第一話:お誘い

 「起きろ!」


 母親の怒鳴り声で目を覚ますのは高校生以来だと思う。

 普段は俺が目覚めるまでは口すら聞かない母親が珍しく俺の部屋の中に入ってきて、一万円札をチラつかせている。

 渋い顔をして、その一万円札は何なの? と、質問してみるとこれで髪を切ってきなさいと告げられる。

 髪の毛を触ってみるとロン毛と言われても可笑しくないくらいに髪の毛が伸びきっていた。流石に十九歳の男が自堕落にこんなに髪の毛が伸びているのは母親としても気分が良くないのだろう。


「いや、バリカンで適当に刈ってよ。タダだし」

「今日は奥様達と御茶会があるのよ。だから、偶には外に出て新鮮な空気を吸いなさい」


 よく見ると奥様連中に会うのだろう、親父の給料を吸収して買った豪勢な服装が目についた。オバハン連中と会う時なんて何時もより見窄みすぼらしい格好で十分じゃないのかと心の中で思うのだが、人一倍見えっ張りの母親らしいと最後には納得してしまう。

 俺は流石に一万円は多過ぎないか? と、お年玉じゃないんだからと母親に返すと、最近はちゃんとハローワークに通ってるからご褒美よ、と、婆さんに言われても嬉しくもなんともない言葉が返ってきた。

 一万円札を受け取り、部屋を出て行く母親の背中を見た。そして、最初に思ったのは――老けたな、母さん。そんなものだった。

 母さんが出て行って十分程時間が経った。

 一万円札は三千円が入っていた軽い財布の中に収納されている。


「髪を切りに行くか……」


 俺は家を出るのではなく、洗面台の棚の中に入っているバリカンを取り出して、乾燥した風呂場の床に新聞紙を敷き詰める。そして、顔が出せる穴を開けたゴミ袋を被り、無言で12ミリの大きさに刈り揃えてくれる金具を取り付けて、無心で伸びきった髪の毛を芝生のように揃える。

 三十分程の髪の毛との格闘の末、野球部員かと思えるくらいに刈り揃えられた髪の毛は気色悪いインドア系という印象を少しだけ解消してくれたように感じられる。

 さて、一万円という金が自分の懐に入ってくれたということはとても嬉しい出来事である。だが、この金を使うようなことが無い。本当に無い。


「――パチンコ屋に行ってみようかな?」


 俺、野部のべ義人よしひとの頭の中はパチンコ屋という不埒ふらちな存在で頭がいっぱいになった。

 パチンコ屋というと人間のクズが集まる遊園地だと誰かが言っていたような気がする。だが、俺という存在が結構なクズなのだからもう、クズの遊園地にGOしてもいいのではないのかなと思う。それに、町中にあるメダルが一枚二円で取引されている安い店に行くつもりだから、激しく負けたとしても元々の三千円程度だと思う。

 俺は自分の出来るお洒落と呼べるものを精一杯して、そんなお洒落なんてしなくてもいい場所にバスに揺られながら移動することにした。


 2


 耳を裂くような轟音が響き渡るパチンコ屋、通はこの場所のことをホールと名前を変えて読むらしい。自分が通っているパチンコ屋のことはマイホールとか言うらしいが、通い詰めていない俺にとってみるとやはり、ホールやマイホールというより、パチンコ屋という言葉の方が呼びやすかった。

 ネットで色々と調べてみたが、初心者はAタイプと呼ばれる台を選んでスロットという存在をよく理解して打ったほうがいいらしい。まあ、ネットの世界の話なのだから、真実がどうかわからないが、店員さんにAタイプの台はどれだと質問してみると私達にはお答え出来ませんと返ってきた。なんだろう、パチンコ屋は規制が厳しいと聞いたことがあるのだが、ここまで厳しいものなんだな、と、心の底から思った。

 仕方がないからスマートフォンで情報を入手して、ジャグラーというスロットがAタイプだということが知れたので、そのジャグラーという台の元へ移動して、適当に席に座って千円札を投げ込んでみる。

