第65話

「賭けをしないか」

 田中義晴は、見る者の心胆を寒からしめるような笑みを浮かべて言った。

 嫌そうな顔をする六花を宥めすかし、セシリアの魔法を二人に使った後のことだ。判定は『白』。二人の記憶をさかのぼる限り、バルバニア側の情報をフレミニアンに送ったような素振りは見られなかったらしい。ならば、あとは実行委員としての仕事を終わらせて帰るだけだと思っていたのだが……。

「賭けですか……」

「そう、その内容は――」

「いやな予感がするので辞退させていただきます」

「しょう――って辞退?!」

 田中義晴は素っ頓狂な声を上げる。

「ええー、ノリは悪すぎっしょ! 幸助くーん!」

 と、僕の肩を抱きながら、DQN中学生みたいなうざいノリで僕に絡んでくる。

「俺様の醸し出したシリアスな空気どうすんの? どう回収してくれんの?」

「吐いた唾は飲めません。ご自分でどうにかして下さい」

「俺様の唾を呑んでくれていいんだぜ」

「きもいわ」

 僕は思わずタメ口をきいてしまう。僕は慣れ慣れしく肩を抱いた田中義晴、いやもう呼び捨てでいいや、田中をぐいと引き離す。

 僕の周りにはホモしかいないのか……?

「いや、それは違うぞ」

 田中は真剣な目で僕を見て言う。

「男同士の絡みがホモホモしくなることは、なんだかんだ言って、一定の需要があるんだ。安易なギャグってことは否定しないがな」

「何の話をしてるんだ、あんたは」

 誰の需要を見込んでいるんだ、誰の。

 田中はにこりと笑いながら言う。

「安心してくれや、俺様は幸助の金玉よりは六花ちゃんやそよぎちゃんの胸を揉みたいと思ってるからよ」

「何に安心すればいいんだよ!」

「……?」

「ひいい! 六花の胸でもそんな大きいのは無理なのだ!」

 いまいち会話についていけず、きょとんとしているそよぎに対して、六花の想像力は僕らの遥か上を行くようだった。

 田中は「まあまあ」と一同を宥めすかしてから続ける。

「まあ、場もあったまったところで本題だ」

「むしろ、極寒になってるわ」

「賭けをしようって言ってるんだ、幸助」

 田中は僕の言葉を無視して、真剣な眼差しで僕の目を覗き込んだ。僕はその瞳に気押されて、相手のペースに呑みこまれてしまう。

「……何をしようっていうんですか?」

「将棋だよ」

 そう言って彼が鞄から取り出したのは、将棋盤だった。

 将棋盤は折り畳み式ではあるものの、質のよさそうな木でできた年季の感じられる一品だった。詳しくない僕でもそれなりに上等なものであることがうかがえる。

「僕は将棋はあまり詳しくないんですが」

 基本定石である矢倉や美濃囲い程度なら形程度はさせるが、本格的に学んだわけではない。何も知らない素人相手ならともかく、この男を相手にして勝てるほどの自信は無かった。

 田中はにやりと笑いながら言う。

「まあ、確かに俺様は強い。だから、飛車角落ちでいい。どうだ? これなら勝てるだろ?」

 飛車角落ちとは、要するに将棋において最強の駒の飛車と角を自分だけが使わずに対局を行うことだ。普通、プロがアマチュアなんかとやるとき、実力差が大きいもの同士の差を埋めるために使われるルール。要するにハンデをやると言っているのだ。

 確かに、飛車角落ちというのは、相当大きいハンデだ。野球で言うなら外野の守備は無しでいいと言っているようなもの。これだけのハンデをつけてでも賭けをしたいということは自分の腕前に相当自信があるのだろう。

