第42話 それぞれの場所で
市井ではここの城は元々どこかの貴族が避暑用に建てたと囁かれていたが、城内で働いている者達の間では、この城は長く生きられない娘を持ったどこかの金持ちだった貴族が、その娘の為にその財産を
書庫には城の主だった者の日記のような物も状態は良くはないが残っているし、それを裏付けるように城を形成する石材等は近隣ではついぞ見た事もないような、白い光沢のある美しい物が使われている。
しかし今は長年の風雪による傷みや、苔やそのほかの小さな植物などの繁殖によってくすんだ灰緑の色に覆われていて物語の城のような壮麗さは失い、代わりに重厚で落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
だが、見た目とは違いその内部は外側程の傷みが無く、全体的に白く光沢のある壁が灯りをほの淡く映して、その造りから昼尚暗いものが多い城としては例外的に明るい城となっている。
壁掛けやカーテン等も生成りの生地を中心に、派手な色合いの無い明るい物をベースにしているし、豊富な油を使って小さなランプを飾りのように吊るし、その下に盛大に花を飾るという配置によって明るさを強調しているのでその外観から穴倉のような内部を想像していた者には軽い驚きを与えるような、柔らかな明るさで満たされていた。
そんな城の中でも一番素晴らしい部屋は城を造った貴族の、その娘のものであろうと言われている部屋で、天上の花園とも称えられるなだらかな山の斜面を覆う自然の造り出した花園を一望出来るテラスを備えた、広々とした一室だった。
ほとんどの時間をベッドで過ごす娘の為にか、部屋の中一面に色タイルによる装飾があり、螺旋状に巡るように描かれるその絵物語を追うと、ひと綴りのとある有名な伝説の最初から最後までが描かれている事が分かる。
押し開き式のテラスへの扉の両脇の壁は色ガラスによる一対の天馬の絵が描かれていた。
その余りにも豪華な内装の為、主が代わってからは使われる事なく封印されていたその部屋が今再び貴人を憩わせる為に開かれる事となり、女官達や下働きの女性達などは、誇りと喜びを隠しきれない表情で準備をしたものである。
だが、
「落ち着かない部屋だな」
彼女達のそんな努力も、にべも無い一言によって意味を失う事となった。
「まぁ男性向きとは言えないですね。ですがこの城でここが一番良い部屋なので、諦めてお使いください」
「ふむ、他の領主には実に素晴らしい歓待を受けたとでも吹聴しておこう」
「変な見物客が増えるのでお止めいただきたい」
「どうもあれこれと指図をされているような気がするが。うちの英雄殿は主たる者をないがしろにしすぎるのではないかな?」
「まさか、不肖卑賤な身である私が王者たる者に意見など、それに英雄などと我が身には過ぎた称号、もし英雄と呼ばれるに相応しい方がいらっしゃるとしたら貴方様でしょう、我が王、我が主よ」
「いや、英雄という物はだな、紋章旗に付ける房飾りのようなものだ。中心に据えるべきものではないのだよ」
「なるほど、そういう事でしたらお好きにお使いくださって構いませんが、この房飾りはいささか色褪せてみすぼらしくはないですかな?」
「なに、人は風格という言い回しでそれを褒め称えるものだ。貴公が気にするような事ではあるまい」
この部屋にしつらえられたテーブルと椅子は、部屋に見合った繊細な作りのもので、がっちりとした体格の大の男二人に使用されると何かと窮屈そうにも見えるが、一見した見栄え自体は決して似合わないものでもなかった。
特に客人である男の漆黒の髪は、この白を基調とした部屋に鮮やかに映える。
彼の挙動の一つ一つは無造作に見えるが、カップを持つ指先の位置まで計算しつくされたもののように優雅であり、同時に隙の無さがあった。
「今、この時期にここですか」
「この時期だからこそ、だな。なにしろここは初夏こそが最も美しい。花祭りのある春に訪れる旅行者が多いそうだが、私から言わせれば物を知らぬ連中だ」
「私などを相手に化かし合いを演じてみせる必要などないでしょうに」
主であるはずの相手の言葉に微笑んで、その身に向かって掲げたカップを口に運んだ男の言い様に、その客人は初めて口元を綻ばせた。
「習いを性にすると言ってな、化かし合いも常に行っていればそれは本物となるし、本人の血肉になる。これもまた王たる者の仕事と思えば勤めるに不満はないのだよ」
「なるほど、それでよその領主に向かって最果ての西の領ですら最高の礼を払って恭順の姿勢を見せたと吹聴する訳ですな。しかし、今の時期に王を歓迎しない領主もないでしょうに」
「危うくなってから手を打つようでは国の安泰など計れはせぬよ」
王は一口ずつゆっくりとカップからワインを口に入れると、何かを確認するかのように口の中で液体を転がした。
「雪滴花のハチミツ漬けを溶かした水で割ってるんですよ」
「ああ、いい香りだ。ワインは時間を置いても尚香り高い。素晴らしい飲み物だな」
「そういう面倒な飲み方をされるのならいっそ私が毒味なりいたしましょうか?」
「いいのだ。言ったであろう、習いは性になると。常に行う事が肝心なのだよ」
さて、城や街の外に王やその従者が来訪したとしても、基本的に街の住人の生活に影響はさほどなかった。
人々は全く自分達と関わりのないお偉い人々の噂話、そして少々危うい軽口に、一時的に興じはしても、すぐに自分達の生活に立ち返る。
