第2話 街へ

「どうかな、坊主。わしは街へ移ろうと思うんじゃがの」


 夕食を摂った後、祖父は唐突に会ったばかりの孫にそう切り出した。


「街、ですか?人間がたくさん住んでいるんですよね?」


 琥珀色のやや大きめの目を瞬かせて、ライカは小首を傾げる。

 正直な所、ライカにはたくさんの人間が存在する風景というものが想像出来ない。

 想像出来ないものを良いも悪いも判断出来るはずもなく、なんとも返事が返せなかった。


「そもそも、ここはお前の父さんと決めていた秘密の避難場所でな。まあ待ち合わせ場所のようなもんじゃった。本来は長く住むような所ではないのじゃよ」


 皺に埋もれた口元が皮肉な笑いに歪む。


「思いもかけず長い待ち時間になったがの」

「すみません」


 祖父が十二年程の時間をここで一人過ごしていた気持ちを思うと、やはり原因である本人としては申し訳なく思う。

 が、謝罪の言葉と同時に、カコーン!と、今度は木で作られた食器がライカの頭を襲った。


「……痛いです」


 毎度馬鹿正直に真正面から食らって、避けるという選択もある事を忘れているのかもしれないライカは、その痛みにちょっと泣きそうになっている。


「全くもの覚えの悪い坊主じゃな」


 にやりと笑われてしまった。

 これが話に聞いた愛の鞭という教育方法なのだろうか?とライカは悩んだ。

 なにしろ人間に関する事は、セルヌイのコレクションである書物からの知識がその殆どを占めている。本というのは基本的に記録用の物であり、歴史や神話などがその大半となっていて人々の日常に関しての記載など無いに等しい。

 そのためさすがにその知識からのみで日常的な全ての判断をする事は困難を極めた。


「ともかく、今日はもう寝なさい。明日は早く起きて街へ行って、家と仕事探しをせねばならんからの」

「え!いきなり明日からですか?」

「そりゃあそうじゃ!わしゃあもうこんな、可愛いおなごの一人もおらんような場所は飽き飽きじゃ!明日は綺麗なおねぇちゃんと遊んで英気を養わんとな」

「家と職探しでは?」


 ライカは不安を覚えながら確認した。


「それはついでじゃ」


 びしっ、と言ってのけた祖父に何か偉大な迫力を感じて、ライカは納得するしかない。


「分かりましたおじ、じゃなかったジィジィ」


 人間の身内相手の慣れない会話に、ライカは少しはにかんだように笑ってみせて、


「それじゃ、俺はそこの道具小屋ででも寝させてもらいますね。おやすみなさい」


 ぺこりとおやすみの挨拶をした。


「いやいや、待て。どこに可愛い孫を一人で物置に寝せる魔物のようなじじいがおる。まあ布団も一組しかないし、ちと狭いが、ここで一緒に寝ればええじゃろ」


 ライカはきょとんと祖父を見た。

 実はライカは添い寝という行為をしてもらった事がない。

 母は物心つく前から動かし難い状態であったし(それでも母の寝台の脇で寝た事はある)、育ての親達と一緒に寝ればかなりの確立で圧死の運命が待っているので絶対に禁止されていた(寝ている状態では人化が安定しないという理由のため)。

 一度うっかりタルカスの背中でライカが寝てしまった時など、彼は一睡もせずにライカを見守っていたらしい。


(あの時は、後からタルカスに生涯で一番恐ろしい一夜だったとぼやかれたな)


 そんな訳で、人恋しいはずの幼児の時代でさえ、ライカは一人寝をするしかなかったのである。

 その為、ライカにはこれまで他人と一緒に寝るという発想自体が無かったのだ。

 結局その夜、祖父の隣できょときょとと小動物のように落ち着かなかったライカは、その頭をゴツゴツとした皺だらけの手で撫でてもらい、胸に湧き上がる何か言い様のない感情と共に、慣れない環境にどこか強張っていた体から力が抜けていくのを感じていつしか眠りに落ちたのだった。


