CASE2 その扉を開けるべきか
白衣と保管庫
インターンシップ初日。
伝達管理部に着いた俺は、言われるがままに、白衣に腕を通していた。
「おお……似合う」
「えっと、いいんですか。これは……」
このセリフは本日3回目だ。
どんどん、声色に含まれる感情が戸惑いから諦めにシフトしているのは言うまでもないことなのだが、着心地がなんとなく、悪い気がする。
「いいの。病院の中をスーツの人間が
「な、なるほど……?」
「って、私も最初に言われたのよ。スーツが目立つとか、なんか浮いてるとか」
「それで、
確かに、病院の中でスーツというのはなかなかシュールでもある。それに、伝達管理部の部署がある場所が一番の原因だろう。
3階、病棟の中。ましてや医局の並びにあるのだ。馴染めるはずもないだろう。
「まあ、病院側もOK出してくれてる解決策だから気にしないで羽織ってね」
「わかりました」
「あと、これ渡しておくね」
黒崎さんが俺に手渡したのは、首からかけるタイプのストラップと、それでグルグルに巻かれている、名刺入れサイズのビニールのケースだった。
そしてそのケースの中にはカードが1枚入っている。
「……ID、ですか?」
「そう。私達は個人情報を扱う部署でもあるからね。この部屋と、病院の地下に保管室っていう部屋があるんだけど、その部屋に入るためのIDカードなの」
「え、保管室も同じIDカードなんですか?」
これはちょっとした心配の感情から来る質問だった。
確かに、部署であるこの部屋に入れないのは困る話だが、俺が保管室に入ってしまうことは別問題となりかねないのではないかという疑問と、心配を感じていた。
「あ、うん。君の言いたいことはわかってるわよ? ……そうね、後で保管室の説明も含めて行くとして。君は保管室に入れるだけだから大丈夫なのよ」
「?」
答えを教えてもらったのだろうが、今は理解できなかった。
後で保管室について説明をしてもらえるとのことだったので、俺もこの時はそれ以上の質問はしなかった。
記入を頼まれていた書類をクリアファイルに入れたまま、黒崎さんに渡す。それを確認してから机の引き出しにしまうと、もう一方の机の上にあったノートパソコンを指差しながら口を開いた。
「ところで鶴木君はパソコン使える? 一般レベル程度に」
「……一般レベル程度には使えると思います」
一般レベルの基準について何一つ言及されなかったが、一応大学の授業で使うことも多い。一般レベルには達しているという、自己判断で俺は頷いた。
「うんうん、じゃあ大学で電子ボード使ったことは?」
「あります」
「おっけー。じゃあ、機械的なことは大丈夫だね。じゃあ早速だけど伝達管理部の話を少ししようかな」
そして、黒崎さんは既に起動されていた電子ボードの表示を変更した。
どうやら、組織図のようだ。
一番上に、“南見市伝達管理局”と書かれていた。
「この一番上。南見市伝達管理局が、この南見市の伝達業務を統括しているの。だから、本部とか本部局って皆呼ぶんだけどね。そして、本部には色々部署があって……。この、線で繋がってるやつね」
本部局から伸びている線は5本。
俺はその一通りを目で追いかけた。そして最後の一項目から少しの間、目が離せなかった。本部の、未受理案件管理部。
「まあ、本部には色々あるってことだけは覚えておいて。それで、ここの伝達管理部がどこに属するかって話なんだけど」
「病院内の部署でも、この組織図の中に入るんですか?」
「そうよ。この部署は本部局と総合病院の提携で生まれた場所だからね」
そういえば、そんな話を説明会の時に聞いた記憶があった。
黒崎さんはこういう部署はまだ数が少ないけれど、提携した病院に伝達管理部の部署を作るのが増えてきているということも教えてくれた。
「そういうわけで、私達が含まれるのは、コレ。“外部管理部”っていうカテゴリー。意味は、ホントそのまんまね」
「本部局の外で管理しているってことですか?」
「そういうこと。この病院内の伝達管理に関してはこの部署に一任されているの」
「すごい、ですね……この部署黒崎さんしかいないのに」
「ま、まあ……最初は1人じゃなかったんだけどね」
「え」
その話は初耳だった。
確かに、伝達管理部が病院と本部の提携によって生まれた部署だからと言って、その担当者は1人であると取り決めているハズもない。ましてや、この総合病院の規模と入院患者の数を考えれば、全員が伝達管理部に用事などないとしても、1人でできる範囲を簡単に超える人数がいるハズなのだ。
所属が1人のままというこの現状が、むしろ異様であるとも感じられた。
「新設部署ってことで、人を募集したのよ。病院側がね。だけど、集まった人皆が口々にもう無理ですって」
「そ、そんなに忙しかったんですか?」
「多分、そうじゃなくて。合わなかったんだと思うよ、伝達管理部の雰囲気が」
「雰囲気……?」
