CASE3 老人にその意思はあるのか
面談と小娘
壁の電子ボードの前に立ち、説明を終えた悠菜さんが一息ついた。
「と、まあこのように伝達業務には大きく2つ。面談と伝達っていうのがあるのはわかった?」
「はい」
伝達業務その1、面談。
内容と言えば、依頼者から相談を受けるもの、らしい。
依頼者が考えている、伝達の形を聞き、それをどのようにしてモノにしていくか。その相談を行うための面談だということだ。
伝達は、言わずもがなといったところだ。
「まあ、2つあるのはいいんだけど」
「?」
悠菜さんの説明をまとめたノートを読み返し、復習を始めていた俺に、悠菜さんは電子ボードの“面談業務”と書かれた部分を指差した。
「仕事の比率は9割が面談だと思ってくれていいから」
「……多すぎませんか?」
「それくらい、伝達の出番が来る時がないのよ。まあ、それは望ましい事なんだけど」
悠菜さんの言葉の意味は俺にもわかっているので、苦笑いの悠菜さんに合わせるように頷いた。
インターンも順調に進んでいるだろうと思い始めたある日。
悠菜さんは俺に伝達管理部の業務について教えてくれていた。
今のところ、俺はまだ面談と伝達のどちらの業務にも立ち合ったことはない。こうして、悠菜さんが仕事の合間合間に業務について、過去の事例などを用いて説明してくれていた。
「面談っていうのは、本人の意思確認ができるから大事なの。変な話、入院がある意味機会にもなっちゃうわけなのよね。まさか、本人が望まないのに私達が動くわけにもいかないじゃない?」
確かに、面と向かって話をしなければわからないこともある。
希望してもいないのに伝達書を作らされるなんて、そんな馬鹿な話もない。
「っと、晴真君(・・・)」
「はい?」
今日になって気付いたことであるのだが、呼び方が、変わった。
俺も、茶倉さん達と初めて会った日から、流れで呼び方を変えてしまっているのだから、どうこう言えるわけでもないし、言うつもりもないのだが、悠菜さんは何も言わずに、俺を晴真君と呼び始めた。
最初は晴真と呼び始めた茶倉さんを真似ていたのかとも考えたが、そんな素振りもなかったので、俺は気にしないことにしていた。
「これから、急だけど一件仕事入ったからさ」
「随分急ですね」
「まあ、そんなに時間はかからないと思ったから引き受けちゃった」
「なるほど」
「そういうわけで、早速行こうか」
「え、行くって……」
俺は顔の引きつりを軽く感じながら聞き返した。
だが、何となく、気がついていた。
唐突すぎやしないだろうか。
「依頼人に会いに行くの!」
悠菜さんがもう既に行く気満々でドアへと向かおうとしていたので、俺もよろよろと立ち上がる。
さっきの話に出てきた、面談というやつか。
この話の流れでそう来るとは、数分前の俺には考えもしなかったことである。
いきなりぶっつけ本番かと思ったのが、顔にも出たのだろうか。悠菜さんはくすっと笑いながら「大丈夫よ」と声をかけてくれた。
「心配しなくても、今回は本格的な面談にはならないから。まずは雰囲気を感じてもらうだけ!」
「どうしてですか?」
「今回の依頼人さんね、森岡さんっていうお爺ちゃんなんだけど、出せる?」
「ええと、これですね」
森岡さんという名前が出たところで、俺は起動されたままだった電子ボードの表示を変え、依頼人のデータベースから森岡さんのページを部屋のスクリーンに表示した。
「そうそう、ありがと」
年齢は78歳。今までに大きな病気の経験はなく、この年にしてみれば元気なご老人だというのが俺の第一印象だった。
だからこそ、この部署と面談の場をもつということに少なからず、俺は疑問を感じていた。
「ええと、このお爺ちゃんに何か問題でもあるんですか?」
「書いてあるでしょ? 今回の入院の理由」
「転倒による、骨折ですね」
高齢者の転倒による骨折というのは、珍しいことではないだろう。しかし、直前に「入院がある意味機会とも言える」という言葉を聞いた身としては、先程の疑問の答えが何となくわかってしまった。
「これを機にーって感じで考えたのが娘さんで、その娘さんに相談された担当医から私のとこに話が来てるわけよ」
「全然本人関係してませんね」
率直な感想だった。
転んで怪我をしただけで、娘に死後を考えろと言われているようなものである。自分だったら、いくら家族からの提案であっても簡単に受け入れられることではない。
悠菜さんもどうやら本人そっちのけで話が進んでいるという点には納得できていないようで、やれやれといった表情だった。
「だから、今日の私達の目的は一つ。森岡さん本人にその気があるかどうかの確認よ」