―◇ ◇ ◇―


「うわ、すごく人が一杯いるね」


 まだ暗い時間から山を歩き続けて、ようやく昼過ぎに辿り着いた人の手が入った道には大きな荷物を担いだ人や、動物に荷車を牽かせて連れている人がいた。

 それを見て声を上げたライカだったが、祖父がそれを笑う。


「ふん、おまえ、こんなもんで一杯とか言っていたら街に入ったらひっくり返るぞ」


 目を丸くするライカを、祖父はまたカラカラと笑い飛ばした。


 やがて、道の先にぐるりと巨大な木の柱が立ち並んだ風景が見え始めた。その根元には補強するように、四角く切り取られた石がぎっしりと積まれているのが見える。

 彼らの歩く道と交わる場所にだけ、柱の間に空間があってそこに巨大な扉が存在していた。今はその扉は開け放たれ、そこに武器を携えた人間が五人程立っている。

 彼らは、扉の内側に入ろうとする人や出て行こうとする人と、なにやら笑顔混じりで話していたり、厳しい顔で問答をしたりしていた。


「うわあ」


 ライカは見えて来た色々なものに圧倒されて思わずそんな声を出してしまう。


「戦が盛んだった頃の名残でな、ああやって街の出入りを管理しておるのじゃよ」


 ライカの祖父がそんなライカを笑いながら見て、説明をしてくれる。


「まあそれでもここは僻地で、結局戦火に晒される事もなかったから、ああやって粗末な街囲いがまだ現役で役割を果たしている訳じゃがの」


 二人が近付くと、武装した男達がジロジロと二人を見た。


「こんにちは、ええ天気ですな」


 祖父がそう声を掛けたのでライカも慌ててそれに倣って「こんにちは」と挨拶をする。


「山小屋のじいさんか。なんだ、この子どもは?どっかから攫ってでも来たのか?」


 ニヤニヤと笑いながら男たちの中からからかいじみた言葉が掛かった。

 どうやら相手はライカの祖父とは顔見知りのようだ。


「ふふん、極悪なおまえさんじゃあるまいし。これはわしの孫じゃ」

「ほほう、醜悪なおまえさんに似ず、可愛い子じゃないか」

「いやいや、わしの若い頃にそっくりじゃて」

「関番で嘘を付くとしょっぴかれるぞ」

「番人が一番嘘つきじゃてしょっぴきようもないのぅ」


 ごほん、と誰かが咳払いをした。


「班長、後の人がつかえてますよ」


 ライカの祖父と会話していた人と別の、しかし服装は同じ人がそんな仲間に注意を促す。


「ああ、いけね。まあ仕方ねぇから通れや」

「むう、仕方ないな、通ってやるか」


 おかしなやりとりに、思わずくすくす笑ったライカに、班長と呼ばれた相手はこっそりいたずらっぽく片目を瞑ってみせた。


「ジィジィの友達?」

「なにを言っておる、わしとて友達は選ぶぞ」


 ニヤニヤしながらの返答に、ライカはもう一度あははと笑った。

 そして笑顔のままふと前方を見渡すと、ライカはその風景に言葉を失う。

 見渡す限り家家家、道も今までの人が歩いて均したような土の道ではなく、切り取った石を組み合わせて敷き詰めてあった。

 そして、その道の上を踏み固めるかのように動きまわる沢山の人間がいる。


「すごい、これが街」

「うむうむ、まあ街といってもこんな僻地じゃ。規模の小さい街さ」

「え!これで小さいの?」

「うむ、まあわしも大きい街の事はようは知らんがな。なにしろわしの若い頃は戦、戦で人心は荒れ果てておっての、旅なんぞしようものなら命がけじゃったし、国の内外への移動は厳しく制限されとったからの。街から街へという具合にはいかんかった」

「へえ」


 戦という言葉は、両親の事もあってライカにはなんだか不安を呼び起こす言葉だったので、それ以上深く話を追求する気持ちにはならなかった。

 ただ、もっと大きい街がたくさんあるらしいという事からライカにも人間の街というものがすごいという事を感じる事は出来た。


「この街のこっちの入り口から両脇にああやって続いているのが、旅人や交易商人向けの店じゃ。じゃがの、ここらは実は値段が高い」


 入り口を入った所からずらりと続く布で天頂を覆っただけの店を指して祖父がライカに説明する。

 その最後の方は小声だった。


「値段が高いって?」


 ライカは思わず同じように小声で聞き返す。


「同じ品物が、よその店より高いって事じゃよ」

「え?同じものでも値段が違うの?」

「うむ、ここらの場所代が高いというのもあるが、ここらの店で扱ってるのは長期の旅用に特別の梱包をしたり加工したりしているものが殆どなんでな、手間が掛かる分値段が上げてあるのじゃよ」

