第4章(6)
目的の場所はそこから五分くらい歩いたところで見つかった。
「あれじゃないか?」
俺が世良に問うと、彼は右手に持っていた携帯の地図と照らし合わせ「間違いないな」と大きく頷いた。
田中商店、と赤いペンキで書かれた古い看板を掲げるその店は、煙草やお酒、生活雑貨に至るまで何でも扱っているらしい。周りの建物に比べて一際おんぼろで、何だかこの一角だけ違う時代から飛んで来たような感じであった。
店内に足を踏み入れると、いよいよ本当に違う時代に来た気分になった。
表に貼ってあった張り紙には「日用品、何でも揃います」と書かれてはいたが、まさか洗濯板まで売られているとは……。今でもまだ売れるのだろうか。俺くらいの年齢だと逆に物珍しくて欲しかったりもするが。
「すげえよ、この店。これ洗濯板だぜ」
やはり同年代なだけあって同じようなものが気になるのか、口をポカンと開けて店内を見渡していた世良も屈みこんで洗濯板を手に取り、コツコツと叩いていた。
「昔はこれで洗濯してたんだからマジで大変だな。そう考えると今ってすごい便利になってんだよな。ボタン一つでできるんだからさ」
「そうだな」
今なんて乾燥機付きの洗濯機を買えば全自動で洗濯から乾燥までできる。四月から一人暮らしを始めて使うようになったが、干したり取り込んだりといった作業がなくなるので手間もいらないし、天候にも左右されないから天気を変える能力もいらない。というか、後者はそもそも存在しない。
「おっ、この洗濯板現品限りだってよ。てことは、これが売れたらもうないってことか。まあ、仕入れ先がなけりゃそうだよなぁ」
自分が手に取った商品がラストであることに気がついた世良は、空になった棚を見てしみじみとした表情をしていた。
仕事柄、時の移り変わりというものについてはよく考える。
時代の変化とはものの変化でもある。昔あったものが今はないということもあれば、逆に昔はなかったものが今はあるということもある。時代が変化するに従って、だんだんと人々が使うものは変わっていくのである。
その時代に必要とされるものが残り、いらなくなったものは消えていく。
時の流れというのは、残酷で無慈悲なものでもある。
「今じゃ珍しいだろう? 兄ちゃんたちの年じゃ見たことないんじゃないの?」
ふいに後ろから声が聞こえたので振り返ると、目のつり上がったおばあさんがにやけ顔でこちらを見ていた。
「若い人が来るなんて珍しいからさ、ゆっくり見てっておくれよ」
いかにもお喋りが好きそうなそのおばあさんは、ちょっかいを出すように肘でツンツンと俺の腕の辺りをつついてきた。
「このお店、もう長いんですか?」
調べてあるので確認するまでもないのだが話の筋を通すために尋ねると、おばあさんはハハッと笑い、自慢げに語り出した。
「長いのなんのって。かれこれもう何十年もやってるよ。もともとは義理のお父さんが始めた店で、それをうちの亭主が受け継いだんだ。けれども、二人とももう何年も前に亡くなっちまって、その際に今度は私が引き継いだのさ。別に客もそんなに来ないし、店を閉めちゃってもいいんじゃないかって思ったんだけどさ、長いことやってると常連客ってのがいるわけよ。たいていは何か買っていくわけでもなくて、『田中さん、ちょっと聞いてくださいよ』なんて愚痴ばっかり聞かされるんだけどね」
そう話すおばあさん――店主の田中さんは呆れ顔をしているが、何だか楽しそうでもあった。
このままうまく話をもっていこうと、俺は誘うように最初の一手を繰り出す。
「じゃあ、この辺りの歴史にも詳しいんですね?」
すると、田中さんはコホンと咳払いをし、「当然だ」という表情をして答えた。
「まあ、自慢じゃないけど、この辺りのことは町内会の連中よりも詳しいだろうね。あの連中のほとんどは最近この辺に越してきた新参者だから昔のことは何も知らないのさ。とにかくマンション立てて人をたくさん集めればいいと思ってるんだよ。そりゃ、人が集まるのは悪いことじゃないけど、昔から住んでる者にとっては迷惑なこともあるんだ。って、これは兄ちゃんたちに行っても仕方ないね。ごめんよ」
自慢から始まっていつの間にか愚痴に変わった発言を最後は軌道修正して詫びる、という何とも目まぐるしい語りを田中さんは披露した。まだ会って数分しか経っていないが、彼女が見た目の印象通りお喋りであることは間違いなさそうである。
お喋りといえば、隣にいる男もそうだった。
「わかりますよ、その気持ち。うちのおばあちゃんも同じようなことを言ってました。新しく来た人は自分の利益しか考えてないって」
「そうそう。まさにそうなんだよ。わかってくれるかい?」
「もちろんですよ」
世良は大きな声でいかにも調子よく答える。彼と田中さんは馬が合うようで、初めて話すとは思えないくらい軽快に言葉を交わしていった。彼くらいのコミュニケーションスキルがあれば、お喋りなおばあさんとも対等に渡り合えるようだ。
「それでなんですけどね」
そして、もちろん仕事のことも忘れていなかった。俺が外堀を埋めるのに苦労してなかなか言い出せなかった質問を彼はあっさりとしたのだった。
「俺たちはある人物を探してるんですよ。もう七十年以上も前の話なんですが、その当時この辺りにあった大きな公園で歌を歌っていた人がいて、その人の歌がものすごくうまかったらしいんです。それでできればその歌がどんなものだったか知りたいなって思って、誰か知っている人がいないか取材していたところなんですけど」
「取材って、雑誌か何かのかい?」
「……まあそんな感じですね」
あまり深く突っ込まれないように世良は答えを濁す。
「へえー、そんなことも記事にしたりするんだね。七十年以上も前の話なんだろう? 私ですらまだ生まれたかどうかくらいだよ。そんなのを調べるなんてなかなか大変なんじゃないかい?」
「そうなんですよー。情報も集まらず非常に困ってるんです。何か知りませんかね? 些細なことでもいいんです」
世良の要求を聞いた田中さんは怪しげな含み笑いをして言った。
「そりゃ、私の出番だね。ちょっと待ってな!」
気合の入った宣言とともに彼女は腕をグルグル回したかと思うと、小走りでカウンターにある電話のところへ向かい、片っ端から電話をかけ始めた。
「あー、もしもし、訊きたいことがあるんだけどさ……」
俺たちはそのあまりの勢いに、ただカウンターの前に突っ立っているしかなかった。
待機すること十五分。何人目かの電話でとうとう重要な証言を得たらしく、田中さんはにんまりとした顔で電話を切り、俺たちのほうを向いた。
「わかったよ。その人は
んたちの言うように、確かに歌が上手だったみたいだよ。それこそ世間で評判になるくらいね。残念ながらもう生きてはいないみたいだけど」
中川庄司さん、か。俺はその名前を忘れないようにインプットする。
「もっと詳しく知りたいだろう? 安心しな。その中川さんには孫娘がいるらしいから会って話を聞いてみるといい。はい、これ名前と電話番号だよ」
そう言って、一枚の紙を渡された。そこにはひょろっとした文字で『
ここまでわかれば十分だ。あとは本部の技官たちに調べてもらえばいい。
それにしても、田中さんの情報収集能力の高さには驚きである。時間退行観測庁にぜひ迎え入れたいくらいだ。きっと大きな戦力になるに違いない。
「記事になったら教えてちょうだいね。切り抜いて店の前にでも貼るからさ。これに貢献したんだって言えばちょっとした自慢になるからね」
田中さんはすっかり俺たちのことを雑誌の記者だと信じ込んでしまっているようで、待ちきれないという態度で急かしてきた。
「わかりました。いずれ記事になったときにはお伝えします」
こうなってしまってはもう仕方ないので、余計な波風は立てず、後のことは本部の方々に任せることにした。彼らはスペシャリストだ。それくらいは何とかしてくれるだろう。
さあ、いつまでもここに留まってはいられない。時間はあまり残されてはいないのだ。
俺と世良は親切な店主にお礼を言って店を出る。
「頑張ってね。良い記事書いてよ」
世話焼きな田中さんはわざわざ店の外まで出てきて見送ってくれた。
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