番外編 子育て狂騒曲

 この世で最も高貴なる獣と呼ばれる竜王達は鎮痛な面持ちで顔を見合わせた。


「やはり無理なのか?」

「ええ、あの子の母親の背骨は落下の衝撃で砕かれてしまいました。そのせいで新たに血を作る事が出来ないのです。我らの女性と同じように人間の女性も自らの血液を母乳に作り変えているのですから」

「どうするよ?早いとこ乳を与えねぇと赤ん坊が死んじまうぞ」

「そうですね、とりあえず山羊の乳を飲ませてみましょう」

「山羊っつうと崖んとこに住んでる角のぐるんぐるんしてるやつか?」

「それは雄ですから乳は出ませんね」

「そんぐれぇ知ってるよ!種族の確認をしただけだろうが!」

「馬鹿を言ってないで早く行って来い」

「俺か!?俺なんだな!決まってるんだな!?」

「……やかましい」

「へいへい分りましたよ。しかしあれだな。天地に並ぶ者無きと言わしめた俺らが、またもや赤ん坊に振り回される羽目になるとはね」

「幸せな事ですよ」


 人化の法によって人間の姿に変わっている白の王は銀の髪をさらりと揺らし、微笑んでそう言った。

 傍らで小さな命が切なく激しく何かを求める声で泣いている。

 竜王達はこの小さな人間の赤ん坊の為に人の姿にその身を変えて世話をしていたのだ。


「おおっと、いそがなきゃな。あっちの部屋の瓶を一つ持っていくぜ」

「瓶?」「……瓶?」


 二つのいぶかしげな呟きは飛び出した赤の王には届かなかった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「遅い!何かを破壊するしか能がないのか!貴様は!」


