第6話 挨拶

「という訳でじゃ」


 この店の娘であるミリアムとのドタバタとしたじゃれ合いの後、従業員とお客に戻ったきちんとした挨拶を交わして順当に彼女を帰し、祖父はいきなりそう言った。


「ええっと、どういう訳?」


 とりあえずまだ会って二日の祖父と目と目で通じ合えないライカは聞き返す。


「さっきミリアムちゃんと話してたろう、今夜は酒場で羽目を外して女の子といい事して来るんで帰らん」

「ええっ!」


 先ほどの二人の会話は聞いていたものの、まさか本当にいきなりそういう事になるとは思っていなかったライカは驚いた。


「わしはどうせ朝まで帰ってこんから、ちゃんと扉の鍵をしておくんじゃぞ、間違っても夜に外をうろつこうと思うんじゃない。この街は警備隊が優秀じゃから治安はいい方じゃが、一癖も二癖もあるような輩が入り込む街でもある。人の目のない時間や場所はやっぱり危険なんじゃからの」


 孫の頬を優しく指先で叩きながら、その顔を見て言い聞かせる。

 その言葉やあやすような仕草に、いくらなんでもそこまで子供じゃないんだからとライカは不満を覚えたが、それ以上に夜一人になる寂しさが勝った。

 顔に出さないように堪えたライカだったが、見知らぬ場所に一人残される事を思うと心が沈む。


「う、ん」


 少しうつむいてしまった孫を不安気に見て、祖父が言葉を継いだ。


「寂しいか?」

「うん、でもどうせもう寝るだけだし、ジィジィ楽しみにしてたもんね。良いよ。いってらっしゃい。でも気を付けて、朝は早く帰って来てね」


 やや沈んだ声で、しかし明確にそう答えて、ライカは微笑んだ。

 祖父はその頭をくしゃくしゃにするように撫でる。


「すまんの、おなごは世界の宝じゃから、その魅力には逆らえぬのじゃよ。もう少ししたら一緒に連れて行ってやるからの」


 あははと、ライカはちょっと脱力した笑い声を上げた。

 そのまま手を振っていそいそと出かける祖父を見送る。

 扉を閉めて横木を押し込んで鍵をすると、途端に暗闇と静寂が辺りを支配した。

 書き物机に置いてあるランプに火を灯せば明るくなる事をライカとて知ってはいたが、なんとなくそういう気分にはなれず、窓板を上げて外を見てみる。

 気付かない内に九点鐘が鳴り終わったのか、外はもう暗くなり、天上に星が瞬いている。

 そのまま視線を落として下を見ると、窓の下は軒が張り出していて真下は見通しが悪いが、その部分を除いて見える範囲では、通りを歩く人の姿はもうあまり無いのが見て取れた。

 市場の入り口という立地上、暗くなって店が閉まれば人はいなくなるのだろう。

 あの昼間の混雑とはまるで別の世界のようだ。


「そうだ」


 ライカはふと思いついて視線で城を探した。

 城のあの高さで探す視線の範囲に見えないという事はこの窓の向きが城とは逆方向になっているという事だろうと考える。


「窓の大きさは問題ないけど、開けたままって訳にはいかないだろうし、どうしようか?」


 ここの窓板は開くと手前の止め棒を支えにして開いたままに出来るようになっていたが、それは室内側からだけでしか行えず、閉まった状態だとぴったり嵌め込まれて外からは開ける事が出来ない造りだ。

 ライカは少し考えると荷物から皮紐を取り出し、その中ほどに幾つかの結び目を重ねた大きめの結び目を作る。

 そして、左手を自らの胸に当てると右手をその手の甲に添え、僅かに開いた口から人のものとは思えない声を零した。

 それは例えれば山鳩の鳴き声を、より複雑に響かせたようなものに時折水の泡が弾けるような小さな破裂音が混ざる、聴く者があれば知らない鳥の鳴き声だなと思うような声だった。

 その声を響かせていると思われるライカの口元は一見して全く動いていない。

 ただ、今のライカに触れる者があれば、喉を中心として体全体が細かく振動しているのを感じ取れただろう。


「よし」


 大きく息を吸って、一言呟くと、ライカは皮紐を手にしたまま窓枠に手を掛け、そのままぎりぎり通れるくらいの大きさに開かれた窓から器用に身を躍らせ向こう側に体を移動すると、皮ひもの結び目の無い方を外に出したまま窓を閉める。


