第2話ニューワールド

 落下していく。

 足元へ向かってどこまでも落ちていくような感覚があった。


 目が慣れてみると、虚無のただ中というわけじゃなかった。

 全天をとりまく、小さい星々のきらめきが見える。

 まるで宇宙空間に放り出されたようだ。

 しかし、息が詰まるということもない。

 たぶん、俺のほうが呼吸していないのだろう。


 多くの感覚が麻痺したようになっていた。

 身体を動かしても、進行方向が変わることもない。

 声を出すこともできず、下へ下へと移動していく。

 俺は進行方向の足元を見下ろして、ただ見守るばかりだった。


 変化が起きた。

 光る一点に近づいている。

 急速に大きくなるそれは、金色のリングだった。


 突然、頭のなかに声が響く。

「諸要素、分解」

 機械っぽい、性別のわからない声だった。

 その言葉の意味を考えている間にも、金色のリングが迫る。

 直径三メートルくらいの輝く輪だ。

 俺の身体はリングの中央を通過した。


 その瞬間。


「!!!!!」

 俺の身体はガス状に分解されていた。

 黄色い靄の塊として、まだ落下し続ける。

 慌てふためくさなか、次のリングが見えた。

 良かった、まだ終わりじゃない。

「不要構成物、洗浄」

 俺は第二のリングを通り抜けた。


 でもだめだ!


 まだガス状だった。

 色が白くなっただけだ。

 俺は当然、第三のリングに期待するしかなかった。

 為す術はない。


 期待を裏切らず、第三のリングが現れる。

「肉体、再構成」

 第三のリングを通過したとき、俺は肉体を取り戻した。

 まる裸だったが、なんともいえない充足感を味わう。

 生まれ変わったような心地よさだ。


 さらにリングは続いた。

「筋繊維、強化」

「循環器、強化」

「神経伝達、効率化」

「ロバスティック・スケルトン、置換」

「エンハンスド・ナーブ、置換」

「大脳エキゾチック・サーキット、造設」

「マナ・ファクツ、親和性付与」

「ブルート・ファクツ、親和性付与」


 後半、自分の身体に何をされたのか、さっぱりわからない。

 だが、気分は上々だ。

 不意に、視野の外から青い惑星がせり上がってきた。

 青い海と緑色の陸地。

 その上に漂う白い雲。

 地球に似ていた。

 もしくは地球そのものだ。

 俺はその星に向かって落下していった。

 しかし、まだリングもあった。

「最適化」

 俺はリングを通過した。

 結果的には、それが最後のリングだった。


   ☆☆☆


 つむじ風が周囲を舞ったかと思うと、俺は足元に地面の堅固さを感じた。

 つむじ風が消えると、軽いめまいを覚えて膝をつく。

 俺は大きく深呼吸した。

 肺に空気が流れこむのはしばらくぶりだ。

 空気は少し冷ややかで、甘い草の匂いがした。

 うまい。


 緑がやたらと目につく。

 比較的開けた森のなからしい。

 人の気配はない。

 周囲の状況がわかれば、次には自分の検分だ。


 足には茶色いブーツをはいている。

 サイドにいくつもの細いベルトがついていて、それで締めているようだ。

 近代的なデザイン。

 それから黒革のズボンをはき、

 上半身は白い麻らしい服に身を包んでいる。

 それだけじゃない。

 胸には銀色に輝く装甲をつけていた。


 ゲーム知識からすると、バック&ブレストとか胸鎧、胸甲とかいうタイプのアーマーだ。

 表面を軽く叩いてみると、鈍い音がする。

 襟元から確かめてみると、厚みが一センチくらいあった。

 鋼か鉄なら相当な重さになるはずだ。

 だが、今の俺には苦にならない。

 そして、腰の左側には、鞘に入った剣。


 俺は引き抜いて、刃を陽射しに晒してみた。

 これも軽く感じる。

 幅5センチ、長さ六十センチといったところか。

 まっすぐな両刃の剣だ。

 実物の剣にちょっと感動してしまったが、一般的なイメージの普通の剣だ。

 特別なところはない。


 問題はここからだな。


 俺はここが現実であることを疑ってはいない。

 すべてがあまりにリアルだ。

 なぜかはわからないが、俺はこの世界に送り込まれた。

 目的はあるのだろうか?

