第55話
僕たちは、昨日の約束通りに学校近くのカラオケボックスを訪れていた。ここのカラオケボックスは、都心部でよく見るチェーン店ではなく、個人経営の店だ。壁紙が落書きで汚れていたり、ソファが破れていたりと、やや古びているが、その分格安であり、立地もあって、うちの学校の生徒はよく利用しているようだった。
「カラオケだー!」
そよぎは、マイクを使って宣言すると、さっそくデンモクを使って選曲を始めようとする。
「私、最初に歌っていーい?」
「いや、今回は六花の歓迎会なんだから、六花からじゃない?」
「あ、そっか」
風音の指摘により、そよぎは本来の目的を思い出したようだった。
あっさりとデンモクを六花に差し出しながら言う。
「はい、六花ちゃん。先に歌って」
そよぎは誰もを魅了するような笑みで六花に話しかけていた。
(一応は、わだかまりはなくなったのか……?)
正直、そこまで安易に考えるのは軽率だろう。いくら能天気なそよぎでも昨日の今日で六花に完全に心を開くということはありえない。
(むしろ、逆にそよぎが六花ににこやかに接しているということの方が少し怖い)
そよぎは、はっきり言ってバカだけれど、愚鈍ではない。自分の恋人の元妻(のようなもの)と接していて、何も感じないはずがない。むしろ、あからさまに敵対的な態度を取ってくれた方が、かえって話はスムーズだったかもしれない。そよぎが本心を胸の奥に秘めてしまったからこそ、その気持ちを解きほぐすことは困難になっている。
(まあ、それでも僕は僕にできることをやるだけだ)
僕はできないことはやらないが、少しでも出来る可能性があるなら、みっともなくても、足掻いて縋るのが信条だ。
(すべての登場人物が笑って終われる可能性はまだ残ってる)
だから、僕が今すべきことは、この歓迎会を成功させることだろう。
単純にそよぎと六花の仲が深まって悪いことなど何もないのだから。
そよぎにデンモクを差し出された六花は、慌てた調子で言った。
「り、りっかは後でいいのだ。というか、最後でいいのだ」
「え? そうなの?」
そよぎはきょとんとしている。目立ちたがり屋のそよぎにとってカラオケで先陣を切ることは何よりの喜びなのだろう。それを譲ってあげるというのに、断る六花の気持ちが理解できないのだろう。
六花はなぜか目を泳がせながら言う。
「真打ちは後からやってくるものなのだ……」
「なにそれかっこいい」
何かがそよぎの琴線に触れたのか、そよぎは目を輝かせている。
「じゃあ、私が切り込み隊長になるんだよ」
そよぎは再びデンモクを手元に引き寄せ、曲を選びながら高らかに宣言する。
「フィオナ騎士団が一番槍、愛原そよぎ――推して参る!」
「いつからフィオナ騎士団に入ったんだ、おまえは」
そして、マイクを無駄に二本握ったそよぎは、勇ましい口上とは裏腹に普通に歌い始める。
選曲は、前のクールのアニメのED。僕も知っている曲だ。少なくともこのメンバーの中かなら風音は知っているだろう。
ちなみに、僕がそよぎと一緒にカラオケに来るのは初めてのことだ。だから、彼女がどの程度の歌唱力を持っているのかということはまったくの謎だったのだが――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ありがとー!」
ノリノリのそよぎは、ライブを行うアイドルのような口上で、自分の曲を締めくくった。
満足げな表情をしているそよぎを見ていると、僕の向かいに座っていた凪が僕にむかって言う。
「どうだ、スケッチ。そよっちの歌の感想は」
凪にストレートに問いかけられ、僕はなんと答えたものか返答に困る。
僕の隣に座るそよぎも、何故だかドヤ顔で僕の方を見ている。
「そうだな……正直言うと」
僕はここはお世辞を言う場面ではないだろうと思い、正直に自らの感想を吐露する。
「ふつうだな」
「へ?」
そよぎは、間抜けな声を上げる。
「いや、そよぎのキャラ的にめちゃくちゃ下手くそか、あるいは意外性狙いでめっちゃうまい、という展開の二択だと思っていたんだが」
「何の話?!」
「どっちつかずのレベルのうまさで正直、コメントに困ってる」
「そこは『上手だねー』って適当に言って、おだてとけばいいでしょ!」
「いや幸助も幸助だけど、そんな上辺の賛辞をもとめてるわけなの、アンタは……」
そよぎの言葉に、風音が呆れたように呟く。
そんな会話をしている間に、二曲目の曲が流れ始める。
「お、次はあたしだ」
そう言ってマイクを握ったのは凪だった。
こいつもこいつでどういう歌を歌うのかということは興味がある。
僕は歌いだした凪の声に耳を傾ける――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いやあ、どうだ、あたしの歌声は?」
凪は、にこにこ笑って僕の方を見て感想を求める。
「いや、歌はうまかったと思うんだけどさ……」
僕は素直な感想を吐露する。
「何、その選曲」
「え? この曲知らないか?」
「いや、知ってるんだが……」
凪の選んだ曲はアイドルソング。しかも、アイドルに疎い僕ですら知っている超メジャータイトルだ。
「なんかおまえのキャラと合ってなくないか?」
「どういうことだよ?」
凪は首をかしげる。
「てっきり、放送禁止用語を連発するような曲を選んで、強制終了させられるという展開かと」
「おまえは、あたしを何だと思っている!?」
いや、普段の言動が言動だからね?