「伝達書を作成する意思があるかどうか、そういうことですか?」
俺は悠菜さんが言った「その気」の部分を確認した。もしも、本人が娘さんの提案を受け入れているのであれば、それはそれで本人からの依頼として受け付けるのだろう。
「うん、正解。まさか作成する気もないのにそんな話ししたって、ねぇ?」
「そう、ですね……」
聞いてみなければ実際のところはわからないが、俺としては「NO」の答えが返ってくるだろうと踏んでいた。
「そんなわけだから、行こうか」
「あ、はい」
悠菜さんに確認したわけでも、悠菜さんが口にしたわけでもないのだが、雰囲気を感じさせるためだけに俺を連れていくのだから、意思確認だけで簡単に終わると考えていたのだと、思う。
エレベーターを降りた俺は、全然落ち着かなかった。
正直、緊張しかしていなかったからだ。
雰囲気を感じるだけ、とは言われても、大学生がそんな面談の場にいて本当にいいのだろうかと、未だに心配もしていた。
握った手からはなんとなく、手汗の気配もするし、心臓の鼓動は追い討ちをかけるように足早だし……。そんな俺が後ろを歩いていることも知らないだろう悠菜さんは鼻歌混じりに進んでいく。
誰かこの立ち位置変わってはくれないだろうか。
「さてと、こうやって面談のために、病棟に来た時にやるべきことは?」
「え」
「え、じゃないでしょ? 病棟に着きました。次にすべきは?」
「ええと……」
突如仕事モードに切り替わるというか、先程まで鼻歌を歌っていたではないかと文句しか出ては来なかったが、よくよく考えれば、バレバレな展開であった。
真っ直ぐ病室に向かわなかったことを考えれば何かをしなければいけないと予想できる。ましてや問題にされているのだから、何か重要なことをしなければならないのも、わかる。
それに、さっきまで業務の説明を受けていたのだし、何か聞いた覚えもある。が、緊張でガチガチの俺の頭に思い浮かぶことなんて何もなかった。
ここは、これから会いにいく森岡さんが入院している4階病棟の、ナースステーションの目の前。それを考えると、ナースステーションに用があると推測できる。そして、悠菜さんは俺の方を向いていて、ナースステーションに背中を向けている状態。奥から出てきて、タイミングを間違ったとばかりに引っ込んでしまった医師を見た俺としては、あの人だろうと、思わないわけがない。
「……悠菜さん?」
「何?」
「ええと、俺はその、森岡さんの担当医の先生には会ったことないんですけど……あの人ですか?」
指を向けるのも失礼なので、とりあえず目線で悠菜さんに合図を送ってみる。
最初は何だそれはと言いたげな視線での返答をされたが、
「……あらら」
「いやぁ、タイミングがちょっと悪かったかな」
顔を出して引っ込んだ一部始終を俺に見られていたことが恥ずかしかったのか、笑いながら先程の医師が現れた。
「こんにちは、佐々都(ささと)先生」
「こんにちは。して黒崎さん。こちらの男の子は?」
「あ、今私のところでインターンしてる南見大学の学生で」
「鶴木晴真です。よろしくお願いします」
「森岡さんの担当医をしています、佐々都です。こちらこそよろしく」
挨拶を交わしたところで、悠菜さんが森岡さんの体調を確認した。
面談をする前にしなければならないことは、その日の面談者の体調を確認し、担当医に面談の時間を伝え、その許可をもらうことである。場合によっては担当医が同席する場合もあるらしいが、どうやら佐々都先生も悠菜さんと同じ展開を予想しているようで、今回はそうはならなかった。
担当医である佐々都先生からの許可された時間は30分。確認だけだから簡単に終わるだろうと思っていても、足早に病室へと向かった。
軽くノックして悠菜さんが病室へと踏み入れ、俺もそれに続く。
面談者の森岡さんのベッドは手前の左側。右側の患者はどうやらいないようで、ベッドは綺麗な形のまま空いていた。
俺と悠菜さんに気付いた森岡さんは、読んでいた雑誌を閉じてテーブルの上に置くと、明らかに、誰にでもわかるだろうというくらいの、嫌な顔をした。
「失礼します。伝達管理部の……」
悠菜さんが一礼したので、慌ててそれを倣う。そして、自己紹介を始めたところで、森岡さんが遮りながら口を開いた。
「あんたが黒崎とかいう、伝達の人間か」
「はい。本日担当させていただきます、黒崎悠菜といいます」
低い声は、怒りをぶつけようとしているわけではないように思えた。どちらかと言えば、イラついて仕方がない。このむしゃくしゃした感情を誰かに吐き出したい、と言ったところだろうか。
いや、誰かというよりは、完全に悠菜さんが森岡さんのターゲットになっていた。
「話は先生から聞いてる。だがな、
