葛藤と服装

 ベッドの上で、俺は壁に張り付くように寝転がっていた。

「伝達管理部……総合病院か……」

 インターン先に悩む学生としてはとてもありがたい申し出だったと俺も思う。

 それをわかっていながら、すぐに返事をしなかった。

「こういうのを葛藤してるとか、言うんだろうなぁ……」

 正直、迷っていた。

 理由は、簡単だった。

 行きたくないと思うのは、伝達者のイメージが俺の中で、個人的に、恐ろしいくらい酷いことになっているからだ。

 関わることにメリットを塵ほども感じないと、思っているからだった。

 ここまで否定的なのに即決して断ろうとはしなかった。確かにインターンシップに不安を感じていたことも事実だし、直接的に、個人的に声をかけてもらえたことを考えれば心が揺らぐ要因にはなると思う。

 だが、それ以上に気になっていたのは、今日学校で会った黒崎さんという人のことだった。


 あの人は、俺の中の伝達者とは正反対と言ってもいいほど、違っていた。


 雰囲気、それだけしか感じることができなかったのに、そんな考えを持つのかと、自問自答もしてみた。

 俺は、まだ知らないだけなのだろうか。毛嫌いしているのは、早計なのだろうか。

 そう感じたことが、俺を悩ませていた。

 今月中に返事をしてほしいと、そう黒崎さんには言われた。

 今日を含めて、今月はあと半分近くある。時間はたくさんあるように感じた。

 だが、そのたくさんの時間があったとしても、この問いの答えが出るとは思えなかった。

 それでも考えずにはいられなかったのか、俺は一晩中自分に「どうしたいのか」を問い続けた。



「迷ってるの?」

 次の日の昼休み、学食の一角で弁当を広げた俺にそう聞いたのは、同じように向かい側で弁当を広げていた靖人だった。

 黒崎さんとの話の内容は、インターンの誘いを受けただけだと、簡単に伝えてあった。颯介あたりからはもっと詳しく説明しろという催促をかなり受けたが、それ以上のことはないとして、話は打ち切っていた。

