り込む。


「いいね、俺は気が強い女ってのは結構好みでね。どうだ?今度ゆっくり付き合わねぇか?そこらの男なんか地面の下のミミズ程度に見えるお楽しみを教えてやるぜ」

「ウリックさん」


 ライカが見かねて声を掛けた。


「女の人を困らせるような事をするのは凄く格好悪いですよ」

「なんだ坊主焼き餅か?憧れのお姉さんって感じか?」


 何を言われても全く悪びれない男に脱力しながら、ミリアムはやんわりと自分を掴んでる手を解くと、にこりと笑ってみせる。


「本当に格好悪いですよ、おじさま」

「なんだと!俺は今が男盛りだ!おじさん呼ばわりされる覚えはねぇぞ」

「とにかく、うちのライカが困ってた所を助けてくれたというんで、お父さんも腕を振るったんですから、冷めない内に食べてください」

「ふうん?」

「さっき、食うに困った事がない人の心配なんかしないって言ってたでしょう?そう言うからにはおじさまだって飢えた事があるんですよね?うちのお父さんとお母さんは、どんな貧しい食事しか出来なくても食べる楽しみを味わえるようにって、この食堂を始めたんです。だからここは気取った店なんかじゃないわ。貧しくても、何かを楽しむ事を忘れない為の場所なの。だからテーブルに足を乗せるのは困るけど、寛いで楽しんでもらいたいの」


 顔を上げて、真っ直ぐに見つめる少女の言葉に、何を思ったのか窺えない不敵な表情のままで、しかしその男、人夫頭のウリックはおとなしく肩を竦めて見せた。


「分かった分かった。まぁ確かに俺は飯を食いに来たんだ、今日はそっちで楽しませて貰うさ」


 はぁと息をついて厨房前に戻ったミリアムに、ライカが申し訳なさそうに謝った。


「ごめんミリアム、嫌な思いをさせちゃって」

「大丈夫よ、傭兵上がりの男の人ってあんな感じの人が多いからもうすっかり慣れちゃった。気にしない気にしない。むしろあんなへそ曲りがライカを助けてくれたのが不思議なくらいだわ」


 笑って見せるミリアムに影はない。本気でそう思っているのだろう。


「うん、なんか守備隊の隊長さんと何かあるみたいだった。俺を手助けして嫌がらせをしたかったみたいな」

「なんでそこに守備隊の隊長さんが出てくるの?」

「どうも俺の件を口実に無理に城門を開けさせたみたいで、隊長さんがすごい不機嫌だったんだ。悪いことしちゃったな」

「なんだ、それじゃ鬱憤晴らしにライカが体よく利用されただけなんじゃないの?お礼なんて必要ないじゃない」

「それは別の話だよ、ちゃんと仕事をしてもらったんだから代価は払わないと駄目だろ」

「まぁそれはそうだけど。そもそもその代価ってのはハーブ屋のサルトーさんが出すべきものでしょう?ライカったらサルトーさんが払うって言ったのに自分の給金から引いてくれって譲らないんだから」

「だって俺が雇ったんだから」

「分かった分かった。もう、ライカって時々すっごく頑固だものね。分かったわよ。それにあの人、悪ぶってるけど根はそう悪くもなさそうだしね」


 二人はなんだかんだ言いながらも食事を楽しんでるらしいウリックを見た。

 せっかくのタダ酒なのに一番安く癖のある芋酒をちびちびやりながら黙々と食べている。


 王様の一行が来て二日目のこの日は、どうやら城門の出入りが前日より厳しくなったらしく、休みの人夫達があまり街に出て来なかった為、店も客が少なめで、さっきの騒ぎでも別に迷惑を被る客はいなかった。

 むしろウリックが来てくれたので暇を持て余さずに済んだぐらいである。


「あれは貴族嫌いね、だから守備隊とぶつかるのよ。きっと今日だって出るなと言われたからわざわざ嫌がらせで出て来たんだわ」

「この街はそういう人多いよね」


 ライカはふとレンガ地区のリーダーの少年を思い出した。


「まぁ色々あったからね。でも、今の守備隊の人達が何かした訳でもないんだから今はそう酷い感じじゃないわ」

「うん、昨日も色々親切にしてくれたよ。王様が来てて凄く大変そうだったから迷惑だったと思うんだけど」

「そうね、あの人だって嫌がらせをしてるぐらいなら本当に心から嫌いっていうのとは違うと思うし、私は今のこの街が好きだわ。朝目が覚めたら友達が一人減っていたなんて事はもう無いから」


