第17話 自己ベスト更新
「シズル、お前の家って、本屋のどっち側?」
「はあ、はあ、本屋挟んで駅寄り」
「そっか。俺は本屋の手前の方」
赤信号で止まった時に追いつき、息切れ切れの状態なのに、コタローの奴、日常会話のように話しかけてくる。
わたしのすぐ前を走ってくれるのかと思ったら、ガンガン先行して、差が50m以上開きそうになったらやや減速しているようだ。不思議なことに、後ろも全く振り返らないくせに、その間隔だけはきっちりと保っている。
北星高校での滞在時間は3時間ちょっと。学校前のコンビニでおにぎりとパンも買ってきてだらだらと日蔭のベンチで喋ってた。でも、3時間喋ってる中で、わたしの情報はどんどんコタローに吸い取られていくのに、コタローの情報をほとんど引き出せなかった。県内で1番の進学校である鷹井高校がちょっと無理そうだったので、遠いけど2番手の北星高校にしたこと。中学生の時はマウンテンバイクに乗ってたけど、通学で距離走るのに合わせてクロスバイクを買ったこと。入学前の春休みにバイトしたお金で買ったこと。そのバイトは青果市場の早朝バイトで、相当稼がせてもらったこと。これぐらいの情報しか得られなかった。コタローの話題にしようとすると馬鹿話ばかり始まる。それよりその間に「お、コタロー、お前の彼女か?」と何人もの男子から声を掛けられた。コタローが、「うん。そう」と答えると、みんな一様に「げ!マジかよ!」とわたしの顔をじろじろ見る。その意図は分からないけど、口を開くとかえってややこしくなりそうだったので、愛想笑いで会釈しておいた。
しかし、人間、ある程度の無理は効くもんだ。北星高校を出たのが午後の4時ちょっと前で、今5時半。鷹井市内に入り、本屋まで後3kmほどといったところかな。自分の意外な体力に驚いている。実は、気力の問題なのかもね。
あれ、コタローがスピード緩めた。こっち見てる。
「シズル、ちょっと、ストップな」
鷹井市で一番大きな神社を通り過ぎて30mほどのところの一戸建てのこじんまりした家の前。
「ここ、俺ん家」
わりと新しい木造の家。この地方では一戸建ての家は当たり前だし、特にまあ豪勢な家でもないけど、ちょっとだけわたしの眼に残ったものがある。道路にお尻を向けて止めてあるワンボックスカーに車いすのマークがある。おじいちゃんかおばあちゃんと同居してんのかな?
「へー、ここがコタローの家なんだ。じゃ、ありがとね」
あれ、コタロー。そのまま自転車出そうとしてるけど、何で?
「さ、行くぞ」
「え?いいよいいよ。ここからなら、私の家、もうすぐだし」
「馬鹿、目的地直前が一番事故を起こしやすいんだよ。それに夕方でラッシュの時間帯だろ。いいから、遠慮すんなよ」
いや、遠慮ではないんだけど。でも、確かに、言われてみればあと数kmでも段々日が暮れかけててちょっとやだな、ってのはあるな。
「あ、もしかして、俺に家を知られるのが嫌なんだったらどっか近くまで行ったら帰るよ」
「ううん。そんなんじゃない。うん、ありがと。お願いします」
夕陽が段々と位置を下げて来る時の柔らかな光が2人の自転車の影を作る。今日一日ほとんど外にいたけど、影を意識したのは今が初めてだな。
そう言えば、あのバンドの曲に自転車の曲があったな。2人乗りで夕暮れの住宅街を走る、っていう感じの歌詞の曲。あの曲、好きだったな。突発性難聴って、治るのかな。
「ここ、私ん家」
お父さんはまだ帰ってないだろうな。お母さんもおばあちゃんも、わたしが男子と一緒に帰って来たって知ったら、驚くだろうな。
「よし、1時間55分。どうだ、自己ベスト更新の気分は?」
「いや、今日初めてで自己ベストも何もないから。コタロー1人で走ったらどれくらい?」
「大体、平均したら1時間かな」
「え!凄い!」
「いや、通学で毎日往復だから、それくらいで走んないとやってらんないし。じゃあな」
「あ、コタロー、待って。一応メルアド教えとくよ」
「いや、いいよ」
「そっか・・・ごめんね。冷静に考えたら、わたし、ストーカーっぽいもんね」
「いや、そうじゃなくて、俺、ケータイ持ってないから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます