第9話

「まるでデートみたい……」

 僕たちは猫カフェに来ていた。いわゆる、猫と触れ合うことができるという触れ込みの喫茶店だ。店内にはたくさんの種類の猫がいる。来ている客は、女性同士も多いが、男女のカップルで来ている客も多い。ここは紛れもなくデートスポットだ。

 だが――

「男同士ではデートとは言わないよ、雪哉くん……」

「そんな! 男同士がなんだというんですか! ぼくは幸助さんをこんなにお慕い申し上げているのに!」

「声がでけえよ!」

 女性同士の客の何名かが僕たちの方をちらちら見ていました。


(そもそも、どうして僕は雪哉くんと二人でこんなところに来ているのだろう……)

 僕はことの起こりを思い返す。


「姉の誕生日プレゼントを一緒に買いに行きませんか?」

「突然現れるな。あと、顔が近い!」

 『神出鬼没サイレントロスト』とかいうふざけた名を冠する美少年、愛原雪哉。僕が片思いしている相手、愛原そよぎの実の弟である。

 彼はいつも突然現れる。そのタネの一つは、おそらくは、ある種の暗殺者が持つ人の気を読む技術だ。呼吸、まばたき、脈動。人間の身体には「波」がある。どんなに気をはりつめていようとも、コンマ0秒以下の意識の空白は発生する。その「波」を読みきることで人の意識の隙間に入り込む技術。人とすれ違った一瞬で暗殺を行うときに使われる技術だ。彼はその応用で気づかれることなく、僕の目の前に出現するのだ。

 僕は彼を突き飛ばして、無理矢理、距離をとる。

「ああん。幸助さん、あんなにも激しく求めあった関係じゃないですか」

「僕は何も求めちゃいないぞ」

「ふふ。ムキになるお姿も素敵です」

「気色悪いことを言うな」

 彼と僕は紛れもなく男同士であり、なんの怪しい関係にもない。いや、本当にない。絶対にない。天地神明に誓って、ない。

「ぼくだったら、どんな要求にも応じられますよ。そよぎ姉さんには到底お願いできないようなことでも……」

「何をいって――」

「ぼくの顔。そよぎ姉さんに似てるでしょ。もちろん、本物には到底及びませんけど。ウィッグをつけたら小学生のときの姉とそっくりなれます」

「小学生の……そよぎ……?」

 僕は決してロリコンではない。ロリコンではないが、小学生のそよぎというのがどんな姿であるのかは純粋に気になる。

(なぜかそよぎは小さい頃の写真を持ってないんだよな)

 以前、家に行ったときアルバムの話になったのだが、本当に幼いときの写真は持っていないという。

(小さいころのアルバムなんてありそうなものだが)

 不思議には思っていた。だから、僕は幼い頃のそよぎの姿を見たことがないのだ。

 雪哉くんの話も満更与太ではない。確かに男女の別こそあるが、雪哉くんはそよぎに似ている。髪型を変えるだけでもそよぎっぽくはなるはずだ。

「小学生のそよぎ姉さんに手を出したくないですか」

「………………」

 一瞬、ほんの一瞬、心が揺らぎかける。だが、相手は男だ。僕は自分に言い聞かせる。

「ちなみにぼくは毎晩女装オ【自主規制】してます」

「はい、完全にアウトー」

 言っていいことと、わるいことがあります。

「ともかく、僕にはそっちの気はない。だいたい、君はそよぎのことが好きなんじゃなかったのか」

「勿論です。ぼくにとってそよぎ姉さんは他の何にも変えられないかけがえのない人です」

「だったら、僕にすりよるのはおかしいだろ。僕はそよぎを狙ってる男の一人で、いわば君の敵だろうが」

 僕は彼を純粋に恋のライバルと考えているというのに。

「確かにぼくは紛れもなく姉を愛していますし、ぶっちゃけ性行為を望んでいます」

「ぶっちゃけ過ぎだ」

 あれほど慇懃だった雪哉くんはどこにいってしまったのか。

「しかし、それはそれ。これはこれです。ぶっちゃけ、ぼくは両刀ですから、幸助さんのことも愛しているのです」

 雪哉くんのいっそ清々しいまでに純粋な目を見て、僕は嘆息する。

「……わかったよ」

「やらせてくれるんですか?」

「そういう意味じゃない!」

 こいつはいい加減にした方がいい。

「べつに君が男が好きだろうが、それは君の自由だ。僕の関知するところではない。だが、同様に僕にも君を拒否する自由がある。だから、君と付き合ったり、ましてやそれ以上のことをする気など更々ない」

「……わかりました」

 雪哉くんはあからさまに気落ちした姿を見せる。それはどこか捨てられた子犬を連想させた。よく考えれば、彼はまだ十一才の小学生であり、そんな子供に対して僕は少し大人気がなかったかもしれない。

