第9話親衛隊

 マトイが姿を消して数秒後。

 タグがピッと音を発した。

「マトイよ。タネツケ、聞こえる?」

「ああ、聞こえる。不思議な感じだ」

 マトイの声はタグからではなく、直接耳に響いてくる。

 まるで、すぐそばにいるみたいだった。

 マトイは続けた。

「使い方は簡単。通信したい相手の名前を言うだけでいいの。名前の前に『アルバの』ってつけるのを忘れないで。タグが音を立てたら、まず自分から名乗るのよ。『アルバの全員へ』って言えば、一度に全員へ発信できるから」

「驚くほど便利だな」


 このトークタグはトランシーバーに近いものか。

 前の世界では、携帯電話さえ持ってなかった。

 利用料も払えなかったし、何より電話もラインも発信する相手がいなかったから、必要なかった。

 俺はこの装備品にちょっと嬉しくなった。


 マトイの声はまだ聞こえていた。

 やや格式張った言い方に変わっている。

「では、本日午後二時より行う作戦の概要を説明する。作戦名、『二人でショッピング』担当はマトイとタネツケの二名。第一目標、衣料品。第二目標……」

 そこで通信が途切れる。

 部屋のドアが勢いよく開かれ、マトイが飛び込んできた。

「歯ブラシ!」

「ヒゲソリも欲しいな」

 俺はそう言って歩み寄り、買い物へ出かけることにした。


 ☆☆☆


 小さいマトイに続いて階段を降りる。

 下に降りると、さっき食事した食堂だ。

 テーブルではロシューとイリアンが遅い食事をとっていた。

 その隣では、トゥリーとナムリッドが話し込んでいる。

 俺のことを話していたらしかった。

 名前が聞こえてきていた。

 俺はやはり、『タネツケ』と呼ばれている。


 マトイが四人に声をかけた。

「アタシたち買い物に行ってくるから」

 ネコミミをぴくりとさせて、イリアンが顔を上げる。

「お気をつけて。もう、どこかを焦がしたりしてはいけませんよ」

「あ、ああ気をつけるよ」

 俺は頭をかきながら答えた。


 そのとき、全員のタグがピッと音を立てる。

 深みのある渋い声が聞こえた。

「アルクラッドより全員へ。団長だ。今日は帰れなくなった。私の帰りを待たずに休むこと。戸締まり、火の元の確認を怠るな。私が居ないからといって羽目を外すんじゃないぞ。酒類の持ち込みはもちろん厳禁だ。以上」