「ちょっと、肩すかしくらったなあ」
「なんか今日のスケッチ、久々に調子に乗ってないか?」
凪がそんなことを言っている内に、次の曲が流れ始める。
「次はうちね」
次に歌うのは風音だ。
皆の目が風音の方に向く。
さて、風音の歌はと言えば――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
歌い終えた風音は、僕の方を見る。
「さて、調子に乗っている幸助くん、うちにはどんな難癖をつける?」
風音は挑発的な調子で僕に尋ねた。
風音がこの調子なら構わないだろう。僕は正直な感想を述べることにする。
「選曲が空気を読んでいないな」
「選曲? 一曲目だし、絶対誰でも知ってるような無難な曲にしたつもりなんだけど」
風音の選んだ曲は、少し古いが日本人なら誰でも知っているメジャーソングだった。
だから、僕はいい放つ。
「そこは、誰も知らないようなマイナーなアニメのキャラソンか何かを歌って場を白けさせて欲しかったな、と」
「なぜそんな大火傷しかねない真似をせねばならない」
「風音のキャラ的にそっちの方があってるよ」
「てめえが発狂するまで延々耳元で大音量の音楽を流し続けてやろうか」
風音が普段と同じマジギレの表情で僕を睨んでいました。
「次は僕の曲ですね」
そう言ったのは、風音からマイクを回してもらった雪哉だった。
「ああ、居たんだ。おまえ」
「ええ、実は居たんですよ」
雪哉は平然と受け答えしたあとに、流れ出した歌を歌い始める。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どうでしたか? 幸助さん」
雪哉はいつもと同じように飼い主にじゃれつく子犬のような目で僕を見て言う。
なぜ、こいつらはいちいち僕に感想を求めるのだろうか。
「あのな、雪哉」
僕は雪哉の瞳を真剣に見つめながら言う。
「おまえ、今、どんな歌い方してた?」
「歌い方ですか?」
そして、雪哉はなぜか自信満々に言い放った。
「ラブソングの『君』の部分で、幸助さんの方に熱い視線を送っていました!」
「馬鹿野郎!」
僕は雪哉を一喝する。
突如、僕に喝破された雪哉は目を白黒させながら言う。
「そんな! 僕の幸助さんへの気持ちを素直に吐露しただけですよ!?」
「違うんだ、雪哉」
僕はゆっくりと首を振りながら言う。
「僕は、おまえの僕に対する求愛行動を責めてるわけじゃないんだ」
「なんかキモいな、その言い方」
風音の言葉を無視して僕は続ける。
「むしろ、おまえのキャラクターを考えれば、ここでそのボケをかますことは必然と言えただろう……」
雪哉は重度のシスコンだが、最近はどちらかというと僕の貞操を狙う危ない男キャラとしての地位を確立している。さればこそ、『ラブソングを男の僕に向かって歌う』というボケを行うことは、太陽が東から西に沈むよりも自然な流れだ。
僕の言葉を受けて、雪哉が応える。
「そうです。僕は自分のキャラクターを鑑み、それにふさわしい振舞いを心掛けたつもりです」
「あんたは、天然ではなく、狙ってボケてるわけ?」
風音がまた横から口を挟むが、それを無視して、僕は言う。
「だが、おまえはひとつ大事なことを見落としている」
「大事な事……?」
「ああ、それは――」
僕ははっきりと告げる。
「『流れ』だ」
「『流れ』……?」
「おまえの前に歌った三人の歌い方を思い出してみろ。どんな歌い方をしていた?」
僕の指摘に、ようやく自分の犯したミスに気がついたのだろう。
雪哉は目を見開いて言う。
「ああ!」
「気がついたようだな……」
「三人は僕と違って何もボケていない……!」
僕はゆっくりと頷いてから語る。
「その通り。おまえの前の三人は何もボケをかましていなかった。だからこそ、僕は『もっとボケをかませよというボケ』をかましたんだ」
天然ボケのそよぎは、普通、めちゃくちゃ歌が上手いか下手かの二拓だろうと指摘し、卑猥な言動を繰り返す凪は放送禁止用語言わないのかと突っ込み、オタの気が強い風音にはもっとマニアックな選曲をするように要請したのだ。
「だからこそ、この『流れ』の中で、おまえが果たすべきだった役割は――」
雪哉は放心状態で呟く。
