第3章(6)

「すべてのコンピュータ、メンテナンス完了です!」

「よしっ、電源を入れろ!」


 勢野の号令で、切られていたシステムの電源がオンになる。起動音とともに灯りの消えていた大型のモニターにもパッと電気がつき、いつも見ているような文字や画像が明るく映し出された。


「観測システムの作動を確認しました」

「電源を切っている間、大きな時空の歪みはなかった模様です」

「全システム、異常ありません」


 次々と報告が上がった。勢野が今一度、「問題はないんだな?」と念を押す。確認のためパソコンと向き合う技官たちはそれぞれ大きく頷いた。


「そうか。わかった」


 勢野は納得すると、まだ緊迫したままの部屋の中を見回した。


「みんなご苦労だった。どうやら問題もなく、無事に大きな山を乗り越えられたようだ」


 彼女の宣言とともに、部屋にはヒューという大きな歓声と拍手が沸き起こる。


 けれど、たとえそんな中でも勢野は油断をすることがない。


「だが、まだ終わりではない。作業の残っている者はこれからまたやってもらわなければならない。休憩を挟みながらでいいからなんとしても今日中に終わらせてくれ」


 時刻はすでに夜の八時を回っていた。昼の休憩以降、ほとんど休むことなく仕事をしていたので疲れもピークに達している。周りを見回してみても、やはりみんな疲労困憊と言った様子だった。


「頑張ろう!」


 それでも、どこからか声が上がる。


 するとその声に賛同するように「そうだ!」などの気合を入れる言葉が飛び交っていき、いつの間にか職員全体の士気が高まっていった。


 そして、それぞれが再び部屋の各所に散らばって仕事に就くのだった。


 それを見ながら、俺も同じようにもとの仕事に戻ることにした。


 とは言っても、俺が戻る場所は雨谷のところではなく世良たちのところである。雨谷からは先ほど「あとは私がやる」と言われてしまったので、行く場所といったらそこしかなかったのだ。


 ところが戻ってみると、あれほどたくさん積まれていた資料が跡形もなく無くなっていて誰の姿も見当たらない。


「おー、賢次。戻ってきたのか」


 そこに、間の抜けた声を出した世良が首や肩を回しながら現れた。


「ここにあった資料はどうしたんだ?」

「それなら今みんなで技官たちのところへ持ってったぜ」

「チェック、終わったのか?」


 俺が驚いて尋ねると、世良はへへーんと笑い、意地悪な顔つきで俺の顔を見た。


「そうだとも。どっかの誰かさんがいなくても俺たちはやれるのさ」

「なーに自慢してんの。途中からだれちゃって全然戦力にならなかったくせに」


 後ろからそう揶揄したのは節原だった。


「うわっ、それ言うなよ」

「だって、ちゃんと真実を伝えないと」


 節原はこれまた人をからかうような笑顔を世良に向けていて、彼女の隣に立っている空岡はどっち側にもつけずに困った様子で苦笑している。


「でも、まあそういうわけだからもう帰れるよ」


 節原が今度は俺のほうを向き直る。早く終わったのは、二人分、いや三人分といってもいいくらいの仕事をこなした彼女のおかげだろう。途中で完全に離脱した俺からしたら頭が上がらない。いっそ土下座するべきかもしれない。


 そんなことを考えていたが、節原は俺の返事なんて待たず、嬉しそうに宣言した。


「というわけで、お腹も空いたし私はお先に失礼します。早く夕飯を食べなくちゃね」


 スチャっと敬礼し、振り返らずダッシュで俺たちのもとを離れていく。


「食べ物が絡んだときのあいつの行動はえーな」


 世良はボソッと呟くように突っ込むと、続けて「じゃあ、俺も帰るわ」と俺と空岡に向けて手を振り、去っていった。


 茫然としながら二人を見送った後、まだ残っていた空岡が窺うように俺を見た。


「……私も帰ろうかな。間庭君は?」

「俺は……もう少し残ろうかな」


 別に帰っても問題はないだろう。だが、このまま帰ってしまうのは心残りがあった。役に立てるかどうかはわからないが、もう少しここにいたいという気持ちが勝ったのだ。


「そうなんだ。……じゃあまたね」


 先に帰るのが忍びないと思うのは空岡も同じなのかもしれない。返事を聞いた彼女は俺に別れを告げると、こそこそと周りで働く人たちに挨拶をして部屋の出口のほうへ歩いていった。


 彼女の気持ちはよくわかった。それは俺自身もいつも感じていることだったから。


 だから、というべきだろうか。今日くらいはここで働いている仲間たちのために、もう少し何かをしたかったのである。


 俺の勝手なエゴで空岡に惨めな思いをさせてしまったかもしれない以上、せめてここは有言実行しなければならない。何もせずには帰れないだろう。


 とはいえ、何を手伝ったらいいのか当てがあるわけでもなかった。


 悩んだ末、結局俺は雨谷のところに行くことにした。さっきやり残した仕事がまだそのまま残っているかもしれないからだ。


 技官たちの仕事ぶりを横目に見つつ、俺は雨谷の席まで行った。


 辿り着くと、彼女はやはりパソコンと睨めっこしていた。何かのプログラムを作っているというのは何となくわかる。俺が近づいてきたことにすら気がつかないのか、それとも無視しているのか、彼女は常人とは思えない集中力で仕事をしていた。


 そんな彼女の机の片隅にはしまわれていないピンク色のノートパソコンがあった。手を付けている様子がないのを見ると、どうやら俺の仕事はまだ残っていそうである。


「さっきのやつ、続きやるよ」


 俺の声に振り向いた雨谷は不思議そうな顔をした。


「まだ帰ってなかったの?」

「なんかこのまま帰るのもあれかなって」

「……そう。まあ、手伝ってくれるのならありがたいけど」

「なら、始めるからノートパソコン貸してくれ」

「わかったわ。でも、くれぐれも……」

「中のファイルを漁ったりしないように、だろ。わかってるよ」


 俺はノートパソコンを受け取りながら彼女の忠告を先取りする。


「それならいいけど」


 彼女はそれ以上言葉を継がず、仕事に戻った。


 俺たちはそれからまた二時間余り作業に没頭した。本部から徐々に人が減っていくのにも気づかず、ただ目の前の膨大な仕事を終わらせようと必死だった。


 雨谷はこの量の仕事を一人でやろうとしていたのだ。しかも今日中に。


 考えただけでも恐ろしかった。今やっているプログラミングも含め、彼女に与えられている仕事は他にもあり、朝までかかって終わるかどうかという感じである。


 助けとしては微々たるものかもしれないが、少しは負担を減らしてあげたい。


 その思いで俺は集中力を保ち、何とか最後のデータを入力し終えた。


「雨谷、終わったぞ。入力ミスとかはあるかもしれないが」

「お疲れ様。あとは私が確認するから平気よ」


 雨谷はそう言って笑ったが、さすがにお疲れの様子だった。


「少しは休んだほうがいいんじゃないか?」

「……そうね。間庭君が手伝ってくれたおかげで余裕もできたし、部屋に戻って仮眠をとるわ」


 雨谷は眉間の辺りを手で押さえながら返事をして、座っていた椅子から立ち上がろうとする。


 だが、すぐにフラッとよろけてしまう。


「大丈夫か? 部屋まで送るよ」

「……ありがとう」


 雨谷は力なく答えた。やはり相当無理していたようだ。ちゃんと休ませなければなるまい。


 彼女の部屋は同じ建物の三階にある。そこに行くためには、まず一旦この指令室を出てエレベーターに乗らなければならない。


 俺は彼女の体調を気遣いながら、ゆっくりとした足取りで一緒に歩き出した。


 技官たちは皆、この建物内に一部屋ずつ自分の部屋を与えられていてそこで寝泊まりをすることができる。帰れるときには自分の家に帰ったりもするみたいだが、ほとんどの人はその暇もなく、その与えられた部屋が自分の家と化しているようだ。


 そのためなのか、部屋の中にはキッチン、バス、トイレなど、生活するのに必要な設備は一通り揃っている。前に鳥飼の部屋を見せてもらったとき、今俺が一人暮らしをしている部屋よりも豪華だったので愕然としてしまった。


「三階に着いたぞ」


 人も少なくなり、俺たちだけが乗っているエレベーター。その階数ボタンの上部に「3」という数字が大きく示されていた。ドアが開き、雨谷を降ろしてから俺も降りる。


 三階にあるのはほとんど技官たちの部屋だ。廊下を歩くと、それぞれの名前入りのドアが一様に並んでいる。


 その中に『雨谷寧々』というフルネームが書かれた部屋もあった。


「今、ロックを解除するからちょっと待って」


 ドアの前まで来て、雨谷はポケットに入れてあった自分の職員証をドアノブの上にある読み取り機にかざす。これにより鍵を開けることができるのだ。当然ながら、俺の職員証では開かない。確かめたことはないが。


 ――ガチャ。


 鍵の開く音がした。先に入るように促され、俺は部屋のドアを開けた。


「電気はこれか」


 スイッチを押し、暗い部屋に照明が灯ると、オシャレで可愛らしい空間が広がる。


 黄色いソファーに寝心地の良さそうなふかふかなベッド。枕元にはクマのぬいぐるみ。床には可愛い絵柄のクッションがあって、白い収納棚には本や小物が綺麗に収められている。


「おー、いい部屋だな。女性らしいというか」

「意外、みたいな言い方しないでくれる? 私にだってそういう趣味はあるのよ」


 怒られてしまった。俺としては褒めたつもりだったのだがうまく伝わらなかったらしい。


「まあいいわ。それはそうと何か食べていかない? 夕飯まだでしょ?」


 おぼつかない足取りで雨谷は台所のほうへ向かう。


「いいって。家で食べるから。それより早く横になったほうが」


 俺がそう言って断ると、キッチンで食器を出していた彼女は静かに呟いた。


「……それは残念ね。私としては、間庭君がそのまま終電を逃してこの部屋に泊まっていくという展開もありだと思ったのに」


 どうやら雨谷はお疲れのようだ。さっさと寝かせてあげたほうがいい。


「じゃあ、せめてココアだけでも飲んでいって」

「わかったよ。それ飲んだら帰るからな」


 彼女はすでに二人分のココアを作り始めていたので、それだけはいただいていくことにした。


 温かいココアの入ったカップを両手で持ちながら、俺はソファーに座り、雨谷はベッドに腰掛けた。彼女との距離はソファーとベッドの位置関係により少し離れている。


 女子の部屋ということで落ち着かないせいもあるのかもしれないが、俺は飲み物を飲むわずかな間にも部屋に置かれている様々なものに目を向けてしまった。


 そして、収納棚に一枚の写真が飾られていることに気がついた。


「あれ、お兄さんか?」


 写真立てに入れられた少々古めの写真。そこには白い歯を見せ元気にピースする少年と、その少年の一歩後ろに立って恥ずかしそうに小さくピースをする少女の姿があった。


 女の子のほうが雨谷であることはすぐにわかった。あどけなさは残っているもののすでに表情は凛としていて、この子が成長したら今の雨谷になるだろうという想像は容易につく。


 断言できないのは隣にいる男の子だった。写真の中の雨谷はカメラではなくこの少年を見ている。兄弟なのか、幼馴染なのか、あるいは恋人か。どれが正解だとしても彼女が彼のことを尊敬しているのは間違いなさそうだった。


「……そう。私が中学校に上がる前に撮ったの」


 どうやら当たったらしい。


「てことは、この写真の雨谷は十二歳ってことか」

「……」

「ど、どうしたんだ?」


 ベッドに腰掛けていた雨谷はなぜか涙を流していた。


 その理由はすぐに明らかになった。真相が彼女自身の口から語られたのである。


「それがね、私と兄さんが一緒に映ってる最後の写真なの。兄さんは私が中学生になってすぐ、交通事故でこの世からいなくなってしまったから」

「亡くなった……のか」


 突如述べられた事実に俺はどう返事をしたらいいのかわからず、とにかく謝ることくらいしか思いつかなかった。


「悪い。変なこと訊いちゃったな」

「未だに写真を飾ってる私のほうがいけないのよ。それに、秘密にしておくのもなかったことにするみたいであまり良くないでしょ? だから……」


 声も体も震えていて、それでも雨谷は話を続けようとしていた。


 これ以上は思い出させないほうがいい。俺はソファーから立ち上がった。


「仮眠をとりに来たのに邪魔して悪かったな。ココアも飲み終わったしそろそろ帰るよ。今日中に仕事を終わらせなきゃいけないのはわかってるけどあまり無理はするなよ。休むときにはしっかりと休まないと体が持たないからな」


 彼女のためにもここは俺が出て行くべきだ。


 返事を待たず、俺は部屋のドアのほうへ歩き出した。


「待って!」


 背後から雨谷の叫ぶ声が聞こえた。思わず振り向くと、目を赤くしていた彼女は我に返ったように押し黙ってしまった。


「とにかく、今は休めよ」


 何も言わずに俯く彼女に俺はそう言い残し、静かに部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る