第8話
「遂に最大の敵が現れてしまったよ……」
「なんだろう、デジャヴ」
そよぎは真剣な顔で机に肘をついている。
そよぎは魔法少女であり、悪の魔法少女と戦っている。僕はよくその相談に乗っているのだが、彼女が真剣な顔をしているときは大体くだらないオチがつく。
「奴は余りにも非情だよ」
「………………」
「情け容赦というものがない」
「………………」
「いったいどれだけの人間が奴に泣かされただろうか!」
「………………」
「無差別猟奇殺人犯に……」
「ガチの危険人物じゃねえか」
今までで一番危ない敵です。
「なーんてね。まあ、実はなんやかんやで倒しちゃったんだけどさ」
「最大の敵を『なんやかんや』なんて曖昧な言葉で片付けないで」
「そんなことよりもピンチなことがあるんだよ」
「スルーする流れ?」
「人類最大の敵、〆切だよ」
「本日二回目の最大の敵だな」
明らかにスケールダウンしてると思う。
「〆切って、何の〆切だよ」
「私の所属する文芸部のだよ」
「そういや、そよぎは文芸部だったか」
完全に忘れていた。
「そうだよ。小説を書いてるんだよ」
「本当に書けるのかよ」
「むっ、今少しバカにしたね」
「いや別にバカにはしてないが」
「これでも私はベストセラー作家なんだよ」
「ベストセラーって……」
意味を解って言っているのだろうか。
そのとき、教室の扉が開き、一人の人物が現れる。
「あながち間違いでもないのが、恐ろしいところなのよ」
「内田」
僕にとっての最大の敵、内田風音だった。ボブカットに眼鏡という出で立ちで、同学年の奴よりも見た目だけは大人びて見える。
「どういうことだよ」
「おまえに教える義理はない、輪転機のローラーに挟まれてくたばれ」
「自分から会話に参加したくせにこの言い種である」
こいつ、僕のこと嫌いすぎだろ。
「まあ、というのは冗談ではなく、百パーセント本気の物言いなんだけど」
「時にはウィットにとんだジョークも聞かせてほしいものだぜ」
「そよぎの作品は特定の層にカルト的な人気を得ているのよ」
「なん……だと……?」
僕は思わず呟く。
「実際に見てみるといいわ」
内田は自分の鞄から一冊の冊子を取り出す。緑色のぺらぺらの色紙の表紙をホッチキスで留めて製本してある。いわゆる「コピー本」というやつだ。印刷所などで印刷されたものと異なり、コピー機でコピーされた紙を使用しているので、どうしても印刷所で作られた物より見劣りするが、少ない部数ならば安価だし、何より気軽に作れることが魅力だ。
表紙は長い髪で目を隠したセーラー服の女のイラスト。特別うまいわけでも下手なわけでもない。いかにも高校生が書いた無難なイラストという印象だ。正直、どこにでもあるような有象無象の同人誌にしか思えない。
「その巻頭の作品よ」
僕は表紙をめくる。
ドーナツのはなし
そよそよ
私のドーナツの中身がなかった。ドーナツの真ん中にあながあいてしまっていたのだ。私はそのなかをぐっとのぞきこむ。むこうがわには、むこうがわの世界がひろがっていた。
私はドーナツの中身がほしくて泣いた。わんわん泣いた。すると、私の涙はぐわんぐわんととんでいって、ドーナツの真ん中の穴をとおっていった。すると、私の涙はドーナツのむこうがわの世界にたどりつくことができた。
それを見ていた私は何だかおかしくなって、ころころとわらいだした。すると、ドーナツのむこうがわの世界がいった。
「あなたのなみだはこちらがわでドーナツの穴をふさぎました」
私は言った。
「ドーナツのむこうがわがなくなっても、私のドーナツの中身はないままなんだよ」
ドーナツのむこうがわはこたえた。
「それはきっとあなたのいる世界のドーナツは、穴があるものなんですよ」
そう言われて、私はおもいだした。
そういえば、ドーナツは最初から穴があいていた。
はじめから中身なんてなかったのだ。
そのことをおもいだして、私はまた少しだけ泣いた。
これは果たして小説なのだろうか。どちらかというと自由律の散文詩のように思える。
一見すると意味不明だが、何か深淵な意味が含まれている様な気がしないでもないような気もする。
「うーん……」
「どう思った?」
内田は僕に尋ねる。
「悪いが解らん。ただの意味不明な文章にしか思えない」
「非常に残念だけど、うちも同意見。はっきり言って解らない。それに……」
内田はそよぎをちらりと横目で見る。
「作者がこれよ」
「もしかして、私をバカにしてるな」