「あえてボケずに普通に歌うのが正解だったのか……」
「左様。そして、僕に『ボケろよ』と言わせるのが『流れ』まで読み切った最適解だったのだ」
僕は雪哉のためを思い、あえて厳しい口調で言い放つ。
「雪哉。おまえは道化であろうとするあまりに道化になろうとし過ぎた。道化は、行動ではなく、在り方で人を魅了するのだ」
「なんかそれっぽいけどわけ解らんこと言ってるぞ」
風音の言葉は無視である。
「幸助さん……ぼくは少し天狗になっていたのかもしれません。自分のボケは面白い。だから、自分のボケだけで場を沸かせることができる。どこかそんな高慢な思い込みがあったのかもしれません」
「何の話してるんだ、てめえら」
風音のイライラした声は聞こえません。
「『流れ』に合わせてボケる。その程度のことも出来ないで芸人は名乗れませんよね……」
「いつから芸人になったんだよ!」
風音は無視で。
「雪哉……今のおまえなら何をすべきかが解っているな……」
僕は雪哉の目を見つめて、優しく諭すように言う。
雪哉は、真っ直ぐな瞳で僕を見ながら言う。
「歌います……ふつうに歌います……そして、幸助さんに『ラブソングを歌って僕に求愛するぐらいのボケをしてほしかったな』と突っ込んでもらいます!」
「雪哉!」
「幸助さん!」
「いい加減にしろや……」
目の前で茶番を見せつけられた風音の怒り。
――そのあとに行われた残虐で凄惨な制裁を人に語る術を、僕は持たない。
「ひいいい……」
僕たちのじゃれあいに耐性を持たない六花は、部屋の隅で小さくなって怯えてしまっていた。
「ふぁいふぁいふぁふぁう」
「幸助くん、まったく喋れていないよ」
と、そよぎに突っ込まれる。まだ、呂律が回るレベルまでは体力が回復していなかったか。
一呼吸おいてから改めて言う。
「大丈夫だよ。これくらい日常茶飯事だから」
「呂律が回らなくなるレベルまでぼこぼこにされるのが日常茶飯事なのか?!」
恐怖を感じたのだろうか。六花が余計に縮こまってしまう。
暴力をふるった当の本人である風音がにこりと微笑んでフォローする。
「大丈夫よ、六花。うちはこの二人以外にはそんなに手は上げないから」
「ちょっとは上げるのか?!」
六花は目を白黒させている。
そして、六花は、はっと何かに気付いた顔をして言う。
「ま、まさか、カラオケボックスに六花を連れ込んだのも酒に酔わせて六花を力づくで手籠めにするためだったのか?!」
「おい、またなんか妄想加速してんぞ」
「王様ゲームにかこつけて、エロいことをする気なんだな、解ってるんだぞ!」
「おまえの妄想はどっから来ているんだ」
彼女は非常に想像力豊かなようです。
風音が六花に向き合うために一度納めた怒気を、再び発しながら僕に向きなおって言う。
「ていうか、幸助、てめえ、さっさと歌えや」
「え?」
「カラオケは普通、順番に歌うもんだろ? おまえが歌わないからみんなが歌えないんだよ」
確かに、六花は最後に歌うと宣言しているので、この場に居る六人の中で次にマイクを取るべきは僕だろう。
「ほら、さっさとしろ」
風音が僕にデンモクを乱暴に押しつける。
僕はおずおずとそれを受け取る。
……覚悟を決めるしかないか。
僕は誰もが知っているであろう国民的アニメのオープニングを選ぶ。
そして、マイクを握って、――僕は歌い始めた。
〈了〉
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「なに、終わりみたいな雰囲気醸し出してんだ」
乱暴な口調になっている風音が言う。
「………………」
「幸助、アンタ……」
そして、風音は世界も律動をやめるレベルの辛辣な言葉を僕にぶつける。
「めっちゃ歌下手だな……」
「言うなよ……」
僕は風音にぼこぼこにされたときにも流さなかった涙を、今、流した。
「ああ、それでやたらあたしらに難癖つけて時間を稼いでいたのか」
凪はじとりと僕を睨みながら言う。
「要は歌いたくなかったわけね……」
風音は凍てつく様な視線で僕を見ている。
「幸助くん……大丈夫だよ……歌が下手でも幸助くんは幸助くんだよ」
「なんかそれっぽいけど中身の無い励ましはやめろ!」
僕は誰の顔も見たくなくて、手で自分の顔を覆いながら叫ぶ。
