第15話 壁の中の森

「すみません、ロバはうちの者が後から移動させますので、とりあえずここに繋いだままでお願いできますか?」


 挨拶と礼を終え、増えた荷物を抱えて治療所を出た二人は、そう言ってにこりと笑うジャスラクスにうなずいた。

 勝手の分からない城の中、とりあえずここでの行動は警備隊であり、場所に慣れている彼に任せるしかない。


「寂しがらないかな?」


 ライカはロバの鼻面を撫でてやった。

 そこらの草を適当に食んでた彼は顔を上げるとそのまま擦り寄って来る。


「いや、そこまで賢い奴じゃないから大丈夫だろう」


 当のロバにしてみれば本来失礼な物言いだろうに、まるで笑っているかのような顔で、主人の声に答えていなないた。

 ライカとホルスは思わず笑い声を上げる。


「中庭突っ切りますので、絶対にはぐれないように付いてきてくださいね。下手な通路に迷い込むと、本城に辿り着いて不審者扱い受けてしまうかもしれませんから」


 そんな二人を微笑ましく見つめながらも、ジャスラクスは注意をした。


「あ、はい」

「おお、中庭に入れるのは普通は年二回だから嬉しいね」


 以前見たことがあるらしいホルスが感慨深げにそう言うのを聞いて、ライカは興味を抱いて尋ねる。


「お城の人以外でも入れる時があるんですか」

「うむ、今年はもう冬にしか入れないけどな」


 先ほどの療法師の人の話もだが、どうやらこの城はかなり開放的な気風らしかった。ジャスラクスの先の説明からすれば中庭を通れば本城に入る事も可能なようなのに、ある意味無用心な気がしないでもない。


「中庭ですから外庭園程凄くはないですけどね、というかちょっとうっそうとしすぎてちょくちょく木陰でサボってる奴がいたりするし」


 治療所から更に奥へ少し歩くと左手に小さな木戸が現れた。

 年代を感じるその木製扉の表面には焼き付けて描かれたらしい黄色い蔓バラの意匠が飾られている。一般家庭では使わないような優雅なアーチ型をしているが、一見しただけではそこは建物の壁に建て付けられた出入り用の普通の扉にしか見えなかった。

 だが、ジャスラクスが気軽に開いた扉の先に見えた場所は、中庭という言葉から連想出来るような小奇麗さを裏切るものだった。

 そこはまるで切り取られた小さな森だったのである。


「すごいですね、まるで建物の中に森があるみたいだ」

「うむ、まあなんだ、元々は昔の金持ちのどこぞの貴族が贅沢する為に建てた避暑用の城らしいから、なんか無駄に入り組んでたり変な造りになってたりするんだなこれが」


 初めての人間は大概似たような反応をするのだろう。

 ジャスラクスが慣れた様子で説明してくれる。


「それってどのくらい昔の話なんですか?」

「百年以上は前だろうって話だぜ」

「戦争の前の時代なんですね」

「そうそう、それでここが建てられた当時の記録とかも全然無くってな、見取り図なんか無いし、色々壊されてるし、改装大変だったんだよな」

「改装の時にいらしたんですか?」

「まだ五年ちょいくらい前の話だしなぁ。それ以前から俺はこの街に住んでたし、二年ぐらいで突貫工事したんだぜ?そりゃ街で評判だったさ」


 その昔の出来事を思い出したのか、彼はちょっと皮肉気に笑みを浮かべる。

 ライカはその様子を不思議そうに見た。


「それは嫌な事だったんですか?」

「え?いや、違うよ。あの頃は色々誤解してたなあって思うとおかしくてな」


 彼らがそんな話をしている横で、ここに慣れているはずの露店商のホルスが感嘆の声を上げる。


「こりゃまたすごい青星花の群れだな、花祭りの時は雪なごり草で真っ白だったが今は真っ青だ」

「花祭りって?」


 ホルスの感嘆を受けてライカもそちらへと意識を向けた。

 見ればなるほど地面に青い小さな星を撒いたように花が咲いている。


「ん?ああ、年に二回の内の一回さ。ここらは山の斜面一面に咲き誇る花の美しさが評判だから、最近は春先にそれ目当ての旅行者が増えて来てな。だから、領主様がいっそ祭りで盛大に盛り上げて気持ちよく金を落としてもらおうと企画されたんだよ。四年程前から始まった祭りなんだが、残念ながらライカ坊の来るちょいと前に今年はもう終わっちまった」

「ホルスさん、ぶっちゃけすぎですよ」


 ジャスラクスが呆れたように言った。


「領主様がいかに考え深い方かを織り交ぜて説明したんですよ」

「それじゃうちの主どのが守銭奴みたいに聞こえます」


 口にした方も言われた方も、その単語の生々しさを感じたのか、二人の間を何かをはばかるような短い沈黙が支配した。


「うーむ、しかし見事なもんだな。この花はもっと上の方でしか育たないと思っていたよ」

「わざとらしくごまかしましたね。……ええ、ここの花にもおそらくなんらかの手を加えているんでしょう。そういう事に平気で時間と金を掛けられるような、平和で優雅な時代が昔はあったんだと思うとうらやましい話ですよ」