 なんと表現していいものかわからないが、やはり、悪いことをしているという感じが物凄くある。やはり、『パチンコ=悪いこと』という概念が染み付いているからなのだろう。

 メダルがゲームセンターのメダル両替機のように溢れ出し、どうしたらいいのかわからなくなるが、結構遠い場所で打っているおじいちゃんの見様見真似をしてメダルを台に入れて回してみた。

 グルグルと回転している何かをボタンで止めるらしい。

 俺は恐る恐る爆発しないだろうかと思いながらボタンを押してみた。勿論、爆発するわけがない。爆発したら『パチンコ=爆発』に変化してしまう。

 たいして、面白いと思わないで台を回していると千円札分のコインが無くなってしまった。

 正直、面白いとは毛ほども感じられなかったのでそのまま千円という極小数ごくしょうすうの消費で済ませてそのままパチンコ屋から逃げ出した。

 パチンコ屋を出ると新鮮な空気が肺の中に入ってきて、タバコ臭さから開放してくれた。

 だけど、このまま家に帰るのは一万円を託してくれた母さんに悪いし、どこかで時間を潰さないといけないと思いはじめる。だが、そんな風に時間を潰せるような場所を俺は知らない。

 いや、雀荘に行けばいいのか。

 親戚の叔父さんと(半ば強制的に)一緒に麻雀をやっていたから点数計算や役は完全に暗記しているし、本当に暇な時に天鳳というネット麻雀をプレイしているからある程度の実力はあると思う。それなら、次は雀荘に足を運んでみよう。

 ……今更だが、俺は人間のクズの道を歩いているのではないのだろうか? いや、流石に麻雀を打つだけで人間のクズになるはずがない。

 街の中を雀荘を探して歩いていたらようやく雀荘という看板が見えた。

 点200と書かれていた。

 多分、千点棒が二百円で取引されているのだろう。

 まあ、激しく負けたとしても大した金額になるとは思わないから入ってみるかと思い、雀荘の中に入った。

 結果を言ってしまうと一万円が十三万円に化けてしまった……。

 仕事が休みのサラリーマンのナイスミドルとずっと打っていたのだが、打ち方が曖昧あいまいすぎてすぐに振り込むし、派手で高いてばかりを狙っているから直ぐに待ちがバレてしまう。だから、真剣に打っている俺が必然的に大勝してしまった。そして、懐に十三倍に成長した福沢諭吉が収納されている。


「美味しいご飯を食べよう。これは神様からの思し召しなんだ!」


 そんなことを考えながらファミリーレストランに行こうとしていると若い男達が四十代後半くらいのナイスミドルから金をタカっている姿が見えた。

 正直なことを言うとああいうのは嫌いなのだが、仲裁ちゅうさいしなければならないとは思えない。なぜなら、自分に被害が来るのが怖いからだ。

 でも、俺は心の中でこう思った。この大勝の代わりにあの叔父さんを助けなさいということなのだろうか? 俺は臆しながらも、喧嘩の中に割って入った。


「おまえ達! 何やってるんだ!?」


 がらでもないのだが、そう叫んで男達にそう叫んで男達を威嚇いかくする。だが、そんなチンケな威嚇なんて効くかよ、と、鋭い視線が突き刺さってくる。早く逃げ出したいと思うのが本心なのだが、それでも、やらないといけないことはあるわけだ。

 本当に柄でもないのだが、ファイティングポーズをとり、自分は戦う意思があるということを見せつける。すると男達は面白いという顔で一斉いっせいに殴りかかってきた。

 ――バキッ、俺に真っ先に殴りかかってきた男の前歯が思い切り欠けた。

 俺が使用している携帯、京セラのトルクは物凄い強度と耐久性を誇る携帯電話だ。だから、こういう風に武器として使うことはできないのかと疑問に思っていた。だが、その疑問が一瞬で消え去る。

 ――京セラのトルクは武器として普通に使える。

 歯が折れられた男を取り囲むようにして睨みつける。

 俺はここでハッタリを告げる。


「次は誰の歯を折ればいいのかな?」

「……行くぞ!!」

「「「わかった……」」」


 男達は一斉にその場を立ち去り、残ったのは俺と叔父さんだけになっていた。俺は大丈夫ですかと質問するとこう返した。


「助けてもらって悪いんだが、お金も貸してもらえないだろうか……?」


 男達に現金を奪われたのだろう、空の財布を見せてくれた。


 3


 俺は叔父さんを連れてファミレスの中に入り、好きなものを食べてくださいと言った。すると叔父さんはお金を借りて、ご飯まで食べさしてもらえるなんてと涙を流した。まあ、その全部が母親から貰った泡銭あぶくぜにからはじまり、雀荘で稼いだ泡銭に進化したことは絶対に言いたくない事実なのだが……。

 叔父さんは自分の好物だというとんかつ定食(中くらいの価格)を頼み、豪遊ごうゆうしたいと思っていた俺は、このファミレスで一番高い価格の素敵ステーキランチ(物凄く高い)を頼んだ。


「本当に助かったよ……」

「いや、困った時はお互い様ですし、お寿司」


 叔父さんはお礼を告げた後に俺の顔を覗き込んだ。


「君、名前は?」

「えっと、野部義人です」


 流石にジロジロと見られるのは気味が悪いので顔に何か付いていますか? と、質問してみると叔父さんは真剣な表情で、中々のレベルだな、と、品定めをしているような言葉を告げた。

 そして、俺が渡した一万円札が入った財布の中から一枚の名刺を取り出し、渡してくれた。

 『吉田芸能事務所』と大きく書かれていた。


「芸能事務所?」

「ああ、私が社長をしている会社なんだがね、アイドルの育成とプロデュースを専門にしているんだが、君、仕事はしているかい?」


 叔父さん、もとい、社長さんは俺の職業について物凄く真剣な表情で尋ねてきた。正直、フリーターとはぐらかした言い方をしたかったのだが、不意にこう言ってしまった。


「無職です」


 言ってしまった今更だが、物凄く恥ずかしい。

 だって、今日知り合った人に、それも物凄く偉い人に自分が無職であることをさらけ出すなんてまずありえない。それなのに、俺は無職ですと普通に言ってしまった。これが尚更なおさら恥ずかしい。

 だが、社長さんはそれは有り難いとバカにする表情は一切見せないで高らかにこう告げるのである。


「――アイドルにならないか?」

「……はい?」


 正直、アイドルという言葉が出てきたことに驚きを隠せないでいた。というよりも、驚かざるおえなかった。

 、の俺がアイドルにならないかと期待の眼差しで見られているということが驚き、それ以外の何ものでもなかったのである。

 俺はお断りしますと言おうとしたのだが、社長さんの輝く瞳に負けて、プロデューサーとかではなくて、アイドルなんですか? と、質問してしまった。意気地いくじなし!


「プロデューサーやマネージャーは間に合っている。それに、君みたいに容姿が整っている若い子は積極的せっきょくてきにアイドルとして使っていきたいからね」

「え、えっと……自分の容姿が整っていると初めて言われました……」

謙遜けんそんすることはないよ、なかなかワイルドで良い顔立ちをしているではないか」

「ワイルド……」


 よく考えると俺が髪の毛を短く切った姿を誰かに見せるのはこれが初めてなのだ。

 小中高、一貫して髪の毛に関しては規制が緩い場所に通っていたから長期休暇になるまでは髪の毛を切らないで放置していたり、下手な時は女の子のように結んでいた時期もあった程だ。だから、自分の容姿が長い髪よりも短い髪の方が格好良く見えるということを理解していなかったのかも知れない。


「えっと……本当に格好良く見えますか?」

「ああ、君ならアイドルとして売りだしていける」

「……嘘だドンドコドーン!」

「じゃない」


 社長さんの本気の眼差しが俺の心を抉る。

 もし、ここでアイドルのお誘いを断ってしまえば、社長さんは物凄く傷付くだろうし、美味しそうな素材を使えないとなげいてしまうかも知れない。でも、俺がアイドルなんて……そう思っていると調度良く話を途切れさせてくれるように、店員さんが料理を持って現れてくれた。

 料理に集中したいですという表情で分厚いステーキにナイフを入れて、モグモグと噛み締めて味わう。すると社長さんが物凄く吟味するような表情で見つめている。いや……料理に集中したいですという顔をしてるでしょうが……。