「ああそうだよ! 僕は音痴ですよ! アニメ化されたら、僕担当の声優さんがキャラソンの時にどう歌ったらいいか悩むレベルの音痴ですよ!」
「なにを言ってるの?」
そよぎの言葉を無視して僕は自らの思いを吐露する。
「なんで僕が音痴か教えてやろうか?! 回想シーンに単行本一巻分使うくらい語ってやろうか?!」
「そういうのはジャ○プのバトルマンガで間に合ってるからやめて」
「人生で初めてカラオケに来たからだよ!」
「一言で終わったよ、回想」
僕は喉から声を振り絞って叫ぶ。
「今まで一緒にカラオケに行く様な友達なんて居なかったからな!」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「無言はやめて……」
何かそれっぽい励ましの言葉を下さい……。
そよぎは僕の肩をぽんと叩きながら言った。
「幸助くん、大切なのは過去じゃない、未来だよ」
「汎用性の高い慰めの言葉、ありがとうございました」
「さあ、六花。おまえの番だ。僕の屍を踏み越えていけ」
そう言って僕はマイクを六花に手渡す。
六花はおずおずとマイクを受け取りながら呟く。
「りっかが歌っていいのか……?」
「何を言ってるんだ?」
僕は六花に向かって言う。
「六花の歓迎会だ。六花が歌いたければ歌え。もしも、歌いたくないなら歌わなければいい」
僕は六花の目を見て言った。
「おまえの好きにしていいんだよ」
「………………」
六花は黙って視線を宙にさ迷わせた後に言った。
「……わかったのだ」
そして、六花は曲を選び、歌い始めた。
六花が選んだ曲は、少し前に大ヒットした映画の曲。ふだん映画などに興味がない僕でも知っている超メジャータイトル。そのエンディング曲だから、ここにいる人間なら誰でも知っている曲だろう。
六花は何故か固い表情のままで口を動かしている。
「……しているのは、あなたのために――」
その声はとても小さい。マイクを通してなお、ほとんど聞き取れない。六花の地声が小さいのもあるが、マイクと口元との距離が遠すぎる。僕も偉そうなことはいえないが、きっと、カラオケで歌い慣れていないのだろう。
「……見つめているの――」
別に六花を責める意図はさらさらないのだろうが、六花の声が聞きとれないために思わず、皆、六花の方に目をやってしまう。皆に見られていると思った六花は余計に身を固くし、より声が出なくなるという悪循環に陥っている。
「………………」
ついに曲の途中で六花の声が途切れてしまう。
……仕方ないな。
僕は「いい奴」ではないし、人を助けてやれるほど余裕のある人間でもないのだけれど、今の六花の気持ちは痛いほど解る。ならば、僕がここで一肌脱いでやるというのが男というものだろう。
「話しかけられないあなたのー♪」
僕はマイクを使わずに腹の底から声を張り上げて、黙ってしまった六花の代わりに六花が選んだ曲を歌い始める。
ああ、僕は音痴ですよ。
だから、こんな真似、別にしたいわけじゃない。
でも、六花の気持ちも解るから。
友達と一緒にカラオケに行くことに憧れていて、でも、同時に恐れている。
自分が場をしらけさせたらどうしよう。
歌が下手くそで笑われたらどうしよう。
本当は歓迎されていなかったらどうしよう。
残念ながら解ってしまうんだ。
昔の僕がそうだったから。
上辺だけの付き合いの友人関係。学校では会話をしても、放課後に一緒に遊ぶなんてことは一度も無かった中学時代。今の六花はきっとあの頃の僕と同じだ。僕はそれを感覚で理解していた。
だからこそ、初めて友達とカラオケにくるという大事な一日を嫌な思い出で終わらせてやりたくない。
そのためなら、僕が道化になってやろうじゃないか。
それが彼女より少しだけ早くぼっちを卒業した先輩のやるべきこどだ。
「ただ黙って手をつないで、私を外に連れて行ってくれたー♪」
「はは、幸助くん、へた過ぎ」
そよぎが腹を抱えて笑いながら言う。
うるせえよ。
「これだったら六花ちゃんの方が百万倍うまいね」
そよぎは六花に微笑みかけながら言った。
「六花ちゃんの歌、聞かせてよ」
「りっかは……」
六花はうつむいたままだ。
歌えよ、六花。
僕は下手くそな歌を喉から紡ぎ出しながら祈る。
おまえ、練習してきたんだろ?