 赤ん坊が泣き疲れて掠れたような声を絞り出す程になった頃、ようやく赤の王が戻った。

 白の王の纏う空気と言葉使いがかなり危険な状態になっている。おまけに黒の王のまなざしが氷のようだった。


「う、……色々と……いや、ごめんなさい」


 なにか体中に泥やら草やら…あろうことか動物の排泄物らしきものまでくっつけた赤の王は、情けなさにうなだれながら一抱えもあるような瓶を持ち込んだ。


「なんだ?これは?」

「え?山羊の乳だけど」


 赤の王のその言葉を受けて白の王は、いっそ優しげに微笑んでみせた。


「いいか、赤ん坊に飲ませる乳は新鮮なものでなければならない。そしてこの量では間違いなく余る。しかも大量に」


 淡々と、感情の見えない言葉が紡がれる。


「あ、いやサッズの時はこのぐらい飲んだし」

「竜の子と人間の子を一緒にするな!貴様の脳は腐っているのか!」


 ガシッと片手で目前の相手の頭を掴んだ白の王は、目に見える程にその手に力を込めた。


「イデデデデデ!!!やめ、割れるから!本気でまずいから!」


 実際に痛みは無いはずだが、エイムは哀れな様子を装う為か大仰に痛がってみせる。

 しかしその様子にセルヌイの笑顔は益々深くなった。


「あなたは本当に昔からその場その場の場当たりで生きてますよね」


 その笑みを見たエイムの顔が引き攣った。


 彼らを見て、ふ、とため息をついた黒の王は山羊の乳の入った瓶をさっさと持ち去る。

 叩き込みの木蓋を軽々外すと中身の様子をじっと見つめて、一つうなずき、用意してあった小さな海綿にそれを染み込ませる。

 声も枯れて、あえぐように泣いている赤子の口元にそれをそっと寄せた。


「ケホッ、ケホッ」


 赤子は、しかし少し吸ったかと思うと、弱弱しく吐いて、嫌々をするように小さな手で押しのけようとする。

 黒の王は眉根を寄せた。


「ダメだな」


 手の中の『赤の王だったモノ』を放り出した白の王が近寄って覗き込む。


「飲みませんか」


 後ろでうなりながら頭を振った赤の王がようよう身を起こすと、体の水を切る獣のようにぶるりと一つ身震いした。

 たちまち彼の全身を赤い炎が包んで、こびりついていた汚れが燃え尽きる。

 彼は白の王の立つ場所を避けるように回り込んで赤ん坊を覗き込み、眉根を寄せると呟いた。


「こうなったら赤ん坊を産んだばっかりの人間の女を掻っ攫ってくるか?」


 ガツン!と、かなり痛そうな音を立てて、今度は黒の王の拳が飛んだ。


「なにすんだ!くそじじい!」


 その罵倒が見事なまでに相応しくない、いっそ赤の王よりも若々しい姿の、黒く深い闇のごとき両眼がゆらりと揺らぐ。


「うるさい、ものの道理もわきまえぬ若造が。何も知らぬこの子に悪しき業を押し付ける気か」


 黒の王は抑揚の無い声で続けた。


「他者を不幸にすれば、たとえ本人は知らぬとも必ずその業は身に返る。白き御魂に我らが染みを付ける訳にはいかぬ」


 創生より生きし者の重々しい苦言に怯みながらも、赤の王もここは引かない。


「むぅ、しかし、このままだとこの子は死んじまうぞ」


 その時、カタリと小さな音が響いた。その部屋の入り口の方からだ。

 刹那、音の響きが消えぬ間に、赤の王はなんの動作も見せぬままやや離れた入り口に移動していた。それは全くの隙のない、流れるような行動である。


「なんだサッズか」


 万が一の警戒にその場に降り立った赤の王は、そこにいる相手を見てそう零す。

 入り口の外に佇み、中を窺うようにしていた若い、と言うかいっそ幼い竜がぎくりと全身を強張らせた。

 それは磨かれた鉱物のように光沢のある、藍にも、けぶる青にも見える鱗が美しい、若々しい飛竜だった。


「人化もできねぇひよっ子が、ここに近寄るなと言っただろう。うっかり赤ん坊を踏み潰したらどうするよ?」

「あの、これ」


 大事に銜えて来たのか、傷一つない滑らかな木の皮のような物が床に置かれる。


「竜桂樹の内皮ですね」


 いつの間にか近寄って来ていた白の王が口元をほころばせた。


「お前が赤子の時に作った竜の乳の代替の材料を覚えていましたか。優しい子、弟が心配だったのですね」


 彼は手ずから育て上げたその子、サッズに親愛の情を込めて目の下に頬を摺り寄せると、その木の皮を拾い上げた。


「しかし、人間に竜の乳は強すぎるだろ」