「作者が最大のネックだな……」
「んもー!」
珍しくそよぎが怒っている。怒る姿もまた可愛らしい。
「これに人気が出るってどういうことなんだよ?」
シュールレアリズムとしても拙い出来にしか思えないが。
「百聞は一見に如かず。これを見るといいわ」
そう言うと、何のストラップやカバーもついていない、黒のスマートフォンを僕に手渡す。
僕はそこに表示されている文章に目をやる。
レビュー
『生と死の観念を考える』
「生への絶望なしに生を愛することはありえない」と語ったのは、カミュであったが、この「ドーナツのはなし」もまた、生死の別についての問題を投げ掛ける作品である。
一見するに、ただの子供の放埒な日記にしか思えない語調で、人間の本質に切り込むのが、そよそよという作家の特徴であることは、今更語るべくもないだろう。過去の作品の「プールのはなし」で、水面と地上との対比で形而上世界に過度に囚われることの愚を伝え、「雪だるまのはなし」で微かな痕跡だけを残し消える雪だるまに、人が世界に遺すものについて考えさせられる。今回の「ドーナツのはなし」もまた同様の性質を持っている。
ドーナツの穴とは、世界と世界を接続する結接点として描かれている。この世界とは、 此岸と彼岸である。つまり、この世とあの世である。作中で語り手が流す涙とは、人が大切な人との別れの際に流す涙に他ならないのである。
では、なぜそれがドーナツの穴として語られるのか。ドーナツはドーナツとしての形質を得た瞬間から中心に虚ろを抱えた存在である。この虚ろとは人間の本質の比喩に他ならない。つまり、人間は生まれながらに喪失を抱えた存在たると語り手は主張したいのである。
そして、注目したいのは「涙が穴をうめる」という記述である。涙とは前述したように、喪失の涙である。その喪失が心の虚ろを埋めると語るのである。ここに一種のアイロニーがある。喪失こそが創造につながるというのだ。人は大切な誰かを失ったとき、声を張り上げ、涙を流す。そして、世界の仕組みを恨む。生と死という絶対的な二項対立を覆す方法を求めるのだ。
しかし、世界は無情な答えを我々につきつける。二つの世界は決して交わることはない。
無情なる真実。だが、我々はいつしか悲しみを忘れていく。だが、それは決して雲散霧消したわけではない。他者の喪失を悼む事はは、来るべき自己喪失への準備だ。孔子は「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」と言ったが、死とは一回性の出来事ゆえに観念的思索においてしかその正体を模索することが叶わない。その正体の模索がこの作品の中で行われている。
人は喪失を乗り越えた先で、初めて一己の人間として立つことができる。生まれながらに欠けた「死」というピースは涙でしか埋められないのだ。そして、その絶望を乗り越えた先で人間は生を愛することができるのだ。
しかし、忘れてはならない。人間がいかに悟りを得ようとも、いつかは「向こう側」に行かねばならない。最期の自己喪失への涙が、いつか誰かの心を埋めることを信じて、我々はこの世界から旅立っていくのだ。
「感受性豊かすぎだろ!」
作品よりもレビューの方が名作になってしまっているパターンです。
「作者、絶対、こんなこと考えてないだろ」
僕はそよぎにストレートに問いかける。
「これはいったい何の話なんだ?」
「これは私の実体験に基づいている……」
「ほう」
「ドーナツを食べようとしたら、真ん中に穴があいていたんだよ」
「そら、ドーナツだからな」
「だから、てっきり凪ちゃんが私のドーナツを勝手に食べたのか思って、私が泣いたの」
「………………」
「そしたら、凪ちゃんにドーナツって最初から穴空いてね?って。そういやそうだなって」
「………………」
「という、泣ける物語なんだよ」
「確かに泣けるな、おまえの頭のでき具合に」
そよぎの脳ミソにも、穴でも開いてるのだろうか。
とはいえ。
「実際に人気があるのなら、まあいいんじゃないか」
これが人気作になるのは正直納得いかないが、実際に人気があるのならば、それを否定することもできない。
「そうだよ! 私は文豪だよ!」
「………………」
「………………」
「だから、みんな私をもっと敬わないといけないんだよ!」
「………………」
「………………」
「えっへん」
そよぎは明らかに調子に乗っている。僕はちらりと内田を見る。