 しかし、深く考える気にはならなかった。

 そのうちわかるだろう。

 どのみち元の世界なんか、うんざりしていた。


 ニューワールド大歓迎だ。


 ところで、俺は鎧と剣を身につけている。

 この武装したカッコウが人前でも許されるものなのか、イマイチ判然としない。

 ブーツや服飾の作りからして、文明レベルは中世よりずっと現代に近いはずだ。

 それでも大っぴらに武装して出歩けるとなると、それ相当に物騒な世界だということになる。


 周囲をあらためて見回してみた。

 のどかな雰囲気だが、モンスターでもいるのかな?

 まさか、人がいないということはないだろう。

 前の世界にうんざりして、何らかの方法でここへ送り込まれたものの、モンスターと戦ってばかりの修羅世界でも困る。

 考えてみれば、今の俺には水も食料もない。

 もちろん猟具もない。

 そもそも荷物が何もない。

 できるだけ早く、人の世界と接触しなければならないはずだ。

 俺は軽いため息をつきながら、剣を鞘に収めた。


 人生がこんな展開をするとは。


 図書館で借りたサバイバル系の本をもっと熟読しておけばよかった。


 方向を定めて歩き出そうとしたところへ、

「キャーーーーーーッ!!!!」

 茂みのなかから女の子が悲鳴を上げて飛び出してきた。

 短い黒髪の女の子は、俺の横を走り抜けようとした。

 だが、どてっと倒れる。

 白いブラウスに青いベストとミニスカート、白と青のストライプが入ったニーソックス。

 倒れた拍子にスカートがまくれ、水色の縞パンが丸見え。

 やはり現代的な服装だ。


 目の保養も長くは続かない。

 女の子の来た方向から、獣の雄叫びが轟く。

 茂みをかきわけて現れたのは、豚の頭を持った巨人だった。

 でっぷり太り、身長は二メートルを超す。

 右手に粗末な棍棒を握っているほかは、まる裸だ。

 ゲームでお馴染みのオークがいるとすればこんな感じだろう。

 想像よりずっと大きかった。


 人がいて良かったが、モンスターもいるんだ、やっぱり!


 ここで戦うのが俺の運命なのか。

 避けて、打つ、突く。

 それを冷静に、機械的にこなせばいい。

 相手の知能が見た目通りの獣並みなら、少し痛い目をみせれば去っていくだろう。

 俺としては、そこに賭けるしかない。

 こんな巨体と死闘を繰り広げて生き残れるとは思えなかった。


 オークが棍棒を振り上げる。

 俺は覚悟を決めて、剣を引き抜きかけた。

 その瞬間、時間が止まる。

 いや、ゆっくりとだが、動いている。

 オークも、俺の右手も。

 しかし、俺の思考は通常速度で流れていく。

 俺は頭のなかで、自分でも意味がよくわからない言葉をつぶやいていた。

『緊急魔法陣展開』

 俺の右手首に赤い光の輪が生まれた。

『ブルート・ファクツ収束』

 周囲から右腕に、金色の靄が集まってくる。

『破壊力量錬成』

 右手から剣の刃に、細かい放電が走る。


 オークがゆっくりと近づいてくるのと同じように、俺もゆっくりと剣を引き抜いていった。

『限界突破、確認』

 時間の流れが元に戻った。

 これからやることは、半ば本能的にわかっていた。

 俺は剣の切っ先をオークに向けて叫ぶ。

「剣・ビィィィームッ!」


 バチっという音がして、剣から一条の光線が走る。

 光線はオークの腹を貫いた。

 オークが震えるような悲鳴を上げてのけ反る。

 俺は構わず右手を一振りした。

 剣からの光線が、オークの身体を真っ二つに切り裂いた。

 オークの身体はずるりと傾いで倒れ、内蔵を吹き出しながら、その生命を終えた。

 オークの背後にあった大木も巻き添えを食って、梢を軋ませながら倒れていく。

 もう、脅威はなくなっていた。


 なんてことだ。


 俺って、スゲーわ……。

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