 赤の王はそう指摘して肩をすくめる。


「いや、待て」


 黒の王は考えるように一瞬目を瞑った。


「毒は薄めれば薬となる場合がある。使えるやもしれぬ」

「なるほど、馬鹿のやらかした馬鹿も案外と正解かもしれないという事ですか」


 ぐるうぅううっと、明らかに馬鹿にされた赤の王はうなりながら彼らを見やった。


「エイム、赤ちゃんの声が聞こえないけど、大丈夫なの?」


 だが、入り口でそっと覗き込むサッズに呼ばれた赤の王は、振り返るとにかっと笑って見せる。

 弟が可愛くて仕方がないのだ。


「お前のおかげでなんとかなるかもしれん、まぁちと待ってろや」


 白の王が自らの爪で我が指先を傷付けると、一滴の赤い血がぷくりと浮いて表皮を離れる。それが地に落ちる前に彼の短い声が静かに響き、血の雫は中空に浮いた。

 液体であったはずのそれは、指先を離れた途端にたちまち硬く固まり、宝石の紅玉の如き硬質な輝きを浮かべている。

 それは体外へと漏れ出た時の彼らの血液の特性であった。

 外気に触れれば硬化する彼らの血液は、とにかく加工するのに手間の掛かる素材なのだ。

 次いで、竜桂樹の内皮が置かれた場所から浮き上がり、高速で見えない刃でも振るわれたかのように粉々に砕かれ、やがてさらりとした白い粉になる。

 その粉と固まった王の血が触れ合うと、再び血液が硬さを失い、とろりと溶けた。

 互いが合わさったその液体は淡い黄金に輝き、母竜が体内で造る竜の乳とほぼ同じものとなるのだ。

 そして出来上がったそれは、誰の手も触れないまま、中空を移動して山羊の乳の満たされた瓶の中に溶け込まされた。

 大量の山羊の乳で薄めれば、竜の血の毒性も薄まり、薬としての効果が出るのではないか?という発想なのである。

 歌うように響く、ことわりを揺り動かす白の王の声の中、ゆっくりとその液体が撹拌される。

 山羊の乳であったものは白から柔らかいクリーム色に変化した。


「さて」


 促されて、黒の王は瓶の中の様子を確認する。


「少し冷えたな」


 言うなりちらりと赤の王へとその視線が流れた。


「へいへい」


 肩をすくめた赤の王、エイムの手がその瓶の口の上辺を薙ぐように掠めると、ミルクにほんのりと熱が乗る。

 黒の王は一つ頷き、そこから指先に僅かな量を掬い取り、赤子へと近付けた。

 赤子の口元に三竜王の視線が集まる。


「んあ、あ」


 赤子は目の前に差し出された指に夢中で吸い付き、二つの小さな手が何かを掴もうかとするかのようにじたばたと開いたり閉じたりする。


「お、大丈夫そうだな」

「念の為もうすこし様子を見ましょう」


 彼らの注目の元、僅かに味を示されたのみで空腹の要求を満たされなかった赤子がふぇふぇと泣きながら手足をうごめかす。


「これは……可哀想ですね」

「まずい、こっちの方が精神的に耐えられなくなりそうだ」

「もう少し我慢するんだ。慌てて大量に与えてから身に毒だったとなったら目も当てられんぞ」


 やがて体内の循環の間を計って、安全を確信した黒の王が、再び暖め直した竜王特製人の子用ミルクを新しい小さな海綿に含ませ、赤子に飲ませた。

 あうあうと意味不明の言語を発しながら、小さな体は必死でそれに吸いつく。

 その様子に、彼らはホッとした顔を見合わせた。


「残った分をどうするよ」


 ホッとした途端、たちまち緊張を失って、柔らかい小さな命に自分の指を掴ませたりしながら、相好を崩してニマニマとしていた赤の王は、何気なくそう聞く。

 その腕の中に抱いて根気強くこまめに授乳を繰り返していた黒の王は彼をちろりと睨んだが、赤子に夢中の赤の王は気付いた風もなかった。


「成分を壊さないように凍結して保存しましょう」


 それへ赤子の体温を守る為の布や替えの海綿やらを準備しながら白の王が応じる。


「だったら愚痴愚痴言わずに最初からそうすれば良かったんじゃねぇか」

「馬鹿は馬鹿ですね、口に入れるものは出来るだけ新鮮な方がいいのは間違いありません。今回の処置は竜血ものの性質上仕方のない事だからですよ」


 またもや口論を始めた彼らを放置して、ここぞとばかりに赤の王を引き剥がし、黒の王は赤子にミルクを飲ませ終わった。


「もう眠そうだ」


 彼は腕の中の小さな生き物を不思議そうに見つめる。

