第43話 注文が多くて悲鳴を上げる、という事

 いつもよりやや雰囲気の堅い市場の賑わいをいぶかしんで、ライカは周囲を見回してみる。

 すると、ここいらでは普段あまり見掛けない服装の人間があちらこちらに見受けられる事に気付いた。

 長袖のシャツに短い丈のベスト、ズボンのベルトもピカピカの飾り金具で留めていて、明らかにここのような田舎の地には似合わない洒落た装いだ。

 恐らく彼らは王の巡幸に従ってきた従者や下働きの人達なのだろう。

 考えてみれば消耗品はそもそも日持ちのしない物が多いのだから旅をしている者達が手持ちだけで過ごせる訳がないのだ。

 それら手持ちで足りない物や、城内で調達出来ない物品等を市場で購入しに来たのだと思われた。


 門前市ではなく裏の市場に来る所は、さすがにちまたにも響いている王家の情報通ぶりを示している。

 ライカは地元の売り手と王の臣下との気迫に満ちたやりとりを横目で見ながら馴染みのハーブ屋へと急いだ。

 入り口に扉のない見せて売る形式の食べ物屋が店頭で作り上げるそれぞれの食べ物の匂いが道案内のように次々に周囲に漂い出していて、それを掻き分けるようにして目的の場所へと辿り着くと、なぜか目的の店が閉まっていた。


「あれ?」


 驚いて立ち竦んだライカを見つけて、近くの花屋の娘が声を掛けて来る。


「あ、ハーブ屋さんね。なんかほら例の王様の所の人が来て、話をしていったらすごい真っ青な顔してお店を閉めちゃったのよ。大丈夫かしら?」

「なんでお店閉めちゃったんでしょう?」

「さあ?なんか急ぎの注文されちゃったんじゃないかしら?」

「そうですか。じゃ、家の方に行ってみます。教えてくれてありがとう」

「うん、あ、家を訪ねるのに手ぶらじゃなんだしお花を買っていかない?」

「あ、そうですね。じゃあその白い花を一束お願いします」

「ありがとう、それじゃオマケで半端に余ったお花も足してあげる。1カランね」

「ありがとうございます」


 自己主張の少ない可憐な白い小さな花々が、それを包む大きな緑の葉の中から顔を出している。

 そのまま手に持つと体温で萎びてしまうので、そうやって葉っぱに包んで手渡すのだそうだ。

 花が売れて満足そうな笑顔に見送られて、ライカは市場から程近い住宅地区へと急いだ。

 玄関先から既にむせるようなハーブで埋め尽くされている家。

 いや、むしろハーブの中に家が納まっているような風情のこじんまりとした木造の家がハーブ屋のサルトーの家だ。

 以前何度か早朝にハーブ集めを手伝った時に訪れていて、ライカには既に馴染みの家である。

 扉にぶら下がっている訪問を告げる為の木槌が、この家の物は可愛らしい鳥の姿をしていて、最初の訪問の時にそれを可愛いと言ったライカに、奥さんがありがとうと嬉しそうに応えたものだ。