「という事はこの花も過去の遺産か、大したもんだな」


 その花は青星花という名の通り、鮮やかな青の五片の花弁が放射状に広がった形をしていて、一個一個の花を見てさえ夜空で光を放つ星の姿に思いを馳せる事が出来る。

 花の一つ一つは小さいのだが、地下茎で瞬く間にコロニーを形成する種なので、群生して付近一帯を青く染める事で有名な花だった。

 ただし、この花は高い山の上でしか咲かない花なので、この街は山岳地でそれなりに高い場所にあるとはいえ、本来はまだまだここいらで自生したりする事は有り得ない花なのだ。そのため街の住人の中でさえ、この花の咲いた姿を一度も目にした事すらない人間もいるだろうと言われていた。


「ふむむ……」


 しばし景色を楽しみながら足を進めていた彼らであったが、しばし何やら思い描いていたホルスが突然立ち止まりジャスラクスに声を掛けた。


「申し訳ないが、ちょっと時間をいただけないかな?青星花のスケッチをしたいんだが」

「そりゃまた酔狂な事だな」


 ジャスラクスが眉根を寄せた。


「さすがにこの年でこの先この花が咲いている場所に登る事もないだろうし、滅多にない機会を逃したくないのですよ」

「うーん、ちょっとならいいですけど、本当にちょっとですよ。あんまり遅れると俺が班長に叩きのめされますから」


 ホルスは先の現場での班長と彼とのやりとりを思い出したのか、顔を引き攣らせながら真剣にうなずいた。

 彼は手早く肩に掛けた提げ箱からごわごわの樹皮紙と木炭の欠片を取り出し、足元の花を手早く描き始める。ライカやジャスラクスは興味津々でそれを覗き込んだが、思った以上に精密で見事なその手元の作業に、そのまま目が離せなくなってしまった。


「……?」


 ふと、その時ライカは何かの気配を感じて斜め右前方の木陰辺りを窺った。

 一見して何かがいると見て取ることは出来ないが、ライカには何か生き物の存在のゆらぎを感じられたのだ。確信しにくいが、それはおそらく人間だと思われた。


「ん?」


 そんなライカの様子を敏感に察してその視線の先を辿ったジャスラクスが、さすがに剣士だけあって対象を見て取れたのか、一瞬驚いたように眉を上げ、すぐに何事も無かったように表情を戻す。

 そして、そのなんでもないように装った表情のまま、ライカを見て、目配せをして見せた。

 ライカはまだ彼らのやり方にそれほど馴染んだ訳でもないが、それが調子を合わせて欲しいという合図であるという事ぐらいはなんとなく察せられた。


(そういえば、ここでサボる人がいるって話してたっけ。きっと同僚がサボってるんで見逃して欲しいんだな)


 そう飲み込むと、ライカも知らない振りを決め込む。

 元々その気配は危険な感じも、いささかの嫌な感じもないものだったし、今現在は明らかに彼らを見つめて観察しているような気配がしたが、その視線には暖かく見守ってくれているような心地があり、嫌な気配ではなかったのだ。


(あ、でも、本当はちょっとこの人に会ってみたいな)


 何かその気配に心惹かれる感じがして、そういう意味では無視するのが少し辛かった。


「よし、出来た。おまたせしました」


 その些細なやりとりに気付く事もなく、ホルスは見事に精密な青星花のスケッチを描き上げると、その樹皮紙をくるりと丸めて提げ箱にまた詰め込む。


「絵も描くんですね」

「ああ、いや、飾り物の形を考える時の参考にする為に目に付いた綺麗なものは描き留めるようにしているのさ、自分の想像力だけじゃ限界があるからね。何より自然にあるものが一番美しいと私は思うし」

「ホルスさんの作る飾り物はとても綺麗ですよね」

「ははは、ありがとう。今度何か買ってくれると更にありがたいけどな」


 そう、すっかり馴染みになっているくせにライカはまだ彼から何も買ってはいなかった。


「うあ、す、すみません、今度お金貯まったら何か買わせてもらいます」

「うんうん、楽しみに待ってるよ。それまでにライカ坊に似合うような物を何か作っておこう」


 賑やかに進む彼らを追うように誰かの視線も動くが、その気配の位置自体は変わらない。


(どんな人だったのかな?)


 どんどん遠ざかる相手との距離を感じて、ライカはもどかしいような寂しさを覚えた。彼がそんな自分の思いに囚われている間に、ジャスラクスがそちらの方向へ素早く小さい礼を取る。

 それは、同行の二人には気取られない巧みさだった。


 そこからすぐ小さな泉が現れ、そこを囲む潅木の向こうに出口の扉が見えた。


「出口ですよ~」


 引率している案内人よろしくそう言うと、ジャスラクスは扉を開く。


 そうして開かれた扉の向こうは、それまで漂っていた木々と花々の穏やかで濃密な香りがすっかり消えうせた、まさに戦場の光景ではあったのだ。

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