「先っぽだけとかでもだめですか」

「はい、調子に乗るな」

 いくら年下でも甘やかせないこともあります。


「まあ本気の話はここまでにしておいて」

「それをいうなら冗談はここまで、だよな」

「姉の誕生日プレゼントを買いにいくという話に戻りましょう」

「そよぎの誕生日は確か来週だったか」

「はい。毎年、うちに友達を呼んでパーティーをします。幸助さんも誘われていますよね」

「まあな」

 そよぎが嬉々として小学生が書いたような招待状をくれたからよく覚えている。

「その誕生日プレゼントを買いにいこうというお誘いです。幸助さんは姉へのプレゼントをご用意になりましたか?」

「いや、確かにまだだが……」

「ぼくほど姉の趣味嗜好に詳しい人間は他に居ないと自負しています。なにしろぼくは産まれて十一年間、毎日姉を見ていますからね」

 確かに、彼なら産まれた瞬間からそよぎを追ってそうである。

「ですから、幸助さんにも的確なアドバイスができるかと」

「本心は?」

「姉のプレゼント選びに託つけて、幸助さんとチョメチョメしたい」

「スリーアウト! チェンジ!」

 ていうか「チョメチョメ」っておっさんかよ。

 僕は足早にその場を後にしようとする。雪哉くんは僕の腕にすがりついて叫ぶ。

「冗談です! ただ純粋にぼくは幸助さんと仲良くなりたい! いや、見極めたい!」

「見極める?」

「そうです」

 彼はいつになく真剣な瞳で僕を見る。そうして、まともに向かい合うとやはり彼はそよぎと血が繋がっているのだと思わされる。

「幸助さんが、はたして本当に姉を任せるにふさわしい人がどうか見極めたいのです。無礼な口をきいていることは重々承知しています。しかし、それでもぼくはそよぎ姉さんの弟として、姉のことを好きだという人間をきちんと知りたいんです」

「………………」

 確かに、まだまだ絵空事だが、将来僕がそよぎと共に生きていくのであれば、実の弟である彼とも長い付き合いになるだろう。そんな彼と良好な関係を築いておくほうがプラスなのは間違いない。

 それに――

「そこまで言うならいいさ。僕もそよぎのことは別にしても君とは一度きちんと話してみたかったんだ」

「やはり、幸助さんもホ――」

「口を閉じろ。君の部屋に大量の文学作品があったろ」

「はい。あれは国語教師の父からもらったものです」

 そういえば、そよぎの父親は塔坂学園の校長という話だった。それはつまり、雪哉くんも教師の息子ということになるわけか。

「僕も文学には結構興味があるからな。そういう意味で君とは一回きちんと話したかったんだ」

「つまり、ぼくたちは相思相愛だと」

「うーん、拡大解釈が過ぎるな」

 こういうところはそよぎの弟という感じがする。

「一緒にプレゼント買いに行ってもいいってことだ」

 僕がそう言うと雪哉くんは子供らしい天真爛漫な笑顔で言った。

「ありがとうございます!」


「で、なんで猫カフェなんだ……」

 僕は「行き先は任せてください」という雪哉くんに言われるがままについてきた結果がこれだった。

 「カフェ」とはいうもののいわゆる雑居ビルの一室である。カフェというよりも知人の部屋に遊びに来ているような感覚だ。客はフローリングの床に直接座る。中央にはダイニングテーブルが置かれており、テレビではニュースが流れている。部屋の壁には猫が昇るための手すりが、ところ狭しと設置されていた。

 カウンターの奥には筋骨隆々な男が立っていた。ネームプレートを見るに彼が店主のようだ。ネコカフェの店主というよりもボディビルダーの方がよっぽど似合っているだろう。

 そして、猫の種類も多種多様だ。三毛猫やロシアンブルーあたりは僕でもわかるが、猫にしてはかなり毛の長い奴や、逆に毛がほとんどないすらりとした奴なんかはなんという種類の猫かもわからない。

「少なくともこんなところではプレゼントは買えないだろ」

「失礼ですが、幸助さんは女性経験はおありでいらっしゃいますか」

「………………」

「女性へのプレゼントを選んだことは?」

「……ないな」

 自分よりも年下の小学生に言われるのはさすがに忸怩たるものがある。

「手前味噌かもしれませんが、ぼくは何度も経験があります。こう見えても交遊関係は広いですから、同級生の女子から果ては熟女までプレゼントを選んだことがあります」

「交遊関係広すぎだろ」

 確かに彼は紛れもない美少年。彼がプレイボーイであることは想像に難くない。

「そんなぼくならば確かに無難なプレゼントを買える店なんていくらでも知っていますし、アドバイスもできるでしょう。大抵の女性を喜ばせる方法も知っています」

「ふむ」

「しかし、そよぎ姉さんだけは違います。彼女の感性は普通ではありません」

「まあ、確かに……」

 確実に変人であることは間違いない。

「十一年間そばにいて、姉の好みを熟知しているぼくでも姉へのプレゼントというのはなかなか難しいのです。ましてや、幸助さんにとっては、今回が初めての誕生日プレゼントになります。何事も初めてというのは印象に残ります。だから、より慎重にプレゼントを選ばねばなりません」

「……なるほど」

「ですから、姉の好みをただ情報としてだけ伝えても物事の表面をなぞるだけにしかなりません。真に姉の好みを理解していただくためには、姉が好きなものを実際に経験していただくのが一番なのです」

