第7話 ある日の食堂

「思うんだけどさ」


 滞在五日目で、もはやすっかり打ち解けた相手にライカは言った。


「この店の給仕の仕事って一人で足りてるの?」


 彼の話しかけている少女、この食堂の一人娘であり、たった一人の給仕である所のミリアムは、額の汗を片袖で拭きながら微笑んでみせる。


「まあ、実際の所、足りてないわね」


 そう答えた直後も、店の入り口側からの呼び掛けに、流れるような動きで注文を取りに行った。

 この宿屋兼食堂、パクサーの一枝亭という名前の店は、家族三人でやっている店である。

 ミリアムの両親である親父さんとおかみさんは、厨房に篭って注文された傍から料理を作ったり、作り置きを暖め直したり、足りない食材を買いに走ったりとてんてこ舞いだ。

 宿こそ現在ライカと祖父しか泊まってないからいいようなものの、そんな状態でミリアムは表の給仕を一人でやっていた。

 見ている方も目が回るような忙しさである。

 ミリアムはそんな大変さを顔に出さないし、元気よく飛び回る彼女に疲れを見て取る人間はあまりいないだろう。

 だが、昼時や夕食時のこの店は異様に混んでいた。

 割と広めの店内をたった一人で把握するのはやはり厳しく、時には客に足止めを食らい、身動きが取れなくなる場合すらある。 

 この時もそうだった。


「ミリアムちゃん、肉はないの?」


 奥の席に座った大男が、情け無さそうにいく度目かの懇願をしている。

 それをなんとはなしに見ながら、ライカは自分の茶を啜っていた。

 初春の高原バラのジャムを落とした優しい味は、甘さは薄いが香りが高く暇を持て余している身に優しい。


「もう何度言わせるのよ、ないわよ」


 ミリアムは珍しくうんざりしたような口調でそれに答えていた。

 明らかに苛立っているのが見て取れる。


「春先の息吹の節を過ぎるまでは動物を狩ってはいけない決まりだから、肉は遠くから届いた塩漬けか干し肉ぐらいしかないもの、絶対的に量が足りないのよ。とても安い料理で出せる値段にはならないわ」


 女性に強く言われると、男というものは反射的に苛立つものだ。

 客の男の顔がやや強張って来ているのを見かねて、思わずライカは口を出した。


「鳥はどうかな?確か鳥なら獲っても良かったよね」

「え?そうね、確かに鳥なら罠師の人が毎日市場に出してるから、山鳥とかなら出せるわね」


 少し驚いたように答えるミリアム。

 肉に拘っていた男は鳥肉かあとやや不満気にうなっていたが、少し離れた席についてた別の男の方がそれに反応した。


「あ、それなら俺、山鳥のあぶり焼きを頼むわ」

「はい、まいど!」

「うお、てめぇ俺が頼んでいる所を横入りすんなよ!」

「ああん、即効で決められんような尾羽の抜けた地這鳥野郎じゃ共食いになるからやめとけって」

「なんだとぉ!いい度胸だ!やるかてめぇ!」

「こら!」


 血の気の多い男どもが盛り上がっている所に、しゃきっとした声で制止が入る。


「うちは喧嘩はご法度よ、守れないようなら警備隊を呼んでくるからね」


 腰に手をあてて言い放った少女の吊り上ったまなじりに、男達はばつが悪そうに立ち上がった大きな体を縮めてガタガタと椅子に座り直す。

 そして、「いや、じゃあ俺も山鳥を肉団子にして団子汁を頼む」と、引き攣りながらの声が上がった。


「大変だね」


 席の横を通り掛かったミリアムに労いの言葉を掛けると、肩をすくめながらも明るい笑顔が降って来た。


「まあね、冬が過ぎて移動が楽になって来たから傭兵上がりの労働者の人達がなだれ込んで来てるのよ。でも助かったわ、私もうっかりしてたけど、鳥は大丈夫なんて事、よく知ってたわね」

「市場で色々教えてもらってるんだ。狩猟禁止の時期でも鳥と魚は獣じゃないから大丈夫とかね。今朝は市場を回ってた時に、肉屋のおじさんが春の山下りで押し寄せた白山鳥が大量に獲れたとか言ってたから特に印象に残ってたんだよ」