「っと、脱線しちゃった。そういうわけで、この部署も保管・管理業務ができるように保管室があるのよ」
「なるほど……」
無理矢理話を戻された俺は、雰囲気に慣れることが本当にできるのだろうかと、少しだけ心配になってきた。
だが、黒崎さんの雰囲気というか、接し方からすれば、もう無理と言い出す同僚が現れるとはあまり思えなかった。
「じゃあ、話にも出てきた保管室を見に行こっか」
「あ、はい」
既に立ち上がっていた黒崎さんを追いかけるように、エレベーターホールへと向かった。
「地下、ですか?」
「そう。関係者以外立ち入り禁止だから、エレベーターでは行けないのよ」
「そうなんですか」
正直、この総合病院に地階が存在しているという話は初めて知った。関係者以外立ち入り禁止なのだから当たり前と言えば当たり前の話でもあるが。
1階のエレベーターホールの隅にある、非常階段へと通じるドアを開け、地下へと向かう黒崎さんの後を追う。
南見市総合病院・地下1階。
数人の看護師ともすれ違ったが、特に不思議そうな目を向けられることもなく、看護師達は黒崎さんと会釈を交わすだけだった。関係者の黒崎さんはともかく、インターンに来ているだけの期間限定関係者である俺が、こんなところにいることをを怪しむ素振りもない。
知らない白衣は伝達管理部の人間、そんな認識でもあるのかと思える雰囲気だった。
地下フロアの少し奥まったところに、その扉はあった。
「じゃ、モノは試しってことで。鶴木君開けてみて」
「あ、はい」
伝達管理部保管室の扉の前で俺は首から下げていたIDカードをドアノブに取り付けられた読み取り機に近づけた。
……反応がない。壊れているのか?
読み取り機とカードと睨み合いを数秒繰り広げたところで、小さく笑いながら、黒崎さんが俺に助け舟を出してくれた。
「もう、ピッとくっつけちゃっていいよ。なんか、触れてないと反応しないらしいから」
「あ、そうなんですか?」
言われた通りにケースごと読み取り機に押し付ける。小さく電子音と、鍵が開く音がして、そのままドアを開けた。
「保管室とは言ってるんだけど、半分は資料室になってるわけよ」
入って右側が資料室だろう。部署にあったファイルと同じタイプのものが数多くしまわれた棚がいくつか立ち並んでいた。
そして、左側。
「な、なんか凄い仰々しい扉ですね……?」
「でしょ? やりすぎよね」
保管庫内に、もう1つ扉があった。ドアには保管庫のプレートが付けられ、ドアノブには保管室の入口と同じ読み取り機。その横の壁には別の機械らしきものが取り付けられていた。
「ドアのIDカードはここに入る時の物とは別のカードだし、暗証番号と、指紋認証のドアがいる限り、この病院では私以外誰も入れないってこと」
ドアロックの説明をしながら、黒崎さんはそのロックを次々に解除し、俺が呆然としている目の前で保管庫のドアを開けた。
「とまあ、こんな感じになってるのね」
「よくわかりました」
「ここには、依頼人から預かっている伝達書・伝達物が保管されているの。そして、その時が来たら私達が宛名に書かれた人へと渡す。保管と伝達。これが私達の仕事ね」
そう言って、黒崎さんは扉を閉めた。
保管庫の重そうな扉が閉まる音に、俺は唾を飲み込んだ。
部屋の中に足を踏み入れたわけではない。部屋の中は、少し覗いた、だけ。
それでも、ここには数多くの言葉や想いが留まっている。伝えられるその時を待っているのだ。
その事実を目の前にして、少し気圧されていた。
「まあ、資料室には色々あるから、ここは君も来ることあるかもね」
「どんな資料があるんですか?」
「事例のデータは全部あるわよ。個人情報は何も記さないで、依頼内容と、それに対しての伝達者の行動とか、面談の様子とか。この資料を元に依頼人と話すこともあるからね」
「かなり、数がありますね……」
「さすがに、ここに置けるものは限りがあるし、私の独断と偏見で選んでるけど、全データは本部が保管してて、参照することとかできるから、そういう使えるものは積極的に使ったほうがいいわよ」
「覚えておきます……」
これは何回か足を運ぶ必要がありそうだなと、ファイルの数をおおまかに目で数えながら俺はため息をついた。
「さってと、資料室の入り方もわかったし、ここはこんなものでいいかな?」
「はい。ありがとうございます」
「そうそう、ここから部署まで戻れるわよね?」
「? はい。大丈夫です」
地下フロアにエレベーターはない。あるのは階段だけで、それは1階のエレベーターホールに隣接されている。そのため、階段を上って1階から伝達管理部に戻るのは難しくなかった。
「ちょっと、1階に用があるから、先に戻っててくれる?」
「わかりました」
俺はそう答えると、エレベーターホールで黒崎さんと一旦別れ、1人先に3階へと戻った。
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