「飛車角落ちですか……」

「そうだ、これなら――」

「お断りさせていただきます」

「そう、お断りって――マジでか!?」

 田中はまたもや素っ頓狂な声をあげる。

「うっそだろ! ここまで言ってもまだ断るのかよ、えー……」

 田中はなぜか呆れたような表情になる。

「幸助、おまえ、ノリ悪いって言われるだろ」

「いや、むしろ僕はノリはいい方なんですけどね」

「絶対嘘だね! ていうか、おまえ、身内と喋っているときはノリノリだけど、それ以外の相手に対しては心を開かない内弁慶と見たね!」

「ぐっ……」

 当たらずとも遠からずの評価に僕は思わず押し黙る。

 田中は再びうざい調子で僕に言葉をかける。

「幸助よお、目上の話には素直に頷いとかないと出世できないぜ」

「別に上に媚びてまで出世したいと思いませんので」

「つれないねえ」

 田中は首を振りながら嘆息する。

 しかし次の瞬間には、また田中は前のめりに僕ににじり寄る。

「ともかく賭けだ。賭けしよーよお」

「だから、しませんって」

「なんでだ? なぜそこまで頑なに拒む」

「逆に貴方がそこまで賭けにこだわる理由の方が謎ですよ……」

「やっぱ賭けって定番じゃねえか。『負けた方が勝った方の言う事を聞く』っていうやつ」

「まあ、マンガなんかではよく聞く条件ですけど」

 僕は続けて言う。

「僕にはそんな賭けに乗るメリットがないですよね」

 現状、僕は田中の賭けに負けることによるデメリットはあっても、田中の賭けに勝つ事によるメリットがない。負けたときに何をさせられるか解ったものではないが、勝ったとしても、今、この男に命令して何も得られるものはない。

 僕の頑な態度を察したのだろうか。田中は顔を伏せ、でかい溜め息をつく。そして、あげた顔には先程までの能天気な雰囲気は残っていなかった。人好きがする様な笑みはなりを潜め、冷徹で残忍な印象を与える能面が、そこにはあった。