「これで外から開くよね?」


 試すように皮紐を引いてみると、中で引っかかった結び目が窓板を押し上げ、思惑通りその僅かに浮いた部分を手掛かりに開く事が出来るのを確認した。

 もう一度同じように窓を閉めると、ライカはそのまま建物を回りこむように屋根の上を歩き出す。

 本来なら軒の上に立っているのだから大して厚くない板組みのそこはそれなりの音を立てるはずだが、不思議とその足元は全く音を立てなかった。

 このような場所で、しかもこの暗い中、ライカの足元を見る者などいはしないが、もし誰かがそこを見たとしたならば、その足がほとんど軒の木組みに触れていない事に気付いただろう。

 ライカはまるで風に吹かれる羽毛のように、少しふわふわとした足取りで建物の外回りをぐるりと半周回り込み、思った通りそこから城の姿が見える事を確認すると、そのまま軒から離れて道へと降りた。

 ふわりと、まるでゆっくりと鳥の羽毛が舞い降りるかのような落下で、地面に着いた時も全く音がしない。

 まるで体重の無いようなその動きにつられ、長く編まれたみつあみの髪も体より浮き上がり、空中に踊った。

 しかし、まだ通行人は皆無ではない。

 通りがかりの幾人かには、この人間離れした動きが目に入っていたはずなのに、それに何かを感じたような反応をする者もいなかった。

 ライカは自分の行った事をなんら気にした風もなく、城の方向へと走り、その場を後にした。


 近そうに見えた城が意外と遠かった事に少し驚きながら、ライカは辿り着いた城の外壁を見上げた。

 それ程高い訳ではないが、普通に人が一跳びで超えられるような高さでは決して無い。

 その上、壁は途中からゆるやかに外側へと覆いかぶさるようなカーブを描いていて、よじ登る事も難しい造りになっていた。

 そのまま壁沿いに歩くと正門があり、今は閉じられたそこに明々と二つの松明が灯され、街の入り口にいたような兵士が二人姿勢を正して立っている。

 ライカは、その兵士達の姿がぎりぎり見えるぐらいの場所で地面を蹴った。

 決して力を込めた跳躍ではない。

 音も立たないような軽い蹴りでライカの体は浮き上がり、緩やかな上昇で壁の上辺に足を掛け、再びそれを蹴っていともたやすく壁を越えた。


「ええっと、竜舎ってどこかな?」


 昼間聞いた情報によれば前庭の脇の方らしいのだが、暗い事もあってよく分からない。

 城の本体と外壁の間の前庭らしき空間をざっと見渡してみると、ここにも幾人か兵士が配置されていた。

 なのでライカは彼等に近付き過ぎないように歩き回ってみる事にする。

 俗にいう行き当たりばったりというやり方だ。

 ライカが育ての親の竜王達(主にセルヌイ)から学んだ知識によると、後代の生き物である地上種族の竜は、彼の知る前時代の天上種族の竜達より遥かに体は小さいが、それでも人間よりはずっと大きいはずである。

 しかも彼らは自らの体の大きさを調整する事が出来ないのだという事だった。

 これは竜のみならず後代の種である地上種族全体に言える事で、ライカもそうだが、肉体とそれをコントロールする意識体が融合している事によって、肉体の変化は容易に行えなくなってしまったと考えられるのだと白の竜王であるセルヌイが言っていた。