「ふむ……」

 彼の言うことにも一理あるような気もする。

「だから、猫カフェに連れてきたのか」

「はい。姉の好みの一つは猫です。あっ、ネコといっても生物としてのネコであって、ゲイ用語の受けという意味のネコではありません」

「わかっとるわ」

「ちなみにぼくはネコでもタチでも、対応できます」

「一生知りたくなかった情報だわ」

 雪哉くんは一匹のネコをそっと担ぎ上げる。

「たとえば、このネコ。なんという種類か、幸助さんはご存知ですか?」

 比較的毛の長い白毛のネコだ。他のネコと見比べてみても一回り大きい。なんとなく見たことあるような種類ではある。

「見たことはあるが……種類まではわからない」

「この子はメインクーンです。北米原産の体が大きいことが特徴のネコです。狩りの仕方がアライグマ、ラクーンに似ていることからつけられた名前です」

「へえ。知らなかった」

「ちなみに信じがたいことかと思いますが、ぼくのこうした知識は姉から教えてもらったものです」

「俄に信憑性が」

 僕はスマートフォンを取りだし、「メインクーン」を検索し、適当なサイトを見て回る。果たしてそこには、先程彼が言ったようなことが確かに書かれていた。

「驚かれるのも無理ないでしょう。しかし、姉はネコに関する知識は人並み以上なのです」

 そよぎに容姿以外に人並み以上のものがあったとは……。

「おそらくは小さい子供が好きなアニメのキャラクターを全部言える、みたいなものだと思います」

「ああ、151匹言えるとかみたいな感じか」

 そのイメージならまだ理解できる。

「それでも、すごいな」

「ええ。もちろん、なんでも知ってるというと言い過ぎですが、人並み以上であることは間違いないかと」

「なるほどな。つまり、そんなネコ好きなそよぎにはネコに関するプレゼントをするのが良さそうだが、なまじ詳しいために中途半端な知識でプレゼントするのは微妙だと言いたいんだな」

「そうです。そこがプレゼントの難しさです。たとえば、あるバンドが好きな女性には、そのバンドのグッズをあげようとしたら、もう持ってた、なんてことはよくあることです。だから、半端な知識でのぞむのではなく、きちんと相手が好きなもののことを知って、プレゼントを選ぶべきなのです」

 彼の言うことは一理ある。プレゼントのことを別にしても、好きな相手の趣味を知ることは、様々な面でプラスになるだろう。

「では、具体的にはどうすればいい?」

「このカフェの特徴は、これです」

 雪哉くんは店の奥の本棚に置かれていた分厚いスクラップブックを取り出す。

「ここの店主が作った『ネコ図鑑』です。ヘタな既製品などよりもずっと詳しくネコの生態が書かれています。これを実際にネコを見ながら暗記していただきます」

「これを全部か……?」

 電話帳のような分厚さである。

「幸助さんならできるはずです」

「確かに、暗記は得意ではあるが……」

 特徴、生態、歴史、飼育上の注意。一種のネコに関してでも余りにも情報が多い。

「さあ、特訓です!」


「ペルシャとシャムをかけあわせた種類の猫は?」

「……ヒマラヤン!」

「E.T.A.ホフマンが書いたネコに関する小説のタイトルは?」

「雄猫ムルの人生観」

「北欧神話でネコのひく車にのっていたとされる女神の名前は?」

「フレイヤ」

「……幸助さん」

 雪哉くんは静かに「ネコ図鑑」を閉じる。

「合格です! これで幸助さんも立派なネコマスターです!」

 ネコカフェの店主であろう筋肉質のいかついおっさんが、何故か目を潤ませて拍手していた。

「さすが幸助さんです! たった二時間でこの本を暗記してしまうとは!」

「……さすがに骨が折れたぞ」

 もうくたくたである。

「すごいです! 尊敬の念でぼくの頭は下がるばかりです! 股間の頭は盛り上がっていますが」

「動物病院で去勢してもらうか?」

 彼は万年発情期です。

「よし、これでそよぎのプレゼントを買う資格は得た、というわけだな」

 僕は蓋付きのマグカップに注がれたアイスマスカットティーを一口飲んで言った。

「いいえ、まだです」

「なぜだ」

「幸助さん、あなたは今確かにネコマスターに成りました。しかし、まだそよぎマスターにはなっていないのです」

「なん……だと……」

「姉の好きなものは、なにもネコだけには限りませんので」

 確かにそうだ。ネコマスターになることにとらわれすぎて、そよぎのことをすっかり忘れていた。

「ですから、次の場所に向かいましょう」

 なぜか滂沱の涙で僕らを見つめる店長に見送られながら僕達はネコカフェを後にしたのだった。


「なんなんだ、ここ?」

「おかえりなさいませ、ご主人さま」

 次に連れてこられた場所はメイドカフェだった。

 先程のネコカフェに比べるとだいぶ「カフェ」という赴きがある。小綺麗な木製の机に、天井に回るシーリングファン。部屋のすみには大きな観葉植物や新聞が置かれている。内装だけを見れば、落ち着いた古き良き喫茶店だとしか思えないだろう。メイド服を着た店員が明らかに浮いている。