「料理番組にも抜擢できそうだな」

「食事中に仕事の話は……」

「ああ、済まなかった!」


 やばい、やばい、やばい……。

 この人、本気で俺みたいな奴をアイドルにしようとしてるよ〜(涙)。

 どうにか、この社長さんのお誘いをごめんなさいする方法を考えなければならない。だが、俺にはそんなコミュニケーション能力は持ち合わされていない。なら、誰かに頼るということが一番手っ取り早いのではないのだろうか? でも、この話を断ってくれる人なんて……いないよな〜

 そうだ! 俺がこの人の会社に出向いて従業員の皆様に不細工だと言われれば社長さんも俺をアイドルにしようなんて思わないだろう。そうだ! その手が有ったんだ!!


「えっと、食事中に悪いですけど、今から社長さんの仕事場を見に行っていいですか? どんな職場なのか気になりますし」

「おお! それならアイドルになってくれるのか!?」

「い、いえ……どんな人が働いているのか気になるだけです……」

「そうか、見学でも大歓迎だ。よし、早速事務員に連絡を入れる」


 なんだろう。なんだろう。なんだろう。この社長さんのやる気は……俺がやる気スイッチを押してしまったのだろうか?

 素敵ステーキランチを食べ終わると同時に社長さんもとんかつ定食を完食していた。なんというか、息ピッタリだね、本当に……。


「じゃあ、早速事務所に行こうか!」

「え、いや、流石に事務所にうかがうんだからお茶菓子くらいは買っていかないと」

「君は礼儀正しい子なんだねぇ〜尚更気に入ったよ!」


 その後、街の中のカステラ屋でカステラを三本、長崎の人風に言うならなら三斤を購入した。なんとうか、最近は色々な店が全国に出店しているのだなと身を持って感じられた。


 4


 なんというか、やはりと言ったほうがいいのだろうか? 大きくもないし、小さくもない。そんなビルの一室に社長さんが運営している事務所は設置されていた。

 俺はカステラの袋を持って中に入ってみた。

 ……女の子の甘い香りがする。


「鈴くん! 期待の新人を連れてきたよ!!」

「え、何時の間に新人に!?」

「ああ、社長さんおかえりなさい」

「事務員さんもそこは流し過ぎでは……」


 ノートパソコンでスケジュールの調整をしているのだろうメガネを掛けた頭の良さそうな事務員さんが社長さんの言葉に反応して、お帰りなさいと挨拶した。多分、俺のことなんて眼中にない。容姿の方は。

 日本人らしいロングの黒髪をしている。

 メガネが物凄く似合っている。つまり、顔は整っている。

 体格は多分、160cmくらいだと思う。

 服装は事務員がよく着ているような服ではなく、普通の普段着のようなラフなものである。

 だが、これは期待出来る。俺がアイドルなんてなれるわけがない容姿だということを説明、または表現してくれる可能性がある。これで晴れて社長さんから開放される!


「この人が期待の新人さんですか? ……いいですね! なんと言うか、今時の男性アイドルにはないワイルドな顔立ちをしていますし、昭和の男性アイドルみたいなワイルドさがムンムンに感じられますねぇ〜これはマダム達を中心に人気が出ますよ」


 多分、この事務員さんも目が腐っているのではないのだろうか?

 俺は呆れながらも、事務員さんに自己紹介をした。


「野部義人です」

広瀬ひろせすずです。よろしくお願いしますね♪」


 事務員さんの目を見たらわかる――やる気十分、アイドルに仕立て上げてやるぜ! そんなことを考えてるよ絶対に……。

 でも、絶対に俺のことを不細工だと指摘してくれる人は必ず現れるはずだ! めげてはいけない。


「あの、これは挨拶の品です」

「これはどうも、えっ! これ、最近出来たカステラ屋さんのカステラ……それも一番高いのじゃないですか!? お金大丈夫でしたか? 経費けいひで落としましょうか?」

「あ、大丈夫です。雀荘で暇をつぶしてたら結構な額を手に入れられたんで……」


 流石にギャンブルで作った泡銭で購入した品だと言えばアイドルにしようなんて絶対に思わないだろう。

 そう思っていいたら普通に運が強い人は這い上がれますよ! と、褒めてくれた……嘘だろオイ! 女ならギャンブルを否定しろよ!?


