第10話買い物デート

 俺たちは走り抜けた。

 石畳の歩道の上を。


 通行人はまばらだった。

 百メートルも走ると、マトイのスピードがガクンと落ちる。

 もう疲れたのか、ここまでくればいいと判断したのか。

 その姿を見て、俺は発作的にあることを思いついた。

 きっと今の俺ならできる。

 そう確信して実行に移す。


 マトイの後ろにまわり、すくい上げるように彼女を抱き上げたのだった。

「きゃっ!」

 マトイが驚き、身体をこわばらせる。

 だが、その身体は俺にとって羽毛布団のように軽い。

 やはり俺の筋力は人並み外れたものにまで強化されている。

 それを実感した。


 走り続けながら、爽快な気分で笑う。

「ハハハハッ、こっちのほうが早いぞ!」

 俺はさらにスピードを上げた。

 もちろん人になどぶつからない。

 ステップを踏んで避けることなど余裕だった。


 マトイが叫ぶ。

「ちょっ、恥ずかしい! おろしてっ、おろしてっ!」

「遠慮するなって、店まで運んでやるさ!」

「もう通り過ぎたっ!」

「えっ?」

 俺は急ブレーキをかけて足を止めた。

 マトイがもがくので、素直におろす。

「衣料品店には、あっちの通りを行かないと!」

 指差す通りはもう、五十メートルも戻ったところだった。

 マトイは赤く染まった頬をふくらませて、非難がましくつぶやいた。

「ホントに変な人……」


  ☆☆☆


 マトイに案内された店は、大衆向けの大型店といったところだった。

 店内をざっと一巡りしてみた。

 服の素材は綿と麻が多いが、化繊もある。

 いま手にしている買い物カゴもプラスティック製だ。

 石油が利用されてるのは間違いない。

 まず、マトイに言われたように、下着と靴下を求めた。

 靴下一足二百クレジット。

 パンツ一枚四百クレジット。

 安い。

 大規模な大量生産が行われている証拠だ。

 俺はさらにシャツ数枚と、デニムのようなズボンをカゴに入れた。

 服のデザインは、中世的なチュニックからTシャツまでと幅広い。


 どこで見つけたものか、マトイが白くてふわふわした物を肩の高さに持って、俺に向けてきた。

 手のひらサイズのウサギのぬいぐるみだ。

「これかわいいよ。部屋に置いといたら?」

「いいよ、そんなの」

「ええー、朝起きてこの子と目が合ったら、ゼッタイ爽やかだよ?」

 俺はそれ以上問答せず、マトイの手からぬいぐるみを取った。

 買い物カゴに入れる。

 マトイが得意気に言う。

「やっぱり気に入ったんだ?」

「違うよ。これはマトイにプレゼント。今日のお礼さ」

「えっ、そんなつもりじゃなかったんだけど……、あ、ありがと」

 マトイは天使のような微笑みを見せた。


 それから俺たちは雑貨屋へ行った。

 まず歯ブラシ。

 次はマトイの勧めで置き時計をカゴに入れた。

 マナ・ファクツで動くという時計だ。

 一週間に一度ほどマナ・ファクツを込めなければならないという。

 そう、一週間だ。

 この世界も一日二十四時間、七日で一週間だった。

 キリスト教に似た宗教でもあるのかもしれない。


 そしてヒゲソリ。

 安心したことに、使いやすいT字カミソリがあった。

 これなら生活の質を心配する必要はなさそうだった。

 この世界は思っていた以上に、文明が発達している。

 しかしそこに影を落とす、モンスターという存在に足を引っ張られているようだ。

 世界の活力であるマナ・ファクツを使うとマイアズマが発生し、それがさらにモンスターを産む。

 根絶は不可能だろう。

 モンスターがいなければ、どれほど豊かに暮らせるものだろうか。


 それから俺たちはアルコータスの中をぶらついた。

 図書館を教えてもらったり、本屋で地図を買い求めたり。

 訓練センターという場所も教えてもらった。

 弓や銃の射撃、剣術、体術などの訓練が行えるという。

 初心者や市民兵に向けた訓練教室もあるらしい。

 政府の補助金に加え、自警団や、自前の戦闘員を持つギルドらが資金を提供して運営しているそうだ。


 それに市場。

 衣料品店や雑貨屋が近代的だったのに比べると、前時代的な活気があった。

 市場の近くには、屋台がずらっと並んでいる。

 住民がよく昼食に利用する場所だという。

 さらに進むと、もっと本格的な飲食店街があった。


 マトイはゆく先々で、しょっちゅう挨拶された。

 それに快く返事をしながら、必要とあれば俺を紹介してくれる。

 もう扱いは、『自警団アルバ』の新メンバーだった。

 日が傾くころ、俺たちはアルコータスの中心部にいた。

 この都市の中心は、小山の上の建てられた議事堂だった。

 外見はギリシャの古代神殿によく似ていた。

 その隣にあるのは政府執行部の建物。

 お役所だ。


 俺とマトイは、その二つが望める高台の公園にいた。

 白い石畳に木のベンチ、水の豊かな噴水。

 落葉樹の林と、芝生の広場もある。

 人影はまばらだが、だいたいカップルだった。

 俺たちはベンチのひとつに腰をかける。

 マトイが伸びをしながら言う。

「ああー疲れたぁー」

 俺は荷物の数々を石畳の上へ置いてから言った。

「なまってるんじゃないの? 自警団って、早い話がなにかと戦うんだろ? 大丈夫なのか、そんなので」

「タネツケが体力有り余ってるだけよ。自警団の仕事は、だいたいモンスターと山賊が相手ね。例えば隊商の護衛をしたり、民家近くに群れがやってきたら退治に出かけたり」

「そんなところだと思ってた。街中の仕事はないのか?」

「治安部から要請があれば協力するけど、アルバにはあまりそういう話は来ないの。そんなことより、あれ見て!」


 マトイが指差したほうを見る。

 雲の合間に、沈みゆく太陽があった。

 暮れかけの陽光が、街の屋根の連なりと、人々の生活を照らす。

 もと居た世界とは、なにかが大きく違った。

 夕日をこんなに美しいと感じる日が来るとは思わなかった。


 マトイがしみじみと言う。

「ここから見る夕日が一番キレイなの……」

「ああ、綺麗だな……」

 俺たちは黙りこんだ。

 しばらく沈黙したあと、マトイが切り出す。

「もし記憶が戻ったら、もと居たところへ帰っちゃうの……?」

 実際には記憶喪失などではない俺は、この質問に虚を突かれた。

 どう答えたものか迷っていると、マトイが視線を外して話し始めた。

「今日はいろんなことがあったね……。思い出すと目が回りそう……。まるで世界がタネツケを中心に回ってるみたいな日だったな……」

 そこで一呼吸置いて続ける。

「……もし、もしもだよ……、記憶が戻って、どうしても帰らなくちゃいけない理由を思い出したとしても……」

 マトイが顔を上げ、俺に向かって目を閉じる。

「今日のことは……、ゼッタイ忘れないで……」

 俺の心臓は高鳴った。

 経験が無かったとしても、これはわかる。


 これはッ!


 伝説のッ!!


『公園キス』やないかァァァッ!!!


 俺はゆっくりと、マトイの柔らかなくちびるに、自分のくちびるを重ねていった。


 俺が。

 もとの世界に。

 帰りたくなる。

 理由が。

 どこにある……?


 そんなものない。

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