第6話 たなべ司法書士事務所
夏休みに入り、毎年恒例だけれども、たなべ司法書士事務所でのアルバイトの日数を増やした。3年生の今年は就職を控え、どうしようかと迷ったけど、本命の佐原事務の他、「君なら是非!」と声を掛けてくれる会社もいくつかあるので、就職活動といっても夏休みの間に特にやることも無くなった。ならば、たなべで実戦力アップのたゆまぬ努力を続け、アルバイト代もがっちりと行こう。
そんな訳で7月分のバイト代を貰ってびっくりした。
「え!こんなに!?」
たなべ奥さんがにっこりする。
「シズルちゃん、3年間も本当に頑張ってくれてるからね。夏のボーナスだと思って受け取って。これから就職の準備するにもお金がいると思うし」
「わー、嬉しいです!ありがとうございます!」
現金なわたしが封筒の中の現金をしげしげと見つめてにやにやしていると、たなべ奥さんがぽつっと呟く。
「・・・シズルちゃんが大学に行ってくれたらねー・・・・」
「はい?」
ちょっと思いもしない発言だったので、思わず「どうしてですか?」と訊いてしまう。
「ごめんね。高卒だから、大卒だから、ってことじゃなくって、うちの事務所は一応法律の専門家な訳じゃない?法学部である必要はないけど、ある程度の法律の基礎だとかはやっぱり必要なんだよね。だから、もしシズルちゃんが県立大あたりに行ってうちのアルバイト続けてくれたらな、って。それで法律関係の単位とか、資格とか取ってくれたら、そのままうちで正社員になって貰うのにな、って」
「いやー、わたしなんて。今の正社員の皆さんとはレベルが違いますから・・・それに、わたし、勉強、っていうか、学問って苦手だし。学校はもういいです」
「うーん、学問、はどうでもいいんだよね。シズルちゃん、うちのお客さん見ててどう思った?」
「え?どうって?」
「みんな、生々しいでしょ」
「うーん、そう言えば・・・」
確かに。以前、父親が死んで相続手続きの相談をしに来た兄妹がいたけど、兄の方が愛人の子供で、その場で妹の方を罵倒し始めたことがあったな。それから、認知症の母親を連れて来て、今のうちに遺言を書かせたいけどどうすればいいか、って変な相談する夫婦もいたしな。
「生々しいけど、みんな真剣。切実。真面目。それがほんとの実生活の感覚。シズルちゃんにはその感覚がしっかりあるよ」
「えー、そうですか?でもなんかやですよー、そんなの。一応女子高生なのに・・・」
「嫌がることないよ。シズルちゃんは結婚したいって思ってる?」
「え・・・はい、一応」
「結婚すれば、結局いずれはうちのお客さんたちと似たような現実に向き合うからね」
「えー、でも、離婚とか相続争いとか、そんなのしないつもりですけど」
「でも、いずれ年を取るでしょ?」
「ええ、まあ」
「今は女子高生でも、いずれおばあちゃんになるよね?」
「んー、確かに」
「そしたら、最後は死ぬよね」
「え・・・」
「でも、ひょっとしたら、シズルちゃんの旦那さんが先に死んじゃうかもしれないよね?」
「え・・・はい・・・」
「悲しいけど、自分の大事な人が死んじゃっても、淡々と色んな手続きをしなきゃならなかったりするんだよね。相続とか。だから、わたしも旦那も、法律の専門家っていう以前に、自分達もお客さんと同じ生々しい実生活を生きてるんだ、って意識してるよ」
たなべ奥さんの話は本当にわかりやすく、自分でもその通りだと感じる。でも、切ない。
「シズルちゃんは若いけど、その感覚をしっかり持ってる。高校で実社会・実生活のための鍛練をしてる。うちでもビシビシ鍛えてるしね。おばあちゃんと同居してるって言ってたよね。それも関係あるかも。おばあちゃんの話、今度聞かせてね」
「はい」
「それに、シズルちゃんが来てくれてフタショーのイメージも変わったしね」
「え、何ですか、それ」
「だって、フタショーの生徒って、昔から不良っぽいイメージしかなかったから。自分が高校生の時、駅の前にフタショーの制服が集まっててガン見された時、怖かったよ」
「あの・・・確かに警察沙汰はしょっちゅうですけど、基本、無害ですよ、多分」
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