 紅茶を飲み干し、底に溜まったジャムを残った焼き菓子に塗って食べながら、ライカは少し前から考えていた事を口にした。


「ね、もし迷惑でなければ、忙しい時だけでもここを手伝おうか?」


 ミリアムが驚いた顔でライカを見つめる。


「本気?ライカなら凄くこういう仕事向いてると思うから私としては嬉しいけど」

「本気だよ。俺さ、じいちゃんが家とか仕事探してる間、何にもしてないのが嫌なんだよね」


 ライカがそう言うと、ミリアムは獲物を前にした獣を思わせる、なにか名指し難い笑みを浮かべた。

 正直、ミリアム自身も限界を感じていたのだ。

 昔は細々と知り合いが来るぐらいの店だったものが、労働者の増加と共にやたらと繁盛を始めたのだから。

 そういうもはや逃がさない的な雰囲気に全く気付かないライカは、しかしやや緊張した様子で自分の提案の答えを待っている。


「じゃあ、あと少ししたら午後の仕込みで店を一旦閉めるから、その時にとうさんやかあさんとも話して細かい事を決めようか?」

「いいの?うん、ありがとう」


 思いもよらず簡単に返事がもらえた事に、ライカは喜んだ。


「いえいえ、お礼を言いたいのはこっちだから」


 ニコニコ笑って手を振ってみせたミリアムは酷く満足そうだ。

 ライカの方はただ働くという事への憧れが叶う事が嬉しくて、気持ちよく受けてくれたミリアムの様子に、ホッとして仕事に戻るミリアムに手を振り返したのである。


 ―◇ ◇ ◇―


「まずはその日に定価で作る料理を覚えて、後はお客の希望を聞いて厨房に相談してくれれば出来るかどうかと値段を言うからそれをお客に伝えて貰う事」


 いつもは表に出てこない親父さんが手伝いのコツを教えてくれるのを、ライカは深くうなずきながら聞いた。


「んでもって料金は前払い、必ず先に金は貰う。そいから皿を持つ時は縁と底に指を添えて持つ事。絶対に料理に指をつっこまねぇように」

「はい」


 一つ一つの注意点を反芻するように繰り返して確認して、合格点を貰い、親父さんの差し出したエプロンを受け取った。


「おまいさんにはちとデカイかもしれんが、まぁ服が汚れるよりマシだからな」

「ありがとうございます」


 それは厚手の白い生地をざっくりと長方形に切り取り、上部に紐のわっかと下方両脇に生地の細長い切れ端を縫い付けたのみの簡単な物だった。

 着けてみると、確かに大きく、彼の膝のかなり下まで覆っている。

 正面から見ると神職の長衣でも着ているかのようだ。

 実用的な面から見れば、少し動き難そうであった。

 しかし、料理を運ぶ仕事である以上、ソースやスープや飲料が飛んで着衣を汚す事が間々ある。

 彼らのような平民が衣服の替えなど大して持っているはずもないのだから、それを避けるためにエプロンは必須なのだ。


「しかし、大丈夫かね?お客仕事なんてした事ないだろうに」

「実を言うと、仕事自体初めてなんですが」


 笑って答える彼に、そりゃそうだと豪快に笑う親父さん。ミリアムの父は鮮やかな赤毛の巨漢で、油焼けした顔に笑顔皺を刻んだ気の良い壮年の男だ。

 少しふくよかな体格の気持ちの良い笑顔の奥方と厨房で丁々発止のやりとりをしている声が時々店にまで聞こえてくるが、聞いていると仲が良すぎて言い合いになっているのが良く分かる。

 ここ数日の付き合いで、まるで昔からの身内のように扱ってくれる彼らがライカは好きだったし、あきらかに人手不足な状況を手伝いたいと思ったのは、手持ち無沙汰で仕事というものに興味津々だった彼としては自然な流れではあった。


「大丈夫よ、見てて思ったんだけど、ライカってむちゃくちゃ客商売向きだと思うもの」

「ほう」

「そうなの?」


 自信満々のミリアムに、ライカは自分の事ながら興味を持って耳を傾けた。


「まず、他人と相対した時の視線。普通、人って知らない相手と目が合うと自然に視線を反らすものなんだけど、ライカって他人と目が合うとなんだかものすごく嬉しそうな顔をするのよ。そうすると相手は無意識に自分が歓迎されていると思うから、なんとなく気分が良くなるのよね」