「早速お茶を入れますね。あ、紅茶と緑茶、どちらがいいですか?」

「……冷たい緑茶でお願いします」

「私も冷たい緑茶でお願いするよ」

「わかりました」


 さて、事務員さんは普通に俺のことをアイドルにしようと気張っているように思える。だが、事務所なんだから、プロデューサーとマネージャーが働いているはずだ。その人達が人材を発掘してくるのだから俺のような地面に落ちていたガラス球のような奴を採用するはずがない!


「今帰りました〜」


 よし! 誰か帰ってきたぞ!!

 振り向いてみると小学校高学年くらいの女の子が結構な荷物を持って事務所の中に入ってきた。

 艷やかな茶髪(地毛)のセミロング。

 容姿はアイドルらしく非常に整っていてこの年だから可愛らしさが何倍も倍増されている。

 体格はやはり小学生くらいだから小さい。

 性格は容姿と最初の帰りましたという声色の感じを察するに優しくて健気な子だと思える。

 なんというか、アイドルをやっている理由がわかるくらいかわいい。ファンになってしまいそうだ。


「あれ、あなたは……」

「えっと……」

「ああ、新人さんですね! ここは温かい職場なので心配しないでも大丈夫ですよ!!」


 否定されない……いっそのこと、犯罪者とかと勘違いされた方がよっぽどマシだよ……。

 まあ、自己紹介をしたほうがいいよな……。


「えっと、野部義人です」

城跡しろあと由佳子ゆかこです! よろしくお願いしますね!!」


 ハイテンションだよ〜否定しないよ〜満面の笑みだよ〜

 流されるな、流されてはいけない。流されたらそこで試合終了を迎えてしまう。だから、頑張るんだ、俺! アイドルなんて無理に決まっている!!

 ……なんと言うか、事務所に来てからテンションが以上に高いな、俺。


「それにしても、最近はスカウトをしてなかった社長さんがイキナリ一人連れてくるなんてなにか有ったんですか?」

「いやぁ〜野部くんには不良を追っ払ってもらって、食事までごちそうになって、お金まで借りてしまったんだ。大の大人が情けないよ……」

「ああ、だから社長さんはボロボロなんですね。でも、野部くんは全然汚れていませんけど」

「彼は中々の腕っ節を持っている。いざという時はあの子達の警護に着けられるくらいだよ」


 物凄く嫌な話をしていないか? いや、確実にしている。

 なんというか、俺のことを雇う前提で話していない? 俺、まだ契約書に名前書いていないよ。その以前に判子も持ってきてないよ? 契約なんて出来るわけ無いでしょうが。早く俺のことをリリース&エスケープさせてくれないかな……。


「義人さんは歌とか、ダンスは得意ですか!」


 少女の純粋無垢じゅんすいむくな瞳が俺の心を引き裂く。


「あの、えっと……歌は少しはできるかな? ダンスは……やったことないからわからないかも」


 歌は一人カラオケでアニメソングとか、演歌とかは結構な得点を叩き出せるけど、ダンスなんて生まれてこの方、一度も踊ったことがないからわからないし、アイドルになるつもりは一ミリもないから考えたくもない。

 でも、幼い女の子の期待の眼差しは大人である俺にダメージを与えるには十分過ぎる破壊力を有しているのだ。

 心の底から思った。

 ――早く俺のことを否定してくれる存在よ現れてくれ!!


「由佳子ちゃん、義人お兄さんがカステラを買ってきてくれたから食べましょう」

「え! カステラですか!!」


 キラキラと瞳が輝いてやがる! カステラ程度でこんなに嬉しそうな表情が出来るなんて――!?

 心が洗われるようだった。

 純粋無垢な少女の笑顔はとても可愛らしくて父親のような気持ちにさせてしまう。よし、休日になったら雀荘に入り浸って大勝したら美味しいお菓子を届けてあげよう。そしたら、この笑顔が見れるんだ!!

 あ、でも、アイドルになったら毎日……何を考えているんだ俺は!?