「どう、見える?」

「迷ってるように見えなかったら言わないよ」

「そう、だよな」

「どうすんの?」

「……わからん」

 多少嘘を口にしようとして、俺は諦めた。こんなところで嘘を言っても簡単にバレてしまうし、こんなことで余計な心配をかけるのも申し訳なかった。

「は?」

 だが、まあ正直に答えたところでこんな反応をされるのだから、困ったものだ。

「自分のことなのに、俺も自分がどうしたいのかわからない。だから、どうするのか決めてない」

「……そういうときに相談するなら、相手は颯介かな」

「なんで?」

 個人的には、相談するなら彰だろうと思っていたからなのだが、靖人は自信ありげに笑っていた。

「だああああっ!!」

 そして理由を靖人が口にするよりも早く、少し乱暴に学食のトレイをテーブルの上に叩きつけながら颯介が席につく。

「なんだよ……危ないな」

「だって!! 学食混みすぎだろ‼」

「いや、昼だから……」

 興奮気味の犬を落ち着かせるように颯介に声をかけながら、俺は横目で靖人に訴えていた。

 本当にコイツに相談すべきなのかと。

 すると、俺の視線に気付いたのか、靖人はさっきと同じように笑って颯介の頬を啄いて言った。

「人生即決スタイルで、楽観的だから」

「ほぇ?」

「誉め言葉には、聞こえないな」

 颯介が、迷ったことがないとでも言いたいのだろうか。



 総合病院のインターンに行くかどうか迷っている、その一言を告げた後に颯介の口から飛び出したのは、単純に驚きだけ、だったと思いたい。

「えええ?! 馬鹿じゃないの?!」

「ぶふっ‼」

「馬鹿ときたか……」

 吹き出した靖人を、一応一瞥しておく。もちろん、お前のせいでこうなっているんだという、威圧感を多少なりと込めた目で。

「だってさ、直接お誘い受けたんだろ? 行かなきゃ損だと思うけどなー、俺は」

「まあ……」

 正論だと思う。実際、俺にもその気持ちはある。

「それに、迷ってるってことは多少行きたい気持ちあるんでしょ?」

「行きたいというか、なんというか」

「別に、病院にインターンシップ行ったからそこに就職しろって話じゃないんだしさ。なんかちょっとでも気になるなら行けば?」

「何事も経験だと思うよ、俺も」

 彰も控えめながらに颯介の意見に賛同し、二人から背中を押された俺は、ここにきて断るという選択肢が消えたことを実感した。

「だってさ」

 最後に靖人が言った一言で、この話題についての会話は終了した。

 結局、靖人だけは俺のインターンシップについて言及しなかった。



 結局、もう1日を自問自答に費やした俺は、一種の覚悟にも似た何かを心の中に留め、黒崎さんに電話をかけた。

 数回のコールの後に、「はい、黒崎です」と声がする。

「先日お会いした南見大学の鶴木ですが……」

「あら、鶴木君。こんにちは」

「こんにちは。今お時間よろしいですか?」

 正直、インターンだの、就活だのやろうとしている割に、マナー的な基礎力を学んでいない。ここはもう流れというか、どうにかしてやりきるしかなかった。

「うんうん、大丈夫よ。もしかして、もうお返事してもらえるの?」

 黒崎さんの驚いた声も頷ける。

 俺は今月中に返事が欲しいと言われているところ、話を聞いた3日後に返事をしようとしているのだから。

 先延ばしにしてはダメだと、自分に言い聞かせるように、俺は黒崎さんの声にゆっくりと「はい」の一言を返した。

「伝達管理部のインターンシップ、お願いできますか?」

「ホント?! やったー!!」

 電話から聞こえた声に、俺は返す言葉が見つからなかった。

 やったーって言ったぞ、この人。

「ありがとう鶴木君。ええと、こうなるとインターンシップについて詳しい話をしたいので一度病院に来てもらいたいんだけど今週の予定とかはどう?」

「俺は今週ならいつでも大丈夫です」

「そう? じゃあ、今日の午後も?」

「大丈夫です」

 今日は補講日だった。

 祝日などの影響で、回数が足りない講義をテスト前に補講という形で行うため、今日は大学に行く必要はなかった。

「うんうん。それじゃあ、今日の14時に総合病院の伝達管理部まで来てくれる? 部署は3階にあるから」

「わかりました」

 「大きいと言っても迷うところじゃないし」と、黒崎さんはいくつかの注意事項的なことを口にした後、思い出したように「あっ!」と声を上げた。

 それまでの注意事項の時とは明らかに声のトーンが違ったので、重要なのかと、俺も次の言葉を待つと、半分くらい笑ったような声が聞こえた。

「スーツじゃなくていいからね?」

「え」

「私服でいいわよー」

「あ、はい。わかりました」

「それでは、お待ちしてますね」

「はい、失礼します」

 そう言って、俺は電話を切った。

 静まり返った部屋を、とりあえず見渡した。

 机の上にスマートフォンを置く。

 眉間に、軽くシワができているのを感じながら、独り言が口から漏れた。

「……私服って、どうすればいいんだ?」

 第一歩目、踏み出そうとして金縛りにでもあった気分だった。



 正直、オシャレな部類ではない。

 とは言っても、オシャレを求められているわけではないだろうし、ビジネスカジュアルだのオフィスカジュアルだの、そういう雰囲気をどうにか作れないかと模索していた。

 だが、自分の洋服タンスを覗いた結果、俺はある問題に直面していた。

「モノトーンとでも言えばいいのか……?!」

 全体的に、なんとなく、色が、暗い。

 困り果てた俺は、滅多に自分から発信しないグループチャットのアプリケーションを起動して手短に要件を打ち込む。

「……彰しか、起きてなかったら、どうする……?」

 メッセージを送信し、俺はふと思った。

 現時刻は午前10時40分。彰は既に起きているだろうと、思う。が、他2人が危うい。本音を言えば、ファッション性が高い……と思う颯介にコメントがもらえればいいのだが、寝ているのを電話で叩き起こす気には、ちょっとなれなかった。

 靖人は……昨日夜更かししているハズだ。確か、羽球バドミントンの世界大会の中継が真夜中だからとか言っていた気がする。

 そうこう考えているところに、1人目の返事を知らせるサウンドが鳴る。俺は恐る恐る確認すると、返事は予想通り彰からであった。


「普段から会社務めみたいな格好だから大丈夫じゃないか?」という返信。


「……普段からって、何だ」

 そして「服装については俺よりも颯介だよな」と、同じ意見が続いていた。

「やっぱり、そう思うか……」

 とりあえず、もう一度自分の洋服タンスに向き合うことにした俺に、再度サウンドが聞こえた。彰から別のメッセージでも届いたのかと、俺は画面を見ると、そこには予想外にも颯介の名前があった。


「確かに、晴真って普段から会社務めみたいな格好してるよね」


「……そっちじゃない!!」

 画面に向かって驚いたところで颯介には届いていないのだが、俺としては二人からそう言われて、普段の自分の姿を思い浮かべては戸惑いを覚えていた。

 あんな会社務めの人がいるか……?

 そもそも俺が聞きたいのは……。

 少し落ち込んでいると、スマートフォンが陽気なサウンドをまたも鳴らしていた。

 いよいよ靖人まで起きてきたのかと、俺は気乗りせずにメッセージを確認する。

 メッセージ送信者は、颯介。10行近い文章だったので、随分長い文面を送信してきたと思いながら読んでいたが、全部を読み終えると、俺は簡単にお礼のメッセージを送信して、立ち上がった。

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