「はいそちらの事情もお伺いしています。ですので、今回は……」
「今回は?」
この一言を堺に、雰囲気が変わった。
先程まで、自分の娘が勝手にやったことに口出しすんなという森岡さんも、佐々都先生に言われて渋々話を聞いているといった様子だった。
本当に口を出して欲しくないのか、娘さんが勝手にやったことに対してイラついているのか、よくわからなかったが、伝達管理部が自分に干渉しようとしたと思ったのだろうか。その顔にはもう止まらない怒りが吹き出していて、爆発した。
「お前のような小娘に何がわかる!!」
「え」
悠菜さんは、目を丸くしていた。
確かに、悠菜さんは今回森岡さんに干渉するつもりなどなかった。
だからこそ、単に驚いていたのかもしれない。
「ワシはまだ死ぬつもりはないっ!! 帰ってくれ!!」
「……失礼しました」
爆発した怒りの声に、悠菜さんは大人しく引き下がった。
その後、佐々都先生に簡単な報告をして伝達管理部に戻った。
部署へ戻ってきてから、ハンドミラーを片手に、悠菜さんはソファにもたれていた。
時折、呻き……? ながら自分の顔を覗き込んでいる。
「ねえ、晴真君」
「は、はい?」
「私、童顔だと思う?」
「……え?」
冗談かとも思ったが、意外と真剣に聞かれてしまえば俺も困る。
童顔、ではないだろう……。多分。
「小娘って……確かに森岡さんの娘さんよりは年下なんだけどー!」
「あはは……」
先程から気にしていたのは、それか。
確かに、森岡さんからすれば、自分の娘より若い娘を小娘と呼んでも何の不思議もないわけだ。まあ、俺がその表現を古いと感じたかどうかはこの際別問題としておく。
「それにしても、怒鳴られて帰ってきたのに、あんまりビビってないわね」
話題転換した悠菜さんに、俺は同じことを思っていたのだが、それは慣れもあるのかと思い、口にはしなかった。
「なんか、病室に入ったときの雰囲気から怒りそうだなぁと思ってたので」
「確かにねぇ……私を捌け口にするのはいいけど、それじゃあ何も解決できないんだけどねぇ……」
確かに、森岡さんが悠菜さんを拒否し続けることは根本の解決を遠ざけていることになってしまうのだが、おそらくそれを本人は知らないからこそ、さっきのような事態になってしまったのだろう。
「それで、どうするんですか?」
「今日はもうダメね。あの調子じゃ話聞くつもりもないんでしょうから」
「それは明日になったとしても同じなのでは……?」
正直なところ、あの怒り爆発ぶりを見た後では、今日明日にどうにかできる気はしなかった。
「まあ、そうなんだけど。こういうのはしつこく当たって砕けた方が後々いいのよ。ズルいけどね」
「……コイツ、また来たのかって思わせたいってことですか?」
「平たく言えば、ね?」
「なるほど……」
いいのかどうかは、俺に判断できることではなかったが、その道のプロができる限りのことはして、誠意は見せておけというのだから、俺はそれに続くしかないのだ。
「予想以上に早く帰ってきて時間があるから、晴真君に宿題でもだそうかな」
「宿題、ですか?」
「そ。私が問題を出すから、それに対しての意見とか考えとかをまとめてみて」
「わかりました」
「じゃあ、今日の問題何にしようかな」
そう言って、悠菜さんは電子ボードと接続されていたタブレット端末を手に取ると、「宿題その1」と書き込んだ。
電子ボードに表示されたその文字を見て、俺は慌てて悠菜さんに向き直る。
「……これから考えるんですか?!」
「ちょっとした思いつきだからねー」
思いつきで俺は宿題を出されるのか。
嘆いたところでこの状況を切り抜けられる奇策が思い浮かぶわけでもない。俺は問題を考え始めた悠菜さんを待ちながら、ノートを取り出した。
「初回だし、簡単にしようかな。それとも難問がいい?」
「お手柔らかに願います……」
「うんうん。じゃ、問題」
『人が、人の死を認識するきっかけってなんだと思う?』
「きっかけ、ですか?」
俺はてっきり伝達管理部の仕事についての問題が出されるのかと思って身構えていたのだが、完全にそうも言い切れない部分の問題が出題された。
哲学のような、話だろうか。
「そう。今、私達はここで生きてる。けど、もし私がここで死んだら? 君はそれを何で判断する?」
「……難しくないですか?」
「答えを求めてるんじゃないのよ? 君の考えを聞きたいの。それにすぐ聞きたいとは言ってないからね。ちゃーんと考えてから教えてね」
「わかり、ました……」
俺はノートに書き写した問いの文を、赤ペンで何度も囲い込んだ。
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