「美味しいれふ!!」

「ちゃんと飲み込んで喋りなさい」

「ごめんなさい……」

「「「(かわいい……)」」」


 心がアイドルに向かっていく……城跡ちゃんの姿を見れるならアイドルだって……!?

 伊藤いとう開示かいじのような考えが頭を巡回じゅんかいする。

 だが、一瞬でそれが覚めるのが俺という人間だ。そう、俺はクールな人間なんだから! 多分……。

 俺も城跡ちゃんと同じようにソファーに腰掛けて甘くてコクのあるカステラを噛じった。うん、普通にうまい。だって、本場長崎の店の支店だもの、美味しいに決まっている。だが、その美味しさを底上げしてくれているのが、この隣に座っている、多分、この世界の上位に君臨するであろうかわいい生物だ。多分、俺の中でハムスターよりも可愛い存在に君臨くんりんしたよ。


「んぅ〜」

「「「(かわいい……)」」」


 城跡ちゃんの可愛らしさに魅了されていたら事務所の扉がもう一度開いた。すると表情に疲れが見え隠れしているが物凄く美人な人が千鳥足になりながら入ってきた。容姿を詳しく説明すると。

 事務員さんと同じくらい長い黒髪なのだが、こちらは一つ結びにしている。

 容姿はよく整っており、よくみると事務員さんに似ている。

 体格は心の中だから言えるが、ダイナマイトボディーで、身長も170cm台だからそれが引き立つ。

 見た目はグラビアアイドルのように見えるのだが、スーツを着ているということはプロデューサーとか、マネージャーとかなのだろう。


の主役のオーディションを取ってきました。確か、今回は女性が主人公じゃありませんでしたっけ?」

「いや、男性が主人公だよ」

「そうでしたか……じゃあ、断ってきます。所詮しょせんはオーディションなんで――」


 女の人の視線が俺に注ぐ。

 何? 俺の顔にやっぱり何か付いてるの?

 女の人は俺の右手を両手で握って、こう告げる。


「丁度良い男がいるじゃないですか? 顔も整ってますし、身長も高い。体力はジムで鍛えればいいですし、なにより、今回の特撮とくさつはワイルドな仮面ドライバーにする予定です。貴方、運転免許持ってる?」

「えっ? まあ、普通自動車と中型二輪の免許を持ってますけど……」

「採用。じゃあ、二週間後にオーディションだからよろしくね。あ、わたしは広瀬ひろせ奈々ななだ」

「......野部義人です」


 何を言っているのかわからないと思うが、俺にもわからないからどうすることもできない。ただ、日本国民の殆どが知っている仮面ドライバーという特撮の主役のオーディションを受けることになっている。本当に、俺にもわからない。

 城跡ちゃんが凄いです! と、俺のことを称えはじめた。

 ……誰か、俺を助けてくれ! まだ契約すら結んでないんだ!?

 救済を求めていたら俺と社長さんのを合わせると四回目のガチャリという扉が開く音が聞こえた。よし、これで勝つる。

 入ってきたのは疲労でクタクタになったジャージ姿の女子中学生くらいの女の子三人であった。


「流石にローカル番組の収録しゅうろくは疲れますね……」


 その後から中性的な容姿の人、というか、中性的過ぎて男性なのか、それとも、女性なのかわからない。でも、顔は女性に近いように感じる。あ、でも、服装が男性が着るようなスーツだし。いやいや、それでも、身長が140cmくらいだから女性なのではないだろうか?


「ああ、この人が電話で話してくれた新人さんですか! 僕は中村なかむら花男はなおです。貴方は?」


 ああ、声と喉仏でわかった。

 ――女性だ。

 でも、多分、男を装っている。つまり、これは推測すいそくに過ぎないが、いわえる性同一性障害せいどういつせいしょうがいというやつなのだろう。深くツッコミを入れたら人権侵害じんけんしんがいで訴えられる可能性も否定できない。


「野部義人です……」

「義人くんですか! これからよろしくお願いします!!」


 なんだろう、なんで、俺の容姿や才能について誰もツッコミを入れないのだろうか? いや、もしかしたら俺が物凄いイケメンでした説もなくはないのだが、それでも、髪を切ったら、まとめたら美少女展開が男の俺にも通用するのか? いや、流石に二次元だけの美味しい現象が三次元に存在している俺に通用するはずがないじゃないか、誰か、事務所の人達の目を覚まさせてくれ……。