 つまり竜舎というのが竜の住まいだと考えると、人間の体とそれに対する住まいの大きさを比較してみれば、竜の住まいがかなりの大きさとなる事は想像できる。

 行き当たりばったりでも見つかるだろうとライカが考えた根拠は、その想定される竜舎の大きさゆえの事だった。

 ざっと見て行くと、城に向かって左側に大きな木と池があり、その木の裏側にそれらしき大きさの建物が見つかった。

 中に向けて意識を探ると、明らかに人よりは懐かしい竜達に近い一つの気配がある。


 ライカは、その内部にも周辺にも人の気配が無い事を確認すると、竜舎と見当を付けたその建物へと近付いた。

 その入り口らしき場所にはびっくりするぐらい大きな扉があり、その中央には巨大な閂が掛けられている。

 そして、その大きな扉の横に、小さな、人間用と思われる扉があった。


 こちらは鍵を掛けられる事もなく容易く開く。

 なぜ人間用の出入り口に鍵を掛けないのかはライカには分からないが、竜の住まう場所にわざわざ忍び込む物好きがいるとも思えないという事なのかもしれない。

 ライカが中へと足を踏み入れると、何か大きなものが動く気配があり、うなり声のように低く喉を鳴らす生き物の声がした。

 竜はなわばり意識が強く、他者に自身の近くに踏み込まれるのを嫌う生き物なのだ。間違いなくライカの接近に気付いて威嚇しているのだろう。

 しかしその響く声に、ライカは恐れを感じるどころか一人微笑んだ。

 普通の人には単に恐ろしい獣のうなり声にしか聞こえない竜の声を、ライカは意味を持って聞く事が出来る。

 そしてどうやら地上種族の竜の言葉は太古からそれほど極端には変化していないようだった。


『こんな時間に知らぬ者の訪れがあろうとはな、しかし妙な気配だ』


 独り言であろうその言葉に、ライカは応じる。

 ライカの竜の言葉は、音の連なり自体は似ているが、響く声が普通の竜よりやや高く硬い。

 養い親達に言わせれば『生まれたての雛よりか弱そう』に聞こえるらしかった。

 それは人であるライカの体格上仕方のない特徴なのかもしれない。


『夜分の断りも無い来訪をお詫びすると共に名乗る機会をお与えいただくようお願い申し上げます』


 しばしの互いの沈黙が場を支配する。

 ライカは、地上種族と竜達が呼ぶ後代の竜の作法を知らないし、前代の竜の作法が通じるかどうかも分からない。

 下手をすると無作法者と思われて一顧だにされない事も有り得るが、例えそうでも、許可を求めた以上は、相手から何か一言を貰うまで決して動く事は赦されない。

 そんな事をすれば、もはや不作法というレベルではない。喧嘩を売っているようなものだ。

 それゆえライカはただ返事を待って佇んだ。


『これは、驚いた……』


 しかし、心配するまでもなく、沈黙の時間は短く終わる。


『梢でさえずる鳥のごとき軽やかな声の主よ、その軽やかさのままに名乗りをいただこう』


 ライカは相手に見える場所まで踏み入ると同時に、自分自身も相手の姿を目に入れた。

 異臭などなく、青い藁草の香りに満ちた清潔な場所に悠々と寝そべっている黒々とした姿にはある種の威厳が漂っている。

 しかし、ライカの養い親達に比べると、その竜は驚く程小柄だった。

 そして、その背の大きく折りたたまれた翼を見て、ライカは息を呑む。


(飛龍?)


 だが、以前竜王達から教わった事を思い出して思い直す。

 体に対する翼の大きさがいかに飛龍に近かろうとも、それは飛龍では有り得ない。

 彼は翼竜だ。

 この地上ではサッズと同じ飛龍は既に全て滅んでいる。

 現在地上に生きる翼ある竜は、前代では全ての竜が持っていた翼を受け継いだ新しい種族なのだ。

 実際、飛龍であるサッズは全体的にほっそりとしているが、この竜はどちらかというと手足は短めで首も短く、胸から後ろ足までが丁度ウサギのように丸まっている。

 尾も体に対する長さの比率は地竜である三竜王に近い長さであり、鱗もまた地竜に近く、ゴツゴツとしていた。

 そういえばと、ライカは思い出す。

 彼の養い親は言っていた。

 地上種族においては翼竜のみが、唯一飛ぶ事の出来る竜なのだ、と。


『大いなる空の勇者よ、我は三竜王の子にて未だ雛たる者。ライカと申します』


 竜族には養子とか養父などという概念が存在しない。

 人間のように他人の集団による社会を形成しない竜族の意識には、家族かそれ以外という認識しかないからだ。

 血が繋がっているかどうかではなく属する家族が何者かと、その中の立場とが重要なのだ。

 ゆえに例えそれが養子だろうが竜族的には実子という事になる。


『これは雅な挨拶をいただいたと思えば、伝説の竜王の御子であったか。我が生の波乱の時期は終わったと思っておったが、生きている限り何が起こるか分からぬものよ。しかし、男子には珍しい名前ですな』


 相手はカラカラと笑った。が、これは人が聞けば狼の唸り声に似た声である。

 狼が恐れられている事もあって、竜をよく知らない人間は竜の笑い声を聞くと思わず震え上がるものだ。

 知らぬ者からしてみれば、間違ってもそれが機嫌の良い証だとは思えないらしい。

 竜と長く付き合った人間が竜の声を表現した言葉には、それ鳥のごとし狼のごとしというものがあるが、実際彼らの声はそれらの動物の声と近い音ではあった。

 もちろん単に音として近いだけで、実際には細かい違いはあるのだが。


『いえ、あの』


 ライカは真っ赤になって弁解した。


『俺の名前は人間の両親のつけてくれた名前で、なので別に女名という訳ではないのです』


 実はライカという名は竜族では女名だ。

 全くの偶然だが、これが元で竜王達は時々彼を無意識に女の子として見ている節があるようではあった。

 竜族の名前にはある種の力があり、少なからず名の主も呼ぶ側も影響を受け易い。


『これは失礼した。しかし、という事はあなたは噂に聞く人化の法術で変化されている訳ではなく、そのまま人間の子供なのか。人間がまさか我らの言葉を話せるはずはないと思っていたが。驚くべき事だ』