「まぁ気にならない事はないけどさぁ」
急遽街道の整備が休みになったせいで、暇を持て余したむさい男連中で食堂は賑わっていた。
食事を終えても中々帰らないので店としてはあまり良い客ではない。
「街の出入りも制限されちまったし、おいそれとは近付けないんだよね」
「街から出れなくなってるんですか?」
ライカは、テーブルの上で退屈そうに丸い石のような物を転がしている男の相手をしていた。
その丸い物は本来占いの道具らしいのだが、彼らはもっぱら金を賭けて遊ぶ遊戯に使うらしい。
だが、この店では金を賭けての遊びは禁止されている。
酒と同様、金の絡む遊びも何かと喧嘩の元になるからだ。
なので当然のように彼らは手持ち無沙汰でだらりとひたすら椅子に座って茶を飲んでいた。
突然の休みで何も予定してなかった彼らは、酒場がまだ開かないこの時間、他に行く所を考えつけなかったのだ。
「出れねぇ訳じゃねぇんだけど、一々理由と行き先言わなきゃいけんのよ。面倒でさ」
「それは確かに面倒かもしれませんね」
「そんなに暇なら水路にでも行って鴨にでも賭けてくればいいじゃないの?なんだか今流行ってるんでしょう、鴨の競争」
ミリアムがごろごろしている男達に向かってすっかり呆れたように言う。
「臨時休暇で一時金まで出して貰ったんだからお金はあるんでしょう?」
「休みなのに賃金を貰ったんですか」
ライカは不思議そうに聞いた。
「ああ、なんかあっちの都合で休むから困るだろうからってくれたんだよね、ここの領主様って変な方だよな」
確かにそんな酔狂な振る舞いをする領主は他にはいないだろう。
「まあ、ありがたい話なんだから素直に感謝しないさいよ」
しかし、その言い様にミリアムが少し怒ったように抗議した。
「感謝してますよ、いっつも」
「ん」「おう」
所々から賛同の、しかしやる気のなさそうな声が上がる。
テーブルに突っ伏していびきをかいていた男が突然目を覚ますと、ぼそりと呟いた。
「どうせ水路行くなら泳いでくるか」
どうやら寝ながら先程の提案を聞いていたらしい。
この男が一番長く腰を据えていたので、彼が立ち上がると、他の男達もなんとなく尻が落ち着かないようだった。
そのうちの一人が何かを思い付いたように立ち上がった。
「そうだな、水浴びするか!この暑さなら女の子達も泳いでるかもしれんしな」
「なるほど、たまにはおまえもいい事考え付くじゃないか!」
やっと気持ちが盛り上がる事を思い付いた彼らは、何かの群れのようにぞろぞろと店を出る。
「まったく、遊び慣れてないから急な休みには何やっていいか分らないとか言ってグダグダしてるんだから。仕方ない人たちよね。ライカはああなっちゃだめですよ」
「あはは、でもあの人達しょっちゅう来てくれるし、暴れたりお金払わなかったりとかした事ないし、いいお客さんだよね」
ライカも慣れてお客の顔が分るようになって来た。
なじみ客というのは気安いし、ある程度仲良くもなるのでつい庇ってしまう。
「でもあの人たちのおかげで、今日は夕方の準備をする為に店を閉めるのが遅くなってしまったわ。ライカだってどこかに行くって言っていたでしょう?」
「うん、ちょっとハーブ屋さんの所に手伝いに行こうと思って。竜が来たから忙しいだろうし」
「え?竜とハーブと関係があるの?」
「あ、うん。竜って自分の寝る場所に必ず決まった香りを付けるんだ。その殆どがハーブなんだよ。まぁ牧草の香りとかを好む竜もいるかもしれないけど、大概は強い香りを好む傾向にあるからね」
「へぇ、詳しいんだ」
「俺の育った所には竜がいたからね」
ライカの言葉にミリアムは感心したような顔になる。
「育ててくれた人ってすごいお金持ちだったのねぇ」
竜がいるというのは彼女達にとってそういう事だ。
「そういう訳じゃないけど、本当の家族のようだったんだ」
「そっか、いい人達だったんだ。うん、いいお話を聞いたからちょっと疲れが取れたかも。ライカ、ハーブ屋さんにもう行って来て良いわよ。あっちが忙しそうなら今日はもう夕方はいいから、帰りに寄って残り物だけ持って帰りなさいね」
「え?いいの?」
「ええ、だってライカなんだか竜の話している時楽しそうだったもの、見に行きたいんでしょう?連れて行ってもらえると良いわね」
彼女はすっかりお見通しという顔でライカの頭に軽く触れた。
「うん、ありがとう、ミリアム」
「どういたしまして」
ライカの顔がパッと輝くのを見て、ミリアムがクスクスと笑い出す。
「あのお客さん達がなかなか帰らないからすごくそわそわしてたものね」
「え!そうだった?」
自分では普段通りのつもりでいたライカは、驚いてミリアムを見た。
「バレバレよ。さぁ、早く行った行った、すっかり遅くなっちゃったから急がないと間に合わないかもしれないわよ」
追い出すようなしぐさをするミリアムに軽く頭を下げて、ライカは手早くエプロンを外すと綺麗に畳んで片付ける。
「じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃい。連れて行ってもらえなくてもがっかりしちゃ駄目よ」
「うん」
そうして、潜んだ藪を突付かれた小鳥のようにバタバタとあわただしく去っていく少年の後姿を、ミリアムは微笑ましく見送ったのだった。
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