第5話 西の街と領主様
「おう、ねぇちゃん、酒の追加頼むぜ!」
奥の方の席に一人で掛けている体格の良い男がミリアムに声を掛ける。
「だめよ、うちはお酒は二杯まで。それ以上は酒場へどうぞ」
「いつもながら冷たいね~」
にっこり笑って断るミリアムに、男は肩を竦め、泣きまねをしてみせる。
「なんだ、麦酒二杯でもう酔っちまったのか?」
それへ隣の席の男がからかうように声を掛けた。
「馬鹿言うな!」
相手は顔を真っ赤にして反論する。
そのムキになった顔が可笑しかったのか、ミリアムと隣の男の笑い声が店内に響いた。
店は騒々しいが陽気な賑やかさなので、ライカとしてはそこに不快感は感じはしない。なんとはなしにそうやって騒いでいる男達を意識して眺めていると、似たようにガタイの良い男ばかりが半分以上の席を占めている事に気付いた。
「市場で買い物をしていた人達とはずいぶん雰囲気の違う人が多いけど、どうしてかな?」
その様子になんとはなしに呟いた言葉に、
「ああ、あいつらはほとんどが傭兵上がりの連中じゃよ」
と、祖父が応じた。
「傭兵って父さんと母さんがやっていた仕事だよね?」
「ああ、お前の両親もそうじゃったが、傭兵というのは戦いを仕事として自分の腕前を売る輩の事じゃ。戦の間は当然ながらそういう仕事が増えるし、他の生産的な仕事は否応なく減ってしまうから、自然に傭兵の仕事を選ぶ人間が増える。食っていくにはそれぐらいしかなかったからな。ところが戦が無くなった途端、たちまちそいつらの仕事も無くなってしもうた。連中は物心ついた頃から傭兵をやってたようなのが大半での、仕事がなくなったからとて他に何をして食っていけば良いか分からないような連中ばかりじゃ。たちまち食い詰めてしもうたんじゃな」
ロウスは手の平を上に向けてパァっと広げるような動作をしてみせた。
ライカは知らないが、これは酒飲みがよくやるアクションで、すっからかんになったという事を表す。
「仕事がなくなったら困るだろうね」
「そうそう、元々が腕自慢、乱暴な連中が多いんで、他に方法が無ければ盗賊なんぞになるような輩も出て来る。そうなると国の治安が乱れて物の流れが悪くなる。商人も命懸けじゃから日用品のような物の為に危険は冒したくないからの、高い品物しか運ばなくなるんじゃ。最終的に国全体が迷惑する事になる訳じゃ。そこでこの国の王は考えたんじゃろ、そいつらに別の仕事をあてがえばそういう事は防げる。とな」
「へぇ」
先の養育院の件といい、ライカは話を聞いて少しこの国の王様や貴族にも興味が湧いてきていた。
「具体的には爆発的に人が増えて住居が足りなくなってきている地域の居住区域の拡張工事や、逆に放棄されて人が住まなくなった地域が盗賊の根城になっていないかの見回り、荒れ果てて途切れたり、荒れて場所が分からなくなったりしてしまいがちな街道の整備なんかに雇って働かせる事にしたんじゃな。実際長年の戦いのとばっちりで、王都近辺以外はどこもかしこも荒れ放題じゃったから、これはお互いにとって得となる事じゃった」
「へぇええ、凄いね」
「ただし、昨今のこの手の方針は到底屋敷でふんぞり返っている貴族連中に思いつくような事柄じゃないとわし等はみておる。この辺りの案を王様に出したのは、実際は今はこの街の領主となったお方だと皆思っておるのさ」
「えっ?この街の?」
ライカが突然の話の展開に驚きの声を上げると、祖父はいたずらっぽく笑って続けた。
「うむ、なにしろこの街の領主殿は元々ご自身が傭兵じゃったからな。そういう所はよく分かっておられる。しかもこの国が戦に巻き込まれてからは、王の影にこの人ありと謳われた知恵者じゃ」
「でも、ここって国の端っこの街なんだよね。普通そんなに偉い人なら国の中心近くにいるものじゃないの?」
ライカの指摘に祖父はうなずいてみせる。
「それには理由があるのよ」
しかし、続きを答えた声は明るい少女のものだった。
「あ、ミリアム」
「はい、豆とヤマドリのスープ出来ましたよ」
ライカは慌てて自分のお茶のポットと、ど真ん中に置いてあった祖父の木杯をそれぞれの手元に避ける。
ミリアムは危なげなく両手に持ったスープ皿を音も立てずにテーブルに置いた。
「領主様は本当は戦が終わって国が落ち着いたら、王様からいただいていた位を返上して貴族でもなんでもない普通の領民に下って、地方へ引っ込むつもりだったらしいの。元が傭兵な上に出自は農民だったらしいから、身分に煩い貴族の突き上げからまた争いが起きたらまずいと思われたのね」
深い木製のスープ皿の中に大きな木のスプーンが突っ込んであり、熱々の湯気が鼻孔をくすぐる香りをもたらしてライカの食欲を煽る。
だが、食欲を抑えても話の続きが聞きたかったライカは、スープをそのままにミリアムの方を促すように見た。
「いいから食え」
祖父が、自分のスプーンでライカの手を小突く。
「そうそう、食べながらじゃないと続きは話さないわよ」
二人にそう言われて、ライカはスープに口を付けた。
「うっ!」
(ちょっと塩味がきつい)
そう思ったが、祖父は美味そうに食べているし、ここではこのくらいの味付けが普通なのだろうと、少し花茶を飲んで口の中を薄めながら飲み込んだ。
「それで、王様にそう願い出たら、王様がおっしゃられたそうよ。『この戦でお前程の活躍を遂げた者はいない。もしお前がここで野に下れば、人はこの国を恩を知らぬ国と呼ぶだろう』ってね」
「それで色々揉めた挙句、普通の貴族では治めきらないと判断されたこの街の領主になったって訳じゃ」
「あ、ロウスさん、ずるい」
話の先を取られてミリアムがむくれてみせるが、ライカの祖父は飄々たるものだ。
先ほど自分が同じように話を取られたのでそのお返しのつもりらしかった。大人げないと言えば大人げない。
「フォッホン、うむ、相変わらずこの店の飯は美味いわい」
そして思いっきり分かりやすく話を逸らした。
「普通の貴族では治めきらないって?」
ライカは祖父とミリアムのちょっとしたやりとりは放置してそのまま気になる事を尋ねる。
「この街は国の西端にあるわ。そしてこの街の西は果ての森、更にその奥は天牙の山々があって、見たって人はいないけど山を越えた先は断崖になってて海が広がっているらしいの。つまりここ以上西には行けない場所なのよ」
ミリアムは何かを思い出すかのような遠い目をすると、
「つまりね、本当ならこんな不便な土地に人が住みつく事なんてなかったはずなの。だけど、こんな僻地にこれだけ大きな街が出来たのは、長い間に戦から逃れ逃れて来た人達が最後に辿り着いた場所がここだったから」
一息にそう言ってミリアムは肩を竦めてみせた。
「そんな訳だから、元々戦に巻き込まれて苦労したこの街の人には貴族嫌いが多いし、そのせいで素直に身分の高い人の言う事を聞いたりしない事が多いわ。今の領主様以外のお偉いさんが来たとしてもなかなか大変でしょうね」
「この街も凄い街なんだね」
すっかりライカは感心した。
「そうよ。ふふ、じゃあ街を褒めてもらったからもう一つ面白い事を教えてあげましょうか。あのお城なんだけど、その昔どっか遠い所の貴族様が、避暑用に建てたものだったらしいの。今は補修されて綺麗になっているけど、ずっと廃墟だったから、国が定まって、領主様が来られるまでは街の人達の大半があそこに住んでいたのよ」
「そうだったんだ」
「おまけにね」
更にミリアムは得意げに胸を張った。
「実は領主様、うちに時々食事にいらっしゃるのよ」
「へぇー」
「そうそう、あの方は気さくでなぁ」
「まああの方の腕ならぶらぶらしてて危ないって事もないだろうし」
いつの間にか、周りで話を聞いていたらしい男たちが好き勝手に相槌を打っていた。
すっかり感心して聞き入ってしまっていたのと、いきなり賑やかになった驚きで、ライカの食べる手は完全に止まっている。
それを見て、ミリアムが頬を膨らませた。
「食べながら聞くって約束だったのに、スープ冷めちゃったじゃない」
「あ、ごめん」
慌ててスプーンで掬おうとすると、彼女は心配そうに聞いた。
「冷めると美味しくなくなるでしょう?暖め直しましょうか?」
「ああ、いいよ、冷たくても美味しいよ」
ライカは当然のように笑って嘘を言った。
ただでさえ辛いのに、更に煮詰められたらもはや呑み込めなくなると思ったのだ。
―◇ ◇ ◇―
「それでの、この店の二階が宿屋になっておるんじゃが、家が決まるまではここに泊る事になる」
食事を終えると、祖父はテーブルに座って残りの酒を啜りながら上を指した。
ライカは目を丸くする。
「あ、そうか宿に泊ってる人が下で食事出来るようになってるんだね。便利だね」
「そうそう、取りこぼしのないようにしてるのよ」
ミリアムは笑って肯定した。
「でも、こんな土地だから宿屋は流行ってないの。仕事を探す人はそれ用の施設があるし、商人達は宿代をケチって荷馬車で寝るし」
ミリアムはそう言って、言っている事とは裏腹に楽しそうに笑うと、案内するからと階段を先に立って上がった。
階段は店の入り口を入ってすぐの右手の扉の中にあり、その手前に小さなカウンターがある。
そこで彼女は板を重ねた宿帳なるものになにやら書き込んで、引き出しから小さな木片を持ち出した。
「この部屋よ、ちゃんと毎日風を入れて敷布も干してあるから気持ちよく眠れるはずだわ、もし不都合とかあったら言ってね」
扉の横木に手に持った木片を嵌め込んでスライドさせると扉が開き、再びその木片を取って横木を縦木の溝に角度を変えて嵌め込む。
「組み木のパズルみたいだ」
ライカは感心したように呟いた。
「二人共がどこかに出かける時はまた鍵を掛けるから、私かお父さんかお母さんに一言言ってね。それから中からは単純にこの横木を押し込むだけで鍵になるから一応中にいる時はこの鍵を掛けておいてね」
「うむうむ、大丈夫じゃ」
「どうせおじいちゃんはここで寝ない事の方が多いんでしょ」
「うひひ、ミリアムちゃんはわしの事をよく分っておるの、その心は、愛じゃな」
「毎度毎度だからどんな馬鹿でも学習しますよ」
二人のやりとりに思わずこぼれたライカの笑いを見て、彼女は頬を染めた。
「もう、おじいちゃんのせいで笑われちゃったじゃない」
「むう!」
ライカの祖父はその彼女の顔を見つめると、真剣な顔で声を上げる。その様子に、何事かと思って二人が見ていると、彼はにたりと笑った。
「そうか、ミリアムちゃんはうちの孫に惚れちゃったんじゃな。よいよい、可愛い孫の嫁に老後の面倒を見てもらえるなら幸いの国に住むがごとしじゃ」
「もう、おじいちゃんたら!」
かなり真剣に怒ったらしいミリアムは、叩いて形を整えようとしていた手元の枕をライカの祖父に投げつけたのだった。
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