「この店はもともと古くからある喫茶店でした。しかし、駅前にスタバが出来てから客足が途絶え、あわや閉店の危機を向かえたのです」

 確かにこの店は立地条件が悪い。駅に近いスタバの方が集客には有利だろう。それにこういう落ち着いた喫茶店は好事家には好まれるだろうが、ただ時間を潰すためにコーヒーを飲みたいと考えている人間には敬遠されるかもしれない。

「それを救ったのが、そよぎ姉さんでした」

「そよぎが?」

「そよぎ姉さんが、『いっそメイドカフェにしちゃえば?』と」

「やけくそじゃねえか」

「そうです。しかし、そのやけくそが意外にも当たりました。やはり、メイドカフェは秋葉原や日本橋まで行かなければなかなかないですからね。こんな田舎にあるメイドカフェは貴重なのです」

「ふむ……」

「そして、この内装とのギャップが受けて、遠方からも客が訪れるようになりました。それにここのコーヒーの味は本物です」

 それは頷ける話だった。僕はコーヒーはあまり得意ではないのだが、苦味が少なく、芳醇な香りを漂わせるこのコーヒーは素直においしいと思えた。

「ですから、また客足は戻り、普通の喫茶店であったときよりよりも繁盛しているくらいなのです」

「そんなマンガみたいな話が本当にあるんだな……」

 僕は続けて尋ねる。

「なぜここの店長はそよぎの提案を受け入れたんだ?」

「この店の店長と父は古くからの友人でして、ぼくたちも幼い頃からよくしていただいてましたから」

「なるほどな。それは解った」

 友人の娘の言うことに、藁にもすがる思いで従ったのだろう。

 だが――

「なぜ男の店長までメイド服を着ているんだ?」

 店長はダンディーという言葉が似合うナイスミドル。その店長がメイド服を着ている姿は滑稽を通り越してもはや恐怖すら感じさせる。

「あれも、やけくその結果です。そよぎ姉さんが『おじさんもメイド服着たらいいよ』と言われて着てみた結果、意外にもウケてしまい、後には引けなくなったのです」

「悲しすぎるだろう」

 しかし、メイド服に身を包む店長の顔はどこか生き生きとしていた。もともとそういう趣味でもあったのだろうか。

「……そよぎは余計な真似をした」

 気が付くと僕たちが座る席の傍に一人のメイドが立っていた。しかし、他の店員と比べると著しく背が低い。よく見ると顔も幼い。おそらくは小学生といったところだろうか。

 肩までかかる程度の髪を後ろで結い上げ、頭にはメイドの象徴ともいえるフリルカチューシャを付けている。きつく眉を吊り上げ、僕たち二人を睨んでいる。おそらくはもともと吊り目ではあるのだろうが、それを差し引いても明らか敵意が感じられる。メイド喫茶で想像されるような客を迎える笑顔とは対極に位置する表情だろう。

「……お父さんがおかしくなったのは、あいつのせいだ」

「こんにちは、静。今日は店の手伝いかい?」

 雪哉くんはさわやかな笑顔で声をかける。

 静と呼びかけられた女の子は雪哉くんの問い掛けを無視して、小さな声で呟く。

「……ゆきや、次はその男なの?」

「静。挨拶はきちんとすべきだと思うよ。親しき仲にも礼儀ありというだろう?」

 雪哉くんは僕の方を見て、言う。

「幸助さん、紹介させてください。彼女は琴山静。ぼくの幼なじみで、クラスメイトです。ここの喫茶店の娘なんです。ほら、静。こちらは渡辺幸助さん。ぼくたちの高等部の先輩だよ。挨拶しなさい」

「……ゆきや、おまえ、実の姉にうつつを抜かすだけでも許しがたいのに、また同性にまで手を出すとか……頭がおかしい」

 静という少女はぼそぼそと呪詛をはくようなしゃべり方で雪哉くんを罵る。

「……静。ぼくを罵るのはかまわないが、それよりも今は先輩である幸助さんに挨拶なさい」

 まるで親が子供に言い聞かせる様な口調で雪哉くんは少女を諭す。

「……どうせその男もゆきやをたぶらかしてるんでしょ? そんな奴にあいさつする義理はない……」

 初対面から随分嫌われたものである。

 とはいえ、相手は小学生。何か誤解をしているようなので、その誤解を解いてやろうと僕はにこやかに声をかけようとする。しかし、雪哉くんはそれを遮って言った。

「静。君は少し『しつけ』がなっていない様だ……少し、裏に行こうか」

「……なによ」

「いいから」

 雪哉くんは「すいません、すぐ戻ります」とだけ言って、静という少女を連れて店の外へ出てしまう。

 僕は口を挟むタイミングを失ってしまい、ひとり呆然と席に座ってコーヒーを飲んでいるしかなかった。


 数分後のことだった。

「……先程は、……ひっく……なまいきな口をきいて……ひっく……まことに申し訳ありませんでした……」

 先程の静という少女が、涙目でしゃくりあげながら僕に頭を下げてきた。

「いやいや、そんな泣くほどのことじゃないから!」

 僕は思わず声をあげる。まるで僕がいたいけな少女泣かせているみたいで流石に外聞が悪い。

「静」

 雪哉くんは、小学生らしからぬどこか凄みのある声で少女の耳元で囁いた。

「幸助さんが困っていらっしゃるだろう? 泣けばなんでも許されると思うのは愚の骨頂だ。泣きやみなさい」

「ひい! ごめんなさい……申し訳ありませんでした……ゆきやさま……」

「あはは、そんなかしこまらなくてもいいよ。君とぼくは同い年の幼馴染なんだからさ。でも、幸助さんは僕らの目上であり、なおかつ今はこの店のお客様でもある。長幼の序を持ちだすまでもなく、君が失礼な態度をとっていい理由はないよね。謝る相手はぼくじゃないだろう?」

