第0話「静寂と闇に潜む者」

その日の夜は不思議クレイズィ~静寂アンビエンテッド・モイスチャー・タイムに包まれていた。黙考県の都市部からだいぶかけ離れた田舎町に位置する道帝工科大学○△学部のキャンパス周辺は、めぼしい娯楽施設はほぼ皆無といっても過言ではない。それに加え、夜遅い時間帯になると、キャンパスの最寄り駅には電車が1時間に1本しか来ない上で、最終電車も日付が変わった直後にはすぐに行ってしまう。なので、キャンパスの夜は静かになるのは当たり前なのである。キャンパス及び講義棟の警備仕事を長らく務めている紅葉こうば 史弐貴しにきには至って当たり前なことであり、むしろその静けさを堪能している面もあった。しかし、長い警備員生活を過ごしている彼ですらも、今夜の静けさは何故だかいつもと違う、そう感じていた。



「・・・・・・一仕事終わったら、先頭井まずいのとこ寄り道すっか。」



独り言をぼそっと呟きながら、紅葉は講義棟を巡回し始めた。先頭井は、この大学の教授である。紅葉と先頭井は今の身分は違うが、旧知の仲である。二人は大学時代に知り合ってから、同じ時間を過ごしてきた。大学生だった二人は、大学の近くのアパートで独り暮らしをしており、夜には勝手に紅葉が先頭井の住むアパートに乗り込んでは、酒や煙草を嗜み、他愛もない会話を楽しんだ。その名残で、こうして時間の経った今でも、紅葉は先頭井の研究室に勝手に入ってきては、酒と煙草を交えながら、先頭井とつるんでいるのである。




「この扉を開けましてぇーっと・・・・・・誰かいますかーーー!!!!!!・・・・・・よし、誰もいないっ!」




紅葉は、延々と独り言を、半ば叫びに近い状態で発しながら講義棟の廊下を巡回していった。




「・・・・・・あ、でももしかしたらこの地球の裏側には誰かがいたのかもシレマセンネー!!!?????ムヒヒ!ムヒヒヒヒヒ!リオデジャネイロのひと聞こえてますかーーー!!?ドゥゥゥゥールルルルルルあっやべ財布落とした。」




もはや、紅葉は発狂していた。紅葉は、時折妙にテンションが高くなる時がある。だいたい10日に1回という確立でこのような状態に陥っているのである。紅葉曰く、「これは啓蒙活動なんだ!人々が生きる上で必要な、然るべき糧を俺は啓蒙しているんだ!」とのこと。―――ああ、わかっている。紅葉は、元から頭のおかしい人間だ。でも、そんな紅葉でも我に返る場面がある。それは……財布を落とした時だ。どんなに啓蒙だ詩だあれやこれやと喚いている紅葉も、さすがに財布を落とすと大人しくなる。そんな訳で、瞬時的スピィ~でィ~に我に返った紅葉が財布を拾おうとしたその時である。



「…….グルルルル……」



聞いたこともないような、恐ろしい唸り声が講義棟の廊下に響いた。それはまるで、獲物を狙っている肉食獣のような声であった。これを聞いた時、さすがの紅葉も驚き、手にしていた蛍光灯で辺りを照らした。



「だ、誰ですか・・・・・・リ、リオデジャネイロのひとじゃ、ないですよね・・・・・・」



彼方此方照らしたものの、未だに唸り声の主が見当たらない。しかし、唸り声が紅葉の方へと徐々に近づいてきていることだけはわかっていた。



「グルルルル……」



「えっちょっ・・・・・・ちょっとやめてよ怖いってば。ねえやめて!」



紅葉は、パニック状態の寸前に陥っていた。恐怖のあまり、足は竦んでしまっていて逃げようにも逃げられない。紅葉は、涙目になっていた。



「・・・・・・『も』―はもーっこうーのー『も』―!!!『こ』―はもっこうーのー『こ』―!!!」



紅葉は、突然謎の曲を唄い始めた。紅葉は、パニックになると謎の歌を唄う癖がある。そして、混乱と恐怖の感情が強くなるほど、歌の意味がさらに謎めいたものとなるのである。紅葉は、人生で最大のパニック状態を迎えていた。


そして、5分36秒その謎の歌を唄い続けた後、木村カエラのデビュー時から2015年までのシングル曲を一通りアカペラで歌ってから、紅葉は再び謎の歌の続きを唄おうとした正にその時である。






自分の背後に、何か恐ろしいものの気配を感じ取った。






紅葉の混乱度と恐怖の感情は、頂点に達してしまった。しかし、紅葉はすぐに後ろを振り向き、ライトを照らした。




だが、そこには誰もいなかった。紅葉はふと、安堵の息をついた。





しかし、その安堵は束の間のものであった。



「グルルルル……」





また、あの唸り声が聞こえた。そして、その声の主は紅葉のすぐ側にいる。しかし、背後にも、前方にもいない。



紅葉は、ゆっくりと、天井に明かりを照らした。



明かりの先には、こちらを睨み殺すかのように、大きく見開いた黄色い眼と、白く且つ長くて鋭い牙、そして、天井にへばりついている無数の触手・・・・・・その姿は、世にも恐ろしいまさに”化物”そのものであった。そして、化物の口は開いた。






「ヴヴヴ……タ、タン゛イ゛……」




紅葉は恐怖のあまり、叫ぼうとした。しかし、天井にへばりついていた触手の一本が長く伸びて、紅葉の顔全体を巻き上げた。口も目も耳も何もかもが塞がれ、紅葉の口から発せられようとした恐怖の叫びは、黙考の『叫』となった。






化物は次々と触手を伸ばし、紅葉の体を絞めつけてゆく。その絞めつける力は相当のもので、骨が砕ける音が聞こえてしまう程であった。激痛を全身で感じている紅葉は、何も抵抗することもできない。そして口も抑えられているため、ただ、聞こえることのない、黙考する『叫』を上げるだけでしか成す術がなかった。そして、ゆっくりと触手で紅葉の体を持ち上げ、化物は自分の口の元へ近づけていく。そして、やがて紅葉の体は止まり、化物は口を大きく開くと共に咆哮した。





「タン゛イ゛ヲ゛、ヨ゛コセ!!!!!!!!!!!!!!」






化物は、その大きな口で獲物を丸呑みしてしまった。口の中から骨や内臓物をかみ砕く音が鳴っており、時折その口からは鮮やかな紅色の滴が垂れ零れていた。化物は、最後に獲物の遺していった財布を手にとり、夜の深き闇の中へと消え去っていった。キャンパス内は、再び静寂に包まれていった。





その翌日、紅葉史弐貴が昨夜謎の失踪を遂げたというニュースは大学内だけでなく、マスコミにも取り上げられていた。また、大学構内に残されていた血痕もあいまって、紅葉は殺されたのではないかという憶測も立てられ、世間を騒然とさせた。警察のみならず、科学を専攻する研究者までもがこの事件の捜査を行ったが、手がかりとなるものが一切発見されず、捜査は難航を極めた。結局、一切進展することなく、警察らは捜査を中断。


……事件の真相は、闇の中へと消えていったって訳よ。


ひぇャぇ……怖いねェ……




で、静寂な夜に起きた謎の事件から、この物語は始まるってヮヶ。

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