「ほう」

「へぇ」


 ミリアムの父とライカが同時に感心の声を漏らした。


「それから、私が料理を持っていくと、必ずその皿を置く場所を開けようとしてくれるし、狭い通路で他人とかち合うと必ず道を譲ってる、後、動作が見てて凄く綺麗なのがとても気持ちいいし」

「ほう」

「そうなんだ」


 いちいち感心したようにうなずく二人に、子供にものを教える先生のように背筋を伸ばしてコホンと咳払いをすると、ミリアムはにこりと笑った。


「だからライカがお店に出ると、私と一緒に店の二枚看板として評判になって客が増えると思うのよ」


 ふふふ、といつもと違う様子で不敵に笑う顔は逞しさに満ちている。

 さながら戦況を分析し、的確に兵を配置するという将のごとく、何か圧倒的な確信をそこに窺わせていた。


「ミリアムってなんかすごい」

「うむうむ、この娘は普段は根っから優しい笑顔の可愛い子なんだが、実はがっちりした守銭奴で商売人という二面性があってだな」


 父はちょっと微妙な評価を娘に下しているらしい。


「ライカってそのエプロンしてるとちょっと背が高く見えるよ」


 ミリアムはそのサービス業的嗅覚でもってライカの仕事に対するモチベーションを引き上げるべく一手を放った。


「え?本当?ちょっと嬉しいかも」


 ライカはライカで疑問も持たずに乗せられている。

 それに可愛いし、という言葉の方はミリアムはあえて口にせずに飲み込んだ。

 ミリアムの打算と商売っ気に裏打ちされた本能は、ライカが可愛いと言われる事を好んでないと気付いていたのである。


「はいはい、ただいま~!」


 そんな密かな娘の策略の只中に、裏手の勝手口から乱入した荷物の山、もとい、おかみさんが、元気よく挨拶を飛ばしながら着地した。


「おかえり」

「おかえり~」

「おかえりなさい」


 それぞれ色合いの違うお迎えの挨拶が暖かく響く。


「まあ、子供が一人増えたみたいでいいわねぇ」


 少しふくよかで、ちょっと小柄な彼女は、見かけによらず豪快な笑い声を上げた。

 そういう豪快な部分は似たもの夫婦らしい。


「なにか良さそうな出物があったかい?」

「南の果物が今年は出来が良かったみたいで干したのが大量に入ってたわ、付け合せにしたらいいかもね」


 ワイワイと、夕方のメニューを決めたり、お昼までの売り上げの確認をしたりと、賑やかな家族にあてられて、こういう雰囲気には慣れないライカは、ちょっとぼうっと立ち竦んでしまったが、まるでそれを見透かしたように同時に顔を上げた一家に、来い来いと呼び寄せられてその輪に組み込まれた。


「今ある材料から夕方の基本メニューを決めるから、意見があったら出してね」


 どうやらメニューを決めるのに意見を出す役割も与えられたようだ。

 その、何か怒涛のような流れに、ライカはふと疑問を浮かべた。


(ええっと、俺。確か忙しい時に手伝うってだけの話だったような)


 当たり前のように日常的な仕事の中の一員として取り込まれて、浅いと思った池に足を入れたら深かったような、漠然とした不安を感じながらも、ライカはエプロンの紐を丁寧に結び直して気持ちを新たにする。

 不安はあっても、それは決して嫌なものではなかった。

 昔からそうであったかのように彼に親しく話しかけてくるこの一家と一緒に働ける事を、確かに嬉しいと思っている自分がいる事にライカは気付いていたのだ。


「人と人の繋がり、か」


 遠い昔に、何度も母が語った言葉。

 人間は誰かと共に在ってこそ自分の価値を知る事が出来る生き物だ。と。


「なんだかバタバタしていて良くわからないけど、嫌じゃないよ」


 今は亡き母親にそう答えた。


「ね、ちょっと、ライカもぼんやりしてないで食べたい物を一つ出して」


 どうやら考える事は後にした方が良いらしい。

 ライカはそう悟って急いで思考を切り替え、ニコッと笑うと、食材を持ち出してあれこれ言い合っている夫婦の言葉に耳を傾け、昔読んだ本に載っていた料理の事とかも提案したら面白いかもしれないと思ってみたりするのだった。 

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