「……はい、申し訳ありません……うぐ……こうすけさんにも失礼な態度をとってすいませんでした。……今後ともよろしくお願いします……」

「幸助さん、幼馴染の非礼をぼくからもお詫びいたします。このたびは誠に失礼をいたしました」

 そういって雪哉くんは折り目正しく頭を下げる。

「いや、二人とも、もうそういうのはいい」

「では、お許しをいただけるのでしょうか?」

「許すも何も僕は初めから気になんかしちゃいない」

 悲しいが無茶苦茶な扱いを受けるのは、慣れてしまっている。

「ありがとうございます」

 雪哉くんはさわやかな笑顔に戻って言った。

「……ありがとうございました」

 静という少女も目を真っ赤に腫らしたまま、ぼそぼそと呟いた。

 雪哉くんはもとのような少し砕けた態度に戻って言った。

「いやあ、幸助さんが許して下さらなかったら、ぼくの身体で償うしかないと思っていたのですが」

「おまえも大概、失礼だからな」

 彼の礼義の基準はいったいどうなっているのか。


「静が店の手伝いをしてくれているなら、話は早いよ。静、例の物を貸してもらうよ」

「……おまえ、また、あれをやるのか」

「なんだい? なにか気に食わないのかい?」

「……い、いや。……準備をする」

 静は恐怖にひきつった顔で店の奥へと引っ込んでいった。

「おまえなあ、何したんだよ。あの子に」

「すこし可愛がってあげただけですよ」

 話の流れから察するに、あの子は店の奥でメイド服を着たダンディな店長の娘ということになるだろう。娘が泣かされているのを見ていても、父親は何も言ってこないのだろうか。