 現在生き残っている竜の中でも最も永く生きた彼にとって、この弱く儚い命はどんな謎よりも不思議な存在なのだ。

 と、その小さな口に白っぽいものが溢れてきた。


「……おい、ミルクが逆流しているぞ」

「あ、飲ました後背中を軽く叩いてたぜ、確か人間の母親は」

「あなたはどうしていつもいつも肝心な事を必要な時に思い出さないんですか?やはりその頭は飾りでしょう?」


 いつもの言い争いを他所に、黒の王は手の中の赤子を抱き起こして背中を摩ってやりながら、


「なるほど、狭い入れ物に粘着性の水溶物を入れると空気が入り込むのと同じ理屈か」


 などと何か深遠な真理を解明するかのような口調で一人呟く。

 小さなゲップが出て、とろとろと眠りかけていた当の赤子がそのゲップにびっくりして目を開けた。

 ふと、もはやその殆どを封印したはずの感情が身の内から零れ出るのを感じて黒の王が微笑んだ。

 その時微かな気配が部屋の入り口で動く。

 そこにはいきなり出来た弟が気になって仕方がないという様子で必死に首を伸ばしているもう一人の愛し子がいた。


「サッズ」


 怒られると思ったのか、彼はまたも大げさな程にびくりとした。


「いいか、絶対に動くな、いや、とりあえず息も止めておけ」


 そんなちょっと非情な言葉を投げて、黒の王はまだ幼い竜であるサッズに近付く。

 腕の中の存在は、見えてはいてもその見える物についての認識がまだはっきりとしていない琥珀の目を思いっきり見開いて両手をあちこちに彷徨わせている。


「ほら、お前のおにいちゃんだ」


 黒の王はサッズの目前にその赤子を差し出した。


「あぁ、あー」


 赤子は何か感じる事があったのか、サイズも容姿も自分と全く違う大きな兄を見て、泣く事もせずに手を伸ばした。

 まるで小鳥のように柔らかくて小さな手が、堅く強大な鱗に覆われた藍の色の幼竜の鼻先に触れる。


「きゃううう」


 そして触れた途端、何かを一生懸命訴えようとしているのか、それともそこに昇りたいのか、赤子は更にエキサイトして両手を振り回した。


「おー、あのやんちゃなサッズのやつが固まってるぞ」

「一瞬たりともじっとしていられないあの子が彫像のようですね」

「そういや」


 微笑ましい光景を眺めていた赤の王が思い出したように問う。


「この子の名前決まってるのか?俺らがつけていいんかな?」

「母親が夢うつつに名前を呼んでいました。ライカというらしいですよ」

「ライカ?男の子だろ?この子」

「母親が付けた名前だと言ったでしょう、人間の名前ですよ」

「ああ、なるほど」

「でも悪くないのではないですか?ライカ花になるものというのも。可憐な子に育つでしょう」

「え?いや、だから男の子だろう?可憐に育っちゃまずいだろ、大人になって人間世界に行きたいとか言い出したらどうするよ、あんな世界でも生きられるように逞しく育てないと」

「人間世界で起こっている戦争ももうすぐ終わりますよ」


 ぽつりと白の王が告げる。


「え?ほんとうに?なに?予言?お前そういうの出来ないんじゃね?」

「真王が出た、聖騎士も現れた。共に同じ方向を目指している」


 黒の王がそろそろブルブル震えて様子がおかしくなってきたサッズから赤子を遠ざけて部屋の奥へと歩きながらそう言った。


「タルカスの星見か、そりゃ良かった。地上はひでぇざまだからなぁ。人間ってのはつくづく安定しない生き物だぜ、弱くて、そのくせ地上の覇者になっちまうし、身食いをせずにはいられないときてる」

「安定など終焉の印、地を焼き尽くす愚かさは我らとて似たようなものだ、自らを律する道を見出せば人は良き王にもなろう」


 語る彼らの後ろでなにやら重いものが落ちるような音がした。


「サッズ、お前、呼吸を再開する判断くらい自分でやれよ」


 幼い竜であるサッズが緊張のあまり倒れたらしい。

 それに振り向きもせずに赤の王がため息をつく。何か倒れた場所から泣き声のようなものが聞こえるが誰も気にしない事にしたらしい。


「地上の争いも収まるのですから、可憐に優しく育って欲しいものです」

「いや、だから男は逞しく育てるべきだって!」


 育ての親達の賑やかな声を子守唄に、小さな赤ん坊は満足そうにあくびをすると、遠くて近い明日へと続く眠りの国へと旅立った。

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