第55話 夏の終わり

 街の近くの森の中には大きな水場が二箇所ある。

 片方は少し大きめの滝で、森の奥の方にあり山歩きに慣れた人間でないと滅多に人は近付かない。

 森は奥へ行けば行くほど危険であり、ここいらの人間は十分それを承知してるからだ。

 もう一つが彼等の今いる場所で、観光の名所ともなっている花の丘、天上の花園とも言われる山の斜面への道筋の途上にある事から、道も整備されていて、ちょっとした憩いの場所になっている泉だ。

 貴婦人草が群生していて、春先には黄色と白の敷物に覆われているように見える所から、そこは貴婦人の泉と呼ばれていた。


 井戸が使えなかった頃には街の住人はここに水を汲みに来ていたのだが、大人の足で軽く半刻は掛かる場所であり、途中は坂道(というか山道)なので、当時の苦労は並大抵ではなかったであろうと思われる。


「うおぅ!うぉう!」


 子供の甲高い声を精一杯低くしてみた、といった感じの叫びが、先ほどから辺りに響いていた。


「全く、この子ったら」


 小さな少年が奇声を発しているのだ。

 外でのんびり過ごすならこの場所と、定番でもある事から同じような考えでこの場所を選んだのであろう人々が少なからず周りにいて、その子の母親は恥ずかしそうである。


「まぁ仕方ないだろう。滅多にない事だし、吉兆なんだからそう目くじら立てるなよ」

「この子が真似ても吉兆にはなりません」


 子供をかばうように言う旦那にぴしゃりと言って、彼女は息子の頭をはたいた。


「いて!にぃちゃん、かあちゃんが叩いた!」


 とてとてと、駆け出す先には赤い果実を剥いている少年がいて、笑ってみせた彼は子供の口に小さく割った果実を入れてあげる。


「なんでそっちに行くんだ?母さんに怒られて慰めて欲しいなら父さんのとこに来るのが筋だろう」


 父親が傷付いたように呟いた。


「食べ物の匂いじゃないですか?」


 果実の欠片の一つを差し出しながら、少年が答える。

 失意の父はそれを取って口に入れた。


「うぬぬ、むう、確かに甘い」


 泉の近くに生っているヤマシロカムリの実である。

 しかしこの実は獣も好む。

 採りすぎると怒った獣が暴れると言われていて、あまり欲張らずに少し木に残すのが慣例だ。

 なのでせいぜい一人一個ぐらいしか食べられない季節のごちそうの一種である。


「この実の匂いなら、うちの子だけじゃなくて熊なんかも来るかもしれんから注意しないとね」

「こんな賑やかな時に来るもんか」


 心配そうに言う妻に、夫は安心させるように言う。

 そんな家族の様子に、少年、ライカは楽しそうに笑った。


 街の人達は皆、そろそろ雨の時期になる事を予感していて、家に閉じこもる日々が続く事に憂鬱な気持ちを感じていたのだろう。

 行楽好きな何組かの家族が、王様の出立の日はどうせ仕事にならないんだからと、行列を見送ったら山で花でも見ながら雨季の前にのんびり夏の終わりを楽しもうと思いついたらしく、見物からそのままここや、その先の花の丘へと流れたのである。

 そして同じような人が結構多かった。

 その中の一組、隣家のリエラ一家と共に来ていたライカは、人々ののんびりとした様子に自分もなんとなく癒されるように感じて寛いでいたのだ。

 そう、特にあんな疲れる時間の後なのだから。


「うおぅ!うおおおう!」

「この子はまた!」


 振り上げられた手を掻い潜るように小さな子供はライカの背に隠れる。


「いや、しかしこの子が騒ぐのも無理はないさ、竜の咆哮は勝利を呼び込むというからな。うむ。それにそうでなくてもあれはまた腹に響く声だったし、小さい子なんだし頭に残って影響されてしまっても当然だ」


 そう、それは行列が重々しく進む途中で起こったアクシデントだった。

 突如、白い雌竜が頭をもたげて長く尾を引く独特の咆哮を空に放ったのである。

 その声が消えぬ間に、竜騎士達の雄竜もそれに応えるように吼え、次いで、その慶事に人々の歓声が沸き上がった。

 古来、竜の咆哮は吉兆と言われいる。

 旅立ちの寿ぎに、見送る人々、それ以上に王に付き従う人々が明るい気持ちになったのは当然と言えよう。


 しかし、ライカにはまた別の事情があった。

 赤ん坊の頃から竜と暮らしていたライカにとって、竜族の習性は自分のそれでもある。

 ほぼ無意識の領域で行われるやりとりである歌とその返歌は、その身に深く染み付いていたのだ。

 つまりは、うっかり彼女の歌に応えてしまう所だったのである。


 ちらりと自分を見た、白い鱗を持ったその彼女の目が、何か性質たちの悪い笑いを含んだものだった事に気付いて用心していなかったら、ライカは無意識の内に竜の歌を返してしまっていたはずだ。

