第16話 私闘

「でぃやぁああああ!」


 空気それ自体を震わすような声が、中庭を突っ切って城の南側に出た三人の鼓膜を暴力的に打った。


「うわあ」


 ジャスラクスがうんざりしたような顔で気の抜けた声を出す。

 そこでは門番と同じく警備隊とは逆の配色の赤い隊服に黒の肩布の兵士が数人、恐らくは剣の立ち合いらしきものを行っていた。

 彼らは主に城内の守護を任じられている守備隊だ。

 守備隊の者達が手にしているのは、よく剣の稽古で使われるような木剣ではなく、金属の輝きを持った剣の形をした物である。それが真剣かどうかはライカやホルスには判断出来ないが、たとえ訓練用の刃が潰しているものであったとしても、まともにあたれば人ぐらい殺せる得物だ。

 ふと、その中の一人、先程の雄たけびの主でもあった男が、一行に気付いて顔を向け、ニヤリと笑ってみせた。


「ほう、ジルじゃないか。街組がなんで城内をうろうろしているんだ?」


 ジャスラクスと顔見知りらしい。

 しかし、呼び掛けられた当人はたちまち苦虫を噛み潰したような顔になった。


「俺はちゃんとお仕事だよ。ところであんたらこそ、ここは訓練場じゃないんだけど何してる訳?」


 なんとなく周囲の空気がひんやりとしてきている。

 今の雰囲気の二人を見れば、全く事情を知らない他人でさえ、ああ、こいつらは仲が悪いんだなと、瞬時に納得してしまうだろう。

 当然ながら、ホルスはたちまちそれを悟り、暴力沙汰の予感に思い切り焦りながら隊服の違う兵士二人を交互に見やっている。


「俺達が持ち場で何をしようと勝手だろう、お前が口を出す事じゃない」

「ああ、そう、んじゃ勝手にどうぞ」


 ジャスラクスは肩を竦めると同行している二人の方に振り向いた。

 ホルスは最悪の事態に事が進まずに済みそうなのでほっとした表情になったが、事はそうは上手くは運ばなかった。

 憤りを体よく躱された形の相手は、むっとした顔でジャスラクスに歩み寄る。


「待てよ、お前んとこの班長に『逃げるな』、って伝えておけ」

「は?お前頭打ちすぎてとうとうおかしくなっちゃったの?」


 ひんやりから真冬もかくやという寒々しさに移行した彼らの間の空気は、坂を転げ落ちる雪の塊のようにとめどもなく悪化の一途を辿った。


「なんだと!」

「前々から何度も言ってるが、うちの班長がお前に付き合う理由がないだろ?稽古ならお前んとこの部隊長殿か指南役のフォルサ様にでもつけてもらえや」

「稽古ではない!仕合いの申し込みだ!」

「だから、私闘は厳禁だろ?広場で水路にでも飛び込んで頭冷やせや」

「私闘ではない!」

「稽古じゃない仕合は私闘だろ?お前馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど反省しない馬鹿は始末が負えないぜ」

「貴様!いい加減にしろよ!騎士の魂を持たぬ平民出なぞ相手にしたくもないが、場合によっては俺が直々に剣の真髄を教えてやってもいいんだぞ?」

「騎士制度は名義上竜騎士に残ってるだけで特権制度自体はとっくに廃止されました。頭の古い貴族はこれだからな」

「騎士とは制度ではない!魂だ!」

「もういいから一人で剣でもなんでも振り回してろよ」 

「貴様!叩きのめされたいか!」

「はぁ?お稽古じゃない実戦で俺に勝つ気でいるの?」


 二人のお互いしか見えていないようなヒートアップぶりに周囲の反応は様々だった。絡んできた隊士の仲間はどうやらこういういざこざに慣れているらしく、知らぬ振りでいそいそとその場を離れようとする者と、逆に事の成り行きを見物する者との二手に分かれた。

 とりあえず、どうやらどちらにも加勢をする者はいないようだ。

 事情がはっきりとは理解出来ないまま、すっかり置き去りにされた形のホルスは、険悪な空気に気圧されたように彼らから距離を取り、ライカも彼と一緒に佇んでいる。


「ライカ坊、なにやら嬉しそうだな。てっきり暴力沙汰は嫌いなのかと思ったが、やっぱり男の子だからこういうのは好きなのか?」

「あ、いえ、なんかあのお二人が楽しそうでいいなと思って」

「……そうか、まぁ確かに男ってのは喧嘩相手がいる方が楽しいかもしれんが」


 ホルスは普段はおとなしげな少年の意外な一面を見た思いでライカに対して妙な感心をしてみせたが、しかし、なにやら周囲が争い始めた中心の二人に対する消極的な批判、或いは忌避の表情を浮かべる中、一人ニコニコしているライカは思い切り浮いていた。