「では、幸助さん、本題に入りましょう。ぼくたちがこの店にやってきた理由を説明させていただきます」

 僕は思わず居住まいを正す。別に今更固くなる必要などどこにもないのだが、雪哉くんが静に見せた凄味に僕も少し当てられていたのかもしれない。

「姉の好きな物を熟知するのが、今日の目的。姉の好きなものの一つがずばりメイドです」

「メイド?」

「ええ。姉はずばりメイドそのものが好きなのです」

 そういえば、以前、そよぎにどんな服を着て欲しいか尋ねられたことがあった。そのときの中の選択肢の一つがメイド服だった。

「メイド服みたいな可愛い衣装が好きってことか?」

 それなら理解できない話ではない。実際にメイド喫茶で働くような女の子はメイド服の可愛らしさに惹かれてやっているなんて話も聞く。

「ええ、もちろんそれもあるでしょうが、もっと大きな理由があります。幸助さんはメイドをいったいどういう存在と認識されていますか?」

「……もともとは貴族に仕える給仕の女性をメイドと呼んだのではなかったか?」

「その通りです。つまり、メイドとは仕えるための存在。それがポイントなのです」

「話が見えないな」

 察しはいい方だと思うのだが、雪哉くんと言わんとしていることが見えてこない。

「回りくどい言い方はよしましょう。そよぎ姉さんは人に仕えることに憧れているんです」

「仕えること?」

「ええ。ご存じのようにそよぎ姉さんはあの愛らしさですから、幼いことから蝶よ花よと育てられてきました。それは今も変わりません」

 確かにそよぎを嫌う人間など皆無だ。異性は言うまでも無く、クラスメイトの女子からもまるでマスコットの様に可愛がられている姿をよく見る。

「姉自身もそれを当然のように受け入れていますが、同時に少し物足りなくも感じているのです。何故かおわかりですか?」

「……わからん」

 僕は素直に白旗をあげる。

「それは姉が実はマゾヒストだからですよ」

「……は?」

 今、口にコーヒーを含んでいたら確実に噴き出していたであろう自信がある。むしろ、今からでもコーヒーを噴き出すリアクションでも取った方がいいかもしれない。

「幸助さんはお気づきになられませんでしたか? 姉は人から虐げられることに悦びを見出している事に」

「いや、まったくそんなことは考えたことはなかったが」

「よく考えてみてください。姉がもっとも親しくしている人間はいったい誰なのか?」

 僕はそよぎの交友関係を思い返す。

 悪口雑言を撒き散らす内田に、こちらの話を聞こうとしない凪。

「姉を姫のように可愛がる人間よりも、ぞんざいに扱う人間と一緒に居ることを好む事からも明らかです」

 そう言われると確かになぜ彼女たちの仲がいいのかの説明もつく。

「おそらくは反動なのでしょう。先程も言いましたが姉は幼い頃から皆に可愛がられてきましたから。姉にとって、きびしかったり、自分を特別扱いしない存在は貴重なんです」

「まあ、わからないでもない話だが、それでメイドとはどう結びつく?」

「姉はさらにこう考えているのです。『メイドは主人に虐げられる存在だ』と」

「なんだ、その歪んだ知識」

「主に、凪さんから見せられたAVと風音さんから見せられた同人誌の影響です」

「なんちゅうもん見せてくれてんだ」

 内田曰く、「うちは健全なやつしか見せてない!」そうです。

「まとめると、姉はメイドになって主人に虐げられることに密かな憧れを抱いているのです」

「性癖歪んでるな」

 AVの意味も解らないくらい子供なのに、アブノーマルな素養にだけは溢れているようだ。

「このことを踏まえた上で幸助さんにやってもらうことは――」

「……ゆきや、準備ができた」

 静が店の奥から戻ってきて、ぼそりと呟く。

「ああ、ありがとう。百聞は一見にしかず。実際にやってみることに致しましょう。幸助さん、この場でしばしお待ちを」

 そう言うと、雪哉くんは店の奥へと入っていってしまった。

 僕は静という少女と二人取り残される。黙っているのも気まずいし、何より先程、泣かせてしまったようなものなので、僕は優しく声をかけることにする。

「静ちゃんだっけ? 雪哉くんに何されたんだ?」

 すると少女は顔をひきつらせながら答える。

「……なんでもない……あ、なんでもないです」

「そんなビビらなくていいから。あと別に無理に敬語で話さなくてもいいよ」

 中学生なら言葉遣いにも気を付けるべきかもしれないが、彼女はまだ小学生だ。そこまで畏まる必要はないだろう。

「……ほんとう?」

「ああ、自分の話しやすいように話したらいいよ」

「……わかった」

 静の表情は少しだけ柔らかくなる。

「それで静ちゃんは――」

「ちゃん付けはやめてほしい」

「え?」

「ドラ○もんみたいだから」

「まあ確かに」

 いつも風呂に入ってそうなイメージが付きそうである。

「じゃあ、静は雪哉くんとはいつもあんな感じなのか?」

 幼なじみでクラスメイトなら関わる機会も多いだろうに、いつもあんな風に泣かされているのなら少し注意した方がいいのかもしれない。

「……いや、普段はやさしい。むしろ、わたしを守ってくれる。でも、わたしがダメなことをしたら、すごく怒る……怒るとゆきやはこわい」

「そうなのか……」

 彼らには彼らなりの関係があるのだろう。少なくとも今二人を知ったばかりの僕には口を挟む余地はなさそうに感じられた。

「……それより、わたしも聞きたい」

 静はぼぞぼそとこもった声で話す。

「なんだ?」

「……こうすけはゆきやを狙っているのか?」

「狙うって……」

「……こうすけはゆきやが好きなのか?」

 何を言ってるんだ。そう言いかけて気付く。静の瞳は真剣だ。だから、僕も真面目に答えることにする。

「別に彼のことが好きなんてことはないよ」

「……ほんとうか?」

「ああ」

「……よかった」

 静は安堵の表情を見せる。

 なるほど、やはり雪哉くんは腐っても美少年。彼を狙っている人間は多いというわけか。

 静は少し態度を軟化させて僕に尋ねる。

「……じゃあ、こうすけはゆきやが嫌いなのか?」

「いや、そんなことはないよ。むしろ、ただの友人としての意味なら彼のことは好きだよ」

 そう言った刹那、雪哉くんが戻ってくる。

「見てください、幸助さん! このメイド服、ぼくに似合うでしょうか?」

「ごめん、やっぱちょっとだけ嫌いかもしれん」

 静も死んだ目で雪哉を見ていました。


「つまり、ぼくをそよぎ姉さんだと思って虐げてほしいのです」

「どんなプレイだよ」

 雪哉くんは店の奥でメイド服に着替えていたようだ。この店のメイド服はシックな装いのスタンダードなタイプ。黒を基調とし、白のエプロンドレスを身に付けた由緒正しきメイド服といったイメージだ。雪哉くんは、さすがは美少年というべきか。紛れもなく男であるはずなのに、メイド服がどこかしっくりきてしまっている。

「まあまあ、こうすれば幸助さんの気分ものるんじゃないですか?」

 雪哉くんは持っていた紙袋からロングのウィッグを取りだし、慣れた手つきで装着する。

「じゃーん、どう? そよぎだよー」

「う……」

「どうですか? もちろん、沈魚落雁たる姉には到底及びませんが、それなりに似ているでしょう?」

「……まあな」

 実の姉弟なので当然ではあるが、顔つきはもともとよく似ているのだ。髪型を同じにしてしまえば、確かにそよぎに見えなくもない。明らかに違うのは年齢くらいのもので、目の前にいるのがそよぎの「妹」だと言われれば、何の疑いも抱かないだろう。それくらい彼の女装は完璧だった。