 ライカのもの問いたげな目線を感じてミリアムがはっとしたように表情を改めた。


「ごめん、ライカは気にする必要はないの。もう昔の話よ」

「昔はそうだったんだ」

「う、ん、食べる物無かったし、前の領主様は普段から城門を閉じて絶対私達を入れなかったわ。今は街の人に開放してる水路と広場があるじゃない?」

「うん」

「本当はあそこもお城の中だったの。今の領主様が街の人に開放して城門を移動してくれたから今は私達が自由に使ってるけど」

「そうなんだ」

「そうなの、そして井戸もあの頃はお城にしかなかったの。だから水は山の中の泉まで汲みに行かなきゃならなかったし、作物は育てられないし、毎日のように誰かが死んでたわ」

「それは、辛いよね」

「うん、でもあれからたった五年なのよ、五年でこんなに変わってしまった。今の領主様が来てくださったおかげで何もかも変わったわ。だからね、私は王様にも感謝してるのよ。そりゃあ最初の領主様は酷かったけど、それが無くても元々そんなに良い状態じゃなかったんだもの、それにお父さん達が言うには、前の領主様だって、貴族なんてのはあんなもんで、そう悪い方ですらなかったらしいし」


 ミリアムの父達が言った事が事実なら貴族を嫌う人間が多いのも当然だろう。

 レンガ地区で聞いた話がまだましな貴族の行いだと言うのなら……。

 しかし、ライカは出会った守備隊の人を思い浮かべてみたが、どうもその貴族という認識と彼等が合致しない気がした。

 そういえばとライカは思う。

 祖父と仲が良いらしい警備隊の班長さんが実はかなり偉い貴族だという噂があった。

 確かに彼は怖い人間だったが、酷い人間という印象とは到底結び付かない。

 それどころか、どうも普通の人間の枠にすら収まっていない感じがした。


「今の領主様が来てくれなかったらどうなっていたか分からないもの。だからここに領主様を遣してくれた王様には感謝してるの」

「そうだね、俺も領主様が凄く好きだよ」

「でしょう?」

「まあ、俺もうちの領主様は良いと思うんだけどよ」


 二人がすっかり話し込んでいる所へウリックがぬっと踏み込んだ。


「きゃあ」「わぁ」


 全く気付かなかったミリアムとライカは思わず声を上げてその巨体を仰け反って避ける。

 ウリックは片目をぴくりとさせると、二人を見据えてにんまりと笑った。


「茶でも貰えるかな?」

「あ、はい。何が良いですか?今日のオススメはハッカ蜂蜜茶ですけど」


 気持ちを立て直したのはライカが早かった。茶を淹れるのは自分の担当なので嬉しそうに応じる。

 ライカは働くのが好きなのだ。


「おう、それでいい」


 体格に似合わない軽快な動きで、ウリックは元の席に戻ると椅子に体を預けてまたも器用に椅子の足を二本浮かせてバランスを取ってみせる。


「まぁうちの領主様はそもそも貴族じゃねぇしな。あの人が傭兵だったのは有名な話だ」

「今は貴族だわ」


 ミリアムの反論にウリックは驚いた顔をしたが、意外な邪気のない笑いを浮かべて言葉を継いだ。


「そうだが、あれだよ、さっきの食うに困ってとか言う話さ。あの人はそういう事を骨身に染みて知ってる。だからこの街に合ってるのさ。だが、だからと言って王に感謝する必要はねぇよ」

「別にあなたに同じ気持ちになって欲しいとは思っていないわよ」

「貴族ってのはどろどろした連中さ、王なんてその親玉だ。そういうどろどろした思惑の中で利用されてんのさ、うちの領主様だってな」

「はいはい、あなたの貴族嫌いは分かりました。どう?うちの特製スープは美味しかったですか?」

「ち、小娘が、今度絶対俺の顔を見る度に赤くなるようにしてやるぜ」

「どんな感想よ、それは」

「ああ、美味かった、サイコーでした」

「なんでそう投げやりな言い方なのよ。まぁいいわ。お褒めいただきありがとうございます」


 ミリアムはにっこりと微笑むと柔らかく頭を下げた。

 正面から礼を言われ、ウリックは一瞬黙り込む。そこへライカがカップを置き、手ずから茶を注いだ。

 ふわりと、少しピリリとした刺激のある、それでも甘い香りが店の中に漂う。


「まぁ、食い物屋も悪くはねぇな」


 熱いその茶を気にする風もなく喉に流し、ウリックはそう言って笑って見せた。

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