昨日、カラオケに行かずにわざわざ一日ずらしたのは、きっと家で練習する時間が欲しかったからなんだろ? それくらい解っているさ。
僕は歌の間奏部分で六花の方を見つめ、六花を目で促した。
そして、六花の目に何かが、ぽぅと灯った。
そして、曲はラストのサビへ。
「話しかけられないあなたの手をそっと握ってー♪」
六花はマイクを握り、声を振り絞って歌い出す。まだまだ声量は足りないけれど、透き通るような声がカラオケボックスの中に木霊する。
「『あなたを思っています』と、ただあなたを見つめたー♪」
皆も温かな目で六花を見つめている。
「話しかけられないあなたの目は私を見つめてー♪」
大丈夫だよ、六花。
「『君の側で生きていこう』と、ただ私を見つめたー♪」
おまえが恐れているほど、この世界は冷たくないよ。
「歌ったねえ」
結局、僕たちは3時間以上、カラオケボックスで歌い続けた。その間、僕はさんざんいじられ続けたが、それはこいつらなりの愛情表現だろう。……だよね?
カラオケボックスの部屋を出て、清算の為に受付へと向かう道すがら、六花は僕に向かって言った。
「さっきは助かったのだ……」
「何の話だ?」
「りっかが最初の曲で歌えなくなったとき、歌ってくれた……」
僕は六花に負い目を感じさせぬように、適当なフォローをする。
「僕が歌いたくなったから歌っただけだよ」
「でも、あんな下手糞な歌を歌わせてしまった、ごめんなのだ……」
「うん、なんかそのフォローの方が傷つく気がするぞ」
こいつに友達が居なかった原因がわかった気がする。
「でも、二曲目以降は歌えていたじゃないか」
一曲目はきっと緊張のせいだったのだろう。二曲目以降はわりと普通に歌えていた。むしろ、普通の人よりもうまいくらいだったのではないだろうか。
「うん、まあ、確かにおまえよりは歌えていたのだ」
「おまえは僕にお礼を言いたいの? けなしたいの?」
さすがに僕のメンタルのHPも無限ではないぞ?
「ともかく、ありがとうなのだ」
そう言って、六花は柔らかく微笑んだ。
僕はこのとき初めて六花の自然な笑みを見た。
かわいい子だな、そんな感想を抱いた。
「六花の歓迎会だから、六花以外で割り勘でいいわよね」
風音が皆を代表して言う。ここのカラオケは本当に格安で、懐事情が厳しい僕にも優しい店だ。六花の歓迎会なのだから、六花以外のメンバーで払うというのは妥当な提案だろう。
「いや、待つのだ」
ところが、その当人である六花は言った。
「六花は金持ちだから別に奢ってもらわなくても大丈夫なのだ」
「そういう問題じゃないわよ」
風音が六花の言葉に応えて言う。
「別にあんたがお金持ちだろうが、貧乏だろうが、関係なく、こういうときは素直に奢られておくものよ」
「……そうなのか?」
「まあ、そうだな」
僕も同意しておく。
「じゃあ、奢られておくのだ」
六花は出していた豪奢な財布をすっと引っ込めた。
そして、風音は言った。
「その分、お返しで豪華なディナーとか連れて行ってくれたらいいから」
「厚かましいこと言うなよ」
こういうのは風音なりの照れ隠しのはず。
「あ、あと別荘とか連れて行って」
照れ隠しなんだよね?
僕は風音の笑顔にたじたじになっている六花を見ながら小さく溜め息をつくのだった。
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