第五話:熟練の演技

 ジムトレーニングに慣れはじめ、専門的なトレーニングを積むようになって数日が過ぎた頃。今度は演技の指導を受けることになる。まあ、仮面ドライバーに抜擢されたのだから、演技の指導を受けなけらばならないのはわかる。だが、今回もダメ奈々が選んできた先生だから少し不安なのだ。


「なんだ、わたしが選んできたトレーナーを疑っているような目をしているな?」

「おまえはエスパーか?」

「大丈夫だ、真面目な人を付ける。ホモォージムは安かったから頼んだだけだ」

「金に惑わされるなよ......」


 ダメ奈々の無表情で、無償に殴りたくなる顔を眺めていると事務所に一人の老人が入ってきた。もちろん、社長さんじゃない。


「来てくれましたか斎藤さん! 今回はよろしくお願いします!!」

「いいよ、いいよ、儂みたいな大根役者に挨拶なんてしなくても」


 六十代後半くらいの男性がにこやかに奈々の肩を叩いて、俺のことを睨み付けた。ゾクリと背筋が凍る。そして、不思議と頭を下げていた。


「坊やが儂に演技の指導を受ける子かい? 儂は売れず飛ばずの大根役者だが、演技にはこだわりがある。嫌になるんじゃないぞ......」

「はい!」


 わかった。この老人は本物の役者だ。そして、役者魂をもっている......。


「じゃあ、移動しよう」

「はい!」


 老人の背中を追って、事務所の駐車場に向かった。もちろん、奈々もビクビクしながら付いてきた。最近は俺のプロデュースに熱心だと思える。

 その後は老人の車、AE86のレビンに乗って移動した。


 2


 事務所から近所の公園に移動した。


「自己紹介がまだだったのお......儂は斎藤さいとう一三かずみ、売れず飛ばずの大根役者だ」

「野辺義人です!」


 斎藤さんはにこやかに笑い――俺の股間を右手で握った。

 正直、三十秒くらい頭の回路かいろがショートしてしまった。その間にモミモミと股間を揉まれて、色々と恥ずかしく、子供に見せられない状態になってしまっていた。


「役者にはユーモアが必要だ。無表情な役者なんて役者じゃない。股間を触られて良い顔になっているぞ?」

「ゆ、ユーモアですか......」

「ああ、役者やアイドルとかいうのは社会の皆様の人気者だ。だから、どんなことにでも対応できるユーモアが必要になる」


 斎藤さんは股間を揉むのをやめて、俺に面白い一言を言ってみろとまたにこやかに難題を押し付けてくる。

 俺は咄嗟とっさに下ネタを口に出した。


「十八センチです!」

「よく言った! 俳優は下ネタと女の問題を起こしてからが本番だ」


 斎藤さんは高らかに笑って、一冊の本を取り出した。

 夏目なつめ漱石そうせき著書ちょしょ、『こころ』である。

 俺もこの本には目を通したことがあるし、学校の授業で教材にされたこともある。


「夏目漱石のこころ、こいつは人間の人間性と呼べる部分を濃く記している。だから、演技の練習をするには、こういう書物の演技をすると為になる」

「わかりました」

「じゃあ、早速はじめよう」


 斎藤さんの指定したキャラクターの演技を自分なりに表現して演じてみた。

 だが、斎藤さんの表情は険しいものだった。


「確かに、演技としては合格点だが、俳優としては十二点くらいだ。俳優舐めてるのか? キャラクターの心境をもう少し考えろ! そして、行動の意味を考えろ! それが出来たら二十点だ!!」

「わかりました!!」


 自分の演技を完全否定され、言われたようにキャラクターの心境と行動の意味を考えながら演技を続けてみた。するとなんだか自分がそのキャラクターになったような気分になる。そして、演技をすることが楽しくなってきた。


「よし、二十二点をくれてやろう。他人を演じるのが楽しいと思えてきたようだ」

「はい!」

「だが、まだまだ体の動かし方がぎこちない、矛盾に聞こえるかもしれないが、キャラクターの行動に自分のオリジナル、つまりはアドリブを取り入れるのも演技の基本だ。最初は小さく、時に大きく取り入れろ! そうしたら自然と強張りが消え去り、自然な演技に変わる」


 斎藤さんはアドリブを入れるタイミングを綿密に教えてくれた。

 だが、点数の変動はあまりなく、最終的な得点は三十一点と赤点をギリギリ回避できる程度の得点に落ち着いた。


「まあ、一日でこれだけ叩き込んだら十分だ。飯を食べに行こう。腹が減ってならない」

「流石は斎藤さん。演技指導は誰よりも長けていますね~」

「当たらない大根役者に言う言葉じゃないねぇや」


 斎藤さんは照れくさそうに頬を人差し指で掻いて、じゃあ、指導を終えて飯を食いに行こうかと誘われた。

 奈々はいつものようにゴチになります! と、軽いノリで付いて行き、俺もありがとうございますとお礼を言って、レビンの助士席に乗って斎藤さんのおすすめの店に移動した。


 3


 移動した店は和風な作りの蕎麦屋そばやだった。


「儂が経営している店だ」

「そうなんですか?」

「ああ、斎藤さんは役者として稼いだ金を事業に投資して一財産築いたんだ」

「まあ、本職の俳優としては大根だったんだがな」


 斎藤さんはいつものを三つと注文をいれて、ゆっくりと口を開いた。


「儂が役者になろうとしたのもおまえさんくらいの頃だった」

「そうなんですか」

「ああ、上京して仕事を探していたら映画の脇役のオーディションが行われていたから面白半分で応募したんだ。そしたら奇跡が起こって映画に出演、最初は下手くそな演技を大衆にさらしていたが、歳を重ねるごとに今の演技に近づいた」


 懐からタバコ、ハイライトを取り出して口に咥えてマッチで火をつける。そして、煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「カツカツの生活をしていたが、まあ、生きていける程度の稼ぎは出していた。でも、主役には抜擢されなかった」

「斎藤さん......」

「まあ、二枚目じゃないから諦めていた。それから、事業をはじめて、成功して、飯に困らない生活をしている。だが、俳優の魂は抜けてはいない」


 斎藤さんはタバコを灰皿の中に投げ捨てて、俺のことを睨みつけた。


「おまえは、演技の世界で生きていく気はあるか? それとも、歌の世界で生きていくのか? ましては、逃げて一般人に戻るのか? 答えは早い内に見つけた方がいい」

「......わかりません。でも、演技は楽しいと思いました。歌も、まだ自分の歌を歌えていませんが、嫌いではないです」

中途半端ちゅうとはんぱな奴は成功しない。近い将来、一つに絞らされる時が来るだろう――まあ、それまで必死に足掻あがいてみたらどうだ? 儂は応援してやるよ、光るものがあったしな」


 その時、俳優の魂のようなものを感じた瞬間だった。

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