第14話 治療所
警備隊員のジルが敬礼をすると、城の開け放たれた正門に立つ衛兵が軽く答礼をしてみせる。それだけで一言もないままに彼らは城内に入った。
「おー、さすがに警備隊の人が一緒だと誰何されなくていいな」
露店の店主が感心したように言った。
「ホルスさん、のんきにしてますけど怪我の具合とか大丈夫なんですか?そろそろ色が変わって来てますよ」
ジルが露店主の顔を指して指摘する。言われたように、彼の顔に赤紫の部分が広がっていた。
「うう、意識すると痛みが酷くなりそうだからあえて他の話をしていたんですよ」
露店主のホルスは渋い顔をしてみせる。
「それは、申し訳ありません」
ジルはニヤリとした。
そういう軽口を叩ける内はそれほど心配ないと判断したのか、彼も少しのんびりと歩いている。
「坊やは大丈夫かい?とりあえず目立った怪我はないようだが。……あ、ちょっと口を切ってるか?」
そのままの流れで今度はライカに話を振って来た。
ライカは慌てて首を振る。
「ええ、俺は全然平気です。あの、」
「ん?」
「俺、ライカって言います。ジルさん、でしたよね?」
それほど年の差が無さそうなジルにまで坊や呼ばわりをされるのが嫌だったライカは、控えめに訂正を入れた。
「ああ、すまん。ジルってのはまぁ班長がそう呼んでるだけで本当はジャスラクスってんだよろしくな」
歯を見せて笑う顔がいかにも若々しい。
自分と同じという事はないだろうが、きっと本当にまだ若いのだろうとライカは判断した。ジャスラクスは、湿った土のような濃い茶色の髪と明るい灰色の目をした、背の高い、いかにも俊敏そうな青年である。
しかし、彼の本名と愛称の間の関連性がライカには良く分らなかった。いくらなんでも縮めすぎだし、無理に縮めてもジルにはならなさそうな気がしたのだ。
「そういやロウスさんの孫なんだって?噂は聞いてるぜ、なんかミリアムの店で働きだしたとか」
「ええ、よくご存知ですね。確かまだ店にいらっしゃった事はありませんよね?」
人間個々の顔立ちの違いなどはまだよく分からないライカだが、彼の雰囲気は店では感じた事がないと判断してそう言ったのだ。ライカがミリアムの店で働いている間に警備隊の人間が来た事はあったが、おそらくはこの人ではないと思われる。
(噂ってなんだろう?)
そこは少し気になった。
「そうなんだよ、飯食いに行く暇もねぇんだこれが。まああさってくらいには休みが取れるからそんときゃ飯食いに行くからよろしくな」
しみじみと言って親指を立てて見せる。どうやらそれは挨拶の一種らしいとライカは判断した。
「警備隊って忙しいんですね」
「人数少ない上に最近は公道整備にも駆り出されてるからなぁ。寝る時間が取れる内はまだ大丈夫だとか班長なんか言うんだけどさ、ひでえよな」
ぼやくジルに、ホルスがすかさずフォローを入れた。
「それじゃ、尚更さっきの買い物は良かったですよ。女性は放っておかれる事がことのほか嫌いですから、機嫌を取っておかないといけません」
真剣に説く。
どうやらライカの気付かない内に先ほどのペンダントを買わせていたらしい。
その押し負け具合から、良いお得意様になる匂いを露店主のホルスはジルに感じ取ったのかもしれなかった。
「あー、そうなのか?食えもしないもんに、ちと痛い出費だったような気もするんだがな」
「そんな事言ってると真剣に嫌われますよ」
「ううむ、女って難しいな」
ジル、いや、ジャスラクスは溜息をついて見せる。この反応からすると、確かに彼は良い客になりそうだった。
「お、着いた。ほら、あそこが治療所だ。ちゃんと正規の療法師がいるんだぜ。あ、ロバはそこの立ち木にでも繋いどくといいよ」
門から右手にかなり歩いた奥の建物を指してジャスラクスはそう言った。
それにしても城郭内はやたら広く、複雑だ。ちょっとした林のような場所や色々な建物も建っているし、街中ではあまり見ない石造りの壁のような物があちこちに見受けられた。下手をするとこの城郭内だけで市街地側に匹敵する広さがあるのではないか?とライカは思う。
治療所と示されたそこは、周囲を花壇や、あまり広くない畑に取り囲まれた中に建つ、土壁を白く化粧塗りされた建物だった。天井は高いが、上に階を持たない平屋造りで、その代わりというようにやたら敷地が広い。おまけに彼らの方角からは全体は伺えないものの、いくつかの納屋のような小さい建物と壁を繋いで、まるで蟻の巣のような少し複雑な形になっているようだった。
「ちわ、検査たのむ」
伺いをたてる事もなく、いきなり扉を開くと、ジャスラクスは入り口にある受付にツカツカと歩み寄り、用件を告げる。
「あら、ジルさんどうしたの?任務で怪我でもしました?」
そこには女性がなにやら作業をしながら一人で座っていた。
「いや俺じゃなくてそこの事件の被害者二人」
「まあ」
用件を聞いた白いローブ姿の女性は慌てて立ち上がる。
「お待ちください、師をすぐに呼んでまいりますわね」
「よろしく」
早足で歩き去る女性を見送って、ジャスラクスは二人を振り向いた。
「お二人さん、こっち」
彼は入り口からすぐの仕切られた部屋へと二人を導くと、土壁と土間の上をわざわざ木の板で覆っているその一画の奥を指し示す。
そこにはゆったりとした厚手の詰め物をしたクッションがいくつも置いてあり、床にはびっくりするほど立派な絨毯が敷いてあった。
「この大きめのクッションを背中と壁の間に入れて、体にムリのない姿勢で座っとくといいよ」
「な、なにか立派すぎて落ち着かないんだが」
細工物露店の主人ホルスは、座るどころではなく、絨毯に足を下ろすのも恐ろしがって壁の端に寄ってしまう。
「ハーブの香りが充満してますね、薬草がほとんどのようですけど、一般の料理とかお茶に使うようなのもあるみたいだ。あ、肉桂の香りもするや」
緊張の為か、複雑な香りに少し酔った為か、ライカもほぼ独り言のような呟きを零した。
「こんなむちゃくちゃな匂いをかぎ分けてるのか?どんな鼻してんだ」
ライカの言葉に反応して、ジャスラクスが呆れたように肩をすくめる。そんな雑談に興じる内、大して待つ事もなく人の気配が増えた。やはり白いローブを着た、しかし今度は背の高い男性である。
「具合はどのような感じですか?怪我をした時の事を詳しくお願いします」
そうジャスラクスに尋ねるその口ぶりからして、彼がここの療法師なのだろうと、ライカとホルスの二人はじっとその様子を窺った。
「あ、せんせい。ちわ、今日は俺じゃないんだな。こっちの二人なんだが、乱暴者に蹴ったり殴ったりされたらしいぞ、頭や腹を遠慮なくやられたみたいだからちゃんと調べといてくれってさ」
ジャスラクスの説明は少し乱暴だった。
「なるほど」
しかし先生と呼ばれた方もいつもの事なのか、気にした風もなく、そのジャスラクスへと向けていた顔を改めて二人に向けると、柔らかく微笑んでみせる。
「こんにちは、ここの療法師のユーゼイックと申します。話を聞きながら触診をするので体を楽にしていてもらえますか?」
「こんにちは、先生。お世話になります。ホルスです」
「こんにちは、ライカと言います」
話を向けられた二人は礼を返しはしたものの、触診とか楽にとか言われて、どうして良いか分からずにオドオドとしてしまった。
療法師のユーゼイックという先生は、短くした淡い赤茶色の髪にこげ茶の目をした優しげな風貌の人物だ。ライカのあまり信頼の出来ない推測からすると、班長さんよりは年上なのではないかと思われた。
「あの、よろしければこちらの少年からお願いできますか?彼はまだ成長途中で体が出来上がっていませんし、怪我なんかして後に響くような事になると大変ですから」
ホルスがおずおずと、しかしはっきりとそう言ってライカを示した。
自身の体に不調がない事を知っているライカとしては、大変申し訳ない配慮である。
「え?でもホルスさんの方が酷いと思いますよ。俺はそこまで酷くされなかったし」
なので、ちょっとだけ恍けてさりげなくホルスに治療の先を譲る。
「いや、駄目だ、大人としての沽券に係わる由々しき事態だ。お前さんが先に治療を受けるまで俺は受けんぞ」
きっぱりと言われてしまい、ライカもさすがにそれ以上抗う言葉が出なかった。
やっぱり少し怪我らしい怪我をしておくべきだったと改めて反省する。
「はいはい、じゃ、君から診ますから体から力を抜いて楽にしてくださいね」
「あ、はい」
ややひやりとした指先がライカのこめかみ辺りをゆっくりと探る。
「ここは殴られましたか?」
「ええ、でも大したことはなかったと思います」
「そうですね、ほとんど衝撃は残っていません。体内に凝りはないようです。後は腹部ですか?」
「あ、はい」
返事を受けて腹部に軽い圧迫が繰り返される。その感触には不思議な安心感が伴っていた。
「ふむ、こちらも大丈夫のようですね。体内の循環も正常なようですし、危険はまずないでしょう。口を開けてみてください」
言われて口を開けると、ユーゼイックはライカの顎に負担が少ないように手を添えて支えてくれた。
「口を切ってますね。しばらくは食事が沁みますよ。薬を調合しておきますから塗っておいてくださいね」
「あ、はい。ありがとうございました」
ライカは療法師という職業がある事は知ってはいたが、当たり前だが実際にその手当てを受けるのは初めてだった。そのため、その丁寧で柔らかいやりとりの一つ一つに、なにか気恥ずかしいようなくすぐったいような気分を味わってしまう。
「それじゃあこちらの、ホルスさんでしたか?ああ、緊張しないで楽にしてくださいね」
「は、はい。あの、その、俺なんぞ不調法者で、正式な療法師さまの治療なんて受けた事がないので、何か失礼をいたしましたらす、すんません」
やたら緊張しまくるホルスの様子からも分る通り、実は療法師という存在は一般的な認識として高位の存在と考えられている。人の体内の様子を指先で探るという特殊な技能でもあり、その習得にはある種の才能と長い修練が必要とされていた。
時代的にも一人育てる為の手間暇的な意味でも当然ながらその人数が少なく、王侯貴族の中には、どれ程の富や地位を用意してでも自身の膝元に抱えたいと思う者も多い。普通なら、庶民が気軽に治療をしてもらえるような相手ではないのだ。
「まだ治療というほどの事はしませんから安心してください。ふむ、こめかみの少し上の部分の内部が損傷していますね。危険な程ではないですが放っておくと痣になるかもしれませんから中の出血を抑える必要があります。後は腹部も似たような状態ですが、こちらは損傷が酷い分長く痛みそうですね。回復の手助けをするものと痛み止めが必要でしょう。幸い骨や内臓は無事なようです。頭は揺さぶられたりした場合は、その衝撃をまだ覚えているかもしれませんので、明日までは急激な動きを控えるようにしておいてください。調合した薬を後で出しておきます。それと表面の傷の治療はここで行いますので、奥へ移動してもらえますか?」
その流れるような指の動きによる軽い圧迫を受けていると、やはり何か心地良い気分になってしまうらしい。ホルスはユーゼイックの言葉の最後の方では、うとうととしていてちゃんと聞いているか怪しい位になっていた。
「せんせ、薬を渡す時にもう一回説明した方がいいかもしれんぜ」
ジャスラクスが笑いながら助言する。そういう状態を見るのに慣れているのだろう。