「まあ、確かにロラン的な発想に従えば、作者の人格と作品は独立したテクストとして存在することになるからな」
「へ?」
そよぎは呆けた顔で僕を見る。
内田は僕の言葉に応じる。
「『作者の死』ね……。テクストは読者との関わりの中で作品としての価値を見出だす、と」
「はえ?」
そよぎはきょろきょろと落ち着きなく、僕と内田の顔を見ている。
「文化経済論的な考えに従えば、作品に値段がつき、経済活動に参加している以上、その作品は斯界での一定の価値ありと認証されたことになるのでは?」
「お、お?」
「でも、そもそも文化経済論的発想を安易に受け入れていいものかしら。うちはそこから議論すべきではないかと思うけど」
「お、お、おお?」
「そうだな……文豪のそよぎ先生はどうお考えでしょうか」
「おおおおおお?」
「是非とも、先生のご高察をお伺いさせていただいでもよろしいですか?」
「………………」
「どうですか、先生」
「先生、どうか一言!」
「………………」
僕たちはそよぎをじっと見つめる。そよぎは苦渋に満ちた顔で何事かを考えている。腕を組み、落ち着きなく教室を歩き回った後に、ぽつりと呟いた。
「いいね!」
そよぎは「いいね」ボタンだけ押して、自分はコメントしないタイプです。
「ともかく、こんなにも人気作家の私がね」
「まだ言うか」
「〆切が明日に迫っているのに、一行も書けていないという大変な修羅場に直面しているわけだよ」
「一行もって……」
いくら『迷作』とはいえ、流石に一朝一夕で一作品を仕上げるというのはきついだろう。
「なにか『インスタント』があれば書けるんだけどね……」
「『インスピレーション』って言いたいのかな」
お湯を入れたら完成しそうである。
「あー、どうしたらいいんだろうか……」
そよぎは顔を伏せて、静かに呟く。
「やっぱり、私には無理なのかな……」
その表情はどことなく昔のそよぎを思わせた。僕になやみ相談を始める前のそよぎを。
昔のそよぎが暗い少女だったというわけではない。凪や内田と一緒によく笑い、はしゃいでいた。でも、ときどきだが、その表情に陰が差す事があった。もしかしたら、誰も気付かなかったかもしれない。それくらい一瞬のことだった。それでも、確かに彼女はアンニュイな顔を見せることがあったのだ。
今の彼女の顔を見て、僕はそんなことを思い出した。
僕はそよぎの暗い顔が見たくなくて、彼女に声をかけたのだ。
そして、彼女は笑ってくれるようになった。
もしかしたら、それは自惚れなのかもしれない。それでも、僕は確かに彼女の笑顔の理由の一つになれている。僕はそう信じていた。
「なあ、そよぎ」
「んー?」
そよぎは、力無く僕を見る。
「そよぎが本当に書きたいものを書けばいいんじゃないか?」
「書きたいもの……」
「そよぎは読者の評価を気にしているみたいだけど、別にプロじゃないんだ。本当に自分が書きたいこと、素直な気持ちを書けばそれでいいんじゃないか?」
「素直な……気持ち……」
「そよぎのファンもきっとそう考えているし――」
僕はそよぎの目を真っ直ぐ見て言う。
「少なくとも、僕はそよぎのそんな作品が読んでみたいと思うよ」
そよぎは少し驚いた顔で僕を見た。そして、すぐにその表情は柔らかなものへと変わる。
「まったく、幸助くんに言われたら仕方ないなぁ」
そよぎは微笑んで言った。
「じゃあ、書きますか。私の好きなものについて」
そよぎは家で集中して書くからと行って、教室を飛び出して行った。教室には僕と内田が二人で残される。
沈黙の帳が降りる。不意に訪れた静寂が息苦しさを与える。
「あの子は変わったわ」
内田が、机に腰をかけながらぽつりと呟いた。
「あんたと話すようになってからね……あんたは間違いなくそよぎにとって大事な人の一人になっている。うちには解るわ……」
「……随分素直に言うんだな。はっきり言って鳥肌が立つぜ」
内田の余りに率直な物言いに僕は思わず軽口を叩いてしまう。
いつもの内田となら、このあと罵倒の応酬が始まるのだが、内田は僕の言葉が聞こえなかったかのように、またぽつりと呟いた。
「ねえ、あんた。そよぎのこと好きなの?」
突然の質問に僕はどきりとする。しかし、誤魔化しはせず素直に言う。
「ああ」
「本当に?」
「本当だ」
「あの子の秘密を知ってもそう言えると思う?」
「秘密……?」
僕は何か不穏なものを感じ取る。内田はいったい何を言おうとしている?
