西の果ての街

第1話 祖父

 ライカが赤子の頃から住んでいた場所は、実の所本来の、連綿と生命が育まれて来た世界ではない。

 世界が変貌し、それまで世界に息づいていた生命の在り方が全て変わってしまったその後に、新しい変化した世界と相容れなかった一部の者達、具体的に言うと竜王と呼ばれる上位の生命種であるタルカス達が造り上げたもう一つの世界だった。


 元々の世界を写し取って、かつ古代のままの姿で存在を続ける、ことわりを無視した、本来の世界とは似て異なる世界、それが竜王達が暮らすもう一つの世界だ。

 そんな、いわば別世界で、竜王達はとある事情で赤子のライカを彼の母から預かり、身内として育てて来たのである。

 しかし、やがて物心つき、成長して少年となったライカが、母の遺言を受けて人の住む世界で生きる事を選んだ為、心配しながらもその意思を尊重して、彼を人の住む、本来の彼自身の世界へと戻す事としたのだ。


 そしてそのライカは今、兄弟として育った飛竜のサッズに異界から表の世界へと送ってもらい、目的地の山の麓に着いた所だった。

 そこからは、山腹を覆う昼尚暗い森へと、少ない荷物を背負って己の足で歩いて行く事となる。

 その送ってくれたサッズはと言うと、名残惜しそうに大きな体を伏せて、去りゆくライカをじっと見詰めていた。

 何かブツブツ言ってる姿はどうやら拗ねているらしい。

 サッズはなりこそ大きいが、まだ竜としては子供で、雛と呼ばれるような幼竜だ。

 人化は苦手で、未だ一度として人の姿になった事は無かった。


 だからこそ、竜王と呼ばれる、竜族の中でも更に格が高い竜ばかりの家族の中で同じ子供同士であったライカとは小さい頃から一緒に転げまわって遊んだ仲で、互いの気心もしれていて、ライカとしてもしばらく(下手をするともう全く)会えないかと思うと別れが辛くないはずもない。


 実は当初、今回の旅立ちに際して、サッズは乗用竜の名目で一緒に来ると主張したのだ。

 どこで聞き及んだのか、人間が獣を従える習慣がある事を知って、そうすればライカに付いて行く事が可能だと思ったのだろう。

 しかし、人間の中で大勢を占める身分である平民は竜に乗らないと指摘した白き竜王セルヌイがそれを止めた。

 更に、ライカが赴く地域では、現在、人間社会は長く続いた戦乱に疲弊していて、戦に有用だったらしい乗用竜は壊滅的な状態に陥っている事も指摘されてしまう。

 もし、現在も乗用竜を所有している者がいるとすれば、大戦に勝利した王国の騎士団とか、王族くらいのものなのだと彼はこんこんと説明したのである。


 セルヌイは、自分の趣味の為に何度も世界を行き来していて、しかも人間社会と深く接触して来た経験がある。

 だからこそ、彼には表の世界のことわりに精通しているとの自負があり、本来、より若い個体が強い決定権を持つ竜の家族にあって、サッズの意見を即座に却下出来たのだ。

 いずれは人間世界に戻らなければならないと考えていたライカの意を汲んで、自らの持つありとあらゆる知識をライカに授けて来たのもセルヌイである。

 そして、その彼の主張する一番大切な事というのが、人間社会での平穏な生き方だった。


「人間社会では他者との違いが際立てば際立つ程、集団の一員としての居場所が狭くなってしまいます。そして、他者から人から逸脱した存在と思われるような事になれば、もう選べるのは特別な身分の者になる事や、特殊な仕事を成す者として隔絶した地位に至る道か、社会から完全に孤立する道、それだけになってしまうのです」


 セルヌイの言葉はまだ年若いライカには難解だったが、竜はその意思を、音としての言葉に乗せずに、意思としてストレートに相手に伝える手段を持っている。

 だから、ライカは、ややこしいセルヌイの言葉の真意をある程度掴む事が出来た。


「ですから人間社会の一員として平穏に生きる為には、出来得る限り他者との大きな違いを持たない事が大事なのです」


 簡単に言えば目立つような真似をしてはいけないという事である。

 そういう事情で乗用竜として彼、サッズが同行するのは却下されたのだ。

 まあ乗用竜にはハミや拘束具を着けなければならないと聞いた時点で、ライカ自身は速攻その案を退けていたのだが、サッズ自身は「装飾品を身に付けているとでも思えばいいんじゃね?」とやたら乗り気だった。

 そんなこんなで別れる事となった養い親達や、兄と言って良いようなサッズの事を思うと、ライカはややもすると寂しさを強く感じてしまう。

 ライカが最年少であり、かつ主張に正当性があったため、その選択を認めない訳にはいかなかった家族達の方も、決して喜んでの事ではないだろう。

 なにしろ竜風に言えば、ライカはまだ巣立ち前の雛である。

 本当なら家族がその存在を認識出来る範囲から出る事はない年頃なのだ。

 だが、そんな寂しさと同時に、ライカは見知らぬ場所や人間達への期待に胸を弾ませてもいた。何しろ彼が知る自分以外の人間は、唯一、自身が五歳の時に喪われた母のみであるのだから。


