第4章(7)
「今日は無理そうだからとりあえず戻ってこい」という指令を受け、俺と世良は本部へと戻ることになった。どうやら中川由依さんの都合が明日にならないとつかないそうだ。彼女に会えないとなると現場組である自分たちの仕事はないので指示に従うしかなかった。
本部に到着すると、勢野が仁王立ちで俺たちを待ち構えていた。
「明日の午前中なら大丈夫だそうだ。朝一番でお前ら二人で中川由依の家へ向かえ」
「わかりました」
俺は命令に頷いた後、気がかりだったことを主任に尋ねる。
「……豊田さんの病状はどうですか?」
今日の活動中、そのことがずっと頭から離れなかった。
時間退行能力のレベルが変わっていないことは、病院から出た後に鳥飼から受けた報告によって認知している。しかし、体調の変化については何も聞かされていない。俺たちの訪問によって豊田さんが病状を悪化させた可能性もあった。
「心配するな。今、見張りのために病院のほうへ技官を待機させているが、特に悪化したという報告は受けていない」
「そうですか……」
報告を聞いて少し安堵した俺に、勢野は戒めるように言う。
「豊田さんの容態が気になるのは無理もないが、我々の使命はあくまで時間退行を止めることだ。そのために全力を尽くしてくれ」
俺も世良も無言のまま小さく頷く。
それが俺たちの仕事であり、かつそれしかできない。
そんなことはわかっている。わかっているから心が痛むのだ。
「理解してくれてありがとう」
珍しく勢野が少しだけ笑った。だが、その微笑みの裏には計り知れないほどの苦悩があることを俺たちは知っている。
だって、彼女は俺たちが関わる何日も前からこの件に葛藤し続けているのだから。
「今日は二人ともゆっくり休め。明日はまた朝早くから動き回ってもらわなければならないからな。明日も油断せずに頼むぞ」
だから、ここで彼女の優しさにただ甘えているわけにはいかなかった。どんなに厳しい現実であろうと、自分たちも最後まで向き合う覚悟を決めなければならない。
自らを鼓舞する二人分の大きな返事が部屋の中にこだました。
その後解散となって、俺と世良はその場で挨拶をして別れた。
俺はすぐには帰らずに、ぼんやりと指令室の中を見渡してみた。大型モニターにはターゲットである二人の写真。そこに技官たちがリアルタイムで新たな情報を更新していく。二つの大きな事件の発生に、皆休む暇もなく対応に追われていた。
そんな様子を眺めていたら、ちょうど空岡が部屋の中に入ってきた。彼女は真っ先に勢野のところに行き、真剣な表情で何やら報告をする。
それが終わると、空岡は室内にいる俺を見つけ、小さな足取りで歩み寄ってきた。
俺たちはお互いに軽く挨拶を交わし、少しだけ会話をする。
「そっちはどうだ?」
「何とかなりそう……かな。間庭君のほうは?」
「こっちはまだわからない。明日次第だな」
「そうなんだ……」
お互いに相手の状況はよく知らないので話は弾まない。そもそも扱っている仕事の重さを考えればそんなに楽しい会話になるはずがなかった。
それでも、俺は沈黙を振り払うように力強く宣言する。
「いずれにしても、俺たちは俺たちにできることをやるしかない」
これは、空岡に対してだけではなく自分自身への言葉でもあった。
世の中には頑張ってもどうにもならないことも存在する。天気は自分の思い通りには変えられないし、終わらない生を願っても命は尽きる。それは仕方のないことだ。
けれど、それは諦めとは違う。
確かに不可能なことというのはあるかもしれない。でも、一人一人が自分の立場でできることを精一杯やっていけばきっと良い未来が開けてくる。そんなふうに俺は思うのだ。いや、そう信じていると言ったほうがいいかもしれない。
「そうだよね。頑張ろう……お互いに」
小さな声でそう呟く空岡のつぶらな瞳は、不確かな未来を真っ直ぐ見据えているように感じられた。
その純真な瞳を見ながら、俺も明日への決意を固めていた。
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