「ちっ、素直に乗ってりゃあ、楽しい雰囲気で終われたのによお」

 僕はその表情を見て、思わず口元を緩める。

「いや、僕は今の先輩の雰囲気の方が好きですよ」

 自身の悪性を隠して、善人ぶる人間よりは、僕は解りやすい悪人を好む。

「ほざけよ」

 僕の戯言を一刀で切り捨て、田中は言う。

「なら賭けの条件を変えよう。賭けに乗らない場合、おまえらにとって都合の悪い情報をバルバニアに提供することにする」

「都合の悪い情報?」

「たとえば、おまえらが上にひた隠しにしてる誰かさんの魔法の本当の効果、とかな」

「!!」

 僕は思わず目を見開く。

 あまりに唐突な宣言に僕は表情を隠すことができなかった。これではもうごまかしはきかないだろう。僕はぎりと歯を噛み締める。

「おお、いいねえ。俺様も今のおまえみたいな顔は結構好みだぜ」

 意趣返しの様なことを言って、田中は続ける。

「安心しな。これはあくまで賭けに乗る為の条件だ。賭けの勝敗いかんに関わりなく、勝負さえしてくれれば、この件は黙っておいてやるさ」

「………………」

 確かにこの条件なら僕は勝負せざるを得ない……。だが――

「では、具体的に何をかけるんです?」

「そうだなあ。相手の言う事を聞く、なんてベタな条件でもいいんだが、それもちょっと面白みに欠ける」

 田中はちらりと僕の後ろに居るそよぎに目を向けて言った。

「お互いの連れの女に一度だけ言う事を聞かせるっていうのはどうだ?」

「な……!?」

 あまりに下種な提案に僕は思わず絶句する。

 田中はわざとらしく舌なめずりしながら言う。

「くくく、そよぎちゃんはてめえ一人に独占させとくには、あまりに惜しい、いい女だからな」

「ふざけるなよ……!」

「おまえがこの勝負を蹴るってんなら、まあ、もう構わねえよ。ただ、そよぎちゃんの『秘密』がばれて厄介なことになるってだけのことだ」

「私の『秘密』……?」

 そよぎは自分の話になっていることに気付いたのだろう。きょとんとした顔で田中に目を向けている。

 そよぎに向かって田中は言う。

「そよぎちゃんよお、君、自分の魔法の力はもう知ってるんだよなあ」

「余計なことを言うな」

 確かにそよぎは六花から自分の魔法が『願いを叶える力』であることをもう知ってしまっている。しかし、それ以上のことはまだ何も知らないのだ。

 僕の制止を無視して田中は言う。

「要はそよぎちゃんの魔法は君が思っている以上に強力な物でさ。そのことがみんな知られると君がすぐに『勇者』に選ばれちまうくらいのもんなのよ」

「私が『勇者』に……?」

「ただな。これは魔法少女には基本的に伏せられている話だが、『勇者』に選ばれるってことは、戦闘兵器として敵国の人間を殺す役割を担わされるってことになるんだ」

「……!!」

 そよぎは驚愕に目を丸くしている。

「そよぎちゃんは、人殺しなんてしたくねえだろ?」

「当たり前だよ……!」

「だから、ここの幸助や君の弟の雪哉が君が『勇者』に選ばれないようにかばってるんだよな、実は」

「………………」

「だから、君の本当の魔法のことが知られて、君が『勇者』に選ばれないように、君の魔法を『秘密』にしているんだ」

「……本当なの、幸助くん」

 そよぎは不安そうな顔で僕を見ている。

 どうやってここまでの情報を得たのかは不明だが、田中が言っていることは真実だ。ここで否定することは難しいだろう。

「……ああ」

「幸助くん……」

 そよぎは何か言いたげに僕の顔を見ている。僕が口を開きかけた瞬間だった。

「で、ここからが本題だ」

 田中は僕の言葉を遮る様に声を上げる。

「俺様はそよぎちゃんの『秘密』をばらして、幸助たちの努力を無駄にしようとしている。俺様の口を塞ぐためには、幸助は賭けを受けなくちゃいけない。もし幸助が負けたら、そよぎちゃん、おまえは俺様の言う事をきかなくちゃいけないっていう賭けをな」

「………………」

 そよぎは感情の無い人形のような顔で田中を見る。

「逆に幸助が勝ったら、ひーちゃん……魔天楼王妃が何でも幸助の言う事を聞く。どうだ、シンプルな話だろ」

「待って下さい」

 僕は田中の言葉を押しとどめる。

「賭けは受けましょう。というか、受けざるを得ない。だが、賭ける対象は変えましょう。シンプルに『負けた方が勝った方の言う事を聞く』。これでいいでしょう。勝負に関係していない当事者同士を賭けの報酬として差し出す。これは筋が通らない」

 僕はその一点だけは譲らないとそよぎを庇うように前に出る。

「私は構わないが」

 そう言ったのは、ずっと田中の後ろで黙っていた生徒会長、魔天楼王妃だった。

 彼女はすっと前に出る。それだけの動作ですらどこか威風堂々とした何かを感じさせる、堂に入った動きだった。彼女は本当に見た目だけは完璧だ。

「私は義晴のことを信じているからな。義晴がこういう風に言うっていう事は何か意味があることなのだと思う。故に、私は我が身を義晴に預けよう」

 魔天楼王妃は平然とこんなことを言い放つ。

 僕は言う。

「この台詞も『シナリオ』とやらで言わされているんですか?」

「御想像に任せよう。ただ――」

 魔天楼王妃は気負いも無く言い放つ。

「そうであっても、そうでなくても、私は義晴を信じると決めている。ただ、それだけだ」

「………………」

 この二人の信頼関係は、かなり強固な物のようだ。魔天楼王妃を説得することで賭けをやめさせることは難しいようだ。

 僕がどうやって賭けの条件を変えさせるか、考えていると。

「なら私もそれでいいんだよ」

 そう言ったのはそよぎ。

「幸助くんが負けたら、あなたの言う事を聞く」

 そよぎは田中に向かって言い放った。

「そよぎ!」

「へえ、吐いた唾は飲めないぜ」

 田中は残忍な笑みを浮かべて言う。

「そよぎ、やめろ。挑発に乗るな」

「幸助くんは、私の為にやってくれるんでしょう? だったら、私だって何かしなくちゃいけない」

 そよぎは真剣な表情で言う。

「私は幸助くんの彼女なんだから……」

 その瞬間、僕は悟った。

 そよぎは、きっと気にしていたのだ。

 自分の魔法が僕の気持ちを操っているんじゃないかって。

 だから、待てと言った僕の言葉を無視して、この場に現れてしまった。

 自分が恋人としての地位に留まり続けるために、恋人に対して何かを為したいと思ってしまった。

 ただ守られるだけの存在ではいけないと思ってしまったんだ。

「よし、同意は成立だな。あとは、幸助。おまえの腹次第だ」

 田中は、深い闇の中すら見通すような瞳で僕を睨むのだった。










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