第3話 市場

 午後の日差しはどこか物憂げで、強く自らを主張はしないが無視はさせない暖かさをはらんでいる。

 その日差しの下、人間達の動きは活発だった。

 ほとんど夢見心地で歩きながらも、ライカはその雑然とした騒音のような騒がしさが、個々に焦点を当てる事によって一個の人間の生活の一端を切り取っている事に気付いた。


「新鮮なお肉入ってるかしら?」

「いや~、今の季節は新鮮な肉は厳しいねぇ、牧畜をやってるホランドからの塩樽詰めの肉なら今朝届いたいいのがあるよ」

「ホランドなら甲羅羊でしょ、余分にハーブを買わなきゃならなくなるわ」

「そこは大丈夫、今朝入ったのは先の風の時期に生まれた子供の肉なんだ、臭みがないよ」

「冗談じゃないわ、うちはお貴族さまじゃないのよ、そんな上等な肉買えないわよ。おじさん、領主さまの所のお届け品を掠めて来たんじゃないでしょうね!」


 そんな会話に血の通った人の生活を感じられて、ライカは思わず頬を緩ませてしまう。

 この市場に並んでいる物の内、ライカにそれが何であるのかを理解出来るのは、野菜や肉、草花ぐらいであった。

 そのほかの色々なものは分からない物が多い。

 しかし、その分からないという事がライカには楽しかった。

 戸口のない、柱と屋根だけがあるような店の中には、何かの料理らしきものを作って売る店が多くあり、色々な、食欲を誘うような、鼻の奥を刺すような、そんな香りが互いに混ざったり散らばったりしながら辺りに漂っている。


「お、可愛いおじょうちゃん、このポックスはここらで一番の味だぜ!食べなきゃ人生の損だよ!」


 声が聞こえて、ふと周囲を見回したが他に人はおらず、どうにも自分の事らしいと気付いてライカは苦笑する。

 さすがの彼も、祖父に会ってからこっちの他人との接触で、どうも自分は女の子と見間違えられやすいらしいと理解し始めていた。

 だからといって、彼はいわゆる性別不明に思われる程整った顔立ちという訳ではない。

 年齢的にも性差が出始める前ぐらいという事もあるし、全体的に丸みを帯びた小さい作りの顔立ちで、琥珀色の髪と同じ色の大きい目が優しい印象を与える一因にはなっているようには思われるが、やはりライカを少女のように見せてしまうのは、その容貌のせいというより、優しげな笑顔のせいだろう。

 彼くらいの年頃の男の子というものは、大体において、とりあえず大人の言葉には反抗してみようという気構えでいる部分があるものだ。

 だが、育てられた環境のせいか、彼にはそういうギラギラしたような、良く言えば世界に挑みかかる気骨のような、思春期の鋭さがみじんもない。

 そういうふわりとした、他者を拒絶しない雰囲気が、なんとなく見る者に少女めいた印象を与えるようなのだ。


「ごめんなさい、あんまりお小遣い持ってないんです。また今度食べさせてもらいますね」


 その声を聞いて、店の主も自分の間違いに気付いて気まずそうに笑いながら答えた。


「男の子だったか。すまなかったな、おわびに一個やるから食っていけ」

「気にしてませんよ。今度また来た時に買わせて貰います」

「まあまあ、いいから、食ってみろって」


 主人の、商売人ならではの押しの強さに負けて、ライカは店の主人が鮮やかな手つきでつやつやの大きな葉をくるりと巻いてそこに投げ入れた一個のポックスなるものを受け取った。

 おずおずと一口食べてみると、熱さに舌がひりひりするが、ホクホクして甘い。


「おいしい、これって芋と蜂蜜?」

「そうそう、ふかした芋をすり潰して蜂蜜をまぶして油に潜らせた、ここらの名物の菓子でポックスってのさ」


 自慢の味を褒められて嬉しいのか、店主はニカリと笑った。


「坊や、見掛けない顔だが、修行の旅かなにかかい?」

「え?、ううん違うよ、俺今度ここに引っ越して来る事になったんだ」


 変な誤解にライカはクスクス笑ったが、実はポックス屋の誤解には理由がある。

 戦後、実戦を経験しなかった国という不名誉を嫌った貴族達の間で、成人の儀が終わった我が子を国内巡りの旅に出すという武者修行的な行為が流行っていたのだ。

 その貴族の男子の成人の儀というのが十二歳から十六歳ぐらいに行われる為、ちょうどそのぐらいの彼がそうではないかとの誤解を受けたのである。


「おお、そうなのか、それなら今日の一個は明日への呼び水って事になるな」

「あはは、そうだね、おいしかったし、また買いに来ます。本当はおいくらなんですか?」

「二個で一カランさ」


 一カランとは銅貨一枚の事だ。

 という事はもらったお小遣いで買える範囲ではあったようだった。

 だがライカは、祖父の「物入り」という言葉を気にしていて、今日はこのお金を使うつもりはなかったのである。


「本当に安くてお買い得ですね。それじゃ今度また、ありがとう」

「おおう、またよろしく頼むぜ!」


 手を振って遠ざかる少年を見ながら主人はふむ、と一人呟いた。


「礼儀正しい子だな、身なりは質素だが、ありゃいい所のおぼっちゃんかね」


 歩きながら物を食べるという初めての経験に苦労したり、売り子の呼び込みをなんとか断りながら、一通り市場の通りを彷徨い、人混みの中を泳ぐように歩く内に、ライカは小さな広場のような緑濃い場所を見つけた。

 どうやら休憩場所のようで、大きな木の周りを囲むように、丸太で長椅子がしつらえてある。

 すっかり人に酔ったライカは、そこで休憩する事にした。


「ちょっと頭がぐるぐるしてきたな」


 木陰に座り込んで、風を感じられるように体を仰向ける。

 そうして上を見ると、木漏れ日を落とす柔らかい緑が、全然それとは違うはずの、飛竜のサッズの羽を思い出させた。

 いつも広げられた羽の下で寝転がっていた時に見た、薄い皮膜を透かして見える空の色。

 丸太を縦に割ったような長椅子の側面の、木の表皮をそのまま残した歪な突起を指で辿ると、竜達のゴツゴツとした堅い鱗を思い出す。悲しくも辛くもないのに、しばし胸が詰まってライカは目を閉じた。

 と、ふいにその耳に鼻を鳴らすような動物の声が届く。

 目を向けると、今朝方歩いているときに見かけた荷車を牽いていたのと同じ動物がそこにいた。


「ヒッポグリフにちょっとだけ似ているけど、彼らの眷属の馬という動物かな?」


 その種族を思い出して、ライカはちょっと顔をしかめる。

 人間嫌いで乱暴者揃いの彼らにはさんざん苛められた思い出があったのだ。

 その動物の主らしい人は、広場の前の地面に敷物を敷いて商品を広げ、やはり何かを売っているようである。


「お、おじょうちゃ……、あっと、お坊ちゃんか、どうですか?彼女にプレゼントでもいいし、男の子でも使える飾りもあるよ」


 近付いたライカに、市場の売り手に共通の元気の良い掛け声が掛かり、その慌てた訂正に思わず笑い返して、並べられた品物に目を向けた。売り手の男はポックス売りの店主よりは人を見る目があるらしい。

 どうやら売っているのは装飾品だ。

 ライカは、いくつかの自然石を使った飾りものと一緒に並んだ色々な色で彩られた不思議な光沢の石のような物に心を惹かれた。

 それで思わず手に取ってみる。


「お、坊やガラス玉に興味があるとは趣味がいいね」

「ガラス?あの、飲み物を入れるグラスと同じものなの?」

「ほう、グラスを知ってるのかい、もしかして貴族の坊ちゃんですか?」


 グラスを作る為の吹きガラスの手法は貴族お抱えの職人に独占されていて、殆ど市場には流れない。

 先ほどの店主とはまた違う理由だが、商人がライカを貴族だと思ったのも無理はなかった。


「ああ、いえ、俺を育ててくれた方がそういうのが好きで、集めた物を使ってたんでたまたま知ってただけです」

「なるほど」


 昨今の貴族の中には、親を失った子供を哀れんで養育院なるものを創立した者や、自分の屋敷で引き取って育てている者も少なくはない。

 なにしろこの国の国王自身が都に大きなその為の施設を設けていたぐらいである。

 ライカの言葉をそういう場所での事だろうと納得した男は説明を再開した。


「ガラスの元を火で炙り、熱い内に金鋏で切って転がしたり細工したりすると、丁度飴細工のように色々と加工出来るんだよ。なかなか思った通りの色には出来ないが、それも一つの面白みになって、最近人気が高いのさ」

「綺麗だ」


 ライカは手に持った首飾りらしきガラス玉に日の光を透かして、その自然の宝石とは違った美しさに感嘆の声を上げる。

 ライカの養父の一人である白の竜王が人間の文化をとても愛していて皆から変わり者扱いされていたが、こういう物を見るとそれもなるほどと思えた。

 人間の作り出す技というものの片鱗を、この小さな飾りに見た気がしたのだ。


「どうだい、男の子用に帯止めなんかもあるよ。そういうちょっとしたおしゃれが女の子にもてる秘訣さ」


 にこやかに勧めるのを、ライカは首を振って止める。


「今日引っ越して来たばかりでまだ家も決まってないんです。また今度落ち着いてからちゃんと見に来ます」 


 不意に、再び動物の落ち着かない声がして、彼は自分がここに来た目的を思い出した。

 手に持った細工物をいったん元のように綺麗に並べて主人に聞く。


「あの動物は馬ですか?」

「へ?」


 主人は目を丸くして自分の後ろで木に繋がれた動物に目を向けると軽く笑った。


「そんな立派なもんじゃねぇよ、なんだ坊やはロバを見た事ないのか」

「ロバって言うんですか」


 感心して近寄ると、途端にそのロバはおびえるように嘶いた。


「こら、落ち着けって、全くお前は臆病者だな」

「ああ、すみません。きっと俺から竜の匂いがするから」


 言って、ライカは自分の口を押さえた。竜王達やその治める地領の事は人に漏らしてはならないきまりだ。

 分かっていた筈なのに、動物のこの手の反応には慣れていたので、ついうっかり口走ってしまったのだ。


「ははあ、さては領主様のお城へ行ったね」


 ライカの心の動揺とは裏腹に、彼は訳知り顔でうなずいた。


「あそこの前庭の脇には竜舎があるものなあ。引越ししてきたなら登録の手続きに行ったんだろう」


 その言葉にあいまいにうなずきながら、ライカは心が躍るのを感じていた。

 どうやらこの街には竜がいるらしい。

 それは突然の環境の変化にまだどこか戸惑いを覚えていたライカに、ほんの微かな安らぎをもたらしたのだった。

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