 どうやらそれは奥さんの手作りらしかった。

 それを手に、コンコンと響く快い音を楽しんで、ライカは中から応えが返るのを待った。

 赤ん坊の泣き声が段々と近付いてくる。

 ここの奥さんが赤ん坊をあやすのが上手い事を知っているライカは、それを聞いてどうしたのか?といぶかしんだ。

 しかし、そんなライカの心中を他所に、やがて扉の向こうに激しい泣き声と人の気配が近付き、戸惑ったように立ち止まる。


「こんにちは、ライカですけど、サルトーさんはいらっしゃいますか?」

「ああ!ライカ坊!」


 いつもは扉をすぐに開くのにと、変な様子ばかりの室内に、ライカは名乗りを上げて声を掛けた。

 と、その途端、今度はびっくりするほど勢いをつけて扉が開かれる。


「わ!ど、どうしたんですか?」


 開かれた扉の向こうにいた女性は、赤ん坊を両の手でぎゅっと抱えて強い困惑の表情を湛えていた。

 彼女は、さっとライカを招き入れると何かを恐れるように慌しく扉を閉める。


「ライカ坊、うちの人が変な事ばっかり口走るからすっかり怖くなっちゃってさ、ね、ね、あんたあの人の話を聞いちゃもらえないかい?」

「ええ、その為に来たんですよ。あ、これどうぞ」


 ライカは落ち着かせるように、彼女と、真っ赤な顔で泣いているその腕の中の赤子に微笑み掛けた。

 同時に、買ってきた小さな花束を見せる。


「まぁお花なんて久々に貰うわね。ほら坊や、お花綺麗だねぇ」

「あの、作業場の方ですか?入ってもいいでしょうか?」


 母親の混乱が少し収まった事で赤ん坊も落ち着いたのか、泣き声はぐずり声に近くなっていった。

 しかし、花に囲まれた家で生まれ育った赤ん坊が、そんな小さな花束で喜ぶものかはかなり怪しい。


「ええ、でも気をつけてね、なんだかおかしくなっちまったのかと思うぐらい変なんだよ」

「何があったかご存知ですか?」

「いんや全然、なんだか急に帰って来たと思ったら、俺はもうおしまいだ、首を切られちまうんだってブツブツ言って、何言ってもうるさい黙ってろって怒鳴るばかりでさ」


 なにやらただ事ではない様子に、ライカも慎重に作業場に近付いた。

 奥さんは近付くのが嫌なのか、その場はライカに任せて、貰った花を持って台所に行ってしまう。


「サルトーさん」


 背中を丸めて何かをブツブツと呟いている様子の彼へ、ライカは静かに声を掛ける。

 サルトーは、びくりと体を震わせると、恐る恐るといった態で振り返った。


「な、なんだライカ坊か、驚かすなよ」

「すみません。でも、一体どうしたんですか?花屋さんの言う所には王様の所の人が何か頼みに来たんじゃないかっていう事でしたけど。手伝いが必要なら言ってください」

「う、」


 サルトーは、王という言葉を聞いた途端、真っ青になり、見て分るぐらいにまた体を震わせた。


「だ、ダメなんだ、無理なんだよ!だ、だけど断れなくってさ。俺はもうお終いだ」

「ちょっと、落ち着いてください。元々の所から話してくれないと何も分らないですよ」


 ライカの宥めるような声に、サルトーは何度もうなずくと、今度は繰り返し唇を舌で舐めて湿らせて、やっと再び口を開く。


「き、今日さ、来たんだよ、その王様んとこの竜番って人達がさ。こう、立派な鎧着てて、なんていうんだ?相手が自分の言葉を受け入れない事なんぞないっていう感じの雰囲気なんだよ」

「高圧的だったんですか?」

「そ、そ、なんか偉そうでさ。まぁ偉いんだろうけど。だけど俺もそいつらが来る事なんか予想しててさ、分ってたから、下手にびびったりせんで、堂々と受け答えてやったんさ」

「ええ、」

「だけど、そいつらが要求した中にとんでもないものがあってさ、さすがに無理だって言おうと思ったら、やつらが先に『それでは今夜最初の星が輝くまでに納めるように』って多すぎるぐらいの代金を置いて帰っちまった」