 そもそもライカが竜王達の養い子になったその大本の理由は、長く人間世界で続いた戦にあった。

 彼の両親は共に傭兵として戦う剣士であり、結婚するまでは小さな王国にその治安維持の末端として雇われていたらしい。

 その頃世界は、長くだらだらと終わりの見えない戦乱を続けていて、削り取られた棒の上でバランスを取るようになんとか大戦の間をすり抜けて生き延びていたその国にも、ある時とうとう自国内に戦火が及ぶ事となった。

 単なる傭兵だったはずの彼ら夫婦も当然のにように戦力として数えられ、戦場へと向かうように召集が掛かる事となる。

 通常なら、彼らも文句を言いながらも戦いに赴いたはずだった。

 しかし、その時彼らの間には生まれたばかりの赤子がいたのだ。

 両親が揃って出兵すればこの赤ん坊を育てる者はいなくなる。

 彼らの身寄りといえば夫の父親のみで、しかも同じ国には住んでいなかった。

 そんな時代なので、僅かにいる知り合いも赤子を預かれるような状態ではない。

 悩んだ挙句、夫婦は意を決して赤子を連れてその国から逃げ出した。

 元々母国も何もない傭兵だったのだから、ある意味当然の結論とは言えよう。

 しかし、末端の兵士など見逃すだろうという彼らのもくろみは、元々戦意の低い民を抱えた国という情けない事情によって潰える事となる。


 末端とは言え、易々と兵の脱走を許せば軍規が乱れ、更なる脱走を生む。

 二人の甘い予測を裏切り、彼らへは懸賞金が掛けられ、その追求は苛烈を極めた。

 やがて妻と子を逃がす為に父が倒れ、追い詰められた母子は、世界の果てと呼ばれる山脈の深遠の淵まで逃げ、そこから足を滑らせる事となる。

 母は子を庇って落ち、助からぬ傷を負った。

 そして、そのままならば日にちも変わらぬ程の僅かな時間でこの母子の命は消えるはずだった。

 しかし、深遠の淵の底には竜王の治める幻獣の国への通路があり、異常を感じた竜王がこの哀れな母子を発見した。という次第だ。


 死に至る損傷を覆す術は無く、延命の為には母親の体の時間を引き延ばすしか方法が無かった。長い睡眠の僅かな覚醒の間にのみ我が子と語る事が出来た母は、その息子にただ一つだけを願った。


 ─…人として、人間の世界で生きる事。



「ええっと、この森でいいんだよね」


 ライカは、母が持っていた古い手書きの地図を広げて見たが、上から眺めていた時と違い、森の中からではその森の位置関係が分かるはずもない。

 仕方がないので、ライカは周囲の気配を探りながら進んだ。

 目印であった猛禽に似た大岩は、今いる場所から右手にある。

 そこから少し登った先にあるきこり小屋。それが本来、母が父の父、すなわちライカの祖父と落ち合う予定だった場所だ。

 この森で動物達の気配が薄く、それでいて水場が近い場所。

 人間が住むならばそういう場所を探ればいいはずだと考え、ライカは候補を絞っていった。

 そうして、やがてそう長くない時間の後に、人の手によって切り倒された樹木の切株を発見する。


 見ればその切り口は新しく、ここ数日の間のものだろうと分かった。

 後は、その木を引き摺った痕跡を追えばいい。

 あまり先を考えない気楽さで進む内に、ライカは小さな小屋を発見した。

 小屋の前には手桶を持って草に水を撒いている年を経た人間の男がいるのが見える。

 と、次の瞬間、ライカが踏みしめる下草の僅かな音に気付いたのか、その男とライカの視線が交わった。


「ほほう!こんな所にめんこい娘さんがやってくるとはの。さてはお前さん森の娘でわしを誘惑しに来たな?」


 そのやたら元気そうなお爺さんはライカに気付くと同時にそう言葉を発し、凄い勢いで駆け寄って来た。


「誘惑されちゃってもいいぞ~~い!」


 そして元気に抱きついた。


「……」

「……」

「ち、なんだ男か」


 がっかりされて突き放され舌打ちされてしまう。


「すいません、男です」


 別にライカが悪い訳ではないのだが、なぜか謝ってしまっていた。

 勢いというものは恐ろしい。


(おかしい。この服は一般的な男の服装だと、エイムは言ってたはず。やっぱり人間の事なんかカケラも興味がないエイムの判断なんか当てにならなかったのかな)