「へえええ」


 ライカは祖父を訪ねて人里に出て来る前に、人間社会に詳しい白の竜王セルヌイから物の売買という制度を実地練習付きで教わった。

だが、店ごとに違いがあるなどというような細かい事は知らなかったので、すっかり感心してしまったのである。


「道を覚えながら歩くとええが出店を目印にしてはならんぞ、連中はしょっちゅう入れ替わるし朝や夜には畳んで無くなるからの」

「あ、うん」


 道の間隔や家の形、木の生え方、そんなものを目印に、自分の現在位置を頭の中に描いて地図を作り上げながらライカは祖父を追う。

 そして何度か角を曲がった後に、今度は最初の道よりも狭い道幅に、家の一方の壁が無く、大きく間口が開かれた形の家が並んでいる通りに出た。

 そこここには、街の入り口に並んでいたような簡易な店も少しは見えるが、この辺りに多いのは、建物として建てられた固定の家屋であるようだった。


「ここが街の住人がよく利用する市場じゃ。ものがそのまま並んでいて、買い物の時には金や同価値の物と交換に欲しい物を手に入れる事が出来る。量が多いようなら自分の家から鍋とかカゴとかを持って来てそれに入れてもらって持って帰ったりする事もある」


 そんな風に丁寧に説明してもらいながら市場を通るものの、ライカはせっかくの祖父の説明があまり耳に入っては来なかった。

 なにしろ目前は凄い人混みで、売り手の呼び声や、買い手の話し声、子どもの賑やかなはしゃぎ声と、もはや何がなんだか分からない騒がしさに満ちていたのである。

 大勢の人間を見たことのないライカとしては、もうほとんどあっけにとられたような状態だ。

 思わず、といった風に、ライカは祖父に身を寄せる。


「フオッフオッ、おどろいたか?坊や」

「う、うん」


 何かぼうっと夢でも見ているかのように目を丸くして周りを伺うライカの肩を、祖父はそっと二度程叩いて注意を惹いた。


「どうだ、一人でしばらく歩いてみるか?それとも何も無くて退屈じゃが城の入り口で待っておるか?」

「城?」

「うむ、わしは城へ行って居住の手続きをせねばならん。中へは一人でいかねばならんからお前は少し待っておる事になるの」

「そうなんだ」


 ライカは驚きにドキドキしながらも、まだまだ色々知らないものを見てみたい気持ちもあった。


「じゃあ終わるまでちょっとここら辺りを見ていたいけど、こんな人がいっぱいいる所でジィジィとはどうやってまた会えばいいのかな?」

「ふむ、それならここの店に」


 そう言って祖父が示した店は市場を入ってすぐの所にある、入口に布が掛けられている店で、中からは何か良い匂いが漂い出ていた。

 建物で商売をしているそれぞれの店には、目印のように飾られている図柄があるが、この店には白い花を銜えて飛ぶ大きな鳥の絵が板に彫られて色を焼き付けたものが飾ってあった。


「時間を知らせる為に鳴らされる鐘が八回鳴らされたらここへ来るように決めておくというのはどうじゃ?」

「鐘ってどんなの?」

「カーン、カーン、という、大きい音じゃよ、城の高い塔で鳴らされるからすぐ分かるわい」

「うん、分かった」


 にこっと笑って駆け出しそうな孫をひょいと片手で引っ張って止めて、ライカの祖父は待て待てと笑う。


「まあ少ないが、これで菓子でも買うがええ、引越しで色々物入りになるからちょっとしたもの程度しか買えないはした金しかやれんで可哀想じゃが」


 ライカの手の中に二枚の銅貨が落とされる。穴の開いたいびつな形の貨幣だ。


「ありがとう!」


 思いがけない贈り物に驚いたライカだったが、すぐに礼を言った。

 そしてその拍子に、自分が大事な事を聞き落としていたのを思い出す。


「ところでお城ってどこ?」


 教えるのを忘れていたというか、教える必要を感じていなかったらしい祖父は、笑いながら斜め上を指差した。

 その指の先には、高い三つの塔を備えた、どっしりとした、城というより砦のような石造りの建造物が、白で統一された美しい姿で全ての家を睥睨するように頭を覗かせていたのだった。

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