「さあ、幸助さん。ぼくを自由に使ってもらっていいんですよ」

「使う、っておまえな……」

「ぼくはSも、Mも両方いけるんです」

「おまえ、守備範囲広すぎるわ」

 一人で外野全体をカバーできそうです。

「だいたい、いきなり虐げろ、なんて言われても無理だよ」

「そうおっしゃられるかと思い、台本も用意させていただきました」

「うーん、この細やかな気づかい」

「さあ、特訓スタートです!」


「きゃっ、お茶を溢してしまいました」

「……まったく、おまえは何をやっているんだ」

「申し訳ありません、ご主人さま……」

「これは体で償ってもらうしかないな」

「か、からだでですか……?」

「ああ……だから――」


「さあ、服をぬぐんだ……って言えるか、バカ!」

「すいません、メイドプレイなのにメイド服脱がせちゃダメですよね。失礼しました」

「そういう話じゃない! 静も見てるんだぞ」

「……はわわ」

 静はまた涙目になっていました。

「だいたいこういうのは、『体で償う』というエロ展開を想起させるワードを使っておいて、実際はただ掃除させる、っていうオチなんじゃないのか」

「さすがにその展開はベタすぎてウケないかと思って、裏をかいてしまいました……」

「誰の裏をかこうとしているんだ」

 僕は更に根本的なところにつっこむ。

「だいたいこんなことを僕がそよぎに言えるわけないだろうが」

「それは解っています。むしろ、姉を愛するものとして、幸助さんが姉にこのようなプレイを要求するのならば、全力で阻止します」

「じゃあ、なんで今こんな特訓をやらせようとしてるんだ」

「それは単純にぼくが幸助さんに虐げられたいからです。これは本心です!」

「そんな真っ直ぐな目で宣言する内容じゃねえ」

 僕と雪哉くんが激しく口論する側で、静は黙って立っていた。

「………………」

「ほら、静もドン引きしてるだろうが」

「え、そうなのかい?」

 雪哉くんは静に問い掛ける。

「……ゆ、ゆきやはいじめられたいのか?」

 静は、先程までよりも更に小さな消えいりそうな声で尋ねた。

「うん? まあ、幸助さんには是非いじめてもらいたいね」

「……じゃ、じゃあ」

 静は顔を真っ赤にして言った。

「……わたしがい、いじめてやる……だ、だから……こうすけより、わたしを――」

(これは……?)

 彼女のことを何も知らない僕から見ても、これは彼女なりの一世一代の告白であろうことは察しがついた。

(雪哉くんはどう応える?)

 僕は雪哉くんに目をやる。

「静……」

 雪哉くんは真剣な目で静を見つめて言った。

「ぼくは幸助さんにいじめて欲しいんだよ。静じゃ全然意味ないよ」

(ばっさりだ!)

 二人の関係に口出しはすまいと思っていたが、これはさすがに酷い。一言言ってやろうとすると――

「……ゆきやの」

「ん?」

「ゆきやのあほぉぉぉっー!!」

(声でかすぎだろ!!)

 今までのささやくような声からは信じられないような耳をつんざく大咆哮。耳がおかしくなりそうだ。そして、そのまま静は走り去ってしまった。

「驚きましたか? 彼女はああ見えて軽音楽部でボーカルをやっているんです。ぼくと同じ塔坂学園小等部四天王の一人で『迦陵頻伽ディーヴァ』の二つ名持ちです。彼女の声にはプロのスカウトも目を付けているほどなんですよ」

「いろいろ言いたいことはあるけどな」

 四天王とかいうふざけたシステムを考えているのはいったい誰なのかとか、四天王だったら何かいいことがあるのかとか、つっこみを入れだすときりが無い。だが、今はそれよりも言わねばならないことがある。