「新人さんが増えると嬉しいですね!」

「うん! 仲間が増えるのは嬉しいよね〜」


 なんか、ジャージコンビも喜んでるよ……。

 ああ、これはダメなパターンなのだ。そうなのだ。俺はこの事務所に在籍ざいせきするしかないのだろう。そして、アイドルとしてデビューさせられて、売れないままやめてしまうのだ……。


「でも、たいして格好良くないわよ」

「えっ?」


 救いの手が差し伸べられた。

 ジャージアイドルコンビの金髪の気の強そうな女の子が俺の容姿について指摘してくれた。ああ、ようやく、ようやく俺のことを指摘してくれる人が現れたんだ。これで俺は救済される!


「でも、良人お兄さんはカステラを持ってきてくれたよ」

「私は不良から助けられて、食事を振る舞ってもらって、お金まで借りたよ」

「確か、社長のサングラスがここに……」


 何故か、広瀬さんにサングラスを掛けられた。

 するとその場にいた全員が凍てつく。そうさ、ようやく俺の不細工な顔を認めてくれたんだ! これで家に帰れる。


「……悔しいけど、格好いいわね」

「えっ?」


 今、格好いいって言わなかった? ねえ、さっきの言葉から百八十度傾かなかった? 嘘でしょ!?


「いいですね! このワイルドな感じ!! ワイルド系のアイドルって珍しくないですか? 僕は売れると思うんですけど」

「仮面ドライバーのオーディションも体を二週間で引き締めればどうとでもなりそうだ。よし、明日からジム通いな」


 ああ、これは逃れられないパターンだ……。


 5


 契約書を持って家に帰ると母さんが夕飯を作って待っていた。

 そして、顔を見るなり――勝ったの? と、ギャンブルをしに行ったことを悟っていた。なんでわかっているのかクエスチョン・マークを頭上に作ると、母さんはこう告げた。


「あんたがこんな時間まで家に帰ってきていないなんて、時間が物凄くかかることをやっているとしか考えられないでしょ。なら、パチンコか雀荘辺りに足を伸ばしているのかな? ってね」

「大正解なんだけど、雀荘は午前中には終わってた」


 母さんに三万円という大金を渡す。

 するとあんまり荒らしすぎると入店拒否になるから控えめに打ちなさいよと叱られるが、しっかりと三万円は懐に収納された。ちゃっかりとした人だと心の底から思った。


「でも、なんでこの時間まで出かけてたの? ハローワークにまた行ったの」

「いや、流石に日曜日までハローワークに足を運べる程、切羽詰まってないよ」

「いや、切羽詰せっぱつまってるでしょうが、ニート」

「最低でもフリーターと呼んでくれないかな……」


 母さんがポケットの中にねじ込まれた封筒に視線を向けた。


「どうしたの? その封筒」

「えっと……換金の時に貰った……」

「でも、吉田芸能って書いてあるわよ」


 どれだけ目が良いんだと心の中でツッコミを入れるが、母さんに封筒を取られてしまった。そして、中身を確認されて……。


「あら、スカウトされたの? それなら、事務所に寄ったからこの時間なのね」

「えっ? 驚かないの……」

「そりゃあ、驚くわけないでしょ。だって、アンタは父さんと母さんの子供なのよ、驚くところが何一つないじゃない」


 どこから出るんだ、と、心の中で思う。

 でも、確かに、父さんと母さんの容姿は整っている。というか、俺は父さんと瓜ふたつなのだが……。


「まあ、学園一番のマドンナと学園一番の番長が付き合って出来た愛の結晶なんだから」

「えっ? どういうこと……」

「ああ、話してなかったけ。まあ、聞かないから話さなかったけど。お母さんは若い頃、物凄くモテたのよ。でも、全員趣味じゃなかった、というより、私はワイルド系の男が好きだったから、十六歳になるまで男と付き合ったことがなかったのよね~」