『ええ、竜王方も驚いてましたよ。そもそも喉の構造が違うはずだからと』

『確かに不思議な話だ……と、失礼をお詫びします。挨拶を返すのも忘れて話込んでしまいましたな。我が名はアルファルス、同じく人に名付けられ、人族の戦士ラケルドを魂の伴侶カーム・ラグァに持ちし者です』


 挨拶が済む前に話を進めてしまった事を詫びて、彼、アルファルスは挨拶を返した。


『いえ、非礼なる訪問を快く受けていただきありがとうございます。ところでカーム・ラグァとはなんですか?』


 ライカは聞き慣れない言葉に首を傾げた。


『カーム・ラグァとは、我ら人と結んだ地上種族の者が生み出した言葉、魂の伴侶、すなわち運命を共にする者、人間の騎乗者の事です』


 知識深き竜王にも知らない事もあったのだとライカは少し感動した。

 或いは知っていても教え忘れただけという事もあるが。


『なるほど、するともしやラケルドという方はこの街の領主様では?』

『ご存知でしたか』

『ええ、噂だけですが。ところで挨拶を結ばせていただいてよろしいでしょうか?』

『是非もありません、喜んで』


 許可を口にし、静かに彼の方へと首を伸ばした竜の目元に、ライカは頬を摺り寄せた。

 これは竜族の正式の挨拶であり親愛の証で、親しい者同士なら名乗り等せずにこの挨拶だけで終わるのが常だ。

 竜は目の下に感覚器官があり、ここに接触する事で相手の詳細なデータを保管して、後々個々に意識を飛ばす事が出来るようになるという実利的な意味合いもある。

 接触するだけで相手の健康状態すら分かるのだ。


 次いで、アルファルスが逆側の頬に気をつけて顔を摺り寄せる。力加減を間違えるとその硬い鱗で少年の頬を削ってしまうので返す側は慎重にならざるを得ないが、さすがに人間と付き合いの長い乗用竜だけあって加減が上手かった。

 実際にはライカには竜のような感覚器官は無いのでこの挨拶はライカにとっては意味はないのだが、挨拶の形式なので仕方がない。

 挨拶が済むと、ライカはアルファルスの足元のふわりとした藁の山に座り込んだ。乾いた草のいい香りが全身を包むようで、ライカはほっと息を吐く。


 竜族は香りにかなり敏感な種族で、悪臭のある場所で暮らすとストレスを感じる。

 この竜舎の管理者はきちんとした仕事をしているようだった。

 ライカが寛いだのを見て、主であるアルファルスも、のんびりと体を横たえる。


『さっきの話の続きですが、実は俺は竜の言葉だけでなく飛翔術も使えるんです』

『……それは呆れた話だが、そもそも言葉も飛翔術も竜族に元々備わったもので後天的に習って覚えるものではない。ゆえに他者に教えるすべもない。話だけ聞いたなら信じ難い話ですな』


 人間で言えば声を出したり歩いたりする行為に当たるそれらは、竜族には考える前に覚えるような事だが、体の造り自体が違う人間には備わっている能力ではないのだ。


『そうなんです。それが、どうやら俺が赤子の時分に竜のミルクを与えたらしくて、それが原因かもしれないと竜王方は言ってました』

『は?竜のミルクを人間の赤子に?竜王様方も無茶をなさいましたな。しかし、そうですか、という事は我らの血肉を身の内に入れたという事ですな』

『さすがに量はかなり少なかったらしいですけどね』


 笑ってライカはそう言うと、ふと気になってアルファルスの翼に触れた。


『翼に傷がありますね』


 手に触れた感触に思わず眉を寄せる。触れただけでそれが酷いものであるのが分かるような傷だ。

 おそらくもはやこの竜は空高く羽ばたく事はないだろう。飛翔の術は地上種族においては働きが弱く、それこそライカのようにただ浮かぶ力でしかない。

 地上種族の竜族が空を自在に翔るには、どうしても翼の力が必要なのだ。


『古傷ですよ、おかげでもはや昔日のように空を駆け抜ける事は適いませんが、我がカーム・ラグァはそれでも変わらず我と生きると言ってくれた。戦士としては生き死にに関わるような弱体であったのにも関わらず。ですから我もその傷を誇りに思いはすれ気に病むことはないのです』