 長袖のシャツに裾の長い上着、粗い目で織られたごわごわのズボン。

 厳密に地域的な事を言えば、それはこの辺りでの一般的な服装とは違ってはいたが、だからと言ってさほどおかしいものではない。

 だが、人間社会を全く知らないライカは、ちょっと見当違いな不信に眉を寄せた。


「ところで坊やみたいな子どもが、こんな所で何しておるんだ?迷子か?」


 突発的に怪しさ爆発な行動をしたくせに、今更まともな事をそのお爺さんは聞いて来た。

 もしかしたらこのお爺さんも色々鬱憤が溜まっていたのかもしれない。

 ライカはそう好意的に解釈する事にした。

 なにしろ自分の祖父であるかもしれない相手なのだ。


「あの、実は、俺の父はラウス、母はアイリという名前で、」

「!……もしや、お前、ライカか!」


 言葉の半ばで、お爺さんは大口を開けて叫ぶとライカを指差した。

 ライカは思わずびくりと後ずさったが、気を取り直してうなずき、


「はじめまして、おじいさん」


 にこりと微笑んでそう言った。

 その、どうやらライカの祖父らしい相手は、ううむとうなるように声を出すと、ライカを上から下まで眺め始める。


「そうか、そうか、どちらかというと母親似じゃな」


 そしてゆっくり溜息を吐くと一人うなずいた。


「ところでアイリ殿はどうした?どうやらバカ息子は妻子も親も残してとっとと逝ってしもうたようだが」

「母も、俺が小さい頃に亡くなりました」


 ライカにとっては見知らぬ相手とはいえ父への暴言に少し動揺しながら、母の死を告げる。

 母の死はライカにとってすでに記憶もぼんやりとした過去の事ではあったが、やはり少し気持ちが沈んだ。


「そうか、ダメな両親だったの、二人とも」

「いえ、父さんと母さんが死ぬような事になったのは俺のせいだったみたいだし」


 ライカは、ちくちく浴びせられる両親への非難になんとなく抗うように言葉を返す。

 その途端に、パカーンといい音がして祖父の手にあった手桶が頭にクリーンヒットした。


「痛い、」

「いかん、いかんぞ!」


 やたら元気の良い老人である。


「いいか、あやつらは自分勝手をやって死におったんじゃ、お前に生きて欲しいという理由は、結局はあやつらの身勝手な望みでしかなかった。なにしろその頃お前はまだ赤子でしゃべれなかった訳だしの。それをお前が自分の責任のように言うてはいかん。自分達の負ったはずの責任を我が子が勝手に引き受けたと、あやつらが死者の国で腹を立てるぞ」


 それは、ライカにはちょっと分からない理屈だった。

 その思いが顔に出たのだろう、祖父は更に言いつのる。


「親ってやつはいつだって子どもに望みを押し付けるもんじゃ。例えばわしがバカ息子とかわいい嫁に自分の老後の面倒を見てもらいたかったという具合にな」


 ライカの祖父はしかめっ面をしてみせた。


「じゃが、子どもには子どもの考えや生き方がある。あやつらが我が子に生きて欲しかったのも、わしがあやつらに生きていて欲しかったのも所詮は親の身勝手よ。それを子どもが背負い込む必要はないんじゃ。あやつらが自らの意思でお前を生かそうとして自分は死んでしもうた。それをわしが親として怒るのも、お前が子として誇りに思うのもわしらの勝手じゃが、その背負うた責任だけは、心を決めた本人達以外が奪ってはいかんのだよ」


 結局の所、なんだか分かるような分らないような言葉ではあったが、ライカは素直にうなずいた。

 大切な事を教えてくれているという事は分かるのだ。


「うん、ごめんなさい」


 祖父はそれを聞いて、片眉を上げてうなって見せる。

 今度はなんだろう?とライカは身構えた。


「ううむ、どうもお前はいい人に育てられたようだの、ちょっといい子過ぎるわ」


 そのままくるっと身を翻すと、祖父は小屋へと歩き去る。


「これは鍛えなおさんといかんな」


 なにやらぶつぶつと呟いているようだった。


「おじいさん?」

「ジィジィじゃ!」


 びしぃ!とまたも指を突きつけられてライカはのけぞった。


「う?え?」

「ジィジィと呼べ!なるべくかわゆくな」

「う?ジジィ?」


 パカーン!といい音がして、再び頭に手桶が振り下ろされた。

 動作がやたら素早く無駄がない。

 ライカの祖父はどうやら出来る男のようだった。


「ジィジィじゃ!」

「う……じぃじぃ?」


 ライカはちょっと涙目になりながら言葉を真似る。

 それを聞いて、いい年をしたじいさんがポッと頬を赤らめながらニヤニヤしだした。


「うむうむ、いいのぅ、孫にそう呼んでもらうのが長年の夢じゃったのよ」


 ヒッヒッヒッと怪しげな笑いを漏らす祖父を見ながら、「人間って分らない」と、いろんな意味で誤解を含んだ事を思ってしまうライカであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます