第4章 忘却歌

第4章(1)

 六月というとどうしても雨を連想してしまうが、今日の天気は雲一つない晴天だった。


 ここ数日は梅雨の影響により雨が続いていて通勤するのにも苦労した。電車の中はじめっとしていて不快だし、傘を差したところで完全防備というわけではないので、本部に辿り着く頃にはスーツや靴下がびしょびしょになってしまう。


 そうなることがわかっていると、自然と仕事に行くのが億劫になる。雨の日だってないと困るのは承知しているが、通勤や通学の時間帯は絶対に晴れのほうがいい。時間退行が可能なら天候操作も可能にならないだろうか。


 ――俺の頭上、半径5キロメートル『晴れ』。いや、無理か。


 まあ、とにかく今日はそんなことをする必要もない。


 顔を上げれば、どこまでも広がっていく透き通るような青空。


 これは良い日になるに違いない。朝の俺はそんなのんきなことを考えていた。




 ――ビィー、ビィー。ビィー、ビィー。


 レベル3以上の能力保持者が現れたことを知らせる警報音が鳴ったのは、俺が本部に着くのとほぼ同時だった。


「すぐに解析しろ!」


 勢野の冷静沈着な指令を受け、技官たちがパソコンを操作しターゲットの特定を急いでいた。


 それから数分と経たないうちに、ターゲットの氏名、年齢、住所、職業などが明らかになった。どうやらターゲットは二葉一ふたばはじめという三十歳の男性会社員のようだ。垂れ目で威圧感のあまりない、温和そうな男の顔が前方の大きなモニター画面に映っている。


「着いてそうそう発生するとはな」


 俺は部屋の後方で二葉の情報を真剣にチェックしていた空岡に話しかけた。


「あっ、間庭君。おはよう」


 彼女はメモを取る手を一瞬だけ止め、こちらに会釈する。


「世良と節原は?」

「まだ来てないと思うよ」

「そうか。まあそうだよな。まだ早いし」


 二人は決して遅刻というわけではない。天気がいいから気分良く早めに家を出た俺と、天気に関係なくいつも三十分前には来る空岡が始業時間よりも前に着いているだけだ。


「それにしても、さすが細かくメモってるな」

「私も少しは役に立ちたいからね。これくらいはしないと」


 ちょっとでもいいから周りで働くみんなやターゲットとなる人間の手助けがしたい。空岡は切にそう願っている。


 もちろんそれは俺も同じだ。画面に映った二葉の情報を見る。


「主任、最近は本当にレベル3以上の発生が多いですね」

「そうだな。こう続いてはこちらとしても体力が持たない」


 同じように画面を見つめているのは、勢野と彼女の右腕とも言える熟練の男性技官、差波隆さしなみたかし。十歳以上年上の彼の言葉に勢野がポロっと弱音をこぼしていた。


 しかし、部下を前にそんな態度ではいけないと思ったのか、彼女はすぐに首を振って声を張り上げる。


「だが、この仕事は我々がやるしかない! よしっ、早速行動開始だ!」


 勢野はパンッと手を叩いて気合を入れると、俺たちのところへ真っ直ぐ近づいてきた。


「おいっ、世良と節原はまだ来てないのか?」

「はい。まだです」


 勢野に睨まれた空岡は背筋をピーンとさせて答えた。緊張しているようだ。


「そうか。よし、じゃあ空岡! 今回の件はお前が中心となって動いてもらう。ターゲットに接近し、能力の発動原因を探ってくれ」

「私が……ですか?」

「そうだ。もちろんベテランの技官たちをサポートにつける。だから心配しなくていい。落ち着いて指示を聞き、仕事に当たって欲しい」

「はいっ!」


 気合の入った返事だったが声はうわずっていた。


「それから、間庭!」


 今度は俺の番だ。俺は力強く返事をする。


 いったい、何を命じられるのだろう。空岡がターゲットに直接近づく役目だから、俺の仕事はターゲットの家族や友人、会社の同僚などから話を聞くことだろうか。


 今までの傾向から予測を立てていると、そのいずれでもない予想外の一言が俺の耳に飛び込んできた。


「お前はここに残れ」

「えっ?」


 俺は思わず口に出してしまった。眉間にしわを寄せた勢野がもう一度同じ台詞を繰り返す。


「お前はここに残れ」

「どうしてですか?」


 わだかまりを残さないためにも疑問に思ったことは訊いておいたほうがいい。主任の命令なのだから何か考えがあってのことだろう。だけど、それを俺が理解していなければ不信感は募る一方だ。


 内心ビクビクしながら、それでも見た目の上では堂々として勢野の回答を待った。


 彼女はそんな俺の気持ちを察してくれたのか、大きく息を吐き、説明をしてくれた。


「最近の傾向からして、一日に二件以上大きな事件が発生したとしてもおかしくない。だからもしそうなった場合に、すぐに出動できる人間を本部に残しておかなければならないのだ。少数精鋭で戦っている我々には余計な人員はいない。従って、とりあえずお前には残ってもらって様子を見る。これで納得したか?」


 彼女の意見には反論の余地もなかった。


「わかりました。物言いをつけてしまってすみません」

「別に構わない。疑問に思ったことは何でも訊いてくれ。お前ら一人一人の負担は今後さらに大きくなってしまうかもしれないんだ。こちらこそすまない。だけど、他にやれる者もいないのだ。よろしく頼む」


 勢野は悔しそうに表情を歪ませる。自分の力量のなさを責めているようだった。


 状況から見れば彼女は精一杯のことをやっている。命令だってその場その場で的確なものを与えているし、部下たちのことをちゃんと慮ってもいる。


 だが、その部下たちの負担はますます増えていく一方だ。それが彼女からしたら歯痒くて申し訳なく思うのだろう。


 俺たちが「何もできない」と自分の力不足を嘆くように、主任も主任という立場であるがゆえに感じる無力さがあるのかもしれない。


 何も言えなくなった俺は、ただそのお願いに頷くことしかできなかった。


 空岡がターゲットである二葉のもとへ出動した直後、世良と節原も本部に姿を現した。


 勢野はすぐさま状況説明を二人に与え、命令を下す。


「今から指示を与える。二人ともよく聞け」


 勢野にそう言われ、世良たちは彼女の前で息を殺して待機する。事件の発生に間に合わなかったことに負い目があるのか、二人の表情はどことなく暗い。


 そんな彼らに対して、勢野は「何も心配することはないっ!」と叱咤激励した。それは自らを奮い立たせる言葉にも聞こえた。


 彼女の命により節原が空岡のサポートに回ることになり、世良は俺と同様、ひとまず本部に待機となった。


 待機組の俺たちは二葉の情報を頭に入れながら次なるターゲットの発生に備え、出動組の節原は指示を受けつつ速やかに本部を出る準備を始めていた。


「今日はもう一つ来るかもな」


 慌ただしく指令室内の空気が動く中、勢野が独り言のように呟いていた。


 もしかしたら、現場で何年も働いている者だけが持つ第六感的なものがそれを感じさせているのかもしれない。


 ――今日はもう一つ来る。


 皮肉にも、その「予言」の正しさが証明されることになるのはそれから間もなくのことだった。

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