 なにそれ……昭和の短編少女漫画かなにかですか? オチが見え見えで怖いよ……。


「それで、私が若い頃に名を挙げてた不良が居たんだけど、まあ、ぶっちゃけたら、それがアンタの父さん。三十回くらい強姦魔ごうかんまから助けてくれたんだけど、三十一回目で落ちたわね」

「なにそれ? 父さんストーカーしてたの……」

「でも、真っ直ぐな人だから付き合ってからまる二年肉体関係を持たなかったのよね〜」


 見た目はゴリラなのに純粋じゅんすいだな、あの人……。

 それに、昭和ってそんなに強姦魔が大量発生してたんだ……平成に生まれてよかった。


「だから、アンタの容姿は普通に良いのよ?」

「でも、高校で告白されたことなんて一度もないぜ」

「アンタねぇ〜今時のイケメンと昭和のハンサムを見比べてみなさい! 直ぐにわかるから」


 携帯電話で昭和のイケメンと打ったら顔の濃い渋い男達がワラワラと出てきた。なんだろう、確かに、少し似てるかも……。


「昭和=整い&渋さ、平成=整い&薄さ。なのよ、わかった? 最近の餓鬼の男の趣味が昭和生まれの私としては気色悪くて仕方がないわ」

「まあ、わかるけどさぁ〜それでも、なんで彼女が出来なかったのかな……」

「そりゃあ、アンタが髪を伸ばしてたから怖いお兄さんに見えたんじゃないの? 身長は高いし、目付きは鋭いし、髪は長い、怖いお兄さんの要素が全部揃ってるじゃないの」


 えっ、もしかして、髪の毛を刈ったから俺はスカウトされたの……嘘だろ……?

 母さんが無言で鏡を出して、俺の顔を見せた……。

 率直な感想を言わせてもらうと――時代劇の俳優みたいな顔してるな、今の俺。


「まあ、昭和生まれの人間には堪らない顔をしているのは確かね」

「……まあ、スカウトしてくれたのは事務所の社長さんなんだけどさ」

「懐かしい香りがしたんじゃないの? まあ、アイドルなんて消耗品しょうもうひんなんだから辞めたくなったら直ぐにやめられるでしょう。それに、毎日ハローワークに通われてもバス代がかかるから」


 息子が真剣に仕事を探している姿を否定するなよ……流した汗はどうなるんだよ……。

 でも、少しだけ自身が持てたかも……。


「でもさぁ〜流石に十九歳でアイドルはないだろ。高校生ならまだわかるけど、社会人だぜ、俺」

「十代なんだからセーフよ。それに、今のアイドルグループの平均年齢は二十代前半よ。大丈夫、やれば出来る」


 息子が真剣に悩んでいるのに小馬鹿にしやがって……。

 でも、まあ、売れなかったら辞められるってのは魅力的みりょくてきではあるのだが、それでも、アイドルは少し抵抗があるかも……。

 だって、人々の憧れの存在なんだぜ? それに、たいしてアイドルという存在に感心を持っていない俺としてみたら、アイドルと若い女優の区別すらつかないし。

 そんな生半可な知識の人間が人々の憧れの存在、アイドルという名前を語るのはダメでしょう。怒られるでしょう。ね?


「だからさぁ、親に拒否されたから無理ですって言いたいんだけど……」

「えっ? 絶対に無理なんて言わないわよ。早く就職してもらいたいし、嫌でもアイドルになってみなさいよ」


 当たり前のように契約書に判子押しやがったよ……。

 よし、破り捨てようと契約書を奪い取ろうとすると警棒で殴りつけられた。どこから取り出したんだよ……。


「十代の頃は強姦魔に襲われすぎてご信用にスタンガンや警棒を持ち歩いていたんだけど、最近は使わなくなってきてるのよね〜歳かしら?」

「どこから取り出したんよ……」

「一つだけ言うけど、息子が母親に勝てると思ってるの? それに、もし、この仕事を断ったら家から追い出すから。今日から雀ゴロに転落するのは嫌でしょ?」

「……わかりました」


 こうして、俺がアイドルになることは決定事項になってしまいました……。

 多分、この髪型がダメだったんだ。

 これからはサロンで髪の毛を切ることにするよ……。

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