「おまえな、さすがに今のは静がかわいそうだろ」

「今の? ああ、静にいじめてもらっても意味ない、って奴ですか? だって事実ですし」

「いや、それにしてももう少し言い方とかさ……」

 いや、僕もなんていうべきだったのかは到底わからないが。

「幸助さん。あなたは一つだけ勘違いをしていますね」

「勘違い?」

「ぼくは別に静が嫌いなわけではないですよ。ただ静にいじめてもらってもうれしくないのです。なぜなら――」

 雪哉くんはあくまで真顔で言い切った。

「彼女はドMですからね。ドMにいじめられてもぼくは興奮しません」

「おまえの周りにはMしかいないのか?」

「彼女はドMですから、むしろぼくにすげなくされて内心喜んでいるんですよ。ぼくにはわかります」

「僕には理解できないが、君らには君らなりの関係があるということは解った。しかしな」

 僕は声を抑えて、雪哉くんの耳元でささやく。

「店長は静の父親なんだろ? 親は何も言ってこないのか」

 自分の娘があれだけ泣き叫んで出ていったら、どういう態度にせよ、なにか言われるものではないのだろうか。

「ああ、大丈夫です。静の御尊父は自身の娘が極度のマゾヒストであることにご理解がありますから」

「そんな父親嫌だわ」

 娘の性癖に理解がある父親というのも、どこか複雑である。

「まあ、でも――」

 雪哉くんは時折見せる小学生らしからぬ凄味を感じさせる顔で言った。

「ぼく以外に静を泣かせる人間がいたら、どんな手段を使ってでも潰してやりますけどね」

 やはり、彼らには彼らなりの一筋縄ではいかない関係があるのだろうな。僕はそんなことを考えた。


「そろそろ一日が終わりますね」

 僕たちは喫茶店をあとにし、二人、河原道を歩いていた。夕日が赤々と世界を染める。確かに小学生ならば、もう帰らねばならない時間だろう。

「今日は本当に楽しかったです」

 雪哉くんはどこか神妙な様子だ。楽しかった一日を振り返り、どこか感傷的な気分になっているのかもしれない。

「いかにも、今から雰囲気良い話をしてオチをつけようとしているのはわかるんだが、ひとつ言わせてもらっていいか」

「なんでしょう?」

「なんでまだメイド服を着てるんだ?」

 彼は着替えずに静の家の喫茶店を出たのだった。ウィッグもつけたままで、見た目もそよぎ(ロリバージョン)のままだ。

「この格好なら幸助さんの気分次第では野外調教プレイに持ち込んでいただけるかと思いまして」

「すまないな、そんな気分は絶対に訪れないよ」

 彼は本当にぶれない男である。

「どうせクリーニングして返しますからせっかくだからもう少し着させていただこうと思っただけですよ」

「ならいいんだが」

 僕たち二人の一日はまもなく終わる。その前に僕は彼にひとつ尋ねておかねばならない。

「君は僕を姉にふさわしいか見極める、といっていたが、僕は君のお眼鏡にはかなったのかな?」

 僕は純粋にそよぎと僕の関係を彼は寛恕する気はあるのかを問うた。

 すると、彼はさわやかな笑顔で言いはなった。

「全然ダメですね」

「………………」

「まず、姉を任せるなら少なくとも男として女性を守れる人でないと。二人で歩くときには車道側を歩く、とか」

「………………」

「それに会計のときにおごるのは当然としても、それを気にさせないように、もっとさりげなく支払いを済ませておくほうがスマートですよね」

「………………」

「なにより、相手の気持ちを誰よりも察知してあげないと……」

「雪哉……」

「……はは、初めて呼び捨てにしてくれましたね。その方が嬉しいですよ」

 雪哉は小さく伸びをしてから話し続ける。

「……解ってますよ。ぼくなんかが見極めるなどと傲岸不遜なことを言っても、結局は姉の、そよぎ姉さんの気持ち以外に大事なものはないんだって」

 雪哉はまるで何か大切なものをなくした子供のような顔で呟いた。

「そよぎ姉さんが幸助さんのことを好きだっていうことも」

「………………」

「産まれてからずっと姉を見てきた弟が言うんです。間違いないですよ」

 饒舌になる雪哉とは対照的に僕はうまく言葉を紡げない。

「あーあ、幸助さんは世界一の幸せものだなぁ。世界一の大富豪よりも、世界一の権力者よりも、世界中のだれよりも、幸助さんより幸せな人は居ませんよ……そよぎ姉さんに愛される以上の幸せがこの世界に存在するはずがないですから」

 長いウィッグに、そよぎと同じ髪型のウィッグに隠れて、雪哉の表情は見えない。

「ぼくはどうして弟だったんだろうな」

「雪哉」

 僕は思う。今の彼に僕が何を言っても彼を傷つけるだけだ。どんなに優しい言葉もただ彼を抉る刃にしかならない。だから、僕は本当に言わなくてはならない一言だけを言うことにした。

「僕は雪哉がそよぎの弟でよかったよ。そよぎと一緒に居れば、おまえとも一緒に居られるんだからな」

 確かに僕は幸せものだ。こんな楽しい友達までできたのだから。

 雪哉くんは、ウィッグで顔を隠したまま呟いた。

「はは、かなわないなぁ。『そよぎは僕に任せろ』なんて言ったら、勢いで殴ってやろうと思ったのに」

「こええよ」

「はは。ほら、青春ドラマだったら、こんな夕日に染まった河原で、一人の女をめぐって殴り合いをするものでしょう?」

「今それやったら、僕がメイド服を着た女子小学生を襲っている図にしかならないからな」

「大丈夫ですよ。幸助さん相手ならぼく勝てますから」

「くそっ、否定できねえ」

 僕は荒事は苦手です。

 雪哉は夕日を背にして僕に向き合う。そして、僕の目を真っ直ぐ見つめる。

「幸助さん、姉のことを頼みます、とは言いません。必ず奪いますから」

「させねえよ」

「せいぜい、争いましょうね。恋のライバルとして」

 そして、雪哉は一人で去っていった。


(僕はそよぎが好きだ)

 たとえどんな障害が僕の前に立ちはだかろうと、僕はそよぎが好きだった。どんな人間の気持ちを踏みにじっても、彼女の側に居たかった。

(だから、恋のライバルくらいのことで立ち止まっているわけにはいかない)

 本当の敵はきっとすぐそこまで迫っているから。


「シリアス思考はおいといて」

 僕は雪哉が去っていった方を見ながら言った。

「結局、プレゼント買ってないんだけど……」


 後日、改めて二人で雑貨屋に買いにいきました。

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