 痛みのない柔らかい言葉に、ライカも緊張を解いて微笑んだ。

 どうやらここの領主は評判通りの人間らしい。

 現実的にはライカが直接領主様に関わるような事もないだろうが、自分の住む街を治める者が憧れを抱けるような人間であるというのは、なんとなく嬉しい。


『ところで、ライカ殿はどうしてここにいらしたのかな?』


 聞かれて、来訪の目的の根本的な話をまだ全くしていなかった事に気付いて、ライカはさっと頬を染めて慌てて言った。


『肝心な話を忘れてしまって申し訳ありません。実は今度この街に住む事になったのでご挨拶に伺ったのです』

『ほう、それは……よくぞ竜王様方が御子を手放される覚悟をなされたものだ』


 彼は心からの驚きを込めて言った。


『実は産みの両親の願いで、人間の祖父と暮らして人として生きて欲しいとの事だったので、道理に適っているという結論になったのです。ちょっと揉めましたけど』


 それにしても、とアルファルスは呟いた。

 竜族は家族単位で生きる種族だが、他の種族に比して身内に対する情愛が深い事で知られている。

 例えば母親の竜などは卵を産めばそれが孵り子供が自ら生きていける位に成長するまで自分は全く食事をしないのだ。

 本来竜族の女は男より二回りも大きい体格を持つが、子育てをするとやせ細り男の半分程の体格までになってしまう。

 そして、子供が幼体からある程度成長するまで、伴侶ですらその近くに寄らせず、何かの拍子に子供が死ぬような事があれば必ず狂い死ぬ。


 そんな母程激しくないにしても、竜族の家族間の情愛は総じてそのような強い性質を持っていた。


 彼らに家族か世界かを選べと言えば、ためらわずに家族を選ぶだろう。

 つまり竜王の身内で最も力が弱いであろうこの子供の安全と幸福を他者に任せるという行為は、竜王達からすれば我が心臓である竜玉を他人の手に預けるよりも恐ろしい事のはずなのだ。


(さすがは竜王様と言うべきか)


「どうした?アルファルス、ネズミでも入り込んだか?」


 なじんだ人間の声に、アルファルスははっとした。

 竜舎付きの下男が漏れ聞こえる声を不審に思って様子を見に来たのだろう。


『人が来ますぞ』

『ああ、大丈夫です。俺を見ない振りをしていてください』


 カンテラの灯りと人の足音が近付き、アルファルスの寝床の周囲が照らされる。

 その光は明らかにそこに佇む少年を照らし出していたが、見回りに来た男がライカに気付いた風もなかった。


「最近運動してないから寝つけないのかな?領主様も忙しいお方だからなあ、よしよし、アルファルス、今度狩りに連れて行ってもらえるように頼んでみるからな」


 そう呟くと、男はゆっくりと立ち去った。

 気配が去ると、彼らはホッと息をつき、アルファルスは感心したようにライカを見た。


『どういう仕掛けですかな?』

『それこそ法術ですよ。無価値のまじないというんですけどね、そもそもはセ……白の竜王が人里でも自由に空を舞えるようにと作り出したものなんですが、人間に術の掛かった対象を無視するようにその無意識に働きかける術なんです』


 人の少数が魔法を使うように、天上種族の竜族は法術を使う。

 これは後天的に習って覚えるものなので、竜の言葉さえ操れればライカでも習う事が出来るものだ。


『けっこう便利ですよ』

『確かに便利そうだ』


 彼らは顔を合わせて笑うと、ライカは相手の鼻筋に触れた。


『それでは、夜分に寝所をお騒がせして申し訳ありませんでした。またお邪魔させていただいてよろしいでしょうか?』

『いく度でも、その訪れは我が喜びです』


 最後にペコリと頭を下げる人間らしい礼をして、ライカはその場を離れた。

 その小さな姿を見送りながら、アルファルスは小さく呟いた。


『これはまた……我が守りの手は唯一人の為にと思っていたが、心を砕かねばならぬ相手が新たに出来たようだな』


 魂を連ねるというのは互いに感じている事を共有する事でもある。

 その夜、城の私室にて領主がふと書類から顔を上げて笑みを浮かべた事を知るものは、彼の半身である竜以外誰もいなかった。

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