 喉からせり出しそうな声をぐっと押さえて、両手で口を覆い、彼女の笑い含みの歌の余韻が消えるのを待つ。

 それはしかし、いたずらな行いとはいえ、優しい別れの挨拶と、次の再会を望む歌。

 普通は家族でしか交わさないような親密な歌である。


「女性って難しいな」


 振り回された挙句に理解を諦めて呟いたライカの背を、太い腕が叩いた。


「なんだ、恋の悩みか?おじさんに相談してみろ?」

「いえ、そういうんじゃないんですけど」


 リエラの夫は表門通りで食べ物屋をやっている。

 旅の間の携帯食や、その日の内に食べてしまえる弁当等を主に扱っていて、そんな特徴の為、その場で食べる為の席は少ないが、中でも料理を食べる事は出来た。

 表門での商売をやっている事からも分かる通り、ライカの働いている食堂と違って、見た目の良い、やや高級な食べ物を出している。

 それゆえか、彼は身なりがこざっぱりとしていて、市場の人々に比べると粗野な感じが薄かった。

 なにより、男っぷりが良い。

 しかも体格は戦士と言ってもおかしくないぐらいガッチリしていて、腕力自慢でもあるので単なる優男でもなかった。

 その妻であるリエラは、どちらかというと、きっぷの良いと言えば聞こえも良いが、いかにもこの街らしい気も口調も荒い女性で、見た目もややふっくらとして、顔の美醜以前にとにかく丈夫な女性といった風である。

 この二人が熱烈な恋愛をして結婚をしたというのであるから、世の恋路というものは分からないものだ。


「ダメダメ、この人は根っからの浮気もんなんだから。うちの人や、ライカちゃんとこのじいさんなんかの恋愛観なんか参考にするもんじゃないさ」

「待て待て!聞き捨てならねぇぞ、俺がいつ浮気したよ?」

「こないだべっぴんの未亡人に言い寄られてデレデレしてたくせに」

「してねぇよ!あれは塀の修理に男手が必要だから頼めないかって聞かれてただけじゃねぇか」

「鼻の下伸びてたね」

「伸びてねぇよ!」


 何か、自分の事が原因で仲違いを始めてしまったらしい二人をどうやって宥めようかとオロオロしていたライカの膝に、彼等の一粒種である小さな暴れん坊がよじ登る。


「にぃちゃん、あんね、ちゅうすんの」

「ん?」

「とうちゃんとかあちゃん、もうすぐちゅうすんの」

「え?」


 子供の言っている事に理解が及ばず、ライカは二度聞き返す事になった。

 それをどうとったのか、子供は先ほど竜の鳴き真似で証明した大きな声で繰り返す。


「あんね、とうちゃんとかあちゃん、ケンカのあとにちゅうすんの!」


 その声は、周囲に思いっきり響いた。

 穏やかな午後に繰り広げられていた夫婦喧嘩に、なんとなく注目していた周りの家族から、クスクスと笑いが漏れ聞こえる。


「お、お前!」

「マウ!あんたったら!」


 周囲の笑いは暖かいものだったが、夫婦は気まずさに真っ赤になった。

 もはや喧嘩どころではない。

 彼等は咳払いをすると、おとなしく料理をつまみ、香りをつけた水で薄めた酒を煽り出した。


「そっか、夫婦って仲が良いからこそ喧嘩になる事もあるんですね」


 何か納得したようにうなずくライカに、二人は今更否定の言葉を紡ぐ事は出来ない。


「そ、そうそう、偶には喧嘩するのも女の心を量る良い機会だぞ。女ってのはいつだって男を振り回すのを楽しむもんだが、振り回されているばっかりの男でも嫌がる我侭な存在なんでな」

「女心に詳しいのね」

「ひっ!」


 先のように表立ってはいないが、密かに水面下での戦いが再発した。

 リエラの夫は、まだまだ暑い日なのに背中が冷える気分を味わっているようで、震えながら口を閉ざす。

 一方、マウという名の彼等の子供は、両親の心胆を寒からしめる騒動を巻き起こした挙句に、罪などないとしか思えないあどけない顔で寝息を立て始めていた。


「不思議ですね、どうして男と女って違うんでしょう?」


 ライカの問いに、リエラの夫は言葉に詰まったが、その妻は微笑んでみせた。


「そりゃ、女は内側を、男は外側を守るものだからさ。立ってる場所が違えば見えるもんも違って当たり前だろ?」

「う~ん、難しいですね」

「言葉で理解しようとするからだよ。ライカちゃんはまだまだこれから一杯色んな経験をするんだから、そっから自分なりに感じていけばいいのさ」

「女の頭の中は理屈じゃ理解出来ないもので溢れているからな」


 投げやりに言って、酒に身を任せる事にしたらしい夫を呆れたように見て、リエラは肩を竦めた。


「まぁ、男と女なんて、一生理解し合えないもんかもしれないよ。でもさ、だから良いのかもね」


 クスクス笑ってみせるリエラに誰がかなうはずもない。


「頑張って経験を積む事にします」


 すっかり観念したように、ライカは溜息を付く。


「そういう事を頑張っちゃダメだよ」


 リエラは厳しく駄目出しをした。


「難しいですね」


 ライカはお手上げという感じに笑うと、膝の上の小さな温もりをそっとその母の手に委ねたのだった。

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