 団長、マトイの親父さんだ。

 そして俺のボスになるかもしれない人。

 俺は声の理性的な印象にほっとした。

 しかし、怒らせると怖そうだ。


 通信が切れると、即座にトゥリーが声を上げた。

「アルバの団長へ」

 トゥリーのタグが鳴って、発信状態になった。

「団長、トゥリーだ。今日戻ってこないなら話がある。そっちへ行っていいか?」

 それだけ言って、トゥリーは黙った。

 俺たちには聞こえないが、返信を聞いているのだろう。

 トゥリーが再び口を開いた。

「わかった。すぐに行く。大したことじゃない。以上」

 それからトゥリーは立ち上がって、俺の顔を見た。

「これから団長におまえのことを話しに行ってくる。安心しろ、悪いようにはしない」

 それからみんなに聞こえるように言った。

「団長と会ったあとは、直接家に帰る。今日はもう、ここに戻ってこない。また明日会おう」

 なるほど、『所帯持ち』のトゥリーか……。

 トゥリーは手袋をつけ、その手で俺の肩を叩く。

「マトイを泣かすなよ」

「なに言ってんの、トゥリー! おっさんくくさいっ!」

 マトイが顔を真っ赤にして言い返した。

 俺がなんと言ったものか迷ってると、トゥリーは笑いながら背を向けた。

 ドアの横にかかっているリングをひとつ取って、外へ出て行く。

 リングはバイクのキーだ。


 ナムリッドが座ったまま声をかけてきた。

「買い物に行くなら、本と地図も買ってきたほうがいいかもね。アルコータスと、周辺地域も描いてあるのがいいと思うわ」

 確かにその通りだ。

「ありがとう。そうするよ」

 そう答えて、俺とマトイも出口へ向かう。


 ドアの前で、マトイが動きを止めた。

 フックにかかったリングをチラッと見てから言う。

「せっかくだから歩いて行かない?」

「俺は別にかまわない」

 俺たちは食堂を出て、無人の狭いロビーを抜けた。

 ガラスドアを押し開いて、外へ出る。

 空気が少し蒸し暑い感じがした。

 建物の中の空調が、それだけ快適に設定されていたのだろう。


「こっちこっち」

 マトイが歩き出すのに肩を並べる。

 おれはふと気になって尋ねてみた。

「いま、季節はいつなんだ? これから暑くなるのか、寒くなるのかってことだけど」

「そんなことまでわからないの!?」

 マトイは青い瞳で俺を見上げて、心底呆れたような声を出した。

「いまは春! これから暑くなるの。そうはいってもアルコータスは一年を通じて気温の変化がそんなに激しくないけど」

「そうなのか。いいところだな」

「ホントに……。どこから来たの?」

「さあねぇ……」


 そんなことを話しながら歩いていると。


「うわぁあああああッー!!!!」

 男の悲鳴が聞こえた。

 叫び声のほうを見ると、ツナギを着た小太りの男が立ちすくんでいる。

 横の路地から出てきたところだ。

 手に持っていた紙袋を落とし、こちらを凝視していた。

 男は思わぬことを口走る。

「マトイちゃんが! 見知らぬ男と歩いてるぅっ!!!」

「なにぃっ!」

 また大声が上がる。

 今度は小太り男の背後にある民家の二階からだった。

 無精髭の男が窓から身を乗り出して、俺たちを見下ろした。

「キサマッ! 何者だッ!」

 これは俺に向けられた言葉らしい。

 路地の奥から、もう一人現れた。

 ひょろっとしたメガネの男だ。

 男は俺に厳しい目つきを向けて言った。

「おおかた、鎧を脱いだクラウパーってところじゃないのか?」

「あいつが鎧を脱いで外を歩くかよ!」

 小太りの男が歯ぎしりするように否定した。


 そこへさらに、

「イヤァアアアアアアァッ!!!!」

 通りの向こうから女の悲鳴が上がった。

 スーツを着てメガネをかけた女だった。

「あたしのマトイちゃんが! 男に騙されてるッ! ダメよ、ダメダメ、それは罠よぉーッ!」

 道路の向こう側から、ものすごい勢いでこっちへ突っ切ってくる。

 おかげで小型トラックが一台、急ブレーキを踏んだ。


 ちょっと戸惑っている間に。

 俺とマトイは、すっかり囲まれてしまった。


「マトイちゃん、コイツ親戚でしょ? ね? ね?」

「キサマ、誰の許可もらってマトイちゃんとお出かけしようってんだぁー?」

「マトイ様の六十センチ以内に立つな。おまえの汚れが伝染る」

「マトイちゃん、無理しなくてもいいのよ。お姉さんが全部教えてあげるから。大人の階段、全部上らせてあげるから」


 俺は面くらいながら言った。

「マトイ、こいつらはなんなんだ!?」


 次の瞬間、囲んでいる四人が声を揃えた。

「「呼び捨てかよっ!」」


 二階から降りてきた無精髭の男が、俺に告げる。

「我々、『マトイちゃん親衛隊』を知らないとは、キサマ、モグリかぁー?」

 もうなにがなんだかわからない。


「タネツケ、ダッシュ!」

 マトイが強引に囲みを突破して走りだした。

 その瞬発力に、俺も遅れず続く。

 俺にはまだ余裕があったが、全力疾走らしいマトイに合わせて走る。


 ちらっと後ろを振り返ると、悔しそうに身をよじっている四人の姿があった……。

 

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