「そうですね。スアン、この方の怪我の治療をお願いします」
ユーゼイックも微笑むと、傍らに立つ同じローブ姿の女性に声を掛けた。
それを見て、ホルスは更に慌てたように赤くなる。
「あ、すんません、なんか気持ち良くって、ついウトウトと」
「気にすんなって、みんなそんな感じになるんだ」
笑ってジャスラクスは説明した。
「療法師の方の指って不思議な感じがしますね」
自身も触れられた時に感じた心地良さを思って、ライカは呟く。ジャスラクスはそれに頷いた。
「なんでも体内の動きを感じ取ったり活性化させる事が出来るって話だしな。ほんとありがたいよな」
「そう大仰なものでもありませんよ。全ては知識と修行によるものですしね」
やたら持ち上げる彼らを制するようにユーゼイックが言葉を挟む。
「いやいや、そもそも民間の紛い治療士とか呪術師とかとは比べ物にならんのだから大いに誇っていいと思うんだけどなあ、せんせえも」
「民間治療士や呪術師にも素晴しい方はいらっしゃいますよ。ですが、お褒めに預かりありがとうございます。ところでジル殿、後で警備隊の詰め所にお茶を持って行ってくださいますか?」
「茶?」
「最近みなさんお疲れのようですから、疲労回復のお茶を調合しました。とても香りが良く仕上がったんですよ」
「そりゃ助かるな。うちは茶に煩い奴が多いし、喜ぶよ」
彼らののんびりしたやり取りの内に、奥の長椅子に寝かされたホルスの治療が進んでいた。
「っつ、なんかむず痒いような痛みが」
「この軟膏には悪いものを排除する作用と患部を痺れさせて痛みを抑える作用があるんです。最初はちょっと沁みますが、すぐに痛みも引きますよ」
助手の女性が微笑みながら軟膏をどんどん塗っていく。
その間、ホルスは何かを耐えるように顔を引き攣らせていた。
くすぐったいのか他の何かのせいなのか、どうもかなり耐え難い感覚らしい。
「治療終わったら次は警備隊本部に行くからな」
ジャスラクスが頃合と思ったのか彼らに声を掛けた。
「あ、はい」
「ライカさん、これを少しの間噛んでなさい。口の中の邪気払いと血止めになります」
渡された赤っぽい葉をライカはうなずいて口に入れる。
ライカはそれを目にして、それが以前竜王達の世界にもあった、紫の小さい花が房のように咲く植物のものである事に気付いた。向こうでもちょっとした血止めと毒消しに使っていたのだ。
香りは薄いがすっきりとした口当たりで、薬草というより香草という感じがする。
「ここには色んな香草や薬草や茶葉が揃っているみたいで、楽しそうですね」
口の中の出血は止まり、なんとも言えないスースーする辛さが血の臭いの気持ち悪さを拭ってくれた。
周囲に漂っている香りの中にはハーブ屋では手に入らない物も窺える。
竜の中で育って香りに敏感なライカとしては羨望の環境だった。
「興味があるのかい?」
聞きとがめて、ユーゼイックが尋ねる。
「ええ、少し」
「それなら奥に薬草園があるから今度見に来るといいよ」
軽い調子の彼の言葉にライカは驚いた。
「え?でもお城に勝手に入る訳にはいかないでしょう?」
「いやいや、用件を言えば本城以外にはほぼ出入り自由だよ、ここは」
彼はあっさりとそう言った。
「そんな事言ってると城詰めの警備班が泣きますよ」
目を丸くするライカの顔を見ながら、ジャスラクスが他人事のように言って笑った。
どうやら事実のようである。ライカの教わった知識では、人の世界は階級世界であり、城に住むような高位者と市井の人間はあまり関わらないのが普通のはずである。
「知識と現実ってやっぱり違うんだな」
ライカはそんな風に思ったのだった。
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