「自分に誇りを持っている方たちは見ていて気持ちがいいですね」


 ライカはその場で一人浮いている事に全く気付かないまま、そう言って綻ぶ花のような微笑を見せる。

 ともあれ、そんな周囲の様子は全く目に入っていない睨み合う男二人は更にヒートアップし続けていた。


「なんだてめぇ、私闘は厳禁とか言いながら随分と積極的じゃないか?」

「身の程知らずを放置しておくよりは、甘んじて罪を犯してでも事実を教える事も一つの道ですから」


 彼らは、既に得物を手に臨戦態勢になっている。

 守備隊の男の方はそれまで使っていたままの鋼の両手剣の柄を絞り込むように握り、ジャスラクスは腰の両脇に下げた棒のような物をホルダーから抜き取り、両手に持っていた。

 このままではまずい事になる。と、約一名を除く周囲の者たちが思った時、


 ―…ザバッ!


 耳に小気味良い音が響き、気付くと渦中の二人が体中から水を滴らせていた。


「う?」「お?」


 当事者と周辺に咄嗟に状況を把握出来た者はいなかった為、当惑という名の沈黙が場を支配する。


「犬の喧嘩には水を掛けるのが一番ですからね」


 涼やかで、耳に心地良い声がその沈黙を破った。

 桶を片手に微笑んで立っている声の主は、すっと立つ楡の木を思わせる女性だ。

 濃い栗色の髪を結い上げて、それを白い小さな花柄を散らした藍色の布で覆い、くるぶし迄の丈の、深い藍色の内着の上に手の込んだ縁飾りのある淡い紫の袖なしの貫頭衣を合わせて着ていた。


「う、女官頭」

「セッツアーナ様」


 男達が口々にその名を呼んで無意識に後ずさった。


「俺は犬じゃないぞ!」

「うはぁ、やべぇ」


 ずぶ濡れの一人は怒り、一人はどうやら我に返ったらしく顔色を青くする。


「離れてて良かったですね。濡れずに済みました」


 そんな彼らの様子を遠目に見ながらライカはホルスに向かって囁いた。


「……ああ」


 ホルスは苦笑いをして応える。

 彼はあまりの事のなりゆきにやや硬直していたのだが、ライカの呑気な言葉に気持ちがほぐれたらしかった。


「しかしまあ、あのジルって若いのは、班長さんにこっぴどく叱られるんじゃないかな」


 言うなり、指で宙に上から下に外側に跳ねる曲線を左右に3回描き、親指を握りこむ。


「良きこと良きこと」


 そしてなにやら意味の取れない事を呟いた。


「それはなんですか?」

「ああ、知らないか?災厄避けのまじないさ」


 へぇと感心して、ライカは真似をした。


「街と城を守護する立場の剣を授かりし者でありながら、なんという有様ですか。特にシンカ殿、あなたはここをどことお思いなのですか?」


 女官頭と呼ばれた女性、セッツアーナは声を荒げる事なく滔々と男達に語りかける。

 彼女に向かい合った二人は、いつの間にかずぶ濡れのまま直立不動の姿勢になっていた。


「そ、その、守備を預かる者として、いかなる時も鍛錬をとの気持ちで……」

「あなた方は考えた事もないのでしょうが」


 シンカと呼ばれた男の弁明を遮って彼女は言った。


「こういった名も無き小道一つとして、大事を行う方々に障りが無きように日毎に小石すら残さぬ心得にて整える者がある事を」

「う」


 遮られた言葉を惜しむ事も赦されぬ追求に、彼らの額には被った水滴とは違う時ならぬ汗が浮いた。


「好きに荒らし、思いを省みない。それはいささかも賊と変わりなき所業ではありませんか?」

「いや、その」

「決まりごとというものを守る立場のはずの者が、いの一番にそれをお破りになるのですか、嘆かわしい事です」

「も、申し訳もありません」

「心よりの謝罪を」


 二人を始め、取り巻いていた隊士達もそろって頭を下げる。

 セッツアーナはふ、と息を吐くと、にこりと微笑んだ。


「そうですか、お分かりになればよろしいのですよ。男子たるものに恥をかかせてしまい、わたくしこそ申し訳ありませんでした。いかに暖かくなったとはいえそのままでお体に障りがあってはいけませんわ。よろしければ薬湯を煎じてさしあげましてよ」

「あ、いや、俺は着替えてその、調べものをせねばならないので」

「俺はお役目の最中ですので、これで!」


 勢い込んで場を離れたジャスラクスは、憐れむような目で彼を見つめている二人の民間人に迎えらる事となったのだった。

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