「今のそよぎが本当のそよぎじゃなくて作られたものだとしたら……」
「作られたもの?」
本当に内田の言わんとしていることが理解できない。
「おまえ、何が言いたいんだ?」
そこでやっと自分が口走ったことの危うさに気がついたのだろうか。内田はいつもの調子に戻って言った。
「まあ、そよぎがなんて思おうとうちはあんたのことなんて、たとえ命がけでうちを助けてくれても認める気は無いけど」
「どんな状況でもおまえが素直に僕のことを認めるなんて怖気がするから、むしろやめてくれ」
「じゃあ、認めようかな」
「おまえ、本当に天の邪鬼だな」
僕は内田の調子が戻ったことに安心する。やはり、僕達の関係はこうあるべきなのだ。
ただ、内田の言葉に一つだけ素直に答えることにする。
「まあ、仮の話だが。今のそよぎは本物でも偽物でも僕にはどうでもいいよ」
僕は内田に向き合って言う。
「今、僕はそよぎと居て楽しい。それだけは間違いない。だから、それ以外のことは別にどうでもいい」
自分でも考えが足りないと思うときがある。そよぎは魔法少女だ。僕が本当に首を突っ込んでいいのかと思うときがある。
それでも、やはり楽しいのだ。そよぎと居ること以上の幸せを僕はまだ知らない。だから、僕は未来がどうなろうとそよぎと共に歩んでいきたいと思うのだ。
「僕は笑顔のそよぎが一番好きだ。だから、凪や内田と一緒に居るそよぎが好きだ。そういう意味では、僕もおまえを認めてやってもいい」
内田はきょとんとした顔で僕を見た後、小さく溜め息をついて言った。
「そういうところが……ほんと……」
内田はにこりと笑って言った。
「きもいわ」
内田もいつもこんな風に笑っていればいいのにと僕は思ったが、そんな僕の気持ちは死んでも伝えまいと思った。
「話は戻るが」
「なによ」
「あのレビュー書いたの、そよぎのファンクラブの奴だろ」
「………………」
「あれ絶対、無理矢理そよぎを持ちあげようとしているよな」
「……あれもファンクラブの大事な活動らしいから」
「そよぎは自分の文章を評価しているのが、ファンクラブの奴だとは……」
「気付いてないわね。純粋に自分の文章が受けていると思い込んでいるわ」
「悲しいなぁ」
友達のはなし
そよそよ
私には大事な友達がいる。
ひとりは、いつも明るく笑っている女の子。私の世界に黄色い色をつけてくれる。何もかもがぴかぴかと輝いている。そんな世界を見て、私も笑う。
ひとりは、いつも私を叱ってくれる女の子。私の世界に青い色をつける。世界に水が降ってくる。私がその水をのみこむとと、ちょっぴりしょっぱくて、顔をしかめる。
そして、優しいひとりの男の子は私をとじめこめる壁を壊してくれる。世界に私が知らない色が満ちていく。男の子は教えてくれるだろう。まだ、私が知らない世界のことを。
レビュー
「そよそよに男の影が見える。即刻排除する」
「絶対に許すな。生きていることを後悔するまで追い込め」
「○す」
「裏切り行為を見逃すな」
「○してやる」
「ひいいい! やっぱり炎上してるぅ!」
こうして、そよぎファンクラブという僕にとって最大の敵が発生したのだった。
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