「ええっ!無理だって言わなかったんですか?」

「あいつら断られるとは微塵も思ってない様子で、俺の顔さえ見てないんだぜ?こっちだって断るタイミングを逃しちまって」


 ライカはそんなサルトーの消沈した様子を初めて見た事もあり、その事を強く言うのは止める事にした。


「それで、無理というのは何だったんですか?」

「それがよ、やつら、ハーブオイルをひと樽持って来いとぬかしやがって」

「ハーブオイルひと樽?ひと壷じゃなくて?」

「そうなんだよ、ここらじゃ完全な贅沢品だけどさ、どうもあっちでは大量にあるのが当たり前らしくて」

「ハーブオイルを何に使うんですか?竜舎でオイルランプを焚いて使うにしてもひと樽は必要ないでしょう?」

「それが、なんでもハミを噛ませている口の周りとか鎖を巻いている首の部分とか、長旅で荒れた皮膚とかの治療に使うらしいんだ」

「なるほど、治療に」


 一時は驚いたライカだったが、聞いてみれば理屈の通らない話ではない。

 ここにそんな大量の品物が無いという事を除けば。


「あちらから持参はしなかったんでしょうか?」

「どうやら持参した分が足りなくなりそうなんで補充したいって事だった。荒地を抜けたのがきつかったらしい」

「お金、受け取っちゃったんですね」

「……断ろう断ろうと思って焦ってて、金の事まで考えが至らなくってさ」


 すっかり肩を落としたサルトーに、ライカはあえて明るく声を掛けた。


「それじゃ、こうしたらどうです?領主様にその代金を持って行って、事の顛末を話して良いように図ってもらうんですよ。きっとちゃんと収めてくれると思いますよ」

「駄目だっ!」


 しかし、サルトーはライカの提案を、今までの様子から考えられないような大声で跳ね除けた。


「冗談じゃねぇ!商品がないからって領主様に仲介をしてもらって取引を断ったなんて知れたら俺はいい笑い者だ!もうハーブ屋なんてやってられねぇ!そんな恥をかくぐらいなら首を刎ねられる方がなんぼかマシだ!」

「そんな」

「あんたっ!」


 彼らの会話を遮って、彼の妻が凄い勢いでサルトーに詰め寄った。


「何言ってんのよ!あんたの首はあんた一人の首じゃないんだよ!あたしや、まだちっこい坊やを食わせる為の首でもあるんだ、そんな聞き分けのない事言ってないでライカ坊の言うようにするんだよ!」

「けっ!商売のわからねぇ女のくせにでしゃばるな!俺の首なんだから俺が好きにするんだよ!」

「なんだってぇ!」


 赤ん坊は寝かせて来たのか、彼女は空手であるが、その手で今度は夫の襟首を締め上げている。

 すっかり夫婦喧嘩に雪崩れ込もうとしている様子に困惑しながらも、ライカは考えを巡らせていた。

 領主に頼むのが駄目ならば、品物を用意する以外ない。

 この日は食堂の方が長引いて、もう六点鐘を聞いている。

 もし七点鐘が鳴ってしまったら九刻、もう日暮れまですぐだった。


「そうだ!」


 急に声を上げたライカに、言い争いを続けていた夫婦は驚いて彼の方を見た。


「サルトーさん、奥さん、俺に心当たりがあります。とにかく当たってみますからちょっと待ってて貰えますか?」

「へっ?」


 いつの間にか顔に引っかき傷をこしらえていたサルトーは、驚いたようにライカを見ると、事態が飲み込めない様子で唖然とする。


「ほ、ほんとうかい?」


 先に我に返ったのは彼の妻の方だった。

 目に涙を浮かべていた彼女だが、突然突きつけられた希望を取り逃すまいと、縋るようにライカに寄る。


「ええ、とにかく行ってみないと分らないので行って来ます。サルトーさんは他の注文の用意をしておいてください。他もあったんでしょう?」

「あ、ああ、そうだな、他のはちゃんと用意しなきゃな」


 魚を喉に詰まらせた水鳥のように、喉の辺りを理解が彷徨っている顔で彼はうなずくと立ち上がった。


「頼んだよ、ライカ坊や、ううん、坊やなんて呼んだら悪いね、ライカさん、よろしくお願いします」

「出来るだけはやってみるけど、駄目だった時はサルトーさんが何と言っても領主様にお願いしましょう」

「ああ、そんときゃ亭主は縛ってでもそうするから任せておきな」


 真剣な顔でそう言う彼女に、少し勇気付けられて、ライカは急いで外へと駆け出した。


「なんか今日は走ってばかりだな」


 少し笑ってそう呟いたライカだったが、この日の慌